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記憶の子守歌  作者: 瀬尾優梨
本編
7/25

眠れぬ夜には

 国王の部屋、と聞くとどうしてもグラディール国王であった父の部屋が思い出される。第二王女である自分が呼ばれることはあまりなかったが、絢爛豪華な紗の掛かった壁や繻子張りの椅子、大の男がゆうに十人は寝られそうな極大のベッドに何を描いているのか予想も付かないタペストリーなど、きらきらしいものばかりが脳裏に思い出される。


 だが復興途中で財政難なアイカンラ国王の部屋が豪華なはずがなく、しかもフォルス自身が着飾る体質ではないのだろう。彼の部屋は広さがシスティナたちの部屋と大差なく、豪華なカーテンやベッドも置いていない。絵画など美術品の代わりに壁際には艶やかな黒檀の本棚が並べられ、ぴっちりと背表紙を揃えた様々な書籍が行儀よく並んでいる。部屋の雰囲気からすれば、城内を散策中に見た使用人のそれよりは立派、という程度のものだ。


 それでも茶の席である部屋の中央には繊細な金属のテーブルが据えられ、ちょこんと野花を生けた花瓶まで鎮座している。システィナは部屋に入ってグラディール風のお辞儀をし、いつも通り気難しそうな面持ちのフォルスに挨拶を述べた。


「フォルス陛下。本日はお茶の席にお呼びくださりありがとうございました」

「……ああ。こいつがどうしても、と言うんでな」

 と言って顎でしゃくる先に佇むのは、濃い茶色のボサボサ髪の青年。黒衣でなくきちんとした兵士の制服を着ているが、サイシェイが「クズ男」と罵る、フォルスの件の側近で間違いないだろう。現にシスティナの半歩後ろに控えるサイシェイは、笑顔の青年を見て片頬を引きつらせている。


 青年カークは意外そうにこちらを見つめるシスティナを見返し、持っていたティーセットをテーブルに置いてにこにこと愛想よく微笑んだ。

「フォルスは事務連絡だけ済ましたかったようだが……まあ、話をしながら茶ってのも優雅でいいもんだろ?」

「ええ。お気遣い感謝いたします」

 システィナは礼儀正しく答え、フォルスに促されて彼の対面に座った。


 丸いテーブルを挟んでフォルスとシスティナが座り、空いた場所にカークとサイシェイが向かい合って座る。サイシェイは内心嫌なのだろうが、きちんとお辞儀をして嫌そうな顔ひとつせずカークの向かいに腰掛けた。


 若い侍女がにこやかに四人分の茶を淹れる。システィナたちがここへ軟禁されてから世話してくれた侍女とは別人だが、彼女もまた、敗戦国の王女であるシスティナに礼を欠かさず笑顔で接してくれる。これが国の違いなのかと、湯気立つティーカップを見つめながらシスティナはぼんやりと思った。


「……近況報告になるが」

 フォルスが切り出し、システィナとサイシェイは若き指導者を見つめる。

「グラディール王国はあらかた制圧した。おまえたちにとっては不快な話だろうが……我々に逆らう貴族は遠慮なく切り捨てさせてもらった」


 その一言にシスティナは一瞬目を見開いたものの、すぐに首を縦に振った。逆らう者を処刑するというやり方は確かに非道だろう。だがシスティナの祖国はそれをされてもおかしくないことを過去にしでかしたのだ。無力な国民に手を出さず庇護下に置いてくれただけ感謝すべきだろう。


 だが隣のサイシェイはそうもいかなかったようだ。彼女はフォルスに発言の許しを請い、熱いカップを両手に持って暗い面持ちで切り出した。

「その……僭越ながらお聞きしたいのですが、陛下が処刑なさったのはグラディールの貴族のみなのですね」

「ああ。ほとんどの者は国王に捨て駒にされたようだ。挙げ句、システィナ王女を返せと騒ぎ立てるのでな」

「……その貴族は全員、武官だったのでしょうか?」

 サイシェイの言いたいことが分かり、はっとシスティナは息をのんだ。


 サイシェイも端ではあるが貴族の娘だ。父はグラディール軍に所属する軍医で、十三年前の侵略戦争時も貴重な医者として戦地に赴いたという。つまり、立場のみで言えば処刑されてもおかしくない身分なのだ。


 フォルスも大体のことを察したのか、片眉を跳ね上げて隣のカークに目を向けた。

「カーク。先日の処刑者の名簿を出してくれ」

「おう」

 カークは熱いはずの紅茶を一口で飲み干し、テーブルの脚に置いていたらしき書類バッグを出して中から数枚の書類を引き抜いた。


 フォルスがそれを検める間、サイシェイはネジの切れたぜんまい人形のように微動だにしなかった。システィナもまた、意味なく手元のカップを回しながらフォルスの言葉を待ち――

「……おまえの家名は確かミシェ、だったな」

「はい……」

「安心しろ。処刑者の中にミシェ家に通ずる者はいない」

 相変わらず感情の薄い顔でフォルスは言い、二枚目の資料を見ながら続ける。

「加えて……おまえの父の名がイゴールならば、彼は医者として夫婦で活躍を続けているようだ。確かに視察時、腕のいいミシェという名の医者の話を聞いたが……イゴール・ミシェがおまえの父で間違いないか?」

