姫石楠花の鎖(後)
<メネラオス>の一件から二週間が過ぎた。
未だ学校に復帰できないカズマを案じたファンの心配も日増しに募り、ユキオ達への追求も多くなってきていた。
「ちょっと玖州!」
苛立たしげな女生徒の声が、廊下を歩いていたユキオを呼び止める。振り向けば顔も知らない大柄な同級生を中心に女子が何人か集まってこちらを見ていた。
「何……」
「カズマ君、まだよくならないの?アンタなんか知ってるんでしょ?」
陰鬱に応えるユキオにツバを吐きかけん勢いで女子が問いかけた。普段街の防衛に尽力しているユキオへの敬意も感謝も無い口調だったが、今のユキオにはそれよりカズマの事を問われる方が辛い。
「ああ、だいぶ……重症だから……」
「聞いたんだけど、カズマ君、アンタを庇って怪我したんだって?」
(バレたか……)
あの戦闘は一般には公開されていない。しかしいずれはどこかからか情報は漏れるとは思っていた。特に驚くべき事ではないが、できれば永遠に隠しておきたかった事実ではある。
それこそ、無関係な一般市民には。
「……ああ」
ボソっと答えたユキオに女子達が一斉に憤った。
「ホントなの!」
「アンタ何してんのよ!」
「ナニカズマ君にケガさせてんのよ!アンタが守る役目なんでしょ!」
濁流の如く猛然と浴びせられる非難の声。そんな言葉はすでに自分が自分に何度も言ってきた事だ。今更他人に言われるまでも無い。しかし、必死に戦い抜いたというプライドだけは捨てたくはなかった。
それまで失ってしまえば戦士では無くなる。今はまだ、その誇りだけは失えない。
距離を置いて見守る生徒の中、次々と止め処なくユキオに突き刺さる言葉は罵声に変わっていた。
その非難の渦が、突如鳴り響いたガラスが砕ける音に遮られる。
「……」
真横に伸びたユキオの腕が、廊下の窓ガラスを突き破っていた。
静寂が廊下に満ちる。その場にいた全員が息を飲み、酷く長く感じられた無音の後外の地面に落ちたガラスの破片の音が小さく、しかし誰の耳にも鮮明に届いた。
言いたいことは山ほどあった。
自分達が毎日毎夜、戦いに時間を潰している事。遊びではなく真剣に任務に向きあっている事。その責任に押しつぶされそうでストレスを抱えている事。
が、言っても伝わらないのだろう。カズマをアイドルとして愛しているこの女達には。
だから、ユキオは何も言えなかった。
「玖州君!」
騒ぎを聞きつけてきたのか人混みを割ってルミナが駆け寄ってきた。血まみれの右腕を見て顔を真っ白にしている。
「大丈夫?」
「あ、ああ……」
「とにかく、保健室に」
半ば脱力しているユキオを無理やりに引っ張ってルミナは一階の保健室を目指した。残された生徒達はガラスの破片も片つけられずにそれを見送った。
点々と、赤い血痕が二人の後に残されていった。
「駄目だよ、私たち、身体は大事にしなきゃ……」
保健室でルミナが優しくユキオの右腕に包帯を巻く。ユキオは小さくゴメン、と謝ったままうなだれている。
「みんなには、私から事情を話すから……」
「いいよ、そんな事をしたら奈々瀬さんまでアイツらに嫌われる。カズマが学校に来るまで、大人しくしているしかないよ」
「でも……玖州君は何も悪くないのに……みんなの生活を一生懸命守っているのに……」
悔しそうに言うルミナの手に、左手を重ねる。
「いいんだ、俺は……奈々瀬さんがわかってくれているから……」
「玖州君……」
二人のケータイが同時に震えた。メッセージはマヤからの召集だった。
放課後、ユキオ達は悠南支部のミーティングルームに向かった。ドアを開けると車椅子のカズマとそれを押すマサハルの姿があった。
「カズマ!もういいのか!?」
思わぬ姿に駆け寄る二人にカズマが笑ってみせる。
「いや、ぶっちゃけ腰から下は全然なんだけどよ、もう寝ているのも辛くて。明日からなんとか学校に行けるようにしてもらってさ」
「そう……なのか」
「大丈夫だって、マサハルも面倒見てくれるっていうから」
マサハルも任しとけと二人に親指を立てる。
