不穏な夜会
夜会の日になるとアイカンラ城には続々と客人が押し寄せ、アイカンラの使用人たちは休む暇もなかった。
他国の城と違い、アイカンラ城はまだ半分近くが修理中となっている。大ホールは修繕済みではあるが豪華なシャンデリアも家具もタペストリーも全て、十三年前に焼き払われてしまった。アイカンラ王国自体現在かつかつの財政のため、豪華な調度品を整えることができなかった。そのため、せめてもてなしや料理の味で客人たちを満足させようと奮起して、使用人たちはいつも以上に気合いを入れていた。
システィナとフォルスはかなり早い段階からホールに降り、客人たちの相手をしていた。アルケセドナ公爵の野心を知る者はともかく、純粋な来賓として参上した客たちはアイカンラ王国を立て直した美しく若き王子と、陥落した王国の人質である可憐な姫を見て嘆息を漏らし、素直に二人の美貌を褒め称えてくれた。
とりわけ亡国の姫であるシスティナには自然と視線が集まった。柔らかくウエーブの掛かった亜麻色の髪を高く結い上げ、早咲きの薔薇を差してアクセントにする。彼女の白い肌をより一層映えさせる淡いブルーのドレスはふんだんに意匠が施されており、たっぷりしたレースの襞や細い腰を際立たせるリボンなど、まさにこの姫君のために用意されたと言ってもいいだろう。
どこか物憂げな、寂しそうな笑顔でさえ麗しく、「祖国を滅ぼされた悲劇の王女」として汚点のない姿に客人たちは感嘆を隠せなかった。
しかし当の本人システィナはフォルスの一段下の椅子に座り、扇子に隠れてこそっとため息をついた。信頼できる侍女が傍らにいないだけで酷く心が落ち着かない。
サイシェイは朝からシスティナの化粧や衣装替えに付き合ってくれたが、この場にはいない。否、この場にはいられない。
一応「システィナ王女の忠実な侍女」としてそこそこ名の通っているサイシェイだが、所詮は使用人。おまけに父親と喧嘩した際の痣持ち。彼女は大ホールの入り口までシスティナに付き添い、「無理はしないでね」という言葉と共にシスティナを見送ったのだ。
システィナ王女がグラディール国王たちに冷遇されていたことは、諸国の貴族たちも周知のことだった。彼らは当然、システィナ王女が冷遇されていた経緯を知らないため心底システィナを哀れみ、「何かあったら私を頼ってください」と激励を送ってくれた。システィナは親切で善良な貴族たちには本心からの笑顔で応え、ごまをすってくる貴族たちは作った笑顔であしらいながら、上座のフォルスに視線を送った。
フォルスは豪華な羽根飾りの付いた帽子を被り、普段の軍服姿から一転、王家の子息が羽織るに相応しい正装を身につけていた。詰め襟が苦しいのか彼は時々のどと襟の間に指を差し込み、それをシスティナに気付かれて少し恥ずかしそうに微笑んできた。
その笑顔を見、つきんとシスティナの胸が痛む。結局自分はフォルスにとっての何だったのだろうか、と今の段階になってシスティナは自問する。
最初は、敵国の王女だった。噂のみに聞く、隠された姫君。それがイグヴィル城陥落をきっかけに人質となり、子守歌をきっかけに幼なじみの少女になり、そして将来の自分の義弟嫁へと変わった。
フォルスがシスティナに接する態度も、時を経るにつれ変わっていった。一番親身になったのはシスティナをユリーエとして見ていた頃だろう。結局、フォルス自ら買ってきてくれた小説は読まないまま、自室の文机の中にしまい込んでしまった。
だがシスティナにとっては、フォルスは常にフォルスだった。アイカンラ王国を背負う若き指導者で、冷たい表情の下に優しい心を持った青年。過酷な生い立ちを持ちながらも毅然と敵に立ち向かう人。
もし、もっと別の形で二人が出会ったならば。たとえばアイカンラとグラディールが敵対国ではなく穏やかな友好を結んでおり、二人が幸せな形で出会っていたならば。システィナとフォルスの未来はまた違ったものになっていたのではないだろうか。
「システィナ王女」
現を抜かしていたシスティナは上座から小声で呼ばれて慌てて身を起こし、扇子を口元に広げた。この大振りで派手な扇子はなかなか重量だが、広げると両頬がすっかり隠れる。影でこっそり会話する際に口元を隠すのには大変適しているのだ。
「申し訳ありません、殿下」
「前を見ろ。アルケセドナ公爵たちの到着だ」
じっと前を見つめたままのフォルスに促されてシスティナは来賓用の大扉の方を見やり――そして、小首を傾げた。
