摘蕾(前)
「もう!こんな仕事もうお断りだからね!」
<センチュリオン>と情報番組のタイアップで企画された収録が終わり、カナを見送った後ルミナは義姉のマヤに顔を真っ赤にしながら抗議した。が、当のマヤはヘラヘラと避す様に手を振った。
「まぁまぁ、せっかく顔見知りの声優さんをわざわざ呼んだんだから勘弁して、ね。それにしてもユキオ君の妹だっけ?可愛かったわねぇ。似てないけど」
「親戚だって。実家が遠くて彼女だけ居候してるって聞いたけど」
猫撫で声で宥めようというマヤの言葉にツンケンしながら答えながら、自販機で買った無調整牛乳を一気飲みする。薄着の季節になったせいで露わになったカナと自分のボディラインを比較したからではない、と胸中で力一杯言い張る。
「ふぅん」
「……何?」
意味ありげな視線で見下ろすマヤの目は、大体ロクでも無い事を考えている時のソレだった。ウンザリしながらも一応、聞いてみる。
「ううん、親戚だったら危ないんじゃないのかなぁって。一つ屋根の下に年頃の男と女……結構な美少女が傍にいたら……」
聞いた後悔より怒りが先に溢れ出た。脳内から電光の速度で信号が心臓に走り血液を沸騰させる。全身の汗腺から汗を揮発させてでもいるのか、揺らめくオーラを纏い赤鬼もかくやという形相になった妹を前にマヤが慌てて距離を取った。
「ごめん、ウソ!冗談!」
「あまりからかうと、一ヶ月、三食『健康食』メニューにするからね」
「……それを脅し文句にするのって、なんかおかしく……いやおかしくないです」
ギロリと睨みつける義妹の顔は、元の可愛らしさが台無しである。このせいでユキオの百年の恋が冷めてしまっては妹に一生恨まれかねない。マヤは慌てて頭を下げた。
「とにかく、もうやらないですからね、こんな仕事!」
「ええー、いいじゃない。どうせヒマなんだから」
二人は、そこまで言い合って盛大にため息をついた。5月も終わりに近付いた夕暮れの風が、若干の蒸し暑さを孕みながら二人の肩を撫でて吹いた。
一週間前。
「どういうことなんだコレはぁ!!!」
窓ガラスがビリビリと共振するほどの怒号と共に大きな飛羽の拳が会議室のテーブルを叩く。反対側のテーブルの脚が若干宙に浮いたように見えたのは錯覚ではないとその場にいた誰もが思った。
御蔵島での任務から帰還したイーグルチームとパンサーチーム。彼ら十二名を待っていたのは、あろうことか<センチュリオン>本部からの無期限の活動休止命令であった。
飛羽でなくても驚き、激昂する命令である。それもよりによってその理由が、先の御蔵島での作戦行動の『失敗』に対する制裁だというのだ。
確かにマイズアーミーの攻撃により獲得したデータの大半を喪失し、強制脱出した『ファランクス5Fr』と『St』の機体情報も破損してしまった。それでも、あの大量のマイズアーミーをほぼ撃退し全員が無事に帰還できたのは賞賛に値する程の戦果だと言っていい。イーグルチームもカズマ達も胸を張って帰って来た所にこの仕打ちである。飛羽がテーブルをブン殴るのも無理は無かろう。
その全員の、火花のような視線の先で文字通り苦虫を大量に噛み潰したような顔で受け止めているのがルミナの姉、奈々瀬マヤである。マヤは頭をブンブン振りながら胸のジャケットからコピー用紙を一枚取り出した。広げるとそれはシワだらけで一度酷くクシャクシャに握り潰されたものと解る。
「ワタシだってつい昨日聞いたばかりなのよ。本部は『指示の通りだ』の一点張り。『悠南市の防衛は引き続き<メネラオス>に一任する事』」
飛羽が半眼でそれをひったくり、その眼の端をひくひくと引きつらせながらマヤに問いかける。
「で、その<メスオスなんとか>はよっぽど俺達より優秀だってのか」
「……実績に関してはイーグルチームに対して実測比較値で8割。さらに勤務意欲に欠け迅速さも無く、これ以上市の防衛を任せる部隊として信頼に足る存在とは言い難い……って答えてやったわよ!!」
ついにキレたマヤがそのコピー用紙を奪い返してビリビリに破り捨てた。
「国府田の野郎は何してるんだよ」
「3日前に函館支部に転属!以後連絡不通よ!」
充血した眼をつり上げて睨んでくるマヤにさすがに飛羽も若干気勢を削がれた。
