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PLANTMAN#3

 アールはフィリスと再び会う事になった。彼はお悩み相談のアドバイス通り、成り行きに任せる。

登場人物

―プラントマン/リチャード・アール・バーンズ…エクステンデッドのヒーロー、出版エージェント業。

―フィリス・ジェナ・ナタリー・リーズ…アールの担当作家。



アールがドンとマークに相談した翌日:ニュージージー州、ベイヨン


 今日は遂にフィリスと会わねばならない。電車に揺られながらアールはその事を考えていた。更にはあの三本足の神が言っていた〈救世主〉とやら。彼はそれがゾロアスター教における思想であった事を己の所持する雑学の山から思い出し、何か関連があるのだろうかと気になった。

 目的地で電車から降り、斜陽を浴びながら近くのレストランへと徒歩で移動した。この辺は治安も悪くないが、夜はどうにも閑散としていたのでこの前はフィリスの家の近くまでエスコートを申し出た。しかし彼はかっこつけて、家までもう少しの所で「住所まで知ってしまうのはよろしくない」と言って引き返した――フィリスは苦笑しながら「書類に住所載ってるでしょ」と指摘し、アールは恥ずかしそうに立ち去った。

 待ち合わせ場所のレストランはいまいち何料理店かもわからない風体で、一見するとニューヨーク近郊風のアメリカ料理店かと思ったがメニューには西海岸の料理も載っていた。今回はアールが先に着き、あと数分程度フィリスを待つ事になるだろう。学生らしき茶髪のウェイトレスにとりあえずまた後でと答え、彼はラミネート加工されたメニューを見るふりをしながら何もせず時間を潰した。脳内iPodが誰のバージョンか思い出せない『ユー・レイズ・ミー・アップ』をサビ直前まで流したところで入り口の鐘がからんからんと鳴り、アールが顔を反射的に上げると心の奥で待ち望んでいたあの女性が入って来て、一瞬それが現実だと信じられなかった――そりゃまた随分だな。


「その『よろしいですか?(Would you)』っていう言い方は結構よ。堅苦しく話す内容でもないでしょうし」と地母神じみた微笑みでフィリスは提言した。

「昔は仕事でよく『よろしいでしょうか?(Would you mind)』だなんて言ってたわね」

 知的に微笑むその落ち着いた姿がアールの目に焼き付いた。

「もしもし?」

「え? ああ、そうですね。いや違う、そうだな。構わないならもう少しカジュアルに喋るよ」

 そうしたフィリスの美しい様子はとても可愛らしく思えたため、アールは見惚れて反応が遅れた。

「まあそうね、他の作家の時と同じぐらいで構わないわ」

「一番腹を割って話せる中年のオッサン作家と話す時のような?」アールはいかにもこれからジョークを言いますというようなふざけた調子で言った。フィリスはそれを鼻で笑ったが、その一笑はネガティブなニュアンスではなかった。

「そうね。女性に男性の時のような態度をとる相手を懲らしめる時は、女性の権利を推進する団体よりは古い考えの団体に縋ればいいのかしら?」

 アールはつられて笑い、フィリスも彼が自分の発言を面白がってくれた事に気をよくしたようだった。そしてアールは彼女のそうした事細かな変化を鮮明に記録し続けており、危うく可愛いと言いかけて口を閉じた。やはり彼女を頭から追い出せないらしかった。

「そういえば時間は大丈夫?」

「え?」

「もう夕方だし」

「ああ、そういう事。遅くなるなら直帰しろって言われたよ。どうせ明日は休みだし」


「アンブローズ・ビアスやエドガー・アラン・ポーは読まないの?」

「あー…ダンセイニは読んだけどその辺はほとんど読んでないな」

「そうなのね。C・A・スミスやHPLが好きなら読んでるのかなって思ったから」

「ジャンルとして好きだからねぇ。怪奇小説というよりは所謂クトゥルー神話ってやつが。大体話のパターンは一緒だけどね」

 本物のナイアーラトテップと出会った事は黙っていた。

「お約束かしら?」

「ああ。例えば閉鎖的な田舎にやって来た余所者が怪事件に巻き込まれるのさ。あとは廃墟や遺跡の調査でヤバい記録を見つけちまうとか、何かに襲われたとか。もちろん既存の枠に囚われない、もっと新しいあらすじもあるけどね」

 ちょっと語り過ぎたかと思ったが、フィリスはしっかり聞いてくれていた。

「今度最近のやつを読んでみるわ」

「布教成功だな。イア・シュブ=ニグラス、ってね」彼は少し大袈裟に仰々しく一節を唱えた。

「うん? そのシュブ、なんとかってどこかで聞き覚えが…」

「君もHPLを読んだ事あるならどっかでその単語が印象に残ってたんじゃないかな。そういえば君と初めて会った時もシュブ=ニグラスみたいなイメージが俺の脳裡に浮かんだし、案外君が本物の女神シュブ=ニグラスだったりして」

「どんなお姿の女神かは、聞かない事にしておくわ」とフィリスは肩を竦めてコーヒーを一口飲んだ。アールは自然な風を装って彼女の唇をちらりと見た。ナイアーラトテップは実在したし、イスの大いなる種族――度々地球で入れ替わりの侵略事件が起き、ネイバーフッズもよく出動していた――や南極の海百合も実在している。しかもよく地球にちょっかいをかけるゴリラじみた猿人種族を率いているのは、慄然たる風のイサカだ。ならばシュブ=ニグラスも実在しているかも知れないが、まさかいくら何でも彼女ではなかろう。アールは今度あのジャマイカ風な男と会う機会があれば、かの女神や八腕類じみたクトゥルーが実在するのか、そしてそれらが実在するならどうなったのかを聞いてみる事にした。

