新しい村での生活が始まる
新しい土地に越してきて、二日後、庭師のサムが、「北東の平地を畑にしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」と私に提案してくれた。
サムは、元々ガイアの農家出身。例にもれず私が攫ってきたガイア人で、彼が言うには、この村周辺の土の品質は畑に適しているらしい。
家の増築も、荷物も運び終えたし、次は今後の食料を確保しなくちゃなぁと考えたところだったから、ちょうどいいタイミングの提案だ。
ある程度、食料を運び込んではいるので、しばらく生活はできるだろうけれど、さすがにいつかはそれもなくなる。ここに住むのなら、自給自足できるようにならないとね。
そのために、実は種も苗もアナアリア王国から持ってきている。
新しい土地に住まう計画は完璧だ!
畑を耕そうと決めて、全員総出で、外に出た。
サムの話を聞きながら、畑にするのに良さそうな場所を見つけて、私の魔法で土の中に細かい風を吹き入れて、その辺一体の土を柔らかくした。
軽く鍬を振るだけで、土が掘り起こせるし、雑草も抜きやすいはず。
そして、私の屋敷で働いていた元使用人達みんなが、楽しそうに畑を整地しながら種蒔きを始めた。
なんだか、のどかな気分になるいい景色。
「それにしても土の中に落ちたものを食べるというのは、本気なのか?」
私がのどかな気分に浸っていると、みんなが農作業に精を出す様子を見ていたユリウスが、心底不思議そうに呟いた。
不潔だ! とその顔が言っている。
この温室育ちめ。
とかいう私も、前世の記憶がなければ、使用人達が当然のように種や苗を土の中に植えるのを見たら卒倒したかもしれない。
魔王国アナアリアのすべての作物は、魔法を付与された培養液の中で育てられる。
規則的に、正確に、機械的に、というか魔法的に育てられた純粋培養の作物達。
正直味は良くない。生で食べれば、培養液の味、薬っぽい味がする。
でもアナアリアの人たちは、おいしいごはんの味を元々知らないので、気にならない人が多い。
生きるのに必要な栄養さえあればいいという考えだ。
私の場合は、ガイアから連れて来た使用人達が作った料理で、舌が肥えてしまったので、アナアリアの作物を生で食べられなくなってたけどね。
ガイアから連れてきて、屋敷の料理人を務めてるメイデの手にかかればアナアリアのあのくそまずい野菜だって、なかなかおいしい。
けれども、ガイア出身の人にとっては、それでもまずいと感じるらしく、なんと屋敷の敷地の片隅にこっそり畑を作っていたというから驚いた。
現在も、新しく越してきた村の周りに手際よく畑を耕し、苗を植える様子はベテランの風格である。
「ふふ。土の中で育って、初めておいしいものができあがるのよ、ユリウス」
こうやって、またおいしいものが食べられると思うと、気分が上がって、上機嫌でそう答えてあげたが、ユリウスはまだ納得いかない様子だ。
「だが、土の中だぞ? 虫とかもいるんだぞ?」
温室育ちめ。
まあ、気持ちはわかる。
前世の記憶のおかげで抵抗感はないけれど、というか、むしろ今までよくわからない培養液で育てられた作物を口にしていたってことが、むしろ恐いけれど。
「ユリウスだって、メイデが作る料理はおいしいって言っていたじゃない! 土から育てた作物はね、生でも、ちょーおいしいのよ!!」
「ちょーおいしい、か……」
そう呟いたユリウスはしばらく考えるように、右手をあごの下に添える。
「確かに、エルルの屋敷の使用人達が用意する料理の味は良かった。この際、不衛生なのは大目に見よう。だが、土から取り出した時は必ず念入りに洗浄してくれ」
どうやら納得はしてくれたようだけど、不衛生って……。
「ちゃんと水洗いはするに決まってるじゃない」
「水だけじゃだめだ。洗浄の魔法薬で……」
「却下!」
せっかくの新鮮なお野菜が、また薬臭くなる!
ユリウスは絶対、米を洗剤で洗うタイプの男と見た!
