薄荷飴(前)
「誰よ、強制解放なんてしたのは!……あれ、フレドリック?」
「ボクの事を知っていルのか」
「まぁね、時々お父様とお話してるのは聞いていたし」
モニターの上に見たのは、10センチにも満たない半透明、ホログラフで映し出されたような淡いブルー一色の少女だった。
髪はくるぶしに届くかと思うほど長く、その毛の量も酷く多い。実際にその毛が自分に生えていたら頭が重くて嫌になるだろうと思う程の量だ。そして華奢な体は一糸纏わずという、よくあるアニメやマンガで登場する妖精のようである。流石に、羽は生えていないようだが。
「な、なんだ?」
「何だとは冷たいわねユキオ、コレまでいろいろ助けてきてあげたのに」
釣り気味の大きな瞳をさらに釣り上げて不満そうに少女の映像が言い返してくる。ユキオは目を見開いたまま、ギギギと油の切れた機械のようになった首をフレッドに向けた。
「そう、彼女がシータ。世界で唯一、完全自律・学習型プログラム……そしてドクターマイズ唯一の家族、でもあル」
「何を……」
クルクルとモニターの上に浮いてフィギュアスケートの選手のように回っている少女……シータを見ながらユキオは呟いた。口の中が砂漠のように乾きうまく舌が回らない。何か飲み物が欲しいと思ったが、自販機に行くという選択肢を選ぶほどユキオには余裕は無かった。
「話が長くてスマナイ……順番に聞いて欲しい」
フレッドはそう言ってユキオの肩に手を置きながらシータとユキオの間、トレーサーのシートに腰掛けながら説明を始めた。
「シータはドクターマイズの個人的な研究の副産物として偶然生まレた。研究内容は、賛同者が少ないドクターがその人的負担を肩代わリさせルためノより高度な支援プログラムの開発だった。それを完成させることで、世界各国の情報収集やマイズアーミーの量産、新型機の開発等を任せるつもりダった」
「……」
なんとなく話を理解している、というユキオの顔を見てフレッドが続きを語る。
「そんな中ドクターの予想を遥かに超えた、完成度の高すぎるプログラムが生まれてしまった。それは人間と同じ様に周囲を認識し学習する事で自ら無制限に成長することの出来る特性があった」
「それが、このワタシ、シータってワケね」
シータがニコニコと無邪気に笑う。どういう仕組みなのかはわからないが周囲に星が出てキラキラと輝いた。これもシータが自分でやっているのだろうか。
「シータの最大の特長、そして最大の危険な点はあらゆるネットワークに自分の意思で移動が出来る事ダった。彼女の前には既存のプログラムはもはやフラフープ程度の障害でしカなく、その気になれば大企業のデータを抹消したり、世界銀行の流通を全て無効化したり、さらには人工衛星や宇宙ステーションのプログラムを破壊し任意の街に落下させる事も出来るだロう」
「ワタシ、そんな事しないよう」
唇を尖らせて子供のように文句を言うシータにフレッドが、そうだなと頷く。
「ドクターマイズが幸運だっタのはシータのこノ危険性にいち早く気付ク事が出来た点ダ。彼はまズシータに倫理を教えた……そんな大層な物ジャない。他所に無断で侵入してハいけない、他人のモノを壊したり盗んダりしてハいけなイ……子供に常識を教えルような物ダったとドクターは話してイる」
「……続けてくれ」
「ドクターはウォールドウォーの準備を進めながらシータの教育を続けた。3年が経過しシータにある程度の常識が備わった頃、ドクターは一人でシータの教育を進メる事に限界を感じ始めた。ドクターは悩みの末、シータの善意の判断を信じて彼女に世界を巡り見聞を広めさせルことにした」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
慌ててユキオが話を遮る。一生懸命話を脳内で整理しながら。
「ドクターマイズはウォールドウォーで役に立つプログラムが欲しかったんだよな。じゃあシータがいればそれで良かったんじゃないか?シータが各国の……武器工場や<センチュリオン>みたいな組織を破壊して回れば……」
「ドクターの真意は人類の支配では無いシ、それに彼の中ではシータはもう道具では無かった。ドクターはシータを新しい形の生命の一つ、人間を救う可能性の一つと考え始めていた。だカらその扱いには慎重にならざルを得なかったし、二人目のシータを産み出そうという考えも捨てた……シータには寂しい思いをさせるトわかっていながら」
「そうね、ちょっとそれはあるかも」
フレッドが一息ついたところで、場を和ませようとしたのか、シータはそう言った。その言い方も仕草も、確かにコンピューターよりは人間に近いもののようにユキオにも見えた。フレッドは腕時計を見て再び口を開く。
「ゆっくり説明したいが、話を急ごう。結局、シータは自由になり様々な国のコンピューターを転々としながら人間や地球環境の事を学び始メた。その過程でいくつか、足跡を残すミスをしてしマいそのうちにシータの存在に気付くものが現れ始めた」
テヘペロ、と舌を出してコツンと頭を叩く仕草をするシータ。
「まず確証を得たのハドクターマイズに協力する者達だった。公表されテはいないが、ボクのヨウに社会に紛れなガらドクターに協力すル人間は多い。だがそれもドクターの思想に賛同しテいる人間ばカりでは無い。金儲けが出来るからといウ理由だけで参画しテいる団体、企業も大勢いる」
「フレッドは……そういう組織の人間なのか?」
「表向きハ、だけどね。彼ラの協力無しでハニホンに来ることが出来ナかった」
一息入れて、フレッドは視線を自分の膝に向けながら話を続けた。
「シータに気付いた者達は、彼女を手にすることデこの現代社会を制するこトが出来ると考えた。今では全ての国に、シータの事を知ってイる人間がいると思う」
「わぁ、ワタシって人気者~♪」
「日本にも?」
無視して問うユキオに、シータが蹴っ飛ばすようなそぶりを見せた。
「ああ、少なくとモ<センチュリオン>のトップは知っているダろうな」
「じゃあなんで俺の『ファランクス』を回収しないんだ?いや、そもそもなんでシータは『5E』に入っていたんだ?」
フレッドは肩をすくめてシータに視線を投げかけた。流石に疲れたのかもしれない。
「最初に『5E』に入ったのは偶然、気まぐれだったけどね。ユキオが面白いからついつい長居しちゃって」
「面白い?」
理解に苦しむ評価にユキオは眉を顰めた。人造のプログラムに面と向かって面白い扱いされるとは。
「別に悪口じゃないよ……ええと、何て言ったらいいのか……」
暫く本気で悩んで見せてから(そんなジェスチャーを意図的に見せているのか、自然とやってしまうのかも判断できないが)シータは説明を始めた。
「ワタシ、お父様の所を出てからいろいろな人間を見てきたわ。皆、倫理や価値観、宗教?いろいろ違う尺度で世の中を見て生きていた。最初は戸惑ったけど、やがてそういうものなんだとわかるようになってきたわ。まぁ宗教に縛られて生きるなんてワタシには全然共感できなかったんだけど」
「あまり人間の前で無闇にそウいう事は言わないほうがいいナ」
フレッドがそう嗜めるがシータは納得していないようだった。小さな顔の、さらに小さな口がまた開く。実際に音声が出ているのはモニターの下にあるスピーカーなのだが。
「まぁ、とりあえず人間の行動原理は欲望なんだなって思うことにしたの。動物もそうだし。三大欲求だけじゃなくて、出世したい、裕福な暮らしをしたい、好きな人と結婚したい……そういう事が人間のパワーの元なんだなって。そうやっていろいろな人のところを回っていたのだけれど……ユキオはなんかそういう欲が見えなくて」
「俺が?」
指を自分に向けて問いかける。最初はプログラムと直接こうやって話すのは違和感があったが、その口調の馴れ馴れしさも合ってユキオはシータを人間らしいと思い始めていた。
「ずっと聞きたかった。ユキオは何で『ファランクス』に乗ってるの?カズマやマサハルは人気者になりたいみたいだった。ルミナはお姉さんやお母さんのため。でもユキオにはそういう欲が見えなかった。ゲームが好きならこんな危険な戦争じゃなくて他のゲームでいいじゃない……ルミナにいいトコ見せたいから?それだけとも思えなかったけど……」
「……まいったな」
矢継ぎ早に喋るシータを前にユキオは頭を掻きながらフレッドを見た。フレッドもまた、からかうようにユキオを見ている。
「……わからないよ。俺が『ファランクス』に乗っているのは欲を満たしたいからなんて思ってなかったから……スカウトされて、他にやる人がいないからって……悠南支部のトレーサーも増えないし、途中でみんなを残してやめるのも嫌だったから……それに、俺みたいな奴でも街を守れるってのは、なんていうか……気持ちがいい、プライドみたいなものもあったし」
「プライドかぁ……なんか他の人の思っているのとは違う気がするけど」
「シータは、それが知りたくてずっと『5Fr』に乗っていたのか?じゃあ……もう出て行くのか?」
ユキオがふと思いついた疑問を投げかけた。今まではシータがいたから助かった事が多かったのだろう。しかし今の話を信じるならシータはいついなくなっても不思議ではない。シータでないサポートAIで、ユキオは今まで通り戦う事は出来るだろうか。
(……とても、そんな自信は無いな)
不安そうなユキオを気遣ったのか急にシータが子供らしい、心配そうな顔になる。
「そんなにスグにどこか行かないよ……出て行くときはちゃんと言うし。今まで、他の人にそんな事したことは無かったけどね。フレドリック、そろそろ疲れ取れた?」
「ああ、ありがとうシータ」
はぁ、と深呼吸をしてフレッドが立ち上がる。説明役がまた替わる様だ。
「説明していなカった、ボクがニホンに来たもう一つノ理由……それはドクターマイズがキミに興味を示したカらだ」
「俺に?」
「正確にハ、シータがこんなニも長い期間傍にイるような人間の素性に、トいう事かな。今まデそんな事は無かったかラ」
「……結局、俺をどうするんだ?殺して、シータを連れ帰りたいのか?」
「まさか」
フレッドが、何を言っているんだという顔でユキオを見上げる。その顔に悪意は無くただただ驚きだけが伝わってきた。
「ドクターは特にキミ個人に敵意ハ無いよ。そして、ドクターにキミの人となりヲ伝えルボクの仕事も半分は終わっタような物だ。ある組織かラの、メモリーキー奪取の命令ヲ利用してココに来たけど、ボクはそンなつもりは無いシ……後は、どうヤって任務に失敗しタと報告シてクニに帰ろうか……そんナところかナ。ニホンを離れルのは寂しイけれど……」
ドライにそう言うフレッドを、ユキオはまるで夢の中での出来事のようにぼぉっとした頭で見つめた。
こんな事が現実にはあるのだろうか。平和に、退屈に生きているつもりだった自分の生活より遠いところでは、こんなにも複雑な思惑が蠢いていたなんて。
「今日は、ここまデにしてオこう。シータ、ありがとう。ドクターもそろそろ会いたガっていたよ」
「そう、じゃあ気が向いたら里帰りしようかな。ユキオも、まったねー」
シータはあくまで気楽そうに笑って手を振ると、足元から薄らいであっという間に消えてしまった。元よりそんな映像は無かったかのように。ユキオもいい加減思考回路が限界だった、早く帰ってとにかく寝たい。
「フレッド、いいのか?こんな事をして……」
「ユキオだって、ホントはボクを警察に突き出サなきゃいけないハズだろ?」
少し悪党めいた笑いを見せるフレッドを見てユキオは少し肩が軽くなる。
「……共犯か」
「ボクの仕事はもウ終わりだ。でもそれじゃイーブンじゃない。ユキオの疑問にハ、全部答えルよ……ユキオはこの国デ、唯一、ボクに優シくしてくれタから」
「フレッド……」
二人はそれ以上何も語らなかった。暗いトンネルを抜けて、外に出た時には予想通り酷い大雨になっていた。
「……」
振り返りもせず黙って雨の中に消えるフレッドの背中を、同じ様にずぶ濡れになりながらユキオも黙って見送った。バイクに挿したメモリーキーから出てきたのか、気が付くとマルチウィンドウの上にさっきと同じ様に半透明に光るシータの立体映像が出てきていた。雨が彼女の体を通過してその足元のウィンドウの上に跳ねている。
「ユキオ……?」
「俺は……これからどうしたらいい……?」
シータは答えなかった。その無言の返事が、ユキオにもう後戻り出来ない事を何よりも強く実感させていた。