ドライフラワー(後)
六 ドライフラワー(後)
「お、頑張ってるわねぇ」
朝八時、朝からよく晴れた空から窓に眩しい陽光が差し込む。その中で、ギンガムチェックに小さなフリルで飾りを付けたエプロンを着けてキッチンで料理をしている
ルミナの元へ、匂いに惹かれたのか義姉のマヤがフラフラとやってきた。昨日も徹夜で事務仕事をしていたのを知っているので、ルミナはおつかれさま、と言いながらその口に炙ったソーセージをくわえさせた。
「んぐ…うまい!ルミナはいいお嫁さんになれるわよ!」
「ありがと。でもこれお弁当にするんだからもうあげられないよ」
えー、と露骨に不満そうな顔をするマヤをほっておいて、ルミナはゆで卵を刻み始める。他にもキッチンスペースにはトマトやレタス、ベーコンにエビと結構な量の食材が一杯に並べられていた。
「随分力入れてるんじゃない?」
「そう…かな。こういうの初めてで…よくわかんない」
素でそういう妹を見てマヤがニヤニヤと笑う。
「ま、デートに誘ったんだからこのくらい頑張らなきゃね」
「そんなんじゃないってば」
ルミナが眉を難しい形にして否定する。そんな妹が可愛く思えてマヤがクシャクシャと頭を撫でた。両手の塞がったルミナがそれを払いのけられずに、やめてよ姉さんと身体をよじらせて抵抗する。徹夜明けのマヤにはそのやり取りがとても心地良かった、のだが。
(……!?)
キッチンの端に、他の物と比べかなり違和感のある食材、というか物体があるのを発見し、マヤはルミナの頭を撫でる手を止めた。
「ルミちゃん…まさか、『アレ』も使うの…?」
「ん?ああ、うん。この前お父…知り合いの人から安く譲ってもらったの」
実父の事をつい口に出してしまって少しバツの悪そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうな表情をするルミナにマヤは、うえぇと苦虫を噛み潰したような顔を向けた。
「見てくれは良くないけど…健康にいいんだよ?」
「いや、アナタのその趣味…というか食に対する向上心は否定しないけど…それユキオ君にも食べさせるの?」
「うーん、さすがに玖州君もいきなり『コレ』は難しいかなぁ…もうちょっと小さいのからじゃないと」
(大小の問題じゃない気がするんだけど……)
嬉しそうに料理を続けるルミナの横顔を見ながらマヤは下腹が疼くような嫌な予感を覚えていた。
待ち合わせは学校から少し離れた公園だった。出来るだけ綺麗な格好をしてきたつもりだが、今までデートなどしたこと無いユキオの私服ラインナップは酷い物だった。止むを得ずカナに、同級生の女子と出かける事を明かし怒涛の質問攻めをかわしながら新しい服をチョイスしてもらうことにした。代償として有名な超ビッグフルーツパフェを奢るハメになったのだが致し方ない。
もう十一月も終わろうとしている。鮮やかに赤く染まった木々の葉も生気を失い、カラカラに乾いて落ち始めていた。あの温泉で見た紅葉も今頃散っているだろうかと思い、続けてあの夜見た美しい真っ白な肌を思い出す。自然と表情がだらしなくなってしまうのに気付いてユキオはその<大事>な思い出を胸の中に仕舞い込んだ。
「お待たせ、ごめんね」
背後からの声に振り返ると、私服のルミナがそこにいた。クラシックな感じのするブラウンのダッフルコートを着て白いベレーのような帽子をかぶっている。
「い、いやそれほどでも」
(かわいい)
と素直な感想を思っている時点で、すでにルミナに惚れているのであるが非モテ恋愛否定派の彼がそれを自覚するのには残念ながらまだ時間が必要であった。
「よかった、寒いから早く行こうか」