「私達にも、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「ああ、頼りにしてるぜ」
そこにマヤがドアを開けて入ってきた。普段の脳天気な笑顔は無く、だいぶ疲労しているようだったが作り笑いだけは崩さない。
「揃っているわね」
四人の前に立つマヤを見て、ユキオ達も席に着いた。
「言いにくいけれど、黙っているわけにもいかないから早々に報告するわ。ユキオ君、ルミナ」
「はい」
一拍。目を伏せて深い溜息をついてから二人を見つめる。
「カズマ君の現場復帰はほぼ不可能と担当医の診断が出ました。マサハル君も彼の生活のサポートをしたいという希望があり、本日付で二人はパンサーチームから一時的に……離脱します」
「!?」
驚きで言葉を失ったユキオとルミナがカズマ達を見る。
「……すまねぇな」
カズマが、心から申し訳無さそうな顔をしている。初めて見る顔に、ユキオも何も言えなくなる。
「出来るなら、また一緒に戦いたかったんだけどよ……」
「……いや、仕方、ないよな……」
暗い空気の中、お互いに顔を見ることも出来ず全員がうなだれていた。結束があったからこそ、それを素直に受け入れる事が出来ない。
「……パンサーチームはひとまず二名体勢になるわけだけど……この戦力では独立した出撃は難しいわ。今までどおり出撃要請は送るけど、今後はイーグルチーム、もしくはシャークチームとの連動を主にすることになります。戦力補充は考慮するけど都合よくトレーサーが見つかるとも思えないしね」
「わかり……ました」
その後、細々とした通達があったような気がするが、四人とも何も覚えていなかった。
ミーティングが終わり、部屋を順番に出る。カズマ達を見送ったユキオは廊下に出ようとしたところでマヤに呼び止められた。
「ユキオ君」
「はい?」
「……最近、要請してない戦闘にも割り込んで参加しているそうね」
(!)
ユキオのしまった、という顔が返事となった。
「キミの気持ちはわかるけど……司令所の指揮範囲外で戦闘するのは危ないわ。キミ達には月の制限戦闘時間もあるし……出撃を重ねてキミまで負傷してもらっては、今は困るの。自重してくれるわね」
「わかりました……」
マヤの叱責と慰めの入り混じった口調を受けて肩を落としながら暗い廊下を歩いてゆくのを、ルミナとマヤが見送る。
「どういう事なの?姉さん」
「そのままよ。パンサーチームへ出撃要請をかけてない襲撃に単独で参加しているの。どんな手を使ってるのか知らないけど支部のレーダー情報を直に見ているようね」
「あ……」
先日の事を思い出す。シータの情報でユキオはマイズアーミーの接近を知って出撃したのか。
(そんな……一人で出撃して神谷君みたいになったら……!)
不吉な想像に肩を抱いて身をすくめる。そんな妹の肩に手を置きながらマヤは続けた。
「カズマ君の仇を……探しているんでしょうね」
「でも、一人じゃ……」
「見守っててあげて。ユキオ君一人では……危ないわ」
うん……と頷く義妹の頭を優しく撫でる。
「あなたも、あまり寝てないんじゃないの?……駄目よ、乙女は健康に気をつけないとどんどん肌が老化するんだから」
「姉さんも、無理しすぎないでね」
「ごめんなさい、あなたにも辛い思いをさせて……カズマ君の事。気に病みすぎては駄目よ」
ありがとうね、と言葉を交わす。二人ともそれぞれが重い荷物を背負っていた。姉妹であってもそれは分け与える事ができず、代わる事もできない。
だから、せめて傍にいて支えあう事だけはしていたかった。
マヤに釘は刺されたが、到底止める気にはなれなかった。あの蒼い新型の『スタッグ』タイプ。カズマの仇を討つまではとてもまともに眠れるわけもない。それでなくてもあのような驚異的なスペックの敵を放置してはおけなかった。
支部を出たところで、シータがマイズアーミー接近を報告した。駄目元でシータに、個人的にレーダーのデータが欲しいと言ったら拍子抜けするほど簡単に協力してくれた。しかもリストウォッチで音声メッセージまでくれるという。いよいよもってただのサポートAIとは思えなかったが今のユキオにはそんな事は些細な問題だった。
