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ハイドランジアに祈れ(中)



 「って事らしいですぜ」


 <センチュリオン>悠南支部・サーバールーム。暗く冷えた、さほど広くない部屋の中、部下がアレックスを振り返りながら肩をすくめるようにした。隊長であるアレックスはさして乗り気ではない顔で腕組みをしている。むしろ乗り気なのはその後ろのパトリックの方だった。


 この一ヶ月で、アレックス達はこの<センチュリオン>悠南支部の運営をほぼ牛耳るまでになっていた。実質は支部長代理(というかそもそもその役職の人間はもとよりいないのだが)のマヤの部下として働くはずが、最近ではメンテナンスチームにも自社の人間を入れて元々の悠南支部の人間は三割近くまで減らされ、<メネラオス>のスタッフが館内を我が物顔で歩いている。

 マヤは何度も本部に抗議を入れているが、本部の人間は聞く耳も持たないと言う態度でそれを無視していた。


 「『ブツ』を持っているのは、本当にそいつらの誰かなのか?」


 「データの出入りの形跡から、この少年か少女のどちらかで間違いないと思います……がなぜマスターデータそのものが頻繁に移動しているのかは……」


 「フゥム……」


 再度深い溜息をつく。パトリックがその上司の脇から身を乗り出してきた。


 「もういいじゃないですか、連中から直接『受け取って』しまえば」


 「ここまでは強引なりにもバックアップを確保してやってきたが、そこまでは面倒見てもらえんぞ」


 「バレなきゃいいんでしょう?そういう仕事だって、ちゃんとやってきましたよ」


 しばし黙ったまま、目を伏せて熟考する。やがてアレックスは諦めたようなそぶりでぷらぷらと手を振った。


 「うまくやれよ」


 「イエッサー」


 浮かれた声で返事を返し、パトリックがサーバールームを飛び出してゆくのを呆れた顔で見送りながら部下がアレックスに声を掛けた。


 「……いいんですか?」


 「……お前がもっと早く特定していればこんな事にはならなかったぞ」


 「そう言われると立つ瀬もないですが……ここはニホンですよ?無茶な事は……」


 「とても乗り気とは言えんが、なにせ時間が無い。仕方ないからやらせてみるさ。そっちも引き続き頼むぞ」


 「アイサー」


 






 


 翌日は多少雲はあるものの、乾いた風の気持ちよい日よりになった。ルミナを拾ったユキオはその足で県南の山へのんびりとバイクを走らせた。ルミナも後ろでリラックスしているのがわかり、運転そのものも楽しめるようになったユキオはささやかな至福の時間を楽しんだ。


 二時間ほど走り、山の中腹にある休憩所に着く。小さな売店や自販機と駐車場が併設されたよくある作りの平凡なスポットだが、都会育ちの二人には新鮮だった。


 陽光を弾く人口湖の向こうに自分達の住んでいる町並みが小さく霞んで見える。その二人の上を山鳥たちが二羽、睦まじく飛んでいった。


 「疲れた?」


 「ううん、全然。すごく楽しかったよ。ここのとこ少し疲れが抜けなかったのがリフレッシュできそう」


 「俺も、来てよかったよ。ま、何も無いけどね」


 二人が笑いあう。他には何組かの老夫婦や年配のライダーが来ているだけで、ユキオ達のような高校生は少し浮いているようだった。浮いていると言えば、妙に磨かれている黒い高級車もいるがこういうスポットに来慣れないユキオは特に気にもしなかった。


 ルミナが作ってきたサンドイッチを食べて(ユキオはもう、精神衛生上、中に何が入っているのかは考えないようにしていた)しばしベンチで、小鳥にパンくずをあげたりしながらくつろぐ。


 (幸せだなー)


 ウォールドウォーの事もすっかり忘れて、本当にこのまま進学して普通に花屋か会社員か公務員になってしまおうかとすら考えながら、若者らしからぬのんびりした時間を充分に満喫していると横のルミナがさてと、と立ち上がった。


 「お姉ちゃんに、なんかお土産買って来るね。ちょっと待っててくれる?」


 「ああ、大丈夫……マヤさん、結構忙しいの?」


 最近顔を合わせていないせいもあり、マヤの近況は何も知らなかった。


 「運営そのものの仕事はそれほどみたいだけど……本部への抗議とかでストレスがだいぶ溜まってるみたいで。じゃ、行って来るね。すぐ戻るから」


 「ゆっくりでいいよー」


 そう言って小走りで売店に行くルミナの後姿を見てから空を見上げる。しばらくくつろいで時間が経ったせいか、西の方から少し黒っぽい雲が迫ってきているのが見えた。ああ言ったが、あまりのんびりしていられないかもしれない。ユキオも立ち上がり、バイクに近寄ってヘルメットを手にしたその時、悲鳴が上がった。


 「!!?」


 一瞬、予想もしなかった事態に硬直したが聞き間違いはない、悲鳴はルミナのものだった。売店の方を向けば、黒いスーツにサングラスといういかにもすぎる怪しげな大柄の男達にルミナが囲まれている。その内の一人がルミナの白い腕を取り、グッと乱暴に持ち上げた。


 (アイツ!!)