いつもと同じ口調だが、なんだか距離が近い感じがする。その距離感に戸惑いつつ、うんと答えて二人並んで植物園に向かう。近くのモノレールステーションから八駅先、小さな車両でなんとかルミナとのベストな距離感を掴んでようやく普段どおりの会話が出来るようになった。
「これは…なかなか凄いね」
新しい植物園は、ちょっとした優雅な宮殿のような門を備えた洋風の作りだった。ぱっと見ても独立した巨大な温室が三つ四つありそうだ。正門の先には立派な噴水もあり、学術的な設備と言うよりは正に近世ヨーロッパに建てられた建物に近い雰囲気だ。デートには最適なスポットと言えそうだった。
「順番に回っていこうか、派手なのが最後の方がいいよね」
目のいいルミナが手早く館内図の案内を見つけてルートを思案した。国内の植物と海外の物に大きく分けられており、効率よく回れるように二人でアタリをつけて進み出す。
「売店でお花も売ってるみたいだね」
「そうなんだ、明日お見舞いに行かなきゃだから、ここで買っていこうかしら」
「お見舞い?」
少し寂しそうなトーンで話すのが気になって、ユキオはルミナの方を見た。
「うん、お母さんが手術で…あ、私のお母さんなんだけど」
私の、というのはやはりマヤとは違う母なのだろうか。あまり家庭の話に突っ込むのもよくないと思いそのあたりはスルーする事にした。
「そっか、無事に終わるといいね」
「ありがとう」
二人は順番にいろいろな花や木を見て回った。外から見たとおり園内の規模は大きく、見たこと無い花や、聞いたことも無い木が大量に並んでいる。
やがて半分ほど見たところで丁度お昼時になり、休憩に都合のいいベンチがあったので二人はそこで一息ついて食事をすることにした。
「じゃあ、あっちの売店でなんか買ってくるよ」
と言って走っていこうとするユキオを、ちょっと待ってとルミナは引き止めた。
「今日はお弁当を…簡単な物なんだけど作ってきたの。良かったら食べてくれる?」
「本当!?おおっ!サンドイッチ好きなんだ、ありがとう奈々瀬さん!」
ルミナがバックから出したバスケットを開くと食パンとフランスパンを使ったサンドイッチが現れた。挟まれた具も様々でタマゴサラダやポテトサラダから、トマトにベーコン、ローストビーフ、生クリームにフルーツを挟んだ物もあった。わざわざここまで用意してくれたルミナに感謝しつつ、いただきますとユキオはそれを頂いた。
「おいしい!」
パンもバターも普段食べたことの無い高級品の味がした。それに挟んである物に合わせてパンの厚みやバターの量も変えてあるようだ。細かい仕事にユキオは感服した
。
「よかった、結構頑張ったから」
ニッコリと屈託の無い笑顔を見せるルミナに、ユキオはすっかり夢中になってしまいそうだった。逆に何かウラがあるのでは?と思わせる程の展開である。正に有頂天、遂に自分の極寒の人生にも来ないと諦めかけていた春が来たのかもしれない。心の中の雪が急速に溶け、次々と草木が芽吹くような暖かさがユキオの中に満ち満ちた。
魔法瓶の水筒から淹れてもらった紅茶も、いつも家で飲んでいる安いティーパックのものとは明らかに味わいが違う。お嬢様だなぁ、という感想を抱いたが細やかな心使いが嫌味にならず、むしろ更に好感を覚える。
「料理、上手なんだね」
「得意って程でもないけど、お母さんに教わったから」
(ん?)
そんな会話の中、ユキオはルミナの食べているサンドイッチに何か黒い物が挟まっているのが見えた。オリーブか?とも思えたがそれにしては細長い。なんか子供の頃見たような…そう、確かトカゲの手だかオタマジャクシの足だか…。
(いやいや、そんなバカな!)
