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記憶の子守歌  作者: 瀬尾優梨
本編
3/25

動乱の夜会

 昼を回った辺りから城門の方が騒がしくなり、客人が来たことをシスティナは悟った。サイシェイ持参の小説三冊目を読んでいたシスティナはふと、ベッドから立ち上がって窓辺に歩み寄った。


「今回もまた、すごいたくさんの馬車ね。あんなに先まで列を作ってるわよ」

 システィナに誘われて、編み物をしていたサイシェイも窓に顔を寄せた。システィナの部屋は王城の端だが、庭園を挟んで奥にそびえる城門を先頭に、ずらずらと馬車が長蛇の列を成していた。城門前の大通りはイグヴィル城下町を貫通し、城下町の入り口へ直線に伸びている。

 きっと今回も、商人の馬車が通れないくらい貴族の馬車が大通りにひしめいているのだろう。


「今回はまだましじゃないの。一応グラディール国内の貴族に限定されているから。他国まで呼んだ日には、受付だけで一日が終わっちゃうわよ」

「なぜかしら。お姉様の婚約者捜しなら他国からも誘った方がよさそうなのに」

「さあね。そろそろ国家の金庫も尽きてきたんじゃないの」

 さらっと言い放ち、サイシェイは興味を失ったように手元の編み物を再開する。システィナは窓の桟に両腕を乗せ、何ともなく馬車の列を眺めていた。


 グラディール王国貴族は己の身分を公表するため、馬車にも派手派手しい家紋を付けるのが習わしとなっている。

 貴族制度が確固としているグラディール貴族は自分の地位と名誉を保つことを最優先としており、国民にもその存在を知らしめるため衣服や馬車、日用品全てに家紋を施している。今城門で順番待ちしている馬車のどれにも、派手な家紋のマークが縫いつけられているし、システィナ以外の王家はローブやマント、装飾品にグラディール王家の紋章が例外なく入っているのだ。


 無論、訳の分からない冷遇を受けるシスティナが家紋を負う権利はない。システィナのドレスは例外なく姉のお下がりで、きちんと家紋も取り外されている。もっとも、システィナがあまり衣服に頓着しない質なので困ったことにはなっていない上、サイシェイがきちんと縫い直してくれるため着るに困る状態でもなかった。


 サイシェイが編み物に没頭しているのを見、システィナもまた窓から離れ、小説本を手に取った。サイシェイが持ってきてくれた本はまだ尽きそうにない。




 宴は昼過ぎから始まったが、一番のピークを迎えるのは夜半ば、街の明かりが消え始めた頃だ。ぽつぽつと消えゆく家庭の明かりに反比例して、王城から溢れる明かりは煌々と輝きを増していく。一般市民からすれば燃料の無駄遣い極まりない夜会も、貴族にとっては重要な社交の場。派手でなければ意味がないのだ。


 パーティー会場の音は夜の空気を震わせ、システィナの部屋にも届いてきた。本日全ての侍女がパーティーのため出払っており、唯一サイシェイがシスティナの夕食の世話をしてくれた。


「……ごめんね。がらせなのか、調理場にほとんど余分な具材が残っていなくて」

 申し訳なさそうにサイシェイが押してきたカートには、気持ちばかりの料理が載っていた。確かに朝や昼にシスティナが家族で食べている料理よりずっと質素で量も少ないが、サイシェイの料理の腕は確かなのだ。余った食材でいかに腹を満足させられるか、この点にかけては他の侍女に負けるつもりはないと胸を張る通り、少ないながらにサイシェイの料理はおいしく、何より温かかった。何度も毒味された普段の食事もおいしいことには違いないが、いつも冷めていた。


「……おいしいわよ、サイシェイ。すぐにでもお嫁に行けそうね」

 からかいやお世辞ではなく、心からそう言うとサイシェイは気まずげに目を反らした。

「……それはあり得ないわよ。父さんだって『猪娘』って言うくらいなんだから、私を嫁にもらうような勇敢な猟師はそうそういないでしょうよ」

「そうかしら? でもわたくしの予想だと、整ったお顔の逞しい騎士様がサイシェイを迎えに来るような気がするの。黒を基調とした服を身につけ、国王の間諜として働いているの。戦いでは冷血になるけれど義に篤く、貴婦人に優しく主君に忠実な騎士の鏡、ってところかしら。それでいてお茶目な面があって、野に咲く薔薇が萎れてしまうくらい眩しい笑顔を持っていて……」