「は、はい! そうです!」


 とたんにサイシェイは息を吹き返し、震える手で手元のカップを口に運んだ。

「で、では両親は無事なのですね……」

「ああ。イゴールとその妻は大人しく我々に投降した。グラディールは医術も優れているというが、その噂は事実であったようだな。現在もミシェ家の者はグラディールの医師として働いているようだ。無論、貴重な医師にこちらから手を出すつもりはなく、むしろ今後とも医療に従事してほしいと思っている」

 サイシェイは破顔し、安心したように冷えた茶を飲み始めた。そんな彼女を見ていたシスティナもまた、ほっと胸をなで下ろして侍女が持ってきた茶菓子を摘む。


 思えばサイシェイは軟禁されてからずっと、故郷に置いてきた家族の身を案じていたのだろう。システィナもイゴール・ミシェの人柄は知っているし、娘と自国の王女を人質にされた彼がアイカンラに刃向かうとは思わなかった。だが軍に所属する身であるため、いつ首を刎ねられても文句は言えない立ち位置だったはずだ。サイシェイは不安を表に出さないよう努めていたが、ずっと胸の奥で家族の無事を願っていたのだろう。


 安堵すると同時にシスティナは、そのことに気づけなかった自分の愚かさに愕然とした。自分がグラディール国民のために生きているという自覚はあった。だが隣にいるサイシェイもまた、システィナの侍女である以前にグラディールの一市民であることをすっかり忘れていたのだ。

 サイシェイは優秀な侍女で、システィナが泣き付けばいつでも慰め、勇気づけてくれる頼もしい使用人だ。そんな彼女の心情に気づけなかった。結局自分は一人では何もできず、臣下の者を気遣うこともできなかったのだ。


 フォルスはシスティナの心境を察することはなく、書類をぱらぱらとめくって元あったように束ねるとカークに返して、一口紅茶を啜った。

「今のところ、グラディールの国民はアイカンラ管理部の指示を聞き入れてくれている。前にも話した通り、彼らの中でのシスティナ王女の評価は高い。国民の中にもグラディール国王の横暴に困窮していた者が少なくはないのだろう。私としては今後とも、アイカンラの管理下という名目でグラディールを統治していきたいと思っている。その件について、システィナ王女の方から異議はあるか?」


 フォルスの言葉を聞き、システィナはカップを置いてゆっくりと頭を横に振った。

「わたくしの方から申し上げることはございません。敵国にも関わらず手厚い保護を施してくださるフォルス王には、感謝の言葉しかありませんわ。グラディール国民のことを思ってくださりありがとうございます。皆を代表してお礼申し上げます」

「……納得していただけたようで幸いだ」


 そこでフォルスは堅苦しい表情を少しばかり緩めた。

「私は疲弊したグラディールを立て直したいと思っている。確かにかつてアイカンラはグラディールによって滅ぼされた。だが、過去のことは私なりに潔斎したつもりだ。グラディールの国民を恨むつもりはなく、城下町を焼き尽くそうとも思わない。だからおまえたちには安心してもらい……私にグラディールのことは任せてもらいたい。国民を粗末に扱うことはせず、アイカンラ国民と同様に扱っていきたいと思っている。その点は……私を、信じてほしい」




 その夜、システィナは一日の仕事を終えて自分の部屋へ戻ろうとするサイシェイの服の裾を掴んだ。彼女の部屋はシスティナの続き部屋になっており、廊下へ出ずとも行き来できるようになっているのだ。

「……あの、ちょっとだけ待って」

 寝間着姿でベッドのシーツに潜り込んでいたシスティナはくいくいとサイシェイの服を引っぱり、少しばかり頬を赤く染めた。


「その……今日フォルス王とお話しして、いろいろ思い出してしまって……ちょっとだけ、不安になってしまったの」

 サイシェイはシスティナの告白を聞き、少しばかり意外そうに目を丸くした。

「それは……ごめんなさい、システィナ。あなた、お茶会中も毅然としていたから気づけなかったわ」

「いいえ、謝ってほしいわけじゃないの」


 システィナはサイシェイをベッドの端に座らせ、申し訳なさそうに目を伏せた。

「その……あの子守歌を歌ってくれない?」

「子守歌……」

 「あの子守歌」だけですぐにサイシェイに伝わった。彼女は頷き、シーツの中で丸くなるシスティナの髪を優しく梳った。

「心細くなったのね……いいわよ」

「赤ちゃんみたいだって思った?」

「別に? 誰だって人恋しくなることはあるもの」


 サイシェイは腕を伸ばしてランタンの明かりを消し、ぽんぽんと慰めるようにシスティナの体を叩く。

「じゃあ、歌うわね……目を閉じて。ゆっくり息をしながら聞いていてね」

「……うん」




 その夜。アイカンラ城の一室から微かな歌声が響いた。

 若い女性の声で紡がれる子守歌は不思議なことに、それほど音量が大きくないというのに王城の隅々まで響き渡った。見回り中の兵士はふと足を止め、夜間作業中の大工もハンマーを振るう手を止め、その歌声に聞き入った。

 そしてその音色はフォルスの執務室にも届き、各国への親書を書いていたフォルスはペンを取り落とした。


 側で書類整理していたカークも顔を上げ、凛々しい目元をきつく寄せる。

「……あれ? この歌って……」


 フォルスはペンを拾うことも忘れ、慌ただしく立ち上がるとぶつかるように窓に掛けより、大きく窓を外に押し開けた。

 歌声は少し離れた客室……システィナとサイシェイの部屋から聞こえてくる。間違いない、あの子守歌が。


「……ばかな」

 フォルスの唇が、つぶやいた。

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