魔法陣が決めた婚約が有効なわけがない
ユリウスの思わぬ行動に、令嬢らしからぬ大声で驚きを表現してしまったけれども、どうにか落ち着かせて、近くにあったテーブルに腰を下ろした。
ユリウスも同じテーブルの席に優雅に腰を下ろす。
ユリウスって一体、何考えてるんだろう。
四天王の第一が抜けたアナアリアの状況が、なんだか気になってしかたがない……。
「ユリウスが国を抜けたら、やばいよね? 今やってるガイア王国との戦争だって、どうなるの?」
「まあ、やばいかやばくないかで言ったらやばいだろうが、今更そんなことどうでもいい。それよりもお腹が空いたんだが、何か食べられるものはないか?」
「あ、じゃあ、これ出かける前にうちの料理人のメイデが作ってくれた焼き菓子」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
と言って、ユリウスは優雅な所作で私が差し出した焼き菓子を手に取ると、口に運んだ。
ゆっくり噛み締めるように焼き菓子を食べたユリウスは、満足そうに「ふむ、やはり、君のところの使用人達が用意する食べ物はうまいな。薬のような味がほとんどしない」と言った。
「そうでしょ? メイデってすごいのよ! どんなものもおいしいものになるんだから。それにしても、ユリウスって甘いもの好きなのね。意外」
「甘いものが特に好きというわけではない。今まで食べていたものはなんというか、独特の苦みがあっただろう? どうにも私はあれが苦手だった」
「ああ、アナアリアの食事は、薬みたいな苦味があってまずいもんね。アナアリアの食材は、魔法薬で育ててるからしょうがないけど。でも、調理の工夫次第では結構おいしいものができるみたい。私の屋敷にいた皆は、ガイア王国出身だから、ちゃんとした食材をちゃーんと料理してくれるのよ」
「なるほど」
と言って、焼き菓子の甘味に舌鼓を……打っている場合じゃない!
「そんなに暢気にしないでくれる!? 四天王が二人して失踪って! ユリウスまで、国を出るなんて、本気!?」
「本気だ。だからここにいる」
「本気って……ユリウスが抜けたら、アナアリア大変なことになるんじゃない!?」
「君が抜けても大騒ぎになる。そこで、私が抜けたとして、大騒ぎがもっと大騒ぎになるだけだ。大体君はいいのに、私はダメというのは不公平じゃないか?」
いや、まあ、そう言われるとそうなんだけれど……。
恨みがましくユリウスを見ると、素知らぬ顔でおいしそうに焼き菓子を食べている。
暢気なものだ。
なんだか毒気を抜かれてハアとため息を吐いた。
どちらにしろ、勝手に国から抜け出そうとしているのは私も一緒。私が止められることじゃない。
「別に、ユリウスが国を出ることは、もう、いいわよ。でも、どうしてここにいるの? 家まで、建てて……。あの石造りの家屋、ユリウスが魔法で建てたものだよね?」
私がそう言うと、鷹揚にユリウスは頷いた。
「魔法陣のあの部屋から君を屋敷に送ったときに、エルルの屋敷の地下室に気付いてね。そこで君が描いた転移魔法陣を見つけた。だから、君がアナアリアを抜けるとしたら、あの転移魔法陣を使って、ここに来るのだろうと思ったんだ。この辺りに建てた建物のことは気にしないでくれ、私からのプレゼントだ。これから一緒の村に住む者としてのね」
なんで勝手に一緒に住むことに決めてるんだろう。
一人で国を抜けるのが何だかんだ心細かったのだろうか。
私も正直心細かったし、使用人の皆がついてきてくれてほっと安心したものだ。
ユリウスも子供じみたところがあるなぁと思うとちょっと笑えてきたので、腹の虫は収まった。
よく考えたら、もともと魔法で建てる予定だった家屋をユリウスが用意してくれてありがたいし。