「…お母さん、結構大変な手術なの?」
つい、そのナゾの物体から視線をそらして話題をつなぐ為にそんな質問をしてしまい、ユキオは内心しまった、と自分をなじった。
「うん、内臓に悪いところがあって、そこを切り取らなくちゃいけないって…でもベテランのお医者さんが担当してくれるから、心配ないみたい」
「そっか、よかった…いや、おいしいよこのビーフとタマゴのサンド!」
なんとか場が湿らずに済んだようだ。うかつな発言に気をつけようと自分を嗜め、先程見たナゾの食材の事を頭から追い出しつつ丁寧にお手製のランチのお礼を言う。
恥ずかしそうに照れた笑顔を見せるルミナが眩しく、ユキオもそれを見ているだけでどうしたらいいかわからなくなるほどふわふわした気分になってしまうのだった。
ユキオ達は少し休んでから、再び園内を回り始めた。ユキオは鮮やかだったり、珍しい花弁を持つ花に興味があったが、ルミナは麦や果実樹などを熱心に見て回っていた。
進むに連れてルミナはすっかり夢中になり、小さな手帳にメモをつけたり、ケータイでわからないことを調べるほどの熱中ぶりだった。
「随分、熱心だね」
「あ、ごめんなさい、なんか夢中になっちゃって」
「いや、いいよ…さっきから果物や穀物をよく見てるみたいだけど…家で育てたりするの?」
ユキオの素朴な疑問にふるふるとルミナは首を振った。
「私、将来植物の研究をしようかなと思っていて」
「研究?」
ルミナは恥ずかしそうに頬を染めながら、しかし真面目な目つきでユキオを見た。ユキオも無意識に背筋を伸ばし、ルミナに向き合う。
「うん、あまり…人に言ったことはないんだけど、これから先食料危機があるかも、って話をよく聞くでしょ?」
「うん」
真剣な話し方に、ユキオも頷く。
「現に日本以外ではそれが現実になってしまっている所もある…私は砂漠や、今まで作物が育たないような土地でも育てられる植物が出来ないかなって思っていて…」
「奈々瀬さん、すごいね」
「ううん」
ユキオの心からの賞賛の声にルミナは首を振った。
「言っているだけじゃダメなの。実際にその成果を出すまでは私は何もしてないのと一緒…ごめんね、いきなりこんな話をして。誰にも、言わないでね…?」
秘密を打ち明けた興奮で恥ずかしそうにしているルミナに、ユキオはわかった、と答えた。いつの間にか二人は果樹園エリアを抜け、青いバラの花壇の前に来ていた。
その、人の手で生み出された鮮やかな青を見ながら、ユキオが嘆息する。
「すごいなぁ…そんな世界を相手にするような事を考えているんだ…」
世界が抱える問題、そんな話を先日も飛羽と交わした事を思い出す。ドクターマイズも世界を憂いてウォールドウォーを始めた。同じようにルミナも世界の問題を解消しようと邁進している。それに比べて自分は…。
「玖州君は、将来の進路、決めてるの?」
興奮がまだ抜け切らないのか、頬を染めたままルミナがそうユキオに訊く。しかしユキオはそんな壮大な目標を持っているルミナをまともに見られず、バラの花弁をつんとつっつきながら小さい声で答えた。
「…俺は…奈々瀬さんみたいにまだ将来が決められなくて…大して頭も良くないし、特技だって無い。植物を育てるのは好きだけど、花屋とかも…出来る自信が無くて」
「……」
ボソボソと言うユキオを、ルミナは無言で見つめた。視線を合わせていないユキオには彼女の表情には気付いていなかった。
「学校でも、仲の良い奴だっていないし…そんなんで社会に出て、正直自分が何か人の役に立てるのかなんてとても…」
「なんで、そんな事を言うの」
ユキオは氷よりも冷たい手でいきなり心臓を鷲掴みされたようにびっくりした。ルミナを見ると、前に温泉で見たのとは比べようも無い、強い失望と、僅かに隠しきれない怒り、侮蔑の入り混じった視線が向けられている。
「…玖州君は、そんな卑屈な人じゃないと思ってた。みんなの為にあんな怖い戦いを続けて…静かだけどいろいろ考えてて、メンテナンスだって…」
「奈々瀬さん…」
違うよ、俺がウォールドウォーで戦っているのは成り行きなんだ。メンテナンスだって、後で自分が苦労するのが嫌なだけで…と言おうとしたが、ルミナの視線がそれを阻む。
「そんな、何も出来ないなんて、そんな人はいないよ。でも勝手に諦めて何もしない人なんて…」
「いや、俺は…」
「……」
俯いて小さく、言い過ぎたみたい、ごめんなさい、と呟くようにルミナは言った。ユキオはその彼女の落胆の理由がはっきりとわからず、掛けるべき言葉を見つけられずにいた。
「ごめんね、今日は、これで帰るね」
「な、奈々瀬さん」
顔を伏せたまま頭を下げたルミナは背を向け、そして一度も振り返らずに正門へ走って行ってしまった。ユキオにはただそれを見送ることしか出来なかった。さっきまでまるで春の陽気に包まれていたような気分だったのに、周りに吹く木枯らしのように冷たく乾いた風がユキオの心の中に吹いていた。