「作物のことはこのエルル様に任せなさい! 本物の野菜ってものをお見せするわよ」
と、自信満々に請け負うと、ユリウスは渋々頷いた。
それからユリウスは、初めて砂場で遊ぶ子供のように、畑の土をいじり出し、畑仕事に精を出す使用人達を眺め、見よう見まねで真似し始める。
私は私で、みんなに頼まれて、魔法で農耕具を作っていた。
ユリウス、どっちかというとこっち手伝ってくれないかな。
私こういう細かい魔法苦手なのに。
ユリウスならあっという間のはずなのに。
恨みがましく農作業に精を出すユリウスを見ていると、ユリウスが私の視線に気づいたのか、こちらにやってきた。
心なしか楽しそうだ。
「エルル、野菜を土で育てるというのはどのくらいの期間がかかるのだろうか? 培養液で育てると1週間ぐらいだが、土の中でもそれぐらい、なのか?」
ユリウスは、ホクホク顔で、先ほど自ら種やら苗を植えた畑を見ながら問いかけてきた。
畑仕事が結構楽しかったようだ……。
というか、1週間ぐらいで、畑で作物が実るわけがない。
まあ、培養液はできたけどね。
「作物にもよるけど、育つのが早い葉っぱ系の野菜なら、1、2ヶ月ぐらいかしら……」
私がそう呟くと、隣に控えていたカンナが頷いた。
「そのぐらいはかかりますね」
それを聞いたユリウスが、目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開いて驚きを表現した。
ユリウスったら、ここにきてから、感情が顔に出ることが多くなったなぁ。
かつて氷の美貌の貴公子と評された鋭利さはどこへ行ったのだろう。
「そんなにかかるのだとしたら、それまでの食事はどうする?こちらに持ってきた食料だけでは足りないだろう?」
「大丈夫よ。ここは山際の村だもの。山から自然の恵みをいただける。それに、ちょっと遠いけれど、町があるし、そこで調達したりもできるわ」
「……山から? 地面に落ちているものや、雨風に野ざらしになっている物を食べる、ということだろうか……?」
恐る恐るといった様子でユリウスが、そう口にした。
その通りだけど、そんな嫌そうな顔をするな。
温室育ちめ。
そろそろ慣れろ。
「嫌なら、ユリウスは食べなくていいわよ。でもね、山に実ってる食べ物って、ほんっとーに美味しいのよ!」
「ほんっとーに美味しい、のか……。仕方ない。ならば妥協しよう」
そう言ったユリウスの目は輝いていた。
結構この人、食いしん坊だよね。
というか、もしかして、山で取れるのが、木の実とか野草とかだけ想像してるんじゃない?
イノシシとか、熊とか、そういう獣系も狩るなんて言ったら卒倒するんじゃなかろうか?
温室育ちだし。
いつも冷血そうなユリウスが、狩りなんて野蛮よ! 怖い! なーんて言って震え上がる姿を想像して、なんだかいい気分になってきた私は、意地悪く微笑んでユリウスを見た。
「ちなみに、ユリウス、山の恵みは、木の実や野草といった植物だけじゃないのよ。イノシシとか鹿だって、狩るんだからね!」
くくく、ユリウスの恐怖に歪んだ顔を拝んでやる!
という気持ちでそう言ってみたけれど、ユリウスの表情に変化はなかった。
「そうか、確かに、動物性の食物も必要だな。狩りには私も行こう」
と当然のことのように頷いた。
あれ?私が思った反応じゃない!
「ちゃんとわかってるの? 狩りをするってことは、あれよ、イノシシとか鹿とか、殺したりするんだからね! 血とかドバーッなんだからね! ユリウス、生き物殺せるの?」
「ん? わざわざ何故そんな確認をする? 知ってるだろう。私は元魔王軍の指揮官だ。生き物など殺し慣れている」
あ……そうだった。
そう言えば、ユリウスは、冷血無慈悲な四天王最強の男だった。
土に落ちたものを食べるのを嫌がるくせに、殺しに慣れてるとか、なんて嫌な慣れ方してるんだ……。
そのあとユリウスが、山の実りというものを食したいという言葉を3分に1回ぐらいの割合で言うものだから、山の食物に詳しい人を連れて山に行くことになった。








