兵士と侍女1
「……なーんで俺があんたと組んでるのかなぁ」
「そりゃあ私の台詞よ。私だって、隙あらばお触りしてくるような変態男とご一緒なんて嫌に決まってるわ」
「……はっはは。そりゃあ酷い言い様で」
「分かってるならこの手、どけてよ」
「えー。こんなに触り心地いいのにー。あんた、胸はちっさいけど尻はでかいのな。ま、俺は尻派だから全然オッケーだけど」
「この場で成敗されたいの?」
暗がりをぶちぶち言いながら歩く一組の男女。男の方は仕事着の黒っぽいコートを纏い、女の方は動きやすい男性用普段着姿をしている。元々細身で凹凸の少ない体立ちのため、一見すれば少年のようにも見える。
「てかあんた、なんで男みたいな格好なの?」
「知ってるでしょ。侍女服で頬に絆創膏はまずいからよ」
言ってサイシェイは自分の左頬を覆う大きなガーゼ布を示した。
「思ったより痣が引かなくてね。システィナからも外出禁止令を食らいかけたのよ。さすがに面子が悪いって」
「だから姫さんを連れて行ったときの大ホールの前まで侍女服で、警備中は軽装姿ってのね。あー、分かりましたよー」
普通、大ホールで夜会が開かれている間はこのような暗がりを歩く者はいない。だが今回の夜会の事情が事情なだけに油断はできないと、フォルスは見回りの設置を提案したのだ。暇な者は二人一組で城内を警備しろ、と。
「……そういえばあなた、最初に会った時からその黒いの着ているけど……何?」
「これ? いいだろー、これ。仕事には最適なんだぜ」
愛用のマントが褒められたと思ったのか、カークは自慢気にコートを摘んで広げてみせる。
「これな、俺みたいにこそこそ動き回るのが得意な奴には大評判なの。アイカンラの下町に腕のいい仕立屋がいてねぇ、そのおっちゃんの特製マントなんだぜ。ちっと値が張るけど……あ、女性サイズのも売ってたからおまえも今度着てみる? 俺とお揃いで着たらペアルックになるぜ!」
「遠慮しとくわ。私は隠密仕事はしていないから」
素っ気なく言い、サイシェイは右手に提げたランタンで辺りを見回しながら首を傾げる。
「……何ともないわよね。まあ、何ともないのが一番だけど」
「そう簡単に済ますかなあ、あの腹黒公爵が」
「そんなに腹黒なの? 私はアルケセドナ公爵のことをよく知らないけど……まあ、あんな交換条件を差し出すくらいだから碌でもないんでしょうけど」
「ん、まあな。かといって俺も懇意なわけじゃねぇけど……なんとなーく、隠密の本能が危険信号を察知したな。穏和そうな見た目だけどかなり黒いものを隠し込んでいると思うな。天使顔してる奴ほど心の中の悪魔が肥大化してるってこった」
カークはサイシェイのランタンの明かりで城内の地図を確かめ、経路を辿りながらぶつぶつ呟いた。
「っと……よし、じゃあ大ホール裏を回って表まで行ったら次の奴に交代。今度は一時間後に裏庭の方だな。で、あんたは姫さんを連れて自室まで送り届けて終了」
「……はあ、どうしてお偉いさんって長々とパーティー開くのかしら。お金の無駄でしかないのに」
およそ貴族の娘らしくない言葉に、カークは苦笑して地図を丸めた。
「おいおい、んなこと言ってるとおまえの親父さんがまた怒るぞ。おまえだってミシェ公家の娘なんだろう?」
「どうぞご自由に。そろそろ頭髪も惜しい頃だろうし、多分あっちからは仕掛けてこないと思うけど」
「あっはっはは、おまえ思ったよりおもしろいな。でも、多分おまえの親父さんも本当は優しいんだろうな。だからこそみんなの前で叱り飛ばしたのであって」
「……ええ、分かってるわよ」
薄暗いランタンの明かりの下、照れたようにサイシェイは微笑んだ。が、すぐにその笑顔は消え去り、ランタンを持つ腕を前に伸ばして不可解そうな顔をする。
「あれ? 今、あっちの方でランタンが光ったような……」
「まさか。こっちの経路の当番は俺たちだけだぞ」
「でも、きらって光ってあの角を曲がったような……」
「じゃ、一人で行けば」
「嫌よ。四の五の言わず私を護衛しなさい」