「不通って、お前……」
異常事態じゃねぇか……と目で問いかける飛羽に、無言で返すマヤ。二人を前に会議室にいる全員からどよめきが漏れた。
そこに、ノックも無しにドアが開け放たれ複数の男達が入ってきた。いずれも欧州系の外国人で飛羽並にガタイがいい。先頭にいるのはより巨漢の金髪、アレックスという男だった。この男達がユキオや飛羽達の不在の間悠南市を守っていた事はすでに周知済みである。そしてその手際の程も。
「やぁ、ヒバ隊長。この度はゴクロウサンだったね。いや、すごい戦果だったじゃないか」
「……皮肉ってんのか?」
飛羽は完全に余裕を無くしていた。テーブルの代わりに仕事を奪っていったアレックスが殴られるのはイーグルチームの誰もが望むところだったが、形式上は<センチュリオン>上層部の指示での事である。鹿島がいやいや前に出て飛羽の腕を抑えられる位置につく。
「いや、本心さ。あの物量で来られたらウチの隊と言えど大打撃だ……いや、褒めるのはこの子供達の方か。大したものだな」
アレックスがカズマやユキオ達を見やる。話半分にしか信じてないようだが、子供だからと言って舐めているような表情ではなく実力を測ろうという油断の無い視線だった。猛禽のそれと同じ威圧するような琥珀色の眼球。
その後ろから少し若い、二十代後半くらいの男が顔を覗かせた。赤毛のオールバックに若干垂れ気味の青い目。体格は良いが貫禄には欠ける、自信過剰の男という表現が良く似合う男だった。
「ホントにこんな子供があの部隊を追い払ったって言うんですか?」
「失礼だぞパトリック。あの『ロングレッグ』を撃退した歴戦のチームだ」
ふぅん……と納得いかないようにパトリックと呼ばれた男が四人を見下す。中でも華奢なルミナに興味が沸いたのか、上半身を屈めて上から覆いかぶさるように近寄っていった。
(!)
気丈なルミナだが、反射的に怯えて及び腰になる。ユキオがそれを見て間に入るように動いた。
「……うっ!」
しかしパトリックはそのユキオの動きを見越していた。素早く足の位置を変える。その爪先に勇んで近付いたユキオが引っかかり無様に転んでしまった。
「おいおい、大丈夫か。仕事が無いからって気を抜くなよ、エース」
パトリックがわざとらしくそう言った。誰の目にも故意なのは明らかだったがあまりに鮮やか過ぎて追求する間も無かった。ユキオも一瞬事態が把握できずきょとんとしたが、心配そうに駆け寄ってきたルミナの顔を見て自分が恥をかかされた事を悟りパトリックを睨みつけ、カズマとマサハルも拳を握りパトリックの前に向かう。
だが、その二人の前に手を出し制したのは他ならぬ飛羽だった。アレックスもパトリックをユキオ達の視線から庇うように前に出た。その顔には多少苦い物が混じってはいるが、謝罪しようという心証では無いのが見てとれた。
「よせ、パトリック……ヒバ隊長、キミらの気持ちもわかるが、これもオーナーからの指示だ。気分を変えて暫く激務で疲れた身体を休めるといい……行くぞ」
アレックスが部下を引き連れて部屋を出てゆく。振り向きざまに見せたパトリックの含み笑いに全員の怒りが見えない矢となって放たれたが、彼には気にもならないようだった。
彼らが会議室を後にし、一瞬、沈黙が全員の間を縫うように流れた。それを破ったのは隊長である飛羽の言葉だった。
「ユキオ、覚えとけよ」
似合わないほどに静かな呟きに皆が振り向く。
「……アイツらには、必ず痛い目に遭って貰う」
ユキオやカズマ、他の隊員の心から怒りが一瞬で立ち消えた。背筋に冷たいものが流れ落ちるほど、恐ろしい気がその身体から止め処なく溢れ出ていた。
「……おかげで、遅れてた勉強が捗るけどね」
牛乳のパックを折りたたみながらルミナが言う。
「できれば、神谷君達も勉強したほうがいいと思うんだけど」
「さすがにアイドルに持ち上げた二人を遊ばせとくわけにはいかなくてね。取材やミニライブがひっきりなしに入ってるわ。ユキオ君は?」
「しばらくお花屋のバイトに入りっぱなしになるって。ここのとここっちの仕事ばかりで全然働けてなかったからって……」