貴族たちが花道を作る中、従者を率いて堂々と入場してきたのは四十代とおぼしき貴族の男性。白っぽい金髪を首筋で一つにまとめており、鋭い眼差しが隠すことなく露わになっている。黒を基調とした衣装には金糸が編み込まれ、背に纏うマントにはアルケセドナ公国の紋章が誇らしげに輝いている。彼がアルケセドナ公爵だろう。
そして彼の半歩後ろを歩くのは、ふんわりと甘く明るいオレンジ色のドレスを纏った令嬢。ベール付きの帽子から豊かな金色の髪が溢れ出し、彼女の腰のあたりで緩やかにうねりながら流れている。この位置からでも彼女が絶世の美姫であることは容易に見て取れた。公爵一行の中で女性は彼女だけなので、この令嬢がフォルスの婚約相手の公女なのだろう。
そして、最もシスティナを驚かせた最後の人物。赤い絨毯の上をふんぞり返って歩いてくる、丸っこい物体。よく見ればそれはかろうじて人間の形をしており、全体的にきつそうな貴族服で身を包んでいる。彼は脇に退ける来賓をじろじろと無遠慮に睨め付け、何か気に入らないことでもあるのか最初から仏頂面でフォルスたちの方へと絨毯を上ってきた。
彼がアルケセドナ公爵の愛息子である公子であろう。だが。
「……こども?」
思わず漏れたつぶやきを聞き咎め、傍らで待機していた上級侍女にシッ! と注意されてしまった。システィナは口元を扇子で隠しながらも、唇がぶるぶる震えるのを堪えることができなかった。
父と姉に連れられてきた公子は、どう見ても年齢一桁。公女がフォルスの妻、公子がシスティナの夫となるのだからてっきり、二人ともシスティナたちとそう年齢差がない者だろうとばかり思っていたのに。
システィナは文句の一つでも行ってやろうと扇子を傾けてフォルスの方を振り返り――すぐに思い直し、咳払いして誤魔化した。
フォルスだって知っていて内密にしていたのだろう。システィナの結婚相手が一桁のお子様だなんて聞かされたらサイシェイやカークも仰天してしまう。イゴールも激怒してより激しい親子喧嘩が勃発していたかもしれない。それはそれで見ていて楽しそうだが、とにかくフォルスはシスティナが逃げださないために今日この瞬間まで公子の年齢を黙っていたのだろう。
やられた。がっくりと内心項垂れるシスティナの前に、公爵一家が到着した。
「お久しぶりです、フォルス殿。そしてお初お目に掛かります、システィナ姫」
まず、アルケセドナ公爵が帽子を取って二人の前でお辞儀した。公爵の目元は柔らかに細められ、穏やかな紳士という印象が第一にあった。だが彼がとてつもない野心家で強力な権力を持った危険人物であることはシスティナも重々承知している。
フォルスが席を立ち、アルケセドナ公爵に握手を求めた。
「会議ぶりですね……お元気になさっていたようで何よりです、公爵」
「こちらこそ」
二人はシスティナの左脇で固い握手を交わした。そうしている間、公女はじっと行儀よく目を伏せているが公子の方は引きつった顔でこちらを見上げているのが気になった。
「そう強ばらずに。これから貴殿は私の義理の息子になるのですから。……リリアーン」
父に名を呼ばれ、伏目していた公女がゆっくり面を上げた。
間近で見る公女はやはり、同じ女であるシスティナの目にも十分な美人に映った。システィナの姉ティーリアのような細面の美人ではなく、ふっくらとまろやかな体つきをした包容力のありそうな姫君だった。彼女が身につけているネックレスやイヤリングはどれも、小さな宝石を点々と取り付けただけのシンプルなものばかりだが、装飾品の慎ましさがよりいっそう、公女の内面から輝くような美を際立たせているかのように思われる。
姫君はちらとシスティナにも視線を寄越し、しばしじっとこちらを見つめた後、フォルスの前に立った。
「お久しぶりですわ、フォルス殿下。アルケセドナ公国のリリアーンです」
小さな鈴を振ったかのような可憐な声。小柄なリリアーン姫は動作や立ち居姿全てが小作りで愛らしく、システィナは思わず扇子の奥でごくっと唾を飲んだ。この女性には勝てない。いろいろな意味で勝てないと、その澄んだグリーンの目を見て悟ってしまった。
フォルスはリリアーンの前に跪き、ふっくらした右手を取って指先に口付けた。
「ようこそアイカンラへいらっしゃいました、リリアーン姫。幼少の砌にお会いして以来になりますね。お元気そうで何よりです」
「わたくしもですわ。アイカンラが多忙なときに助力できなくて申し訳ありませんでした」
「姫が心労されることではありません。お気遣いいただけただけで私は大変嬉しく思います」
心底嬉しそうに微笑むリリアーンを見て、システィナは意外な事実に目を丸くした。
フォルスは婚約者のリリアーンと顔見知りだった。彼らの話しぶりからして、アイカンラが陥落する前、フォルスが王太子として普通に生活していた頃はよく顔を合わせた仲なのだろう。