でも、ちゃっかり一番豪華な屋敷を自分の家にしちゃうところがやらしいけれど。
「わかったわ。正直、家のことは助かったし、アナアリアのことは、もう関係のないことだから……これからは、隣人としてよろしくね。ところで、私の家って好きなの選んでいいのよね? 勝手に増築しても構わないでしょう?」
そう言いながら、私はウキウキとした足取りで、窓辺に向かった。そして、窓から外の景色を眺める。
青い空に、雄大な山々、そして何もない平地に突然建ち並ぶ石造りの家々。
なんだか、冷静に見ると、変な景色だ。
でも、わくわくする。これが私が暮らす村になる。
それにしても、ユリウスが住むだろうこの建物だけ、他の建物より大きいのがなんだか癪ね。
私がもっと大きい家を魔法で増築してそこに住んでやろうかしら。
まだ土地に余裕がありそうなのは、どこかな……。
と思って、目星をつけていると、そっとユリウスが私の横に並んだ。
「何を言っているんだ。エルルの家は、ここだ」
「え? この大きい屋敷は、私の家だったの? じゃあ、ユリウスはどこに住むの?」
「私もここに住む」
何を言っているのだろうか、このユリウスとかいう元四天王は。
「何言ってるの?」
「何って、当然だろう? 君と私は、婚約者だ。一緒に住むものだろう」
「ん? 婚約者って……そんなの、魔王様が、じゃなくて魔法陣が導き出して、勝手に言われたものじゃない。もうアナアリアからは出たんだし、そんなもの有効なわけないでしょう? ユリウスも、別に、もう国から抜けるんだから、縛られなくていいのよ?」
ユリウスは、まだ何だかんだ、魔王様に縛られていた癖が抜けていないようだ。律儀に婚約を守ろうとしているとは。
婚約なんてそんなもの破棄よ、破棄。
しかし、彼にとって、私が先程言った発言は衝撃的だったらしく、彼にしては珍しく驚いたような顔をして、口元に手を置いた。
「そうか、確かに、そうだ。だが……」
そう苦々しくつぶやくユリウスを見たら、なんだか気分が良くなってきた。
彼は結構超然としていることも多いし、魔術師としても私より上で、腹が立つこともあるけれど、なんだかんだで、アナアリアでの生活の癖と言うか、魔王様の言う事は絶対! みたいな精神が抜け切れていないところがあるみたい。
私は、元気出しなよって気持ちでユリウスの背中をポンと叩いた。
気持ちはわかるよ。今まで魔王様は私たちのすべてだったもんね。
その正体があれで……なかなか受け入れられないのもわかるわかる。
まあ、私はほとんど乗り越えたけどね! そう私は乗り越えし者!
「私だって、もう自由に生きるって決めたんだし、結婚相手位自分で選びたいわ! ユリウスだって、そうしなさいよ! せっかく自由なのに、もったいないじゃない」
私がそう言うと、驚いた顔のまま私を見て、ユリウスは頷いた。
「なるほど、そういうことか。……色々と、理解した。住む場所は好きに決めていい。私としては、二人で、ここに住んでも構わないし」
「そう? じゃあ、私、あの家に住むわね!」
そう言って、私は、窓の外を指差した。
そこには、ユリウスが建てた石造りの家屋がある。端っこの家なので、増築するための余裕は十分にある。
「あの家、私の魔法で、増築してやるわ! このユリウスの屋敷よりおっきくて、素敵なお屋敷にしてみせるんだから! それじゃあね、ユリウス! これからよろしく! 家のことはありがとう!」
私がそうお礼を言って部屋から出ようとしたら、ユリウスがなんだか不満そうな顔をしているような気がした。
なんだろうあの顔は……不満と言うか、落ち込んでいる?
そんなに私が、この屋敷より大きな屋敷を建てるのが嫌なんだろうか。
まあ、いいか。
それより、私の家! どんな家にしようかな!
内装もこだわりたいし!
なんだか、わくわくしてきた!