ルミナの機嫌が悪いのは、『ソレ』も理由の一つのようだがこれ以上からかっても無駄に睨まれるだけだと思いマヤは自重した。
「まぁ、いいんじゃない?進路に迷ってたようだし……私は<センチュリオン>の仕事よりお花屋さんの方が彼に向いてると思うしね」
「それって、この際だから辞めてもらおうって事?」
「まさか。あれだけのエースをほいほい追い出す余裕なんてこの支部には無いわよ」
ルミナはその言葉を聞いて少し落ち着いたようだった。どうやら相当神経が参っているらしい。言葉使いには気をつけないとなと自分に釘を刺しながら言葉を次いだ。
「ちょっと高校生らしい生活に戻ったほうが良いって事よ。ちょうどプレゼントも届いた頃でしょうし」
「プレゼント?」
「見てのお楽しみ、よ♪」
ようやく表情から強張りが抜けて、幼くきょとんとする義妹にマヤは嬉しそうにウィンクした。
フラワーハスノ前にて。
「なんすか、コレ」
「バイク知らねぇのか、高校生にもなって」
「知ってますよ、これがバイクって事くらいは!」
呆れ顔で見下ろしてくるガタイのいい中年オーナー、蓮野ダイキに噛み付くようにユキオは言い返した。
店の前に駐められているのは、大柄の自動二輪車。所謂バイクである。真新しい白いカウルにブルーのラインが走るスポーツタイプのシルエットは、街の個人経営の花屋の前には少し不釣合いであった。
リアタイヤの横にマフラーが無いのは、完全なEV車だからだろう。この時代エンジン、それもガソリン等の化石燃料を動力にする車両は徐々に姿を消していた。趣味性の高いバイクではまだ昔ながらのFIが幅を利かせているものの、ハイブリッド車両も数多く出てきている。
シート下には大型バッテリーや電装系、ラジエーターが納まっている。特徴的なのはヘッドライトで、横倒しにした大きなU字のラインを描くクリアパーツが先端に聳えていた。ウィンカーもその横とフロントフォークの左右に計四灯。あまり市販車では見られないデザインだ。
その酷く未来的なデザインをぶち壊すように、リアシート上にはこれ以上なく箱、といった風体のボックスが設置されている。横には<フラワーハスノ>の店名と電話番号。バイク本体とのアンバランスさは不自然どころかもはや奇妙というレベルに達しており、いろいろなものを台無しにしてしまっている。
「バイクの免許も取れたんだろ。ご近所周りなら配達手伝ってもらうって言っただろう」
「それは聞きましたが……なんでこんな高そうな……そもそも何処のメーカーのバイクなんです?」
「知らん」
ユキオの問いに一言、普段通りの無愛想な顔でダイキが答える。
「知らんって!」
「<センチュリオン>のお前の雇い主の……ええと、お前の彼女の姉ちゃんだっけ?アレがこないだウチに来てよ。配達に使うバイクを用意してくれるって言うから、『そりゃあ都合が良いや、任せる』って答えたらこれが届いた」
「な……なんでマヤさんがそんな……」
意味が解らずポカーンとするユキオに、ダイキもよく真相がわからんとでも言うように肩をすくめた。
「一応、こないだお前らが南の島で遊んでた件の罪滅ぼしとかなんとか」
「別に遊んでたわけじゃないですよ!」
ムキー!と言い返すユキオは無視しながら。
「ま、それは建前でなんか彼女の送り迎えもしてもらいたいみたいな事言ってたぞ。最近は物騒だし、家が支部まで遠いンだって?」
「ええっ!?俺免許取ったばかりで、二人乗りなんか……そんな」
実際にルミナの命を預かる事に酷くプレッシャーはかかるが、それにも加えユキオを緊張させたのはルミナの柔らかい身体が背中から密着した時の妄想だった。それは男なら一度は妄想するシチュエーションだが、現実でやるとなるといろいろと緊張してしまう。
「何、昔は免許取ってから一年って縛りがあったが最近は講習受ければOKらしいじゃねえか。このボックスもよ、ここのレバーを下に回しながらここをスライドすると、ホレ、簡単に外せるしよ」
ダイキが軽い調子でバイクのリアからボックスを持ち上げて見せた。確かにキャリアーからの取り外しは楽なようだが。
「いーじゃんユキオさんー。ルミナちゃんうらやましいなぁー!」
