真実を受け入れる
ベッドで目が覚めた。
いつもの天井が見える。
天井には、魔王様の印が、彫られている。角を持つ髑髏のマークだ。
私が起きた時、一番に見えるのが魔王様の印で、眠る時、最後に見るのが魔王様の印にしたくて、自ら刻んだ。
おはようからおやすみまで、ずっと魔王様漬けの毎日だった。
「エルル様!」
隣で涙声が聞こえてそちらに顔を向けると、カンナが、目を真っ赤に腫らして私を見ていた。
「カンナ? その顔どうしたの?」
「どうしたのではございません! 私がどれほどエルル様を心配したことか!」
「私を……? あ、そうか、私は……」
そう言って意識を失う前のことを思い出した。
光り輝く魔方陣のこと、そして魔王様のこと。
全部、全部夢なら良かったのに……。
これから、どうしようか。
いや、そもそも、私は魔王様の法を犯した。
私が城の守りを突破するために掛けた魔法は遅延魔法だ。
もうとっくに、私が、行ったことがバレている、はず、なのに。
どうして、私は自分の屋敷で呑気に寝ていられたのだろう?
今頃は、私が侵入したということがばれて、反逆罪か何かで捜索されててもいいはず。
「カンナ! ねえ、国の者から、私を捕らえるように言われたりとかしてない? レグリスの配下の者が訪ねてこなかった?」
私がそう確認すると、カンナは、首を横に振る。
「え、そのようなことあるわけないじゃありませんか。エルル様は、この国の四天王のお一人ですよ」
え……。何もない?
そう言えば、ユリウスが無効化の魔法のことをなんとか言っていたような……。
だいたい私、どうやってこの屋敷まできたんだろう……?
「カンナ、私、どうやって、自分の屋敷に戻ったの?」
「はい、ユリウス様がエルル様を腕に抱えてこちらまで運んで来てくださいました。こう、いわゆる、お姫様抱っこというもので。とても絵になる姿で素敵でございましたぁ」
とカンナはうっとりとした顔で答えてくれた。
ユリウスが、私を運んできてくれた?
ユリウスは、私がかけた遅延魔法に、うまいことばれないように無効系の魔法を施してくれたのかもしれない。
私は、細かくて複雑な魔法は苦手で、攻撃魔法ばっかりが長けている。ユリウスなら、もっとスムーズに城に忍び込む術があってもおかしくない。
それにこの前のユリウスの様子。
あの魔王様の……いや、魔方陣が刻まれた部屋に行くのに手馴れた様子だった。
おそらく初めてってことはないはずだ。
魔方陣のことも、魔王様がいないことも知っていたし……。
「私、ユリウスに会いにいく。確認したいことがある」
「ユリウス様なら、屋敷の一室で過ごされておりますよ」
「え?」
「エルル様をこちらに運ばれた後、疲れたとおっしゃってそのままこの屋敷に泊まっておられます。先ほど起きられましたので、今頃は朝食を召し上がっている頃かと思います」
いや、何勝手に、我が家でご飯を食べているんだ。
「エルル様も朝食はどうなさいますか? 食欲がないようでしたら……」
「大丈夫よ、食べるわ。ユリウスに話したいこともあるし、カンナ用意して」
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客間に入ると、ユリウスが、優雅に紅茶を飲んでいるところだった。
皿の上の料理が綺麗に無くなっているので、もう朝食は済んだらしい。
私が部屋に入ってくると、ユリウスは秀麗な顔をこちらにむけて、「起きたか」と一言発した。
起きたか(涼し気なまなざし)、じゃないよ!
こっちは色々、この前のことで頭がいっぱいで、いっぱい聞きたいことがあるっていうのに、優雅に、勝手に紅茶を飲んで!
なんか、色々わけわからないことが起き過ぎたことで、ユリウスに腹が立ってきた。
あ! しかも部屋いっぱいに広がるこの茶葉の香りは、私のお気に入りの野いちごのフレーバーティーじゃなかろうか!
よりにもよって、ユリウスなんかに私のお気に入りの紅茶を飲ませなくてもいいのに!
そう思って、紅茶を給仕したであろうメイドに目を向けると、うっとりとした目をしてユリウスを見ていた。
よく周りを見れば、周りのメイド達も頬を赤く染めて、うっとりとした顔をしている。
ええ!? この前までエルル様が一番です! かわいいです! 大好きです! って言ってくれてたのに!
彼女達の心を、その顔で一瞬で鷲掴みしたユリウスを私はにらみつけた。
涼し気な顔をしやがって!
というか、この前の時のこととか、聞き出さないと!
「ユリウス! いったいどういうことなの!? あの部屋は……」
「声を抑えろ」
そう言って、ユリウスは眉をひそめる。
その迫力になんだかんだと小心者な私は口をつぐむと、ユリウスが周りのメイドに、2人にしてくれと言って。勝手に人払いをした。
私の屋敷なのに。私が主人のはずなのに。
当然のように仕切るユリウスを忌々しく見ていると、私と目があったユリウスは、ふっと息を吐いて顔を綻ばせた。
はっきり言えば、男も女もうっとりするような極上の微笑みである。
基本、何の表情も出さない冷たい印象のお顔なので、ああやって穏やかに突然微笑まれると、ドキっとす……しません!
私は、そんな微笑みには屈しないぞ!
思わず彼の魅力に篭絡されそうになった私は、毅然とした態度を見せるべく腕を組んだ。
「ユリウス! もういいでしょう? 昨日のことよ! その……あれは、一体……。魔王様は……」
どんどん歯切れの悪くなる私は思わず下を向いた。
ついこの前のこと。思い出すだけで、やっぱりつらい。受け入れがたい。
だって、魔王様が、ただの、魔法陣だったなんて……。
「魔王様なんていうものは最初からいなかった。いや、最初はいたのかもしれないな。少なくとも、この国が成立した時には、あの魔法陣を作った者がいる。それが魔王、のようなものと呼んでもいいのかもしれない。もちろん、もうはるか昔の人間だ。今はいない。私たちが、信じ、愛し、身も心も捧げていた存在は、いなかったんだ」
はっきりとそう言われて、受け入れがたい事実を突きつけられて、ユリウスの顔を見ながら、固まった。
そうか。やっぱり、魔王様はいなかったんだ。
前世の記憶がよみがえった時に、魔王様のことを疑い始めて、昨日、直接魔法陣を見た時に、疑いが確信に変わり始めていて、だから、受け入れられると思っていた。
でも、こうやって、改めて、魔王様はいないと断言されて、やっぱり私は、絶望してる。
魔王様は、私の希望だった。
私が動けずにいると、ユリウスが、そっと私の頬を撫でた。
その手を払いのける気力も湧かなくて、そのままにしていると、ユリウスは私の目の下のあたりを撫でた。
顔が濡れている感覚がした。
どうやら私は、また泣いているらしい。
この前の時も泣いて今日も泣いて……。私は、泣き虫になってしまった。
私は、これから毎日、魔王様のことを思い出しては、泣くのだろうか。
「エルル」
ユリウスらしくない気づかわし気な声に、また涙があふれそうになって、気づけばユリウスの腕の中にいた。
ユリウスの胸に、こらえきれなかった涙と鼻水を押し付けて、声を殺して泣いた。
ユリウスがぎこちない手つきで、私の背中を撫でていたのが、何故か妙に面白く感じて、さっきまで悲しみでいっぱいだったのに、やっと、少しだけ、笑える気がしてきた。