真実
マグレガーの話したことはシスティナにとってはあまりに衝撃的だった。
胡散臭い術師が意味深長な予言を残したことはもちろん、母が気の高ぶりゆえとはいえ、自分を絞め殺そうとしたことがあったなんて。この際自分が偽のシスティナ王女だとしても、「それは大変でしたね」と一言で片付けられるものではなかった。
「……お母様が、そんなことを」
「しかし術師の説得で王妃様は考えを改められ、第二王女にシスティナとお名前を与えて生かすことにしたのです。両陛下はティーリア様を溺愛されていたゆえ、一層システィナ様のことが疎ましかったのでしょう。国王陛下方は明らかにティーリア様とシスティナ様との待遇に差を付けなさいました。当然我々に陛下の行動を糾弾する力はなく……『生かされている』状態でシスティナ王女はお育ちになったのです。……このような予言があったため、我々はシスティナ様がお亡くなりになった際、替え玉を用意することにしたのです」
それが、イゴールの診療所に運ばれた身元不明の少女だった。
「替え玉となる少女を捜した際、幸運にもミシェの診療所に記憶喪失で、髪と目の色がシスティナ様と全く同じ少女がいることを知ったのです。ミシェの話した通り、我々は少女を引き取ってシスティナ様の代理として教育しました。記憶喪失の少女は我々には都合のいいことに覚えが早く、システィナ様の身代わりとして十分な知識を瞬く間に吸収しました。そして我々は亡くなったシスティナ様を内密に埋葬し、両陛下の元に新しいシスティナ様を送ったのです。当初は正体に気付かれることに危惧しておりましたが、システィナ様は重病から復帰されて記憶があやふやだと説明するとなんとか、納得いただけました。もっとも……その、陛下方があまり、システィナ様に興味を持たれていなかったのも、あると存じますが……」
ここまでが限界なのか、マグレガーは冷や汗だらだらで、フォルスの目配せで参上した兵士に連れられて退室していった。後を引き継いだのはオーウェンだった。
「陛下方にシスティナ様の替え玉が気付かれることに加え、術師の予言が当たることも不安の一つでした。しかしシスティナ様が十九になられるまでグラディールは安泰そのもので、おそらく……失礼ながらシスティナ様ご本人より、『第二王女』という存在が国にとって必要だったのだろうと言われておりました。高官の中には、その……今回の侵略戦争が予言の成就であると噂する者もおりますが……」
だがそれはフォルスが一蹴した。
「それはない。私はシスティナ王女が本物であるか偽物であるか知るはずもなかった上……何にせよグラディールは滅ぼすつもりだった。だが決して、復讐のためではない」
グラディール人四人は意外なことを聞いてフォルスを見つめた。四人はてっきり、アイカンラを滅ぼされた復讐としてグラディールを陥落させたとばかり思っていたのだ。視線を受け、フォルスはゆっくり首を横に振った。
「……おまえたちが不審に思うのも当然だろう。だが、私は祖国を奪還して国の復興に着手したときからグラディールへの復讐心は潰えていた。いや、むしろ怒ることが虚しくなったというのだろうか……。日々戻ってくる国民や芽吹いてくる新芽を見ていると、復讐することが本当の敵討ちになるのかと思うようになったのだ」
そこでフォルスは椅子を回し、背後の窓からアイカンラ城下町を臨んだ。あちこちで男たちが建物を建て直しており、ぽつぽつと街路樹の緑が目に入ってくる。まだまだ戦争の爪痕が大きく残る街並みだが、ここまで人々の笑い声が届いてきそうだ。
「もちろん、父上や母上を騙し殺し、国民を殺戮したグラディールは憎い。だが私が剣を取ってグラディール王を殺せば必ず、私を殺そうとする者が出てくる。私が死ねばまた、アイカンラは滅びる。そしてまた誰かがグラディールへ憎しみを抱き……その繰り返しになってしまう。だからグラディールに喧嘩を売るのではなく、祖国を元に戻すことが……亡くなった両親やユリーエへの追悼になるだろうと、そう信じることにした」
その言葉に、決意にグラディール人たちは息をのんだ。愛する者を奪われた苦しみを奪い返すことで昇華するのではなく、失われたものを取り戻すことで癒す。それは生易しいことではない。システィナたち、戦争の経験がない若者はともかく、軍人でもあったイゴールたちはフォルスの言葉に声を失ったようだ。