「ところで」

 フィリスはテーブルに手を置き、上目遣いのような格好で座高の高いアールと目を合わせた。口元の柔和な笑みは彼女の印象を決して堅過ぎぬものへと整え、その見事な琥珀細工じみた明るい茶色の瞳と目を合わせているとアールは息苦しさを感じた――緊張だろう。

「あなたって好きな事の話をする時は自然と声の調子が明るくなって、難しい言葉も出てくるのね」

 図星を突かれてアールは少し焦った。「ちょっとはしゃぎ過ぎたかな?」

「いいえ、それが悪いって言いたいわけじゃないの。ただあなたってドラマのセールスマンみたいにクールでハンサムだから、最初は少し話し辛い感じがしたの。だからむしろ親しみを覚えたわ」

 彼女は淡々と語ったが、少し恥ずかしかったのか下を向いてコーヒーをまた一口飲んだ。

「変な事を言ったわね。気を悪くしないで」

 フィリスの表情が堅くなった。

「いや」アールは首を横に振った。「面と向かってそう言われると恥ずかしいが、俺が君にとって無関心な存在じゃないのは嬉しかったよ」

 どや顔であったが、結局アールも恥ずかしくなって目を逸らした。

「何言ってんだろ俺。2人して変な風邪を引いたらしい」

 アールは紛らわすためにわざと戯けた調子で喋ったが、それはフィリスにも助け舟となったようで、彼女もつられて笑ってくれた。フィリスも俺の事気になってるのかね。誰もその疑問には答えてくれず、彼は不安と期待を心に押し留めている。


 レストランを出て、駐車場で彼らは立ち止まった。

「そういえば結局コーヒーだけだったわね」

「もう一回入る?」

「いえ、やめときましょう。それより交渉とか法的な事とか、色々相談に乗ってくれたお礼に家で料理でもご馳走しようかしら。帰りが電車なら友達にもらった高いお酒もあるわ」

 マジで? アールは自然と顔が綻んだ。

「悪い男を家に上げちゃいけないよ」とアールは気取った悪役の声色を真似しながらジョークを挟んだ。

「悪い人なの?」微笑みながらフィリスは歩き始め、アールも並んで歩いた。

「私はイス銀河より来たるもの。この個体の肉体は私が頂いた」と彼は映画に出てくる亡霊や悪魔を意識して喋った。

「あら大変、ネイバーフッズを呼ばなきゃ! ラヴクラフトの小説は人類への警告だったのね!」

 アールはどちらかと言えばダーレスの書いたイス種族の方が危険かつ悍しかった事は黙っていた。



数時間後:ニュージャージー州、ベイヨン


 フィリスの自宅でご馳走になり、アールはご満悦だった。能力のせいで全く酔わない事を別にすれば、幸せそのものだ。本当にどうでもいい男をわざわざ家には上げまいと淡く期待しつつ彼女と色々話した。

「亡くなった祖母がオネイダの人で、よく一人で祖母の家へ遊びに行ったわ。ボストンの小さなアパートだったけど、民芸品や昔の写真に囲まれた部屋にいると心が落ち着いた。ジェナは母の名前だけど、ナタリーは祖母の名前。だからかしらね? 祖母の事があんなに好きだったのは。この少し日焼けしたみたいな肌も祖母の血を感じさせてくれた。ああ、もちろん健在な両親も愛してるわ」

 酒のせいかフィリスは幾分饒舌だった。恐らくこの話は誰にもする類の話ではない。亡き祖母の話をするフィリスは寂しげだが懐かしそうな笑顔でもあった。

「話し過ぎたわね。飲んだのも久しぶり。ごめんなさい、もうすっかり夜ね。これから今書いてる作品に使う資料を纏めたりしないといけないの。いつまでも拘束していないで、もうそろそろあなたを帰してあげなくちゃね」フィリスは立ち上がってアールを玄関まで送ろうとしたが、いやいや、とアールは少し顔を下向けつつ目を瞑って首を横に振った。「家に俺を入れてくれたんだ。俺を誠意ある、まともな奴だと信じて。だからその礼に付き合うよ」

「明日お休みなのに悪いわ」

「全然問題ない。俺がそうしたいからそうするんだ」

 フィリスは自嘲的に笑った。

「なんで私にそこまで? わざわざ仕事をドロップアウトした華のない女を勘違いさせないで」諌めるかのように彼女は語りかけたが、切なそうにも見えた。

「そんな事はないよ。フィリスは俺より人間としての自信や余裕があって本当に可愛い。今日はずっと君に目が奪われていたんだぜ。それこそ、初めて出会った時からずっと頭から離れないぐらい可愛い」

 あ、言っちまった。アールはぽかんとして佇み、一方のフィリスも虚を突かれたようにはっとした。それからまた微笑みが戻り、書斎兼寝室へと歩いて行った。アールは自信の戻ったフィリスを見て心から安堵し、それが自分の手柄であるとして嬉しく思った。

「沈黙は私がお手伝いしてもよろしいという肯定だと見做します」

「お好きなように」

 落ち着きがあって頼りになりそうなフィリスに戻り、アールはそうした凛とした姿を取り戻した彼女が可愛くて仕方なかった。あーこの子なー、これだよこれ。本当に無茶苦茶可愛いよなー。ドンとマークには今度一杯奢らないとな。

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