 どちらかといえば消極的、ケンカも自信の無いユキオだったが、その光景を前に逡巡はできなかった。一瞬で脳内から全身に熱い血とアドレナリンが流れ、無意識に駆け出していく。


 「離れろ!」


 こちらに背を向けている、ルミナの手を取った金髪の背中に全力でヘルメットを叩きつける。鈍い音がして男がよろめきグラサンを落とした。


 「このガキ!」


 「お前は!」


 振り向いたその男は、忘れようも無い、悠南支部でユキオを転ばせたあの男だった。名前などとうに忘れ去ったがその時の屈辱は忘れようも無い。しかし、ここでのんびりケンカをふっかけるわけにもいかない。僅かに冷静さを保っていたユキオの脳内が、ルミナに叫ぶ。


 「バイクへ!」


 「う、うん!」


 走り出すルミナの背中を守るように、男達の手を逃れてユキオも走る。さっき挿しておいたメモリーキーに大声で命令した。


 「シータ!イグニッション!」


 「了解」


 バイクの電源が入り、モーターが予備回転を始める。焦る男達以上に慌てながら、メットを被ったルミナをシートに乗せてまたがったユキオがアクセルを思いっきり捻った。ルミナが振り落とされないようにユキオの太い脇腹に力一杯手を回す。駐車場から突風の如く駆け出した二人のバイクは、アスファルトの路上でのんびりしていた小鳥達を飛び立たせながら下り坂のカーブへ向かっていった。


 「だ、大丈夫だった?」


 「うん!急に声掛けられて、メモリーキーを渡せって……」


 高速で風を切って走っているため、大声で話をする。ルミナは首を伸ばしてユキオのヘルメットに密着した。


 「アイツら、<メネラオス>の!」


 「うん!……玖州君!後ろ!」


 「!!」


 ミラーに目をやると、見覚えのある黒い外車が映っていた。メーターは70キロ近くを出しているが速度は向こうの方が僅かに上のようだ。しかしこのカーブ混じりの下り坂では、ユキオの腕ではこれ以上の速度は出せない。


 (できるだけ、細い脇道を通るしか……!)


 「シータ!マップを出してくれ。出来るだけ精密な奴だ!」


 「了解……ロード完了デス」


 ハンドル手前の小型タブレットが起き上がり、GPS機能のマップが表示された。必死にバイクを操りながら、出来るだけ細く、かつ行き止まりで無い道を探そうと目を走らせるがそう都合よく見つかるものではない。


 「クソッ!」


 さらに追い討ちのように、バタバタッと急に大粒の雨がメットを叩き始めた。二人ともジャケットは着ているが防水ではない。長く浴びれば風邪を引いてしまう。それを気にするほどの余裕はもはや無かったが、とにかくじっと後ろで自分を信じて黙ってしがみついていてくれるルミナだけは、なんとしても守らなければいけない。


 ミラーを再び見れば、車との差はさらに詰められていた。雨の中では二輪は酷く不利だ。ぐっとスピードを落とし、体重をかけてヘアピンをクリアするたびに<メネラオス>の連中が近付いてくる。



挿絵(By みてみん)



 (どうする……どうする……)


 脳内をフル回転させても、ごく平凡な高校生のユキオには何も打開策は閃かない。焦りと怒りと緊張で心臓と胃が捩じ切れそうになっている中、彼に思わぬ救いの手が差し伸べられた。


 「通信ガ入ッテイマス。繋ギマス」


 無機質なシータのアナウンスが唐突に流れたかと思えば、マップを表示していたタブレットにマヤの顔がライブ映像で映し出された。


 「マヤさん!?」


 「ユキオ君、大丈夫!?ルミナは!?」


 「大丈夫とは!言いがたいですね!!」


 タイヤを雨に取られないように必死にカーブを抜けながら応える。


 「それより、どうして!?」


 車体を垂直に戻しアクセルを回しながら聞き返す。画像は見覚えがある、どうも病室のようだが……。


 「ごめんなさい、アイツラが貴方達に手を出す事は想定できていたのに……」


 「ユキオ」


 しおらしく謝るマヤの向かい側から南雲がひょっこりと顔を出した。なるほど、彼の病室らしい。


 (と、のんびり話してる場合じゃないんだけどよ!)


 ミラー越しに見る黒塗りの車はまた距離を縮めていた。相手の目的はわからないが、最悪後ろから撥ねられたりでもしたら……!


