表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

PLANTMAN#5

 この男のどの辺りが〈救世主〉なのか。まさに神のみぞ知る事であろう。

ドレッドノート事件の数ヶ月前:ニューヨーク州、リバーサイド・ドライブ


 フィリスの家を出て、アールはうきうきしながら歩いていた――ちょっとずるをして、その瞬速でひとっ飛びしてニューヨークまで戻って来ると、自宅から2マイルの辺りにすうっと誰にも見られず降り立ち、楽しい徒歩での帰宅を満喫した。雨はからっと止み、雨上がりの朝の冷たい空気が立ち込めていた。息を吸い込み馴染み深いが最近は薄らいできた排気ガスの香りへと微かに混ざる秋の香りが(かぐわ)しく、気分がよかった。妙に凝った鼻歌を演奏して歩道を歩き、幾つものブロックを越えて行くと、すっかり陽も昇り空の色は澄んだ蒼に近付いた。雨上がりの雲はまだ結構な割合で空を占めているものの、それらは太陽の光を受けてきらきらと輝いている。日々の光景でもまあまあ好きな部類の光景であるから、更に気分がよくなった。

 車の音と人々の喧騒を聞いていると、彼は自分が今34日連続で起きている事をどうでもよさげに思い出した。最初はどこまで起きていられるか試そうと思っていたものの、あまりにも眠くならないため段々とどうでもよくなってきていた。能力に覚醒した当初は強壮な己の肉体に戸惑い、眠くならないので眠るのにもこつ(・・)を要したものだが、それにもすっかり慣れた。

 フィリスという女性と出会えた事は、間違いなくここ最近で最も嬉しい事であり、忙しくて自主的に残業したり仕事を持ち帰った時なども、これからはあの素晴らしい出会いを思い出す事で励めるだろう――もちろん電話や直接会いに行くのもいい事だ。今日は休日なので、ヒーローとしての巡回に出掛ける前にゆっくりとコミックでも読みながら過ごそうかと思っていた。仲のよいベンジーは今日は出勤だし、生活を優先しているから仕事終わりまでは拘束されているはずだ。ボールディは多分暇だろう――株をやっているそうだが、資産が揺るぐような危ない橋を渡る趣味はないらしく、少しずつ総資産も増えているらしい。身分を明かしているので彼がヴァリアントである事は周囲の知るところであり、ニューヨークでも名の知れた若い黒人男性というよりも金持ちの胡散臭いヴァリアントだという見方も少なくはなかった。インターネット上にはヴァリアントの事が気になって仕方のない人々が多く、彼らはヴァリアントの醜聞が無いかと常に目を光らせており、近年ではそういう人々を『どうせ我が子の自立に失敗した親を持つ、私生活に不満を持つ暇で無職の気持ち悪いインターネット中毒者なのだろう』と揶揄する声も少なくなかった。しかし現実としてウォーター・ロードのようなヴァリアントの犯罪者や世界に知られた例のヴァリアント至上主義者の集団のような、醜聞の源泉たる連中も少なからず存在していたから、それが問題を難しくしていた。もちろんヴァリアントも人それぞれで、そういう過激なヴァリアントを嫌うヴァリアントも少なくはない。自身もヴァリアントでありながら、反ヴァリアント的な思想の持ち主もいるし、人間やエクステンデッドのヴァリアント擁護派も同様に存在していた。

 だが結局ボールド・トンプソンは彼の最も知られた逸話から、向こう見ずな最高の馬鹿野郎だとして評判なのも確かであった。そしてそんなボールディと仲のよいアールは一瞬彼とのテレパシーによるリンクでコンタクトを取ろうかと思ったが、フィリスとの事を考えるとはしゃいでいた事が恥ずかしく思えてならなかった。後で会った時にまた話そうか。しかし他のヒーロー達に、彼女ができましたと告白するのは妙に恥ずかしかった。このハンサムなマッチョはそうやってあれこれ考えているうちに、自宅周辺まで歩いて来ていた。