「小説の読み過ぎ……っていうか今の『騎士様』って、さっき読んでた小説に出てきてたでしょ。グレン・マッカーズ作『グリセンダ王国物語』二巻の、黒薔薇の騎士。シェリステラ王女と相思相愛でありながら自分の身分の低さゆえ、王女と結ばれることのなかった悲劇の英雄」

「あらま、バレちゃったわね」

「バレるに決まってるでしょ。システィナの読む本は全部私が一度読んで……」


 ワルツの音が止んだ。システィナはフォークを置いて面を上げ、ぶちぶち言いながら文机のランプの炎を調節しようと手を伸ばしたサイシェイも細い眉を寄せて――


 甲高い、悲鳴。


 幾棟も離れたシスティナの部屋まではっきりと届いた悲鳴に続き、何かが爆発したかのような音と、揺れ。怒声に近い叫び声。


「な、な、何、今の!?」

 サイシェイは驚いて立ち上がったシスティナを制し、不安な面持ちで窓の方を見やる。

「……悲鳴? しかも、この地響きは……」

 地震とは違う、大勢の人間が足踏みしているかのような揺れ。悲鳴と怒声が重なり合い、システィナは言いしれぬ恐怖にサイシェイの服の袖をぎゅっと掴んだ。

「……何か、起きたの……?」

「そのようね」


 努めて冷静に言い、サイシェイも立ち上がってドアに向かい、わずかに開けたドアの隙間からきょろきょろと廊下の様子をうかがった。

「明かりが落ちている……暗くてよく見えないわ……」

「あ、やだ、待ってサイシェイ!」


 今にもサイシェイが暗闇の中に飛び出しそうで、慌ててシスティナは駆け寄ってその背中にしがみついた。

「行かないで! 何だか……嫌な予感しかしないの!」

「もちろんよ、大丈……」


 バタバタと忙しない足音。姫様、姫様とシスティナを呼ぶ兵士の声。サイシェイははっと振り返り、ランプ片手に暗い廊下を疾走してくる兵士を見つけて声を上げた。

「何か起こったのですか!?」

「……ああ、よかった。ミシェがいたんだったな」


 中年兵士がほっとしたのもつかの間。彼はすぐに表情を引き締め、部屋の中で驚き戦いているシスティナに向かって深く頭を垂れた。

「システィナ様。国王陛下からの伝令です。我が王城は来賓客に扮していたアイカンラ軍の奇襲を受け、夜会会場は乱戦状態。知らせではイグヴィル城下町街道を、アイカンラ軍とおぼしき一団が上ってきているということです」

「アイカンラ……?」


 ぞっと、システィナの背を冷たい汗が流れる。


 予期していたことではある。いつかアイカンラが逆襲するだろうと、サイシェイと何気なく会話したばかりだ。


 だが、まさかその噂が現実のものとなってこの瞬間に襲いかかってくるとは。

 ぴくりとも動けないシスティナに向かって一礼し、続いて兵士はサイシェイを見る。

「セイシェール・ミシェ。おまえは陛下からお呼びが掛かっている。すぐさま本棟に向かえ」

 サイシェイは一瞬、戸惑ったように目を見開いたがこの兵士はサイシェイよりずっと上の立場だ。おまけに国王の命となれば、私情で無碍にすることはできない。


 サイシェイは頷き、わずかにシスティナに視線を送った後、暗い廊下へと飛び出していった。

「あっ、サイシェ……」

「システィナ様はこちらでお待ちください」

 サイシェイの後を追いかけたシスティナの腕を兵士が拘束する。そしてもうひとつ、城が大きく揺れる。

 悲鳴と鬨の声はあれから止むことはない。かしゃん、と廊下のどこかで壁掛け燭台が落下した音がする。兵士は青い顔でへたりこむシスティナを助け起こした。

「間もなく王妃殿下がいらっしゃいます。妃殿下はシスティナ様に大事な命があるとおっしゃり……」

「お母様が?」


 思わずシスティナは聞き返した。両親のことだから、「勝手に一人で逃げろ」と言うのだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 システィナの眼差しを見、兵士はひげ面の奥でわずかに微笑んだようだ。

