節黒仙翁(中)
ユキオと顔を見合わせなくなって更に二日。ルミナは今日もユキオの分の弁当を作っているが、これも食べてもらえず義姉の夕食になるのかもしれない。
「はぁ……」
何をしてやれるのだろうか。たった二人になってしまったチームで、傷ついたユキオを支えてやれるのは自分だけなのに、何をしてあげればいいのかわからないでいる自分がとても憎たらしい。
(いや……)
自分は避けているのだろうか、ユキオが抱えているもの、カズマの現実と将来を直視する事を。
クマザサとアロエを使ったゼリーを自己流で試作していて、やっとそれなりのモノになった。最近は勝手に出撃しまくってユキオもだいぶ疲弊しているらしいので、血行や体力回復にぜひ食べて欲しいのだがここのところそれは全部マヤの胃袋におさまっている。義姉はだいぶ苦そうに食べているがそれだってだいぶ食べやすいように甘くしたのだ。ここの所ハードワークが続いている彼女の体にもきっといいに違いない。
(私はこのくらいの事しかできないのに……)
他に何が出来るのだろう。カズマがあんな事になって仇を討ちたいユキオの気持ちはよくわかる。一緒に探して撃破してやりたくもあるが、あの蒼い『スタッグ』はロシアで複数機、北米で一機、そして悠南市で一機出現して以来発見報告がなかった。ユキオと交戦してからもう二週間になろうかとしているがその後一切記録に残っていない。あまりにも高いその戦闘能力に、各国が厳重にレーダー網を張っているにも関わらずだ。
(もう、現れなければそれでいいのだけれど)
ユキオの気持ちはそれでは収まるまい。だからこそ『5Fr』で勝手な出撃を続けていたのだ。
だがそれも取り上げられて、今は戦う手段すら無いはずなのに。
(電話も出てくれないし……)
何度も慰めや励ましのメールを送って、その度に「ありがとう」や「大丈夫」という淡白な返事だけが返ってくる度に自分の無力さが身に突き刺さる。いい加減家に押しかけてやろうかとさえ考えているが、顔を合わせて何を話せばいいのか。どんな言葉を掛ければいいのか。
「私は、なんて子供なんだろう……」
思考が堂々巡りする。まだ薄暗い家の中で、ルミナは起きてから何度目かの辛い溜息を吐いた。
リビングで点けていたテレビのニュースから聞きなれた単語が聞こえてきた。
「……が負傷、WATSの操縦に困難をきたしたため、今後はトレーサーを止め別方面から<センチュリオン>の活動を支援するとのコメントがありました」
(……!)
手を拭きながらテレビの前へ向かう。画面にはよく見知った顔、神谷カズマの顔が映っていた。
「神谷カズマ君は卓越した操縦技術を持つだけでなく、<センチュリオン>の広報としても活動したくさんのファンがいることから今回の事態には反響が大きく関係者からも大変残念がられていると……」
(ついに、公開されたんだ)
カズマがWATSに乗れなくなったことは、<センチュリオン>広報チームとしての役割を持つパンサーチームには致命的な事だった。その為マスコミへの情報公開は熟慮の上、と告知されていたが二週間も黙っているわけにも行かなくなったらしい。
<センチュリオン>の活動広報は既にカズマとマサハルによってだいぶ一般市民に周知されたとは言え、半ばアイドルのような活動をしていた二人だ。それが急に引退、しかも車椅子生活を余儀なくされたとあればファンも黙ってはいないだろう。
「……」
ルミナとてカズマの負傷の責任を負っている事に罪悪感を覚えている。その事がユキオの作っている壁を踏み越え辛くさせているのだろう。それを自覚して、情けなさも感じているがいまのルミナにもどうしようもないのだった。
ピーーーーーーーーー。
薬缶が湯を沸騰させて笛を吹いた。ルミナはうな垂れたままキッチンへのろのろと戻ってゆく。
深夜1時。
『エストック』での撃破数もそろそろ100に届こうかとしている。ユキオはあれ以来学校にも行かず登校する振りをして悠南市のあちこちのポッドから出撃を繰り返していた。親から詰問されないのは担任がユキオが出撃停止を喰らっている事を知らないためだろうか。
ともかく、こんな生活は長くは続かないだろうとユキオ自身も思い始めていた。そのうちルミナかマヤから親に話がいくだろう。その前になんとしてもあの蒼い『スタッグ』を探し出したいのだが、悠南市はおろか世界中どの戦闘区域にもその姿は現れなかった。