数時間後:ニューヨーク州、マンハッタン、ネイバーフッズ・ホームベース


「どうした? 何かいい事があったのかい?」

 少し前までその正体も知らずに同棲していたDr.エクセレントから話し掛けられ、ぼうっとしていたアールは一瞬口を噤んだ。

「ま、まあな。ところで、ドク。今日は一緒に巡回でもどうだい?」

「そいつはいいな。じゃあウィルの準備をしてくるよ」

 ウィルとはドクが開発した飛行も可能な浮遊式の電動バイクで、複数台生産されているのでネイバーフッズ内でも訓練を受けて使えるようになった者が何人かいる。

「全く、昔は初代ウィルにはよくイチャモンを付けられたものだよ。危険だの法律違反だの、それなら認可を出した政府に言って欲しいね」

「そうだな。ああいうのって自分で飛ぶのとはまた違った楽しみになるし」

「そのうち全面的に飛行禁止になったりしてな」

「よしてくれよ、法案反対派ヒーローと賛成派ヒーローで争う事になりそうだ」

「それも何かのコミックかい?」

 ドクはベテランのヒーローだがアールのような若手とも打ち解けており、それがアールにとって誇らしかった。今ではドクも他の初代ネイバーフッズと同じく身元を公表しており、ホームベースで彼は暮らしている。願わくば、こうして偉大なる先人達と少しでも長く交流を結びたいと、アールは常々考えていたものだった。



12月上旬:ニュージャージー州、ベイヨン


 結局あのまま他のヒーローにもフィリスの事を話しておらず、しかしなんとも言えぬ隠し事特有の息苦しさを感じながら、至極どうでもいい徹夜記録を更新し続けていた。エクステンデッド故に己の能力を把握できるため、彼は自分が様々な自然界のエネルギーを吸収している事を知っていた。宇宙に出た時などは莫大な力が漲っている感じがして、なるほど確かに〈救世主〉かも知れないなと思ったものだった――それに相応しい心を持っているかどうかは今一つ自信の持てないところだったが。


 アールは昨晩もフィリス宅へと遊びに行っており、彼女の家で朝を迎えた。最近はゆったりとした部屋着を持参するようになり、上下のスウェットを着ている彼は雪から雨に変わった悲惨な冬の天気を、壁越しの雨音で察知してやれやれと首を振った。居間の音楽プレイヤーの隣には彼がフィリスに買ってあげたマーベル・コミックスのボブルヘッドが堂々と立っており、超人的な肺活量の無駄遣いでボブルヘッド向けて軽く息を吹くとその首が揺れた。今年のDCのイベントは、今年のマーベルのイベントはこうだったなどとフィリスに話すも、彼女は話半分に『まあ大体言いたい事はわかりました』と微笑んで首を竦めるものだった。

 とは言え概ね彼らは波長が合い、互いに気を許せて、セックスへの不満もなく、可能な限り会ったり電話で話したりしていた。アールは朧気にフィリスから新作についての情報を与えてもらえる立場にあったから、徐々に明らかになる新作へと期待を膨らませた。デビュー作はまあまあ売れ、H&H社もご満悦であったし、セールス的には次作を出せるラインだった。

 昨晩アールは寝たふりをしながら起きていたが、フィリスはまだ眠ったままなので彼はすうっとベッドから抜け出した。思えばまだフィリスには自分がエクステンデッドのヒーローだと話してはいない。エクステンデッドである事は話してもよさそうだが、しかし暫く黙っていたせいでもう既に話し辛くなっていた。このままでは不味いな。そう思いつつ、彼は奇行に出た――まずスマートフォンを手に持ち、プレイヤーに持参したCDをセットし、更にはフィリスのタブレットを勝手に起動してとある動画をスタンバイさせた。そして彼は高速で動き、ほぼ同タイミングでそれら全てが動き始めるよう工夫した。

 セオリー・オブ・ア・デッドマンの『アウト・オブ・マイ・ヘッド』が3つの機械から同時に再生され、アールはそれを口ずさんだ。


「何をやっているのかしら?」と目を擦りながらフィリスは現れた。その声はやれやれと笑っている。上に部屋着のシャツを着て、下には下着を穿いているのが一瞬見えた。手に持っていた眼鏡を掛け、少し呆れたような表情で肩を竦めた。

「ああ、演奏会さ」

「仰る意味がわかりませんので、可能ならばもう少し単純に説明して頂くことは可能でしょうか?」とフィリスは呆れた笑いを声に滲ませ、皮肉った言い方をした。

「何言ってんだ、いい曲だろ?」

 アールの笑みは余計にフィリスを呆れさせた。この見事な金髪のハンサムは概してこういう男であり、現状どの辺が〈救世主〉なのかがわかり辛かった。だが彼は内心、寝たふりで一晩明かすのにも少々飽きてきたので、明日からはする事がなければ夜の巡回に出て一晩潰すか、あるいはそのまま眠る事を選択しようと思った。彼の不眠記録はそこで終わるだろうが、既にどうでもよくなっていたので終わらせるきっかけを求めてさえいたのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