楓(後)
五 楓(後)
白いボディにブルーのラインがひかれた巨大なトランスポーターの所にまでたどり着いた頃には、もう汗まみれで空腹も相まってヘトヘトだった。
ドアの開いているキャビンに入り込み、中でシステムをチェックしているマヤの後ろを抜けて奥のポッドへ入り込む。
トランスポーターのポッドは当然と言うか車内に簡易的に設置してあるため狭い。使い込まれていない為、グリップやペダルも硬くギシギシ音を立てていた。
ユキオは太い体を狭いシートに馴染ませるようにもじもじと体を揺すりながら、『ファランクス5E』の起動を進める。
「玖州君、敵は既にシステムの4%を破壊しているわ。『フライ』タイプが三機。必要ないと思うけど、一応本部に中継して武装を送ってもらうようにするけど…何がいいかな?」
「じゃあBv型サブマシンガンと中距離用のパニッシュバズーカをお願いできますか」
オペレーター席のマヤにユキオが答えた。本来ならAIが動かすトルーパーの一機も欲しかったが、無線でデータ転送できるのは、携帯火器が限界だろう。
「了解、出来るだけすぐに送るわね…出撃準備、問題なし。よろしく!」
マヤの通信に頷き、ユキオは一人、『ファランクス5E』を戦場に駆り出した。
銀牛という名の焼肉屋はちょっとした屋敷のような作りの古めかしく大きな建物だった。
地元でも人気らしく、店内は家族連れやカップルでごった返している。先に着いたカズマ達は、マヤからの「ちょっと遅れるから先に食べてて!」というメールを受け取り、ありがたく地元の牛と野菜を次々と鉄板の上に並べていた。
「いやー、うまそうだなぁ!」
なかなかお目にかかれない肉厚の赤身に夢中なマサハルの横で、ちょこんと正座しているルミナが落ち着かない様子でケータイを手に取っては戻すのを何度も繰り返していた。
「確かに、遅いよな。ユキオまで来られないってのはなんかあったんだな」
カズマが肉をひっくり返しながら静かに言う。
「でも俺が出る時にユキオを起こした時はなんもなかったけどなー」
「ルミナ、俺達が乗ってきたポーターってアクセスできるか?」
急に話を振られ、ルミナは少し驚きつつも、
「う、うん。やってみる」
カズマの少し深刻そうな顔に、ルミナも嫌な予感がして持っていた端末で<センチュリオン>の本部にアクセスを始めた。そこからトランスポーターの稼働状況を確認する。
「…トランスポーターのポッドが稼動してる…」
「やっぱりか」
ルミナの声にカズマとマサハルが最初に網に乗せた肉を回収してほおばりながらルミナの端末を覗いた。マサハルが、ちょっと貸して、と言ってその端末を操作しユキオが戦っているウォールドウォーのライブ画面を呼び出すと『ファランクス5E』が孤軍戦う姿が映し出された。
肩の重ガトリングが火を吹き、まとめて二機の『フライ』が穴だらけになって墜ちてゆく。
「今ので五機…でもまた増援が来る!」
さらに五機の『フライ』、そして複数の中型のマシンが戦闘エリアに出現するのを見てルミナが焦りの声を上げる。マサハルも真剣な顔で肉を噛みながら向かいのカズマを見る。
「どうする、カズマ」
「どうするったってポーターにはポッドが一つしかねぇ。アクセスラインがダイレクトしか繋がってないところを見ると、<センチュリオン>とか業者に防衛を依頼してなかったんだろう…くそっ」
カズマが珍しく苛立ちの声を上げて肉を乱暴に炭火に並べ始めた。
「二人とも肉食って声出せ!ユキオを応援するしかねぇ!」
「お、おぅ!」
カズマの声にマサハルが箸を伸ばし、ルミナの皿に焼けた肉を載せた。ルミナは多少の違和感を覚えたが、結局自分に出来る事は応援しか思いつかず、頷いて肉を口に運んだ。
「がんばって、玖州君!」
「そうだ、頑張れユキオ!」
次々と肉が、野菜が焼かれ三人は小さな端末を見ながら励ましたり叫んだりしては、それらを口に放り込んでいった。
焼肉屋の個室に、少し離れた所で、しかし酷く遠い世界で戦うユキオを応援する声が満ちる。
撃破数が十を超えた。最初の三機を撃破し、終わったと思ったところで次々と増援が投入されてくる。『フライ』だけなら何とか戦線を前に押し返せていたが、中型機の『ビートル』が二機現れてからは徐々に劣勢に立たされていた。
戦闘を早く片付ける為に『フライ』の編隊に貴重なハイボマーグレネードを使ってしまった後に、強力な増援が現れた事にユキオは苛立ちを隠せなかった。
(コイツらで終わりだろうな!)