何より、ユキオの脳に限界が来ている。WATSは操縦だけでもトレーサーの反射神経を酷使し、戦闘ともなれば集中力、精神力が磨り減る。日に何度も出撃するような無茶を繰り返せば若いユキオも早々に衰弱するのは無理も無い。
(もう、出てこないってのか……)
何かしらの問題がマイズアーミー内で発生したのだろうか。しかし、それではユキオとて困るのだ。
(それじゃ……俺には永遠に仇が取れないっていうのか)
身を張ってユキオを庇い、下半身不随というとんでもないペナルティを負ったカズマにどんな顔をしてまた会えばいいのか。
歯軋りをしながらユキオは大型カノンを乱射した。『リザード』が十数発の砲弾を浴びてボコボコになった挙句爆発を起こす。
「次!!」
疲れきった脳に鞭打ちながら敵を探す。群がってくる『ビートル』の群れに針の様に細く輝くビームを乱射させてその薄いウィングを穴だらけにした。動きの遅くなった『ビートル』から順番に盾で殴りかかり、踏みつけ、マシンガンでトドメを刺す。
戦闘時間7分39秒。
夜勤のシャークチームの出撃前に戦闘は終わった。それだけユキオの技量が上がっているという事だが、気力体力共に尽きようとしているユキオは、戦闘終了後もしばらく立ち上がることができない。
何度も続けてウォールドウォーにアクセスしたせいだろうか、脳の奥がチリチリと痛む。
(どうしたらいいんだ)
このまま、二度と出てこない仇を追い求めて毎日出撃を繰り返すのか、また出現するまで少し休むのか……しかしその間にアイツがまた現れたら。
(そんな事になったら、悔いても悔い切れない……しかし、俺の体力も、それに弾丸の補充費だって)
貯金を切り崩して『エストック』を買ったユキオには、もうあまり金が無い。安くは無い砲弾やミサイルの費用は、無収入のユキオには無視できない問題だった。今は傭兵まがいの事をしているが撃破報酬を貰うためには<センチュリオン>への登録が必要だ。悠南支部に隠れて仇を追うユキオにはそれが出来ない。
万事窮すか。
疲労で上手く働かない脳味噌が起き上がろうと肉体に命令を出す。WATSならそれだけですぐ機体を起こすのに、この脂肪を溜め込んだ肉体は機敏に反応するどころかストライキさえ起こしそうなほど疲れていた。
弱々しい仔馬のようにシートから立ち上がり、ポッドから出ようとした所で床のケーブルに足を引っ掛けた。
なす術も無く冷たい床に顔面からぶつかる、と思い眼をつむったユキオの頭は予想外なほどやわらかくイイ匂いの何かに包まれた。
(!?)
慌てて顔面を離そうとそのやわらかい何かを掴む。
「いやん、意外に大胆ねユキオ君」
上から聞こえた甘い声に視線を上げると、そこにはメンテチームのアリシアがいた。
「あ、アリシアさん!?」
「こんな所で、ナニしてるのかな?」
ニッコリと笑う年上の美女と、それから自分が掴んでいる彼女の豊満なバストに何度か視線を往復させて。
「うぁああああぁぁああっ!スイマセンスイマセン!」
先程までの緩慢な動きとは比べ物にならないスピードで後ずさる。ガン!とポッドに後頭部を打ち付けてうずくまるところにアリシアが近付いた。
「やめなさい、って言ったのに悪い子ね。ホラ、もうこんなにガタガタじゃない……休養もとらずにこんなにWATSに乗ってたら冗談抜きで病院送りになるわよ」
「で、でも……」
ほら、と白く綺麗な手が差し伸べられる。それを頼りに起き上がったユキオは嘆願するようにアリシアに口を開いた。
「俺は、どうしてもカズマの仇を討ちたいんです!アイツのこれからの事を考えると、夜も眠れなくて……だから!」
「ユキオ君があの『スタッグ』を倒しても、カズマ君の脚が動くようになるわけではないでしょう?」
優しいその言葉は、しかし鋼鉄のハンマーのようにユキオの脳を打った。
「それはっ!そうですけど……そうですけど、でも……」
暗い百貨店の地下駐車場の裏、非常口を示す緑色の明かりの下でユキオの涙が溢れ出る。何を、どうすればいいのか。ガムシャラに戦ってきたこの数日間を否定され、ユキオは何もわからなくなった。
ぐるぐると視界が回転する。極度の疲れで思考が迷走し脳内がぐちゃぐちゃにかき乱されたようだ。かつてない眩暈に襲われたユキオは、抵抗も空しく再びアリシアの胸に優しく抱きとめられ、そのまま顔をうずめた所で気を失った。
目が覚めると、薄暗い部屋のベッドの上だった。
(……?)
