少女ユリーエ
「……では、少し話を戻して私の過去について語ろう」
フォルスは集まった一同を見渡し、隣のカークの頷きを見てブルーの目に光を宿した。
「……皆が知っているように、私は十三年前まで、アイカンラの王太子として生活してきた。と言ってもアイカンラは昔から堅苦しい規則や貴族制度を嫌う。私も幼い頃は比較的自由に城下町に出入りしてきた。それゆえこのカークを始めとした、貴人でない友人も多く持っていた。友人の中にユリーエという少女がおり、彼女もまた家の地位は低いものの、故あって親しくしており、いつも一緒に遊んでいた」
そう語るフォルスの目は優しい。きっとユリーエという少女との思い出がその目に映っているのだろう、と意外そうにシスティナは彼を見る。
「父上や母上もユリーエには特に甘かった。女友達では唯一ユリーエが私の部屋に呼ぶことを許され、一緒に昼寝したこともあった。……当時の私はひ弱で臆病だった。日々政務に忙しい両親を見ていたこともあり、人恋しく思う日も少なくなかった。そういう日は酷く心寂しく……ユリーエが隣で私を慰める歌を歌ってくれたのだ」
そこでフォルスとカークがシスティナに視線を送ったため、あっとシスティナは声を上げた。
「それってもしかして、わたくしが歌った子守歌……?」
フォルスはわずかに目を細め、何か言いたそうに口を開いたカークをつま先で蹴って制し、言葉を続けた。
「その歌はユリーエが母から教わった歌だという。アイカンラ独自の……しかもかなり地域性の強い歌で、ユリーエの母が生まれ育った農村くらいしか歌われていなかったそうだ。歌詞に『空の女神』という節があるだろう? ほとんどの国家では星女神が信仰の対象となっている。空の女神は地方神で、星女神の妹として奉られているらしい。ユリーエの母親の故郷も独自の空女神信仰を行っていたという。まさに知る人ぞ知る子守歌なのだ。……ユリーエは他にもいろいろな歌を歌ってくれたが、私はその子守歌が一番気に入った。後に親しくなったカークと三人で、合図代わりにして遊んだこともある」
だが、とフォルスはちらとイゴールを見、組んだ手の上に顎を乗せて続けた。
「……十三年前の侵略戦争の時に私たちは生き別れた。カークの親はアイカンラ城に仕えていたため彼は幸運にも私の近くにいたが、ユリーエは城下町の実家にいた。アイカンラ城が陥落すると私の両親は皆の目の前で首を落とされ、城は封鎖された。私もカークも、もし今くらいの年だったならば即刻処刑されていただろうが……子どもだからと手加減され、酷い仕打ちにはあったものの一命は取り留めた。そして他の生き残りもろとも城に閉じこめられ、数年してグラディールの支配力が弱まるまで監禁生活を送ったものだ」
言葉こそはすらすらと出てきて単調な雰囲気だが、フォルスの目は笑っていない。先ほどまで幼なじみユリーエを語っていた穏やかな眼差しとは似ても似つかない、凶悪な炎が瞳に宿っていた。
「……監禁中は外のことを知るすべはなかった。アイカンラ城陥落後、城下町や国民がどのような末期を辿っていたのかも……。知ったのは、十二歳の時。このカーク含む監禁仲間と結託してグラディールの包囲網を破り、なんとか城を奪還した後だった。……あの時の衝撃は今でも忘れられない。慣れ親しんだ城下町は完全に崩壊し、あちこちが焼き畑になっていた。もちろん、ユリーエの家があった地域も……」
フォルスは首を振り、沈痛な表情のグラディール人たちを見て肩をすくめる。
「捕まって五年間、ユリーエはきっと無事に逃げたのだと信じていた。だからこそ……父上と母上が処刑された直後、グラディールが契約を裏切って城下町を焼き払ったのみならず、無力な国民にまで手を掛けたと聞いたときには心底グラディールを憎んだ。かならずや、グラディールも滅ぼしてやると心に誓ったくらいだ」