「ハイハイ。……ったく、我の強いお嬢さんだぜ、本当に……」
いつになくしつこく食い下がるサイシェイに押され、カークは地図で自分の後頭部を叩きながらサイシェイについて廊下を歩いた。
「……あ、人の声」
「でしょう? やっぱり誰か迷い……」
「……! シッ!」
角を曲がろうとしたサイシェイの口をとっさに左手で塞ぎ、右手でランタンをむしり取って自分の背中の後ろへ隠す。ぎょっと目を見張るサイシェイにもう一度短く叱咤を飛ばし、カークは廊下の角に背中を張り付けた状態でそうっと、先の廊下の方を伺った。
揺れるランタンの明かりに照らされて、小柄な子どもの胸ぐらを掴んで壁に叩きつける男性の姿が浮かび上がる。息をのんで飛び出そうとしたサイシェイを三度叱咤し、カークは彼女を脇へ押しやって目を細めた。あの姿には見覚えがあった。
「……この恥晒しが! なぜ私の命令に従えない!」
「僕は嫌だって言っているじゃないか!」
男性に叱られ、幼い少年が泣きべそをかきながら反抗する。
「話が違うよ、父上! 父上は大人しくしていればティーリアと結婚できるって……」
「黙れ! 大人しくしていないからこうなるのだ!」
鈍い殴打音が響き、隣でサイシェイの体がびくっと震えた。カークは左手で彼女の手を慰めるように握り、息子を殴るアルケセドナ公爵をきつい眼差しで睨んだ。
「何度言えば分かるのだこの能なし! おまえは一旦システィナ王女と結婚する。そしてリリアーンがフォルスを手に入れたならばシスティナ王女を始末し、ティーリア王女を嫁に迎えると、言っているだろう!」
ひゅっとサイシェイが細い息を吸い、カークの手を握る手の平に力がこもった。カークもまた、顔をしかめて公爵の話に耳を峙てる。
「フォルスさえ懐柔できたならあのような傀儡王女、私の敵ではない。おまえは黙って王女のご機嫌を取っていればいいのだ! 今度また余計なことをしてみろ、アルケセドナへ生きては帰らせんぞ!」
そして公子と公爵の声はだんだん遠のき、ランタンの明かりと共に消えていった。
カークはふーっと長い息をつき、左手を引いてサイシェイを引き寄せた。
「……おい、大丈夫か?」
「だ、いじょうぶ、じゃ……ないわよ……!」
ランタンに照らされたサイシェイの顔は異様なほど白い。彼女は目を見開いてぶんぶん首を振り、カークに詰め寄った。
「とんでもないことを聞いてしまったわ……! カーク、すぐにフォルス様たちに知らせないと! このままじゃ、システィナが……!」
「分かってる」
カークは頷き、持っていたランタンと地図をサイシェイの手に押しつけて自分はコートのフードを目深に被った。
「けど、それは俺の役目だ。二人とも行ったら見張り当番に支障が出るし、一人より二人の方が動きやすい。何より今のおまえはフォルスと接触できる状態じゃねえだろ。おまえはこのまま大ホール入り口へ行け。次の見張り役にランタンと地図を渡しておくんだ。俺は途中で腹下して便所に行ったとでも言ってくれ」
サイシェイは渡された道具を見、不安げな眼差しでカークを見上げた。夜闇の中で、彼女の紫の目が潤んでいるように見える。
「で、でも、あなたは……」
「俺のことは気にすんな。近道してホールに向かうだけだ。おまえはなるべく、足音を立てながら歩くんだ」
「立てながら? 立てないように、じゃなくて?」
「ああ。公爵はもう会場に戻っただろうが、万が一その辺りに残っていたらまずい。こそこそ動き回っていたらなおさら、怪しまれてしまう。おまえだって、重大な秘密を知った者がドタドタ歩くとは思わないだろ? だから平静を装ってホールの表まで行って、ランタンを渡せたら守衛室に隠れておけ。俺も後でそっちに行くから」
「……わ、分かった」
青い顔ながらしっかり頷き、サイシェイはランタンを大きく振りかぶり、ガランガランと派手な音を立てながら廊下の角を曲がっていった。
なかなか気丈なお嬢さんだ、と小さく微笑み、カークはサイシェイとは別の方向へ駆けだした。