ダイキの隣にいたランが目をキラキラさせながらバイクを見ている。女の子はこういうものに興味が無いと思っていたが、例外もいるようだ。
「こんどワタシも後ろ乗せてー」
「お前はダメだ、落っこちそうだし」
父親の冷たい一言に、ランが顔を真っ赤にしてぽかぽかと拳を叩きつける。
「なによー!そんなおっちょこちょいじゃないわよ!!」
「まぁ、二三年したら考えてやる」
「乗せるのって、俺なんですよね……?」
勝手すぎる親子の会話に、無駄だと知りながら一応ツッコミを入れてからユキオはバイクを見た。教習所では古いVツインのエンジンタイプだったのでこの電動バイクがどのくらいのパワーを持つのかはさっぱり予想もつかない。ホイールベースが長いのは、タンデム時には安定しそうだがそれだけ小回りが効かないという事でもある。正直乗りこなすのには時間が必要そうに見えた。
(全く、マヤさんも何考えているんだか……)
それでも、一応自由に使わせてもらえる(らしい)バイクがタダで手に入ったのはラッキーだと自分に言い聞かせているユキオの前でダイキがボックスをキャリアーに戻した。
「とりあえず慣らしも兼ねて配達行って来い。駅向こうの金澤さんトコだから、大丈夫だろ」
「え!?いきなりですか!!?」
「鉢植えだからな。転んで割ったら承知しねぇぞ」
そう言いながらダイキは勝手にボックスの中に鮮やかなピンクのベコニアを入れて固定し始めた。ユキオは諦めてハンドルにかけられていたメットを被る。
(何で俺の周りには勝手な大人しかいないんだろう……)
正直、御蔵島での戦いでだいぶ身体は参っていた。おまけに帰ってきた早々クソッタレな外人にいちゃもんはつけられるし、<センチュリオン>の仕事から少し離れて息抜きしながら将来のことでも考えようと思っていたところだったが(当然いつまでもあの外人部隊に仕事を任せておく気もなかったが)なかなか思うように楽はできないようだった。
「ん?」
キーを回そうとしたが、鍵穴にキーは挿さっていなかった。そもそも普通の鍵穴とは違う……それは見覚えのある、親指ほどの幅の長方形の穴だった。
(まさか……ね)
そう思いながらも恐る恐る『ファランクス5Fr』のデータが入っているメモリーキーを懐から取り出して挿してみる。金色の金属の端子はぴったりとその穴に入った。
「まじかよ」
なるほどこれならユキオ以外の人間には運転できないだろう。しかしこんな特注車を用意してくれるなんて……ユキオはマヤの真意を測りかね、困惑した。
その目の前で、ハンドルバーの手前側、従来車であればガソリンタンクが設置されている部分に設置された小型タブレットに明かりが灯り、起動メッセージが流れた。
「コンニチワ、玖州サン」
「シータ!こいつのコントロールをしてくれるのか?」
タブレットから聞き慣れたAIの合成ボイスが流れて、ユキオは頼もしくなって声を掛けた。
「ワタシハ、操縦系統ノアシストハ出来マセン。シカシ、ナビゲーション等サポートヲ行ウ事ガ出来マス」
「そっか、さすがに無理か」
少し期待したものの、現実世界のバイクまで操縦するのは無理らしい。シートにまたがってタブレットを撫でる。
「当機ハ電源駆動車デス。起動ハ音声入力デ行イマス。『起動ワード』ヲ設定シテ下サイ」
「『起動ワード』か……」
眼をつむって一瞬悩む、が複雑な言葉にすると忘れてしまいそうだった。そもそもメモリーキーが必要で、自分の音声で起動するのであればそんな凝った秘密のキーワードを使うことも無いだろう。
「じゃあ、『イグニッション』、で」
「了解、『起動ワード』ヲ登録シマス」
「EV車に『点火』ってのもなんか違和感あるけどな」
ダイキのツッコミに顔を赤くしながらいいじゃないですかと唇を突き出すユキオの下で、シータがバイクをスタートさせた。電気駆動特有のフゥィィィィィィ……ンというモーター空転音が聞こえ始め、ランが目を丸くしながら周りを走りながら騒ぎ始めた。
「起動完了。ヨウコソ、『レリィシュザーク』へ」
それが、このバイクの名前だった。ヘッドライトにビームが灯り、モーターがより一段大きな回転音を鳴らしはじめた。
ユキオは、初めて乗る自分専用のバイクのその音に何か解き放たれたような開放感と期待感を感じ始めていた。