四天王の面汚しでも、全然かまわない
しばらく泣いたら、妙にすっきりした私は、ハンカチでぐしょぐしょの顔を拭いた。
ユリウスの胸元は、私の涙や鼻水などの色々な汁で、デロンデロンになっていた。
終始なんだか優し気なユリウスだったけれども、私のせいでデロンデロンになった服を見てちょっと眉を顰めていた。
なんだか抑揚がないと思っていたユリウスの表情を読み取れるようになってきた気がする。
「ねえ、ユリウス。ユリウスは、いつから知っていたの?」
私が、顔の汁を拭き終わってそう問いかけると、まっすぐ彼が私を見た。
「私が二十歳になった時だ。ふと、疑問に思ったんだ。何故、私は魔王に会ったことがないのだろう、と。そして、会いたいと思った。若かった私は城の防衛魔法の抜け道を使って、忍び込んだ。城の防衛魔法は、剛腕のレグリスに頼まれて、私が編んだ魔法だ。事前に、人には分からないような抜け道を作っていた。……どうしてあの時、そうまでして、魔王に会いに行こうとしたのか、今でも分からない。そして、実際に正体を確かめた時は……自分の器用さを恨んだものだ」
そう言ってその時のことを思い出したのか、苦々しい顔をして、目を伏せた。
ユリウスも、やっぱり最初は戸惑ったんだ。
私と同じで。でも、そうだよね。私たちはずっと、そういう風に生きてきた。
この国に住まう者は、魔王様を愛して生きてきた。
「今、私が、城の奴らにばれずにここにいられたのも、ユリウスの抜け道のおかげなの?」
「そういうことだ。それにしても、遅延魔法で忍び込もうだなんて、思い切ったものだな。正直呆れた」
そうでしょね。遅延魔法じゃその場をしのぐことはできるけれど、そのうちばれるお粗末な代物だ。
「だって……。私は複雑な魔法は苦手だし! それに、帰りのことはどうでもよかったもの。魔王様にお会い出来たら、それはそれで、よかったし、もしいなかったら……別にそれは、もうそれでいいって、自分の身がどうなろうと構わないって思ってたから……」
「もっと、自分の身を大事にして、先のことも考えろ」
ユリウスがらしくない言葉をかけてきて、フンとそっぽを向いた。
思わず、そっぽを向いたユリウスを見て目を瞬かせる。
どうして、そんな、優しそうなことを言ってくるんだ……! ユリウスのくせに!
そんなお優しいお言葉をかけたって、私が死んだら、この四天王の面汚しが! って言うんだって知ってるんだからね!
……でも、ありがとう。
嘘でも、嬉しい。誰かに、身を案じてもらえるのは。
私は、今まで、魔王様が私のことをいつも見てくださると思って、生きてきたから……。
あ、ダメだ、また思い出してしんみりしてしまう!
私は鼻をすすって、顔を上げた。
「分かってるわよ! これからはあんな馬鹿な真似はしない! それでユリウスは、その、最初にあの魔法陣を見て、どうも思わなかったの? どうしていまでも平然と、魔王軍の四天王なんて、やってるの? なんのために!」
私が勢い良く詰め寄ると、ユリウスは、また穏やかに笑った。
く、かっこいい顔したって、ごまかされないからね!
「あの魔法陣を最初に見た時は、ただ茫然としたよ。そして、逃げたんだ。自分が確かめたことを信じられなくて。……私は、逃げるように、あの魔法陣の研究に日々を費やした。今思えば、あの魔法陣を解明すれば魔王と思って私が尊敬していたお方が、私の元にやってきてくれるのではないかと、思っていたのかもしれない。……愚かなことだ」
そう言って、自嘲的な笑みを浮かべたユリウスを見て、私も未だに何かに縋りたがっている自分に気付いた。
でも、前に進まなくちゃ。
魔王様はいない。それは魔法陣が生み出した幻想だった。
このまま、ずっと、魔王に、ただの魔法陣に囚われて、支配されながら生きていたくない。
「ユリウス、私は、このままユリウスみたいに、何食わぬ顔でこの国の四天王なんてやってられない。この国を出るわ。止めないでいてくれる? 私は、つまり、この国から無断で出ていく。魔王様から与えられた役目も、地位も、何もかもを捨てて、この国から出る」
第四位の四天王の最弱とはいっても四天王だ。その穴が勝手に空くのは、国にとっては迷惑だろう。
間違いなく、四天王の面汚しだ。でも、いい。面汚しでも、なんでも。
私は、魔王軍の四天王のエルルをやめる。
ただのエルルになるんだ。
私の決意を静かに聞いていたユリウスは、おもむろに頷いた。
「……そうか。それがいいだろう。私は止めはしない。君にそう決断させてしまったのは、私が、あの部屋へ君を案内してしまったからだしな」
静かにそう言ったユリウスには、少し後悔の色が見えた気がする。
「ねえ、ユリウス最後に聞かせて。どうして、あの時、私を、魔王様の部屋に連れていってくれたの?」
私がそう尋ねると、そんなことを聞かれるとは思っていなかったらしいユリウスが、少し驚いた顔をした後に、口を開いた。
「理由は、私もよくわからない。ただの好奇心だったのかもしれない。私以外の者が、あの秘密を知れば、どう思うのかが、ただ単純に知りたかった、ような気がする。……でも、連れていって良かった。やっと自分の気持ちに気付けた。素直に魔王様がいない事実に悲しむ君を見て、私もただ普通に悲しんでいるということに気付いた。考えないように、感じないようにして、あの魔法陣の研究ばかりに目を向けていたが、これで、すっきりした。君の涙のおかげだ。これから自分が何をすべきなのか、何をしたいのか、やっとはっきりした」
そう言ってユリウスは、何か憑き物でも落ちたような晴れやかな顔で私に極上の笑みを落としたのだった。