親しげに会話をし、そしてリリアーン姫は思い出したようにシスティナの方を見つめてきた。
「グラディールのシスティナ姫ですね。初めまして。アルケセドナのリリアーンです」
リリアーンは弾けるような笑顔で礼をし、硬直するシスティナにも親しげに話しかけてくる。
「わたくし、グラディールに同じ年頃の姫がいらっしゃるとお伺いしてずっと、姫にお会いしとうございましたの。わたくし、国の方では気軽にお話しができる同世代の姫がいらっしゃらないので」
しょぼん、と見るからに萎れたリリアーン姫の肩を、父公爵が力強く抱きしめた。
「リリアーン、心配は無用だ。システィナ姫はお優しい方だ。必ずやおまえのよき友になってくださるだろう」
えっ、とシスティナは扇の下で声を漏らす。幸い誰もシスティナの絶句を聞き取ることはなかったようだが、システィナは瞬きし、先ほどまで好印象を振りまいていた公爵を若干冷めた目で見上げた。
だがそれはリリアーンも同じだったらしい。リリアーンはムッと可愛らしく唇を尖らせると父の方を振り返った。
「お父様! システィナ様をいじめないでくださいまし! ほら、お父様が無理矢理わたくしの友人に推すものだから、システィナ様ったらこんなに驚かれて」
「い、いえ、めっそうもございません! 願ってもないお話です!」
公爵の目つきが険しくなったのを察し、システィナは慌てて父娘の間に割って入り、自分にできる最高の作り笑顔を浮かべた。
「これからリリアーン様はわたくしの義理のお姉様になるのですもの。それに、わたくしはご存じの通り、あまり社交に出た経験はございません。リリアーン様から学ばせていただきたいことも多くあります。リリアーン様と友好を結ぶというのは、むしろわたくしのほうからお願いしたいくらいですわ。リリアーン様、よろしいでしょうか?」
ぎょっと目を見開いてリリアーンが振り返る。
その唇がゆっくり開き、ぱくぱくと口の形だけで言葉を紡ぎ出す。
む・り・し・な・い・で
はたと、システィナは動きを止めた。
それはシスティナの背後で同じようにリリアーンの口元を見ていたフォルスも同じだった。
だがフォルスの方が早く我を取り戻し、壇上から降りると満面の笑顔でリリアーンの手を取った。
「お気遣い感謝します、リリアーン嬢。私の方からもお願いします。どうかシスティナ王女と仲よくしてあげてください。何分、王女は姫として振る舞うようになって日が浅く、王城の勝手にも不慣れな面がございますゆえ……」
「……そうでしたわね。では今後ともよろしくお願いします、システィナ様」
リリアーンも表情を戻し、笑顔のまま一歩後退する。
「では最後に、弟を紹介しますね。こちらがわたくしの弟のセド……」
「父上姉上! ぼくは嫌です!」
貴人たちの歓談の声に満ちた会場に幼い少年の声が響き渡る。
皆、何ごとかと壇上を見上げ、システィナたちもまた、凍り付いたように動けなかった。
ただ一人、アルケセドナ公子その人だけは幼い顔立ちを怒りに歪め、呆けるシスティナに向かって人差し指を突き付けた。
「こんな女嫌です! 不細工です! ティーリアの方がずっと美人です!」
「セドリック!」
完全に狼狽えてリリアーンが弟を窘める。公爵も予期していなかった息子の行動に目を剥き、自分たちの背中に貴人の視線をびしびしと突き刺さるのを感じたのだろう、取り繕った笑顔で振り返って公爵は朗々と声を上げた。
「いや、失礼しました。残念ながら我が息子にはシスティナ王女の美を見極めるにはまだ若すぎたようで……」
「違う! こんなの嫌だ! ティーリアだ! ティーリアと結婚するんだぁっ!」
公子は姉の腕を叩いて飛び出し、わあわあと叫びながら壇上から駆け下りていった。走るより転がった方が速いのではないかという体形だが、思いの外逃げ足は速い。あっという間に貴族たちの波に揉まれて公子の姿が見えなくなり、公爵は小さく舌打ちしてフォルスに向き直った。
「息子がかんしゃくを起こして申し訳ない。まだ九つで分別も付かない年頃……子どもの愚言であります。システィナ王女も、ご気分を害してしまい申し訳ありませんでした。今ここでわたくしの腹を切ってお詫びを点々」
「……いや、大丈夫だ。それより公爵はご子息の側にいてあげてください」
フォルスはやや硬い笑顔で言い、俯いて落ち込んでしまったシスティナの方を手で示した。
「システィナ姫のご気分が優れないようだ――誰か、甘い飲み物でも。あとリリアーン姫のために軽いワインをお持ちしてくれ」




