夢
???/???/ジュン姉/夢
【……ではこれより、契約の儀式をはじめる】
低い男の声がして、ジュン姉の体に黒い煙の紐が巻き付いていく。
首、腕、足、顔、胸……がギリギリと締めつけられ、ジュン姉が苦悶の声をあげはじめる。僕はそれを、黙って見ていることしかできない。
【罪悪感を捧げよ……。お前の感じる一番の罪悪を、捧げよ】
僕の一番の罪悪は、「ジュン姉を好きになってしまったこと」だった。
これはわりと昔からそうだった。
この関係がずっと続いていくと思っていたから……今まで気持ちを伝えずにいただけだ。僕は最後の最後まで、黙っていた。
だって僕は、ジュン姉より五歳も年下で、中学生で。なんの力も持たないただの子どもだったから。そんな僕がジュン姉を幸せにできるなんて……とても思えなかったんだ。
それが一番、罪悪を覚えることだった。
【そうか。では、お前の願いはなんだ?】
コワガミサマは毎年、村人たちの願い事を聞く。だから僕のことだって、なんだって知っているはずなんだ。僕の願いは……絶対に知っている。
なのに何故、訊いてくるんだろうか。
僕の願いは、「ジュン姉とまたもとのように普通の生活を送る事」だった。
でもそんなのは無理だ。不可能だ。
あえて……言わせようとしているのだろうか。僕の反応を面白がるために。もうお前などには返してやらぬと、思い知らせるために。だから、わざわざ訊いてきたのだろうか。
【わかった。その願い……叶えよう】
え?
急に、どうして……。
返して、帰してくれるんだろうか。本当に、ジュン姉を? 僕のもとに?
信じられない。そんな奇跡みたいなことが起きるなんて……。
コワガミサマは、村人のどんな願いでも叶えてくれる存在だ。でも、そんなことをしたら、コワガミサマのお嫁さんは――。
【その代わり、誓え。お前と日向純が永遠に交わらぬと誓え。触れてはならぬ。互いに思い合っていたとしても、触れることは今後一切禁ずる。それを誓えるなら、日向純を返そう。そして――】
「あああああああーーーっ!!!」
突如、ジュン姉の絶叫があたりに響き渡った。
「なっ、ジュン姉!?」
【我は……どんな願いでも必ず叶える。だが、それと引き換えになるのが、これだ】
ギチギチと黒い煙の紐が、ジュン姉の体を締め上げはじめる。そして……ついにその圧が限界値を越えた。骨の軋む音、そして裂ける柔肌。
「じゅ……ジュン姉!」
手を伸ばして止めようとしたが、すでに遅すぎた。
「いぎっ、ぎゃあああああーーっ!!」
ジュン姉の白いワンピースが、どんどん赤黒く染まっていく。もう出血している箇所は多数におよんでいた。まるで見えない刀でなます切りにされているかのようだった。ジュン姉は痛みのためか、意識を半分喪失させながらピクピクと体をけいれんさせている。
「あっ、あ……ぼ、僕のせいで……!」
僕はひどく混乱した。
僕が、こんな願いをしてしまったから……じゅ、ジュン姉が……。
【ふはははははははっ!! そうだ。その感情をもっと放出しろ。お前が罪悪感を覚えるごとに、それを余すことなく我に捧げるのだ!】
苦しむジュン姉の口から、嬉しそうな男の声が発せられる。
僕は、目を見開きながら叫んだ。
「こ、こんな……もうやめてくれ! これ以上、もうジュン姉を苦しめないでくれッ! 僕の願いはいいから! もう僕の願いなんてどうでもいいから! お願いです! やめてください、もうやめてく……ッ!」
けれど、ジュン姉の口からは相変わらず男の笑い声しか出てこなかった。
そうしている間にも、ジュン姉の体はどんどん血で染まっていく。
僕は頭が変になりそうだった。
このままではジュン姉が出血多量で死んでしまう。
どうして、こうなったんだ? 僕が全ていけないのか? 僕がジュン姉を好きになってしまったから。僕がこんなお願いを口にしてしまったから、だからジュン姉がこんなにも苦しまなくてはならなくなったのか?
【ふははははっ。ふはははははははーーっ!】
コワガミサマがずっと喜んでいる。
それは僕の心が今、「罪悪感」でいっぱいになっているせいだ。
僕は、コワガミサマに喜ばれたいわけじゃない。ジュン姉だけを、笑顔にしたかったんだ。それなのに……それだけだったのに、どうしてこんなことに。
ジュン姉……。
ジュン姉……ッ!
「はっ! ゆ、夢……?」
気が付くと、僕はとある部屋で横になっていた。
ハアハアと荒い息を吐き出しながら、鼓動の激しい胸を押さえる。
「こ、ここは、いったい……」
どことなく見覚えのある場所だった。でも、「自宅」ではない。
天井は板張りで、床は八畳ほどの畳だった。中央に僕の寝ていた布団が敷かれている。家具は一つも無い。
非常に、静かなところだ。
四方のうち三方がふすまで、残りの一方が障子。その隙間から朝の光が差し込んできている。
「朝……? ってことは……うっ!」
突然、ズキリとこめかみが痛んだ。
僕は片手で頭を押さえながら起き上がる。
朝……か。いったい今日は何日で、何時ごろなのか。
こうして目覚めるまで自分が今までどうしていたのか、まるで思い出せない。ここがどこなのか、なんでここに寝かされていたのかも……まったくわからなかった。
かけられてた布団をめくってみる。
僕は、詰襟の学生服のままだった。
周囲に意識を向けて、誰か他の人がいないか様子を窺ってみる。でも、いっこうに誰もやってくる気配はなかった。実際、何の物音もしない。外から小鳥の鳴き声が聞こえてくるだけだ。
僕は立ち上がると、思い切って障子を開けてみた。
「…………!」
外には、左右に長く伸びる廊下と、白い玉砂利の敷き詰められている中庭があった。そのさらに向こう側には、ここと同じような廊下の建物が見える。
「ここは……」
「おっはよー。目ぇ覚めた?」
なんとなくこの場所に見当がついた僕は、その名を口にしようとして……背後から声をかけられた。
「うわっ!」
近づかれていたことに、まったく気が付かなかった。
思わず間抜けな声をあげるが、異様な状況にスッと背筋が寒くなる。声は間違いなく「あの人」のものだった。でも……。
僕はおそるおそる振り返る。
そこには、「顔のおぼろげな」ジュン姉が立っていた――。