「……ご安心を。妃殿下のご判断に間違いはございません。どうか、今しばらくお待ちください」

「……分かりました。報告ありがとうございます」

 システィナは激しく脈打つ胸に手を当てて礼をし、「王妃様がいらっしゃるまで番を致します」と言う兵士をドアの外に置いてひとり、部屋でうずくまった。


 アイカンラが攻めてきた。今も揺れ続ける王城と、どこか遠くでアイカンラ軍が上げる戦の声。頼りになるサイシェイはいない。システィナは、ひとりぼっち。


 それでも。システィナの胸にはひとつ、温かに宿るものがあった。


 あの母がシスティナを頼ってくれるのだ。兵士の様子では姉ティーリアではなく、システィナだけにできる頼みがあるのだろう。


 崩壊しつつある王国の、王位継承権を持たない王女ができることなど皆無に等しい。それでも、やっと自分の生きる意味が見つけられるなら。


 部屋の外で兵士が何か言う。そしてドアが外側から開かれ、兵士が持つランプに照らされて豪華な衣装を纏った貴婦人――母が入ってきた。

「あ、ああ……ああ、よかった、システィナ……」

 王妃は化粧の影響で濃く影を落とす頬に涙を浮かべ、床にへたり込むシスティナを問答無用で抱きしめた。


「システィナ、あなたも聞いているでしょう。アイカンラが攻めてきたの。もう、王城が陥落するのは時間の問題なの……」

 何年――いや、十何年ぶりになるか分からない、母の温もり。記憶の中の柔らかな温かさとは少し違う気がするが、現に王妃はシスティナを抱きしめてくれている。無事でよかったと、言ってくれている。


 その温もりを打ち消すかのような、冷酷な事実。システィナは胸にこみ上げる感動をひとまず押しのけ、母王妃を抱きしめ返し、真摯な顔でこっくり頷いた。

「はい、伺っております。お母様、わたくしはどうすれば……」

「……あなたには、何が何でも生きてもらわなくてはならないの」


 王妃は顔を起こし、レースが施されたハンカチで頬を拭うとシスティナの肩をきゅっと掴んだ。その華奢な手のひらは微かに震えている。

「いいこと? お父様とお姉様……ティーリアは兵を率いてアイカンラ軍を迎え撃っております。彼らは城門を突破し、真正面から攻め込んできました。お父様たちは来賓の方を避難させ、これ以上被害を増やすまいと正面門前で苦戦してらっしゃいます」


 システィナの部屋では、一体城のどこが戦闘中でどこが安全なのかは分からない。だがあの鷹揚とした父が、高飛車な姉が、国を守るために戦っているのだ。

 わずかに涙ぐんだ次女を見、王妃は一言一言噛みしめるように言った。


「しかしそれも時間の問題。システィナ、あなたはこの書状を持って裏口から逃げるのです。先にミシェ軍医の娘を誘導させています。あなたは彼女と共に、こっそり城を脱出するのです。裏庭から堀に沿って歩けば抜け道があるはずです」

 そう言い、王妃は背後に控える兵士から受け取った巻物をシスティナに差し出した。

「これはグラディール王国の王族のみが持つことを許される王位継承の書……システィナ、あなただけは生き延び、グラディールを守るのです」

「お母様! でも、それではお父様やお姉様は……」


 言わんとすることが分かって声を上げる娘を制し、無理にその手に書状を握らせて王妃は立ち上がった。

「時間がありません……わたくしはお父様たちの元へ向かいます。いいですか、システィナ。あなたは我が国の希望の星。この国の運命を託しましたよ。……どうか、あなたに星々の女神の祝福があらんことを」

 ひとつ、星女神への祈りを捧げると王妃は娘に背を向け、お付きの兵士を伴って廊下を去っていってしまった。


「お母様!」

「システィナ様。王妃様のお話はお聞きになったでしょう」

 母の後を追おうとするシスティナを引き留め、最初に伝令に来た兵士が重く首を振る。

「……お行きください。この通路は我々が確保いたします。すぐさま書状をお持ちになって裏口へ。グラディールの未来をどうか……お願いします」


 システィナは引きつったようにのどを震わせ、ひとつ、ひとつ息をつき……兵士の腕を振りほどくようにして廊下へ駆けだした。

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