重装甲の『ビートル』の体当たりと火炎放射をかわして、ユキオは『ファランクス』を一時後退させた。マヤの転送してくれたミドルレンジ用のバズーカを取る為だ。
装弾数は八発で重い砲身は取り回しも難しいが、直撃すれば『スタッグ』の四肢を破壊する事も可能な破壊力を有している。ガトリングやビームにも耐える『ビートル』でも、これを喰らえば一たまりも無いはずだ。
「!」
バズーカを回収したユキオは上空から立て続けにタックルを仕掛けてくる二機の『ビートル』に気付き、シールドを前面に構えた。
接近する一機目にそのままシールドを叩きつけて進路を反らし、そのまま二機目にバズーカの砲口を向ける。
トリガー。大型の弾頭が発射煙を巻き上げて発射される。
『ビートル』は至近距離で放たれたバズーカを避ける余裕も無く、その爆発に身を焦がした。
『ファランクス5E』も直上での爆発から身を守るために身を屈めシールドを掲げる。
眩い炎と爆風がおさまり、ユキオがモニターに目をやると真っ黒に焦げた『ビートル』の外殻装甲が、バラバラになって地面に次々と転がり落ちてきた。
(…おおう)
その破壊力に少しビビりながらももう一機の『ビートル』を探す。爆風に煽られたのか距離を取っていたメタリックグリーンの『ビートル』が、その腹部に備えられた火炎放射器から赤い炎を巻き散らかしながら『5E』に再攻撃を掛けようとしていた。
「所詮無人機だな!」
戦闘プログラムに従い直線的な軌道を取る『ビートル』の動きを捉えるのは、ユキオには容易い事だった。再びバズーカを構えその前面に弾頭を放つ。
ドォ………ン…
花火の爆発を何倍にもしたような重低音が響き、『ビートル』は巨大な火球に包まれる。
ユキオはその眩しさに目を細めシールドをかざしながら二、三歩『ファランクス』を後退させた。
これで焼肉だ…とはやる胃袋を押さえながらインフォパネルを見るが、表示されたのは『戦闘状況終了』のメッセージではなく、増援を知らせる警告アラートだった。
(いい加減にしろ!………!?)
『ビートル』の残骸が上げる炎と黒煙の向こうに、一機の敵影が揺らめいて見えた。巨大な、『スタッグ』よりも明らかに大きい人型のマシンを見てユキオは無意識に生唾を飲み込んだ。
「『リザード』じゃねぇか!」
端末のライブ画面を見ていたカズマが驚きで大声を上げる。
「『リザード』?」
ルミナはそのマシンの名前を知らなかった。見た印象では『スタッグ』より強力と言うのはわかる、がカズマの驚き様を見ると恐ろしい相手なのではないかと冷や汗が出る。マサハルが端末でそのスペックデータを呼び出す横で、カズマはルミナの方を向いた。
「日本でもまだ十数回しか出現事例が無い、かなりヤバイ相手だ。コイツ二機で<センチュリオン>の静岡支部の一部隊が全滅寸前まで追い込まれたこともある。その時は設立間も無い素人部隊だったせいもあるが…」
マサハルが、出た、と短く言って端末をルミナに見せた。いつもの楽観的な声ではないその雰囲気にますます緊張しながらそのスペックを見る。
(なにこれ……!)
比較用に『スタッグ』のスペックが横に表示されているが、破壊力も装甲もその3倍以上のデータが表示されていた。
一部隊を壊滅に追いやるのも頷ける。こんなのに襲われたら、自分の『St』は即バラバラにされてしまうだろう。
ウォールドウォーは基本操縦しているトレーサーにダメージが行く事は無いが、バランサーや基本姿勢制御にその三半規管を同期させているため、あまりにも多大なダメージを受ければ、フィードバックで脳が損傷することもある。
今では防護装置が働いているがそれでも年に何回かは重大なダメージを受け、トレーサーとして復帰できないという事故も発生していた。この『リザード』の攻撃力はそのような危険を実現させる程のスペックを有している。
「これ、玖州君、負けない…よね…?」
最悪の事態を想定しつつカズマに問いかけるルミナを、今までに見たこと無いような真剣な顔のカズマとマサハルが見つめ返した。
「オレもコイツとはやったことが無い…シュミレーターでも戦闘データが少なすぎて実装できないからだ。ユキオはソロでも確かに強いが、コイツは…」
ユキオの『ファランクス5E』は装甲と機動力に長け、戦線を支える性能に特化している。
逆に『As』や『2B』、『St』のように一撃で大ダメージを与える武装を持っていない。
『スタッグ』をゆうに超える装甲を持つこの敵に苦戦する事は考えるまでも無く明らかだった。
苦虫を噛み潰すような顔をしてカズマはバッと焦げかかった肉の方を振り返った。
「オラ!応援しろお前ら! ユキオ!負けるんじゃねえ! 肉無くなっちまうぞ!」
一際大声で叫びを上げるカズマの横でマサハルも、
「そうだ、ビビるんじゃねえ! ぶっ飛ばしてやれ!」
と威勢のいい声を上げる。二人ともいつもはあまりユキオと仲良く話している姿を