その言葉に、イゴール含むグラディールの要人たちは痛みに堪えるように顔をしかめた。出で立ちからしてこの場にいる者は武官ではないのだろうが、それでも皆、自国が行った度を過ぎた破壊行為には恥じ入っているのだろう。
「……国民殺戮の情報も後に入ってきた。アイカンラ領内で点々と発見された死骸は全て証拠隠滅のため焼かれていたが、所持品の中の金属などで何とか身元が判明できる者もあった。国民は居住地域ごとに固まって逃亡していたため……皆殺しにされた国民の中にユリーエの近隣の者が発見されたときはさすがに、我を失った。そして痛いほどに実感した。きっとユリーエもまた、殺められてしまったのだと」
ここで口を切り、フォルスは厳しい眼差しでシスティナを見つめた。
「……システィナ王女。おまえとサイシェイが歌ったあの子守歌は間違いなく、死んだユリーエが教えてくれた歌だ。生粋のグラディール人であるはずのシスティナ王女ならば、当然知るはずのない民謡。私の話とイゴール・ミシェの話を聞いて……言いたいことは分かるな?」
分かる。分からなくはない。でも、信じられるはずがない。
システィナはともすれば頽れそうになる脚に鞭打ち、ブンブンと首を横に振るう。
「そ、そんなはずは……! だって、あの歌は間違いなく、優しかった頃のお母様から……」
「あんたは『優しかった頃』って言うけど、本当に王妃がおまえに『優しかった頃』が存在するのか?」
それまでずっと黙りだったカークが口を開き、話の核を的確に突いてきた。
「考えてみろよ。その歌を教えてくれた母親がグラディールの王妃じゃなくて、本当の生みの母親だったら? おぼろげにしか覚えていない母親の顔を王妃に重ねていたとしたら?」
「ち、ちょっと待って!」
脳みそが容量過多で爆発しそうだ。システィナは自分を見つめるいくつもの視線を受けながらあわあわと頭の中を整理する。
「つまり……わたくしの本当の名前はユリーエで、六歳の頃に本物のシスティナ王女と入れ替わったってことですか?」
「正確には……死んだ王女の代理だな」
フォルスは言い、ここまで出番のなかったグラディール貴族に目を向けた。貴族はフォルスの視線を受け、こほんと咳払いして一礼する。
「オーウェン・ハイデルベルグと申します。……私はグラディール陛下の側近でありましたが……確かに、システィナ・ファベリア・グラディオス殿下は六歳の時に流行病でお亡くなりになりました。埋葬も済ませたので間違いありません」
オーウェンは目を見開くシスティナに申し訳なさそうに目を伏せ、額に浮かんだ汗をハンカチで拭いながら続ける。
「しかし我々には何としてでも、システィナ様を生かさなければならない理由がございまして……陛下方がシスティナ様を疎みながらもお育てになったことにも起因します」
「理由?」
システィナの震える声を受け、もう一人の貴族が名乗りを上げた。
「私はマグレガー・モンストンと申します。姫様はグラディール王家にお仕えしていた術師のことをご存じですね?」
逆に聞かれ、システィナは頷いた。
「ええ……わたくしはあまり接する機会がございませんでしたが、お母様は特に占いやまじないがお好きで、よく術師に吉兆を占ってもらったとか……」
「その術師がシスティナ様の将来を占ったのです。十九年前、陛下と王妃様はティーリア様に次ぐお子に男児を希望されてらっしゃいました。しかしお生まれになったのは第二王女……迷信深い王妃様は怒りのあまり、第二王女をその場で縊り殺そうとまでしましたが、それを止めたのが件の術師です。第二王女が王位を継ぐことはないが、王女の存在がグラディール王国の存亡を左右する。王女を死なせてはならない。王女を生かせば必ずや、王国にとっての高い利益となるだろう……と」