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サークリング・ガーデン(中)


 



 「玖州君」


 ここ二週間で何度目になるか、もう数えていられないくらいになったろうか。ルミナは廊下で苦労して(移動教室の合間を待ち伏せした)ユキオを捕まえて声を掛けた。


 「あ、ああ、奈々瀬さん」


 若干の焦りを垣間見せながらも笑顔を見せるユキオ。


 「ちょっと時間、いいかな」


 「ああ、うん……悪りぃ、先に行ってて」


 ユキオが連れのクラスメートに謝る。痩せぎすだが人のよさそうな男子生徒が、じゃあなと席を外してくれた。


 「ごめんね、ちょっとお願いが……この前の出撃で『ゼルヴィス』が調子悪いみたいで……申し訳ないんだけど放課後見て貰えないかな」


 『ゼルヴィスバード』はユキオがルミナに何日も夜中までプログラムを組んでプレゼントした、二人には思い入れのあるマシンだ。最近のデートの誘いは悉く断られているが、さすがにコレは断られないだろうと踏んでいた。小狡い策という自覚はあったがここまで微妙な距離を取られているとその原因を突き止めたくなる。


 (なんとしても、玖州君の今の気持ちを確かめないと……)


 だが、当然二つ返事でオーケーされると思ったルミナの頼みはあっさりと断られた。


 「ごめん、ちょっと今日は……アリシアさんにお願いしてみるから、メンテチームに頼んでみて貰えるかな」


 「へっ」


 自分でも、あまりに間抜けな声が出たと思う。


 その用事とやらを聞こうとする前に、空気を読まないチャイムが構内に響き渡った。


 「ヤバ!じゃあ、また。ごめんね、奈々瀬さん!」


 ぽっちゃりとしたボディの想い人がドタドタと廊下を揺らしながら駆けてゆく。ルミナは教室に戻る事も忘れて呆然とその背中をいつまでも目で追っていた。















 夕方、<センチュリオン>悠南支部・カフェルーム。


 「……」


 受験に落ちたとしてもここまでは落ち込まないだろうというほどショックを受けている義妹を前に、マヤはどんな言葉を掛けようかしばし逡巡した。


 「……楽しみにしてた激レアカップラーメンにお湯を入れた所で急に職場に呼び出された、くらい?」


 「……何の話?」


 真っ黒に澱んだ瞳で下から見上げるルミナの表情に思わず数ミリ後ずさる。


 「ごめんなんでもない……それで、ユキオ君にまた逃げられたと……」


 「なんでなのか、もう全然心当たりが無くて……」


 せっかくユキオが真面目になってくれてもこれではまたチームでの行動に問題が出てしまう。若者特有の甘酸っぱい一ページとは言え、街を守る戦力の一端がこんな事で崩れるのは看過できない。


 「私が、なにかしちゃったのかなぁ……」


 「ルミナは、ユキオ君のこと好きなのよね?」


 「……?」


 いつにない真剣な、それでいて暖かい姉の問いかけに真意が掴めずルミナは涙をこぼしそうな顔を上げた。


 「大事な事よ。自分の気持ちに整理を付けておくことは……聞かせてくれる?」


 しばし沈黙する。


 「私、初めてなの」


 ルミナはやがて、何かを諦めたように、ぽつりぽつりと言葉を次いだ。


 「……こんなに誰かにそばにいて欲しいって思ったことは……他の誰の側にも行ってほしくないって……おかしいよね、私にはお義父さんや母さん、姉さんもいるのに……いままでそんな人、他に必要なかったのに……どうしちゃったのかな、でも……」


 「それが、大人になる一歩目なのよ」


 両腕で優しくルミナの細い体を抱きしめる。遠い昔に自分も味わった、あの切なく初々しい感情を記憶の引き出しから覗きながら。


 「ルミナ、泣かないで。お姉ちゃんも協力するから」


 「え?」


 胸の中ですでに泣いていた妹が赤い顔を持ち上げる。


 「大丈夫、悪いようにはしないわ。ユキオ君がちゃんとあなたとゆっくり話せるよう、なんとかしてみせるから」


 普段なら絶対に断わっていただろう申し出だが、他に何も手も無く心細くなっていたルミナはゆっくり頷いてしまっていた。


 「おっけ、じゃあ近いうちにね。元気出しなさいよ」


 ハンカチで涙を拭く可愛い妹の頭をポンポンと撫でてマヤは立ち上がった。












 カンカンと廊下に木霊する自らのヒールの声音が怒りを孕んでいると、どこか冷静な自分の頭が感じている。


 そういう時は大体が、思っているより怒りを溜め込んでいる時だ。うっかり爆発させないように気をつけなければいけない。


 (心当たりがないわけでもないし……あまり、というか出来れば絶対当たって欲しくない予想だけど)


 が、自分の悪い予想は良く当たるというジンクスをオフィスルームの前でマヤは痛感した。


 「お待たせしましたー、持ってきましたよ」


 満面の笑みを浮かべて大量の書類の入った段ボールをもったユキオがちょうどオフィスルームに入って行くところだった。こちらには気づいていないようだが今まで見たことも無いような浮かれた笑顔に、一瞬殺意を覚える。


 「ありがとう、置いておいてくれる?」


 返事をしたのは、これまた(悪い)予想通りの聞き慣れた声だった。


 「他に、何かありますか?」


 「今日はいいわ、ありがとう。そろそろテストの時期なんでしょう?ちゃんと勉強しないと大変よ。私は学校のお勉強まで面倒見る時間は無いですからね」


 「わかりました……帰って勉強します」


 「ン、そうしなさい。ありがとうね」


 じゃあ、お疲れ様です、とユキオが先程の笑顔で出てくる。曲がり角に隠れたマヤには気づかなかったようだ。


 (いよいよ、確かめなきゃいけないようね)


 なんとなく、という勘でしかなかったが今ので予想はほぼ確信に変わった。


 女だけが持つ感覚が脳を介さずに伝えるのだ。胸の、触られたら息がつまりそうなその部分に。


 「入るわよ」


 「いらっしゃい」


 オフィスルームは管理職のスタッフに与えられている個室だ。当然マヤも持っている。そしてこの、長い付き合いのアリシアも。


 アリシアは長く美しい金髪をマヤに向けたまま、忙しそうに荷造りを続けている。


 「最近、ユキオ君と仲いいわね」


 いきなり核心に迫る。妹を思うマヤにもまた、余裕はなかった。


 「そう?」


 「若い子があんなデレデレしてるのを見たら、勘繰りたくもなるでしょ」


 「……」


 返事は無い。


 「ヤったの?」


 アリシアの動きが止まり、ス……と立ち上がる。


 「誰かさんがいつまでもケアしてあげないからね」


 「でも……!」


 非難しようとした矢先、ブロンドが旋風の様に翻りながらアリシアはマヤを振り返った。


 その目は明らかにマヤを責めている。


 「私は時間をあげたつもりよ、あなたにも、ルミナちゃんにも」


 「な……」


 言葉が詰まる。彼女の気迫にマヤは知らず、一歩後ずさった。


 「可哀想じゃない、毎日睡眠時間も削ってあんなに必死に仇を討とうとするほどユキオ君は傷ついているのにあなた達姉妹は何もできないで……ルミナちゃん一人にそれを求めるのは無理かもしれないけれど、あなたにはそれを手伝ってあげることが出来たんじゃなくて?」


 「……っ」


 「それを、あんな風に叱るだけで……彼が追いつめられるのも仕方ないわよ。あなたは妹可愛さに判断を誤った。だから私が代わりに慰めて元気にしてあげた……感謝されるならともかく、非難される筋合いはないわね」


 「だからって……」


 マヤが反論しかけた時、廊下で何かが落ちる音がした。


 (!)


 マヤとアリシアがすぐに廊下を覗くが、誰の気配もない。しかし、マヤはすぐ足元に見覚えのあるメモリーキーがあるのに気が付いた。


 白いメモリーキーには、ユキオがプレゼントしたネコのストラップがぶら下がっていた。

 


 


  




 


 空を覆う暗雲から唐突に夕立が降り始めたが、今のルミナには些細な事であった。


 煮えたぎる、心の中の今まで覗いた事もなかったような深く暗い奥底からふつふつと真っ赤な感情が火柱となって噴火している。その感情がルミナの心臓をフル回転させて、全身の血を煮沸させていた。


 足が次々と前に駆け出して行く。自分の足でないかのように。おろし立てのローファーが汚れていくが、知った事ではなかった。


 そんな事は、今のルミナにとっては砂場の砂粒ほどの問題にもならない。


 降り注ぐ大粒の雨の中を傘も差さずに突っ切るルミナの事を、街を行く人々がみな注目していたがそれも彼女には何の興味も無い事だった。


 しばしして辿り着いたのは、一軒の民家。


 もう訪ね慣れた玖州邸である。


 (……)


 大雨を降らせ続ける曇天の空、それからユキオがいるであろう二階の部屋を睨み一気に玄関まで大股で歩いてゆく。勢いそのままにチャイムを鳴らすが、一瞬こんなずぶ濡れで来訪してユキオの母親が出てきたらどうしようという焦りが浮かんだ。


 「はーい」


 返事と共にとたとたと軽い足音が響く。幸運にもドアを開けてくれたのはカナだった。玄関先で、まるで制服のまま水浴びをしたようになっている格好と、酷く思いつめている表情のルミナを見て一瞬言葉を詰まらせる。


 「る、ルミナちゃん!?どうしたのそんなずぶ濡れで……待ってて、すぐタオル持って……」


 「玖州君……」


 「え?」


 重い口調のルミナの声に、駆け出そうとしていたカナが立ち止まって振り返る。


 「玖州君、いる?お話があるの」


 「う、うん……二階の、自分の部屋にいると思う、けど……」


 「お邪魔します」


 ローファーを脱いで玄関に上がる。少しは屋根の下にいたとは言え、服に沁みこんだ水はまだ滴っていた。が、ルミナはそれを気にする様子も無く思いつめた瞳のまま階段に向かった。


 「……」


 カナは、あっけに取られてそれを見送るしか出来なかった。同じ女として止めてはいけないと、本能が察していたから。





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