支部内のポッドではすぐ下ろされてしまうだろう。ユキオはバイクに跨り、駅向こうの百貨店まで急行した。この百貨店の地下駐車場裏にある緊急用ポッドが一番人目に付き難い。ユキオの出撃に気付いたスタッフが止めに来ても、戦闘終了までに間に合うまい。
(とは言え……いつもここから出ていては網を張られるかもしれない。他に使いやすい所も探しておかないと……飛羽さんにブン殴られるのだけは避けたいからな……)
組織に反逆しているつもりはないが、規約に反している自覚はある。
罪悪感を振り払いながら、ユキオはメモリーキーをスロットに入れた。慣れた手つきで出撃準備を進める。
「敵ノ目標ハ、放送局ノ通信システムト思ワレマス。イーグルチーム4名ガ出撃準備ニ入ッテイマス」
「わかった。イーグルチームが出てくる前にアイツが出てこなければすぐに下がろう」
グリップを握り緊急出撃モードで発進する。『5Fr』が見慣れた闇夜の戦場へ降り立ち、敵に向かい突撃していく。
(敵は……『フライ』に『ビートル』……『ホーネット』はいないか。いつも通りの小規模編成だな)
何度か単独出撃で遭遇している部隊だ。つまり、あの新型機は現れない可能性が高い。
ユキオは落胆したが、一度出てしまったものは仕方ない。速やかに撃退を済ませようとターゲットを探す。
(『ホーネット』自体、最近見ないな……生産コストが高いとか効果が薄いとか敵にも事情があるのか?)
あの長距離砲撃は予測出来ても対処は難しい。大量に投入されればそれだけで脅威となるがそのような戦線には立ちあった事も無く、事例も聞いた事は無い。
「敵の事情なんか知ったこっちゃないけどな……来たか!」
バーニア炎。三機の『フライ』が編隊を組んでいるところに重ガトリングを叩き込み瞬殺した。爆発炎の向こうから迫り来る『ビートル』のロケット砲撃を『ヴァルナ』で防ぎつつ装甲の隙間にビームガンを撃ち込み爆発させる。何度と無く戦い自分なりに研究した結果、装甲厚の『ビートル』タイプは何箇所か弱点があり、そこを突けば比較的素早く破壊できる。
実際、イーグルチームのメンバーにも説明したがタイミングのシビアさと弱点箇所の小ささからとても狙えないと言われてしまったが集中しさえすれば出来ない難易度ではない。
「二つ目!」
二機目の『ビートル』に砲口を向ける。黄金色に輝くビームが粒子の尾を引いて巨大な甲虫の顔面を溶かしその奥の機関部を破壊した。残骸となったメタリックグリーンのマシンが黒煙を吐きながら地平に墜落し消えうせる。
「イーグルチーム、接近」
「了解、後は任せよう……」
アイツも来ないしな、と呟いてユキオはシータに機体を離脱させた。暗くなるポッドの中でシートに背中を預けて眼をつむる。疲れが溜まっている事はわかっているが……。
(カズマの辛さに比べれば、こんな苦労なんか……)
「隊長、『5Fr』はログアウトした模様です」
「わかった、残存勢力を叩いてくれ」
「了解です」
三機の部下の『チャリオッツ』が分散して敵機を追った。すでにその数も少ない。ユキオが半分以上撃破してしまっているからだ。
(あの野郎……俺らに残飯処理みたいな事をさせやがって)
飛羽が苛立たしさを隠そうともせずにポッドの中でガムを噛み始めた。
(アイツの気持ちもわかるが、こんな事が続けばこっちの士気に関わる。アイツの体だってもう無視できない程疲れているはずだ)
一応、戦闘終了を確認するまで現場にいるのが戦闘隊長の役目だったが飛羽は問題児の対処の事だけを考えていた。
マイズアーミーの残存機はすでに少ない。今、最後の一機が味気ない小さな火球と化した。
「飛羽さん、終わりました」
「順次帰投だ」
「了解」
ぶっきらぼうなその物言いの理由もわかっているから、部下達も無駄口を叩かずに撤収する。機嫌の悪い時に飛羽に関わろうと言う命知らずは悠南支部にはいない。