グラディールの次女姫
暖かい、膝の温もり。
ぱちぱちと耳に心地よく爆ぜる暖炉の熾き火。
うつらうつらまどろんでいると、柔らかい手の平がそっと、頭を撫でてくれる。
優しい歌声。子どもを夢の世界へ誘う、子守歌。
今にも瞼が閉じてしまいそうになる中、三日月形の唇が笑みを象った。
それは、どこまでも優しい微笑みだった……。
ごすん、と鈍器で鈍器を殴った鈍い音が響いてシスティナは目覚めた。覚醒と共に膝の温もりが消え失せ、冷たいシーツの感触が肌に響いてくる。
先ほど音がしたのはドアの方。ごすごす、と鈍い音はなおも続き、やがてぶすっとした若い女性の声が響く。
「システィナ様。朝です。今日は午後からパーティーがあるのでさっさと起きてください。お着替えはもう置いているので、ご自分でどうぞ」
それだけ言い、声の主はさっさと部屋の前から立ち去ってしまった。あの侍女はシスティナの目覚まし時計係をするのが心底嫌らしく、毎朝システィナを起こす際、両腕に抱えた洗濯物籠の角でドアを叩くのだ。いつぞやのように先が濡れたモップで叩かれないだけましか、とシスティナは気にした様子もなく上半身を起こした。
カーテンに解れが目立つ天蓋付きのベッドから降りると、薄手の寝間着に冷めた空気がまとわりついてきてひとつ、身震いした。両親や姉の部屋ならば部屋の主が起きる前に侍女が火を起こし、寒くないよう暖めてくれるのだがあいにく、先ほどの侍女はそれほど気を遣ってくれない。侍女の仕事は決まっているから、他の者に火起こしを頼むこともできない。仕方なくシスティナは暖炉の前に座って自分で石を打って火を起こし、揺れる小さな炎をぼうっと見つめた。
夢の中で時々現れる、優しい女性。
幼いシスティナのために子守歌を歌い、そっと髪を撫でつけてくれる人。
システィナは頼りなく燃える火を見つめ、そっと息をついた。
夢の中の母はあれほど優しいのに、どうして今、自分はこのような状況で生きているのだろうか。
夢で見た暖炉の炎よりずっと頼りない火を見つめ、王女システィナはどこか他人事のようにそう考えた。
システィナはドアの前に乱雑に置かれていた着替えを取って寝間着から普段着に替え、朝食を取ろうと王家の会食場に向かう。普通、城内を行動する王女の側には侍女がいて会場までエスコートしてくれるものなのだが、やはり今日もシスティナは一人で仕度をし、一人で階下へ向かう。すれ違う使用人や騎士が微妙な表情で挨拶してくるのも日常茶飯事。いちいち気にすることにさえ疲れてしまった。
「うむ、おはようシスティナ。遅いではないか」
王家四人だけが使うにシテはあまりにも広すぎる会食場と、あまりにも長すぎるテーブル。
テーブルの一番端に据えられた自分の席に着くと、既に食べ始めていた父王がにこやかに挨拶してきた。
「あまりに遅いものだから、もう私とエディーナとティーリアは食べ始めているのだぞ。もう少し早く降りて来れないのかね?」
「……申しわけありません、陛下。仕度に時間が掛かってしまい……」
最速で仕度しても朝食に間に合わないよう、絶妙な時間に侍女が起こしに来るものだから遅刻しないはずがない。たとえ侍女が起こしに来るより前に仕度していても、呼びに来るまでは部屋のドアが開かないようになっている。この辺も全て、計算済みなのだ。
陛下ことシスティナの父はうんうんと頷き、さして気にしたそぶりもなくバゲットの入ったバスケットをシスティナに勧めた。
「大丈夫、気にしていないから。ほら、食べなさい」
「ありがとうございます」
素直にバスケットを受け取り、すっかり冷めてしまったバゲットを手に取って小さく千切った。このバゲットはなかなか手で千切れないくらい外見は固いのに、中は半焼けのようにねばねばしており、小麦粉の固まりも見受けられる。いつぞやのように真っ黒焦げではないだけましなのかもしれない。
そんなシスティナを見て、システィナの向かい側に座っていた妙齢の王女がくくっとのどを鳴らして笑った。
「嫌ですわ、システィナ。朝食が遅れたことを侍女のせいにして。まるで早く仕度をさせてくれない侍女を責めているようではありませんか」
システィナは一度面を上げ、すぐにまた俯いてバゲットにバターを塗りながら姉に答える。
「……お姉様、おっしゃる通りです。わたくしの不出来ゆえ……」
「それに、あなたは朝食のお時間に間に合った試しがありませんわね」
姉姫に同調するのは、国王と並んで上座に座る中年の貴婦人。こってりと白粉を塗っているため素顔が分かりにくいが、顔のパーツの大部分が姉姫によく似ている。
「せっかくコックたちが温かいお食事を準備してくれてますのに。明日こそは時間に間に合うように。よいですわね、システィナ」
「……努力いたします、妃殿下」
ぽんぽんと飛んでくる中傷を素直に受け止め、大人しくシスティナは自分の食事を進める。国王は国王で、妹姫を貶す妻と長女を窘めるどころか満足そうに微笑んで二人を見つめている。
「うむ、エディーナとティーリアは侍女やコックへの気遣いができて素晴らしい。システィナ、おまえも母と姉を見習うのだぞ」
「……はい、陛下」
システィナは侍女が注いだ冷たいかぼちゃのスープを静かに啜って答えた。システィナが降りてくるのが遅いから料理が冷めたと母は言うが、今見ても両親や姉のカップからは白い湯気が立ち上っている。冷めたのではなく、わざわざ冷めているスープを注いでくれたのだ。
システィナは和やかに談笑しつつ食事をする家族を冷めた眼差しで見つめ、黙々と冷えた朝食を取った。
父王は「気にしていない」のではなく、「どうでもいい」のだ。システィナは生きていればそれでいい。姉姫と同じように扱う必要はない。
それは決してシスティナの僻みでも被害妄想でもない。幼い頃から両親の口から言い聞かされていたのだ。
だからシスティナは平然として、表情を揺るがせることなく一人食事を続けるのだった。