固唾を飲んで見守っていたサイシェイがおずおずと口を開いた。
「……では陛下はなぜ、グラディールに侵攻を……?」
「それは簡単。グラディールを救うためだ」
一言で言い切り、フォルスは椅子を戻して四人を静かに見据えた。
「見聞に回った際に見たグラディールは酷いものだった。城下町は荒れ果て、国王はボンクラとなって金を湯水のように使い果たすのみ。王妃や王女もそれを咎めることなく、豪勢な暮らしに酔いしれている。そこでようやっと気付いた。たとえ私が祖国を滅ぼされた苦しみを己の中で昇華できても、この王ならば同じ悲劇を繰り返す。その対象はアイカンラに限らないだろう。だから私なりに手を打たせてもらった。イグヴィル城は私の気が向くままに破壊させてもらい、あのボンクラになおも従おうとする貴族たちは処刑した。だが城下町には手を出していないし、無関係者の命を奪うこともしていない」
システィナはしっかりと頷いた。それは先日の報告でも聞いていることだ。その時はただ単純にフォルスの行いに首を傾げ、「実はフォルスは優しい人だから」という結論で済ませたのだが王はシスティナが思っている以上に偉大で、寛大な人物だったのだ。システィナはその言葉を聞き、深く頭を下げた。
「フォルス王のお気遣い、国民への慈悲にはわたくしの方からも感謝申し上げます」
「……礼はいい。それよりも……」
フォルスは表情を改め、真摯な眼差しでシスティナを射抜いた。
「……今日イゴール・ミシェたちを招いたのはおまえの身分を立証するためだ。彼らがしたためた公文章もこちらの手に渡っている。……私の推測は、こうだ。ユリーエは十三年前、両親たちと共に逃げだし、逃亡中にグラディール軍の追撃を受けた。ユリーエは怪我を負いながらも一人、その場から逃れて行き倒れ、撤退中のイゴール・ミシェに拾われた。そして記憶喪失をいいことに先日死亡したシスティナ王女の身代わりとして教育され、王女として暮らすことになった。イゴール・ミシェは自分の娘を侍女として召し上げさせ、娘を偽システィナ王女の側近として付けることに成功した」
フォルスはシスティナの唇が震えているのを見、長い睫毛を伏せた。
「……元々グラディールの王家はシスティナ王女に関心がなかった。だからシスティナ王女が入れ替わったことに気付く者もおらず、術師の予言も少なくともこの点では命中しなかった。ユリーエは記憶のほとんどを失っていたが、生母から教わった子守歌だけは記憶の片隅に残していた。システィナ王女は記憶の中の生母と王妃を重ね合わせ、『優しかった頃の』母が歌ってくれたのだと思いこんだ」
「……この文章にも、身元不明の少女を引き取ったと明記されている。身体の特徴からして、ユリーエに間違いないんだ」
カークは封筒に入っていた古びた書類を出し、ひらひらと振ってみせた。
「グラディール要人の話を聞いて、もしやとは思っていたんだが……姫さんの言ってたことにもきれいに合致するし、時期もちょうど合う。辛いとは思うが……そういうことなんだ」
じゃあ、何だ。システィナは青ざめた頬に手をやって浅く息をついた。
「……わたくしは、ユリーエなの……? フォルス王の幼なじみの……」
「……そういうことになるな」
驚くほど冷たく言い、話は済んだとばかりにフォルスは手を振った。
「カーク、グラディールの客人を部屋に案内しろ。彼らにはもう少し調査に手伝ってもらう」
「……ああ」
周りの人々が慌ただしく移動するのを、システィナは呆けた目で見つめていた。ふと、右腕を掴まれる感触にそちらに目を向けると、不安顔のサイシェイが目に入った。
「……システィナ様」
「……ううん、大丈夫よ」
システィナは無理に微笑み、サイシェイの震える腕に自分の手を重ねた。
自分は両親の本当の娘ではない。それは衝撃的な事実であった。
でも、それでも。本当の娘じゃなくてよかった、と思ってしまうのは罪なことなのだろうか。
あの温かい膝の持ち主が本当の母で、自分に紛れのない愛情を注いでくれた人は確かに存在したのだと、そう思って安堵するのは間違いなのだろうか。