 「追われているんだな、ヤバいのか?」


 「正直ヤバいと言わざるを得ないかと!!」


 雨の降る路上の運転経験はほぼ無い。しかも降り始めたばかりのアスファルトは泥が混じり非常に滑りやすい。マンホールの位置も把握していない慣れぬ道での走行は神経を削る。


 「ふむ……少し前にケーブルカーのボロい看板が見えたか?」


 「……!ハイ、見ました!」


 確かに反対車線側にボロボロの朽ちたケーブルカー駅の案内板を見た。しかしユキオの記憶が確かなら、あれはもう10年以上前に廃業したはずだ。


 「少し先のヘアピンカーブで反対車線にターンしろ。それからケーブルカーの駅へ行くんだ。道は狭くて整備もしていないから乗用車では徐行でしか入れないだろう」


 「しかし、先生!」


 「言う通りにするんだ」


 南雲が何を考えているのかはわからないが他に手は無さそうだった。頷き、下り道の先にある右へアピンに侵入する。


 (コケるなよ!)


 祈りつつ大きくリーンインをかける。最新機種に実装されているオートバランサーが働き、ユキオの運転をアシストした。水溜りの水を自分達の姿を隠すほどに撥ね上げながら、二人は急ターンで反対車線、上り坂へ転じる。さすがに<メネラオス>のスタッフもこれは予想できず、ヘアピンをそのまま降りていった。


 このまま山の反対側に逃げる事を考えたが、自分とてこの山に慣れているわけではない。素直に南雲の言う事に従いケーブルカーの看板を探した。


 二分か、三分かで先刻過ぎ去ったボロボロの案内板に辿り着いた。その脇の、知らない人間が見れば獣道かと思うほど両側から樹や草が張り出してしまっている道路に入り込む。


 (幼稚園以来か……?)


 元々は悠南市の開発の為に敷設されたケーブルカーで、悠南市に入る国道まで繋がるものだ。本来の仕事を終えた後観光に転用されたと聞いた事がある。しかし、そもそも山頂までいけるわけでもなく使い勝手の悪さから採算が見込めず短い生涯を閉じたらしい。ユキオが乗ったのは廃業直前の事だったのだろうか。


 小石が散らばるボロボロになった舗装をなんとか走りぬけ、微かに見覚えのある駅に着いた。想像通り入り口には錆びたシャッターが下りていてツタが這っている。中にケーブルカーがあってもとても使えるとは思えない。


 「先生……来ましたけど……」


 「ルミナ、ここで降りて山を下るんだ」


 「え!?」


 ユキオとルミナ、そして画面の向こうのマヤが驚愕する。いくらなんでもここから街まで線路沿いに下りろというのは酷過ぎる。雨もよりその強さを増していた。だが、南雲が落ち着いて手を振る。


 「駅の裏側にな、非常用階段がある。そこから市の地下ライフライントンネルに行ける筈だ」


 「南雲先生、なんでそんな事を……」


 「親父が、昔そのケーブルカーの職員でな」


 南雲が一瞬苦笑いをするが、すぐ真面目な厳しい表情に戻る。


 「ロックナンバーは0721だ。急げ!」


 「じゃ、じゃあ玖州君も一緒に……」


 そのルミナの言葉に南雲が首を振る。


 「二人とも入っていったらいつか追いつかれかねん。ユキオには囮をやってもらわねばならん」


 心細さで泣きそうになるルミナの顔を見て、ユキオは無理に笑顔を作り力強く頷いた。


 「大丈夫……逃げ切って見せるよ……あ、リュックとヘルメット、縛り付けて貸してくれる?」


 「どうするの?」


 「背負っていれば、この雨の中ならまだ二人乗りをしてるように見えるかもしれないし……大丈夫だよ、奈々瀬さんも気をつけてね」


 「うん……うん……」


 寒さと心細さで震えているルミナの肩を抱いた。自分の体温で少しでもルミナを温めようとする。細い指がメット越しにユキオの頭を抱いた。


 「玖州君も、気をつけて。絶対、無理しないでね!」


 「ああ!」


 急げ!という南雲の声に尻を叩かれるようにしてバイザーを下ろし、ユキオは泥水を撥ね散らかしながら狭い道路へ戻っていった。ミラーの向こうでどんどん小さくなるルミナが、一瞬の逡巡の後駅に走っていくのを見てホッと息をつく。


 (確認もしないで残しちゃったけど……大丈夫なんだろうな、先生!)


 南雲を疑うわけではないが好きな女の事となれば心配性にもなってしまう。しかし、ユキオの方もそれどころではない。


 藪の中を抜けて山道に戻る。丁度折り返してきた<メネラオス>の連中の前に出る形になった。加速するユキオに追従するようにアクセルを踏んで来る。


 (釣れたか!?) 


 雨は強く振り続けておりさらに空が暗くなる。視界の悪い山道の中で男達は人知れずレースを再開した。




   

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