表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/119

サークリング・ガーデン(後)





 いい加減、ルミナとの関係を正常化させなければと思ってはいる。


 簡単な事だ。そ知らぬ顔で今まで通り普通に一緒に出かけていけば良い。


 しかし。


 (しかし……)


 非モテで今まで彼女なんかいないどころか、むしろ遠ざけられてきたユキオにはあのアリシアとの一晩が刺激的過ぎた。あの柔らかい肉感を知ってしまえば、クラスの同級生達が女の子と付き合いたがるのも納得できる。あれは、本能的に魅力がありすぎる。


 それを、好きな人とは違う大人の女性で知ってしまった今、ユキオはそれを忘れなければルミナと付き合えないように思っていた。自分には、まだアレは早すぎる。ルミナとはまだ、学生らしい付き合いでいなければ……。


 「結局、俺の問題だよな……」


 そもそもアリシアに慰められた事だって、自分の未熟さが端を発している。なにもかにも自分のせいでいろんな不始末に繋がっていて、さすがにいいかげん自己嫌悪に陥るのも嫌になってきた。


 (とにかく、煩悩を断ち切らんと……)


 頭を剃ってどこか寺にでも篭るか、と突拍子も無いことを考えていたその時、勢い良くドアが開け放たれた。


 「おまっ、カナ!入る時はノック……あれ?」


 てっきり可愛げのない従兄妹が入ってきたのかと思い怒鳴りながらドアの方を向くが、そこにいたのは意外すぎる人物だった。


 「な、な、奈々瀬さん、どうしたの!?」


 そこにはびしょ濡れのルミナが佇んでいた。少しうつむいているため表情はわからない、それよりこの雨の中を傘も差さずに来たのか酷い濡れようだ。白いYシャツからインナーと、その奥の淡いピンク色の下着まで透けて見えてしまっている。


 慌てて立ち上がり、タオルを持ってくるよと言いながら横を通り抜けようとしたがその手首を驚くほどの力で掴まれてユキオは足を止めさせられた。


 「な、奈々瀬、さん?」


 「……」


 ルミナは依然無言だった。後ろ手にゆっくりドアを閉め、ユキオを引っ張ってベッドの上に座らせる。


 「ええと、な、なんでしょうか」


 ただならぬ気配に、ユキオもようやく自分が何かマズイ状況に置かれているらしい事を悟った。大量の唾を飲み、ルミナの言葉を待つ。


 何分か、ユキオの体内時計ではもう時間もわからないほどの静寂の後、ルミナは下を向いたままやっと口を開いた。


 「玖州君……アリシアさんと、寝たって……ホント?」


 (……!!?)


 バレた!?


 ユキオの心臓が跳ね上がる。しかし何故バレたのか、いや今はどう返事を返すべきなのか。ウソを言い通すべきか、通し抜くことは出来るのか。三秒、ユキオの脳内の全ての細胞が討議をぶつけ合った。ルミナの感情の無い視線がユキオの目と重なる。もう駄目だ、時間が無い。


 「ね、寝た、けど……」


 何も無かった、と言おうとしたところでとんでもない衝撃が頬を打った。口の中に鉄の味が滲む。ビンタだ、とその衝撃の正体がわかったところで反対側から同じ強さのビンタがユキオの頬を打った。


 さらに一撃、もう一撃……無言の部屋にビンタの打撃音が響き渡る。途中で赤い水滴が宙を飛ぶのが見えた。鼻血だろうか。あまりの痛さと衝撃にユキオが目を回しかけたころ、ようやくルミナの手が止まり、真っ赤に腫れた小さな手がユキオの襟首を掴んだ。


 「なんで!?」


 「……」


 何も答えられなかった。言い訳が思いつかなかったからではない。初めて見たからだ。


 ルミナが、生の感情をむき出しにして、真っ赤な頬の上に大量の涙を零しているのを。


 「なんで……なんで……」


 肩にルミナの細い指が、猫のツメのように食い込んでゆく。


 「アリシアさんの方が優しいから!?キレイだから!?胸が大きいから!?」


 「ちっ、違……」


 「どうして……私じゃなかったの……私に……」


 ドッ、とルミナがユキオをベッドに押し倒した。顔を真っ赤にして、息も荒くユキオを睨みつけている。やがて何かを決心したように唇を真一文字に結び、ルミナは胸元の制服のリボンを外した。


 (!?)


 続けてずぶ濡れのワイシャツのボタンを外してゆく。待ってと叫びそうになるユキオの頬をルミナの冷たい手が掴んで口を閉じさせて、そのまま唇が重ねられた。


 「んな……な、奈々瀬、さん……」


 「玖州君は、私の事、嫌いなの?傍にいなくても全然寂しくないの?」


 「そんな、俺は……」


 熱を孕んでいるのに、酷く冷たい視線がユキオの瞳を貫く。金縛りの如くユキオの体は全く動かなくなった。


 「私は、私は嫌なの、誰の傍にもいて欲しくないの。誰にもあげたくない、私の、私だけの……」


 額をユキオの胸に押し付けて、ルミナの頭が小刻みに揺れ続ける。熱い感覚が服の上から肌を焼いた。一粒、二粒と。


 腕が動いていた。優しく、ルミナの艶やかな甘い匂いのする髪を撫でる。


 「玖州く……」


 顔を上げたルミナに黙ってキスをする。涙でベトベトになった唇がユキオの唇を濡らした。


 「ごめん……俺が弱かったんだ。見せたくなかった……奈々瀬さんには、俺の弱いところを」


 「玖州君……」


 「でも、違った。俺は……」


 もう一度、目を閉じる。ルミナも大人しい子猫のように瞼を閉じた。


 唇を重ねる。さっきよりもずっと長く。


 そして、ユキオは強く両手でルミナの体を抱きしめた。


 「……もっと」


 一言、ルミナがそう呟く。ユキオは、何も答えずに抱く力を強くした。壊れるのではないかとも思うほどに。


 雨の音だけが窓ガラス越しに微かに聞こえる。


 何分か、何十分か、もしかしたら一時間もそうしていたのかもしれない。ルミナが小さく身を捩った。さすがにユキオは苦しくさせてしまったのかと両手を解く。ルミナはユキオの上で半身を起こし、微笑んだ。


 それはユキオの今まで見たことも無いような笑みだった。優しさだけではない、なにかを狙うような、悪戯を企んでいる様な、獲物を確実に捉えた動物のような……。


 ルミナの指がワイシャツのボタンを外し終えた。そして、ユキオのシャツのボタンも。


 「奈々瀬さん……」


 「……許してあげようかと思ったけど、やっぱりダメ」


 「え?」


 「ちゃんと、私のモノにするから」


 ルミナがもう一度、ユキオの唇を奪った。













 朝だ、と思ったのは小鳥のさえずりが聞こえたからだ。


 酷く重い瞼を壁にかけた時計を見ると針は六時過ぎを差していた。


 (体が重い……なんでだ……?昨日は、そういえば晩飯も食わないで……!!)


 火花が散るように靄のかかった脳内がクリアになり、記憶が一瞬で蘇る。バッ、と布団を剥ぎ取った。裸だ。一人しかいない部屋で昨日の事は夢かと思ったが、枕に残る甘いシャンプーの香りがそれを否定した。


 (俺は……昨日、奈々瀬さんと……本当に?)


 とても実感が無いが、ユキオの指はルミナの柔らかい肢体の感触を覚えていた。さすがにそれをアリシアのものと比較するような下衆な事はしなかったが。


 (いや、そんな事より!)


 ルミナはどこに行ったのか。荷物は無い。寝ている夜のうちに帰ったのか……。


 そんな事を考えているうちにドアがノックされた。このガサツなノックはよく知っている、カナだ。返事をする前にドアが開けられる。カナがニコニコと満面の笑みで部屋に入ってきた。


 「あ、起きてた。ごはんだよー」


 「……珍しく早起きじゃねーか」


 「そりゃあ、あんなに騒がしくされたら寝れませんよダンナ」


 歳に似合わぬ思わせぶりなニヤケ顔をするカナに全身が膨張するかと思うほど体温が上がる。


 「おまっ……!!」


 「まぁまぁ、別になんとも思っていませんから。ご飯早く食べに降りてきてねー」


 ブン!と投げつけた枕は素早く閉められたドアに阻まれてしまった。






 





 (こんな早い時間になんでメシが出来てるんだ……)


 ルミナの事も気になる。急いで着替えて階段を降りると、珍しくいろいろな料理の匂いがしてきた。だいたい玖州家の朝メシなど、目玉焼きか焼き魚に味噌汁くらいなのだが……。


 「な!?」


 食卓には豪勢な料理が並んでいた。でかい鶏肉の照り焼きにハンバーグ、ポテトサラダ、パンケーキ、コーンスープ、フルーツサラダ……。


 「な、なんじゃこりゃあ……」


 呆然と食卓の前で佇んでいると、父親が何か言いたそうな、奥歯に何か詰まらせたような苦い笑顔で肩を叩いて玄関に向かっていった。


 「な、なんだよ……」


 「ユキ兄ぃももう身を固めるなんて、奥手だと思っていたのにねぇ」


 ニヤニヤ笑いを崩さずにカナがふんふーんと皿を運んできた。サーモンのムニエルだ。あんなおしゃれな料理、母親はついぞ作った記憶は無いが……。


 さらにその母親が取って置きの皿を持ってキッチンから出てきた。皿にはどっさりと黄色いご飯が乗っている。サフランライスというやつか。この家にそんなものがあったのか。


 「いやー、どーなることかとおもったけど、めでたいねぇ。何ボサっとしてるの、さっさと座んなさい。ルミナちゃんもー!」


 「はーい」


 「!??」


 席についたユキオがその明るいルミナの返事に飲んでいたコーヒーを吹いた。キッチンからエプロン姿のその当人が現れる。何かをやりきったような、今まで見たことも無い満面の笑顔だった。


 「おはよ」


 「ああ、はい、おはよう……」


 状況を把握できずに呆けた返事をするユキオの頭に母親のゲンコツが下った。


 「いでぇ!?」


 「これで目ぇ覚めたかい?まったく、アンタみたいなボンクラを貰ってくれるっていう神様みたいな子に寝ぼけた挨拶して!」


 「はぁ!?」


 目を丸くして絶叫するユキオを放置して二人は料理を並べ続ける。


 「いいんですよ、おばさま」


 「おばさまなんて、お母さんって呼んでちょうだい」


 オホホウフフと笑いあう女たちを前にユキオは白い顔で佇んでいた。その隣にルミナが座り、ユキオに微笑みかける。


 「ゴメンね、私、大事なものはしっかり捕まえておく性格なの。少し、ワガママかなとは思ったんだけど」


 「え、あ、うん」


 「改めて、よろしくねユキオ君」


 ユキオの心の中に、酷く甘く、しかし世界の何よりも頑丈で重い鎖がかけられる音がした。


 


  


  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