長く眠っていたのか?と思ったが疲労の回復の浅さからそうでは無いと思えた。ギシギシと鳴りそうな肩を無理に動かして上半身を起こして見回すが、見覚えが無い。
(ホテル……?)
ホテルにそれほど泊まったことはないが、ユキオの目にはそう見えた。狭い部屋にダブルのベッドが置かれ、後は小さめの窓、なぜか派手な花柄の壁紙、薄暗いがシャンデリア風の凝った照明。少し離れた所からシャワーの音が聞こえてきて、近くにシャワールームがあるのがわかる。
「何でこんなとこに……誰が……」
そもそも、どこからここに来たのだろうと記憶を探るが、それを思い出す前にシャワールームからバスローブに身を包んだ美女が現れた。
「あら、お目覚め?」
「!!」
その無防備な姿にユキオの思考回路が煙を吹いて緊急停止する。
「あ、あ、あ、アリシアさん!」
微笑みながらアリシアが近付いてきた。湯上りのせいか白い肌が桜色に上気しているのが暗い明かりの下でもわかる。事態がわからないユキオの横に座り、アリシアは頭を撫でた。
「疲れてたんでしょ、いきなり倒れちゃうから……一瞬救急車呼ぼうか悩んじゃったわよ」
「スイマセン!……アリシアさんが、俺を、ここまで?」
「そうよー、こんなトコ、もうずっと来てないからちょっと緊張しちゃったわ」
こんなトコという言葉に思い当たりは無かったが、とにかく面倒をかけたようだった。ユキオは顔を伏せて力無く再び謝罪する。
「ごめんなさい、俺、こんなに疲れてると思わなくて……帰ります、ありがとうございました」
そう言って立ち上がろうとするユキオの手を取り、アリシアは感情の感じられない声音で呟いた。
「そう言いながら、また出撃するつもり?」
「!」
体が硬直する。
見透かされているのは、また出撃しようとしている事だけではないのだろう。あの『スタッグ』を捕まえられる可能性がほぼ無い事、また無理な出撃を繰り返して疲労で倒れる事もアリシアにはわかっているに違いない。
「俺は……そうしないと、とても生きていられません。カズマにも会わせる顔が……」
「そんな事は無いのよ」
腕を取られ、ベッドにまた腰を落とすユキオにアリシアが寄り添った。
「カズマ君が重症を負ったのは、ユキオ君だけのせいじゃない。ワタシも、マヤも飛羽さんも……悠南支部のみんなが非力だったせい。誰もユキオ君を責めてはいないわ、カズマ君だって……そうでしょ?」
「でも、俺が……俺がもっと上手くやれていれば……」
涙がこぼれる。仇を討つまで、全てを投げ打って戦うと誓った想いだけがユキオの支えだった。それを失えば、とても陽の当たる道を歩ける資格も無いと思っていたからだ。世界の全てが自分を非難すると思えたから。
「人生にはね、どうしようもない、どう頑張っても思うようにならない時が何度かあるの。あの戦いは、無茶な計画の中みんなが出来る限りの事をしたわ。結果、こうして悠南市は無事に守られている……その事は、胸を張ってもいいくらいなのよ」
「アリシアさん……」
涙でベトベトになったみっともない顔でアリシアを見上げる。
「そうね、それでもカズマ君の事は辛いでしょうけど……それを、抱えてあなたは生きなければいけないのよ、ずっと、ずっと……強くなりなさい。今は、いっぱい甘えていいから……」
バスローブがベッドに落ちる。ユキオの乾いてカサカサになった唇に、リップの塗られた大人の唇が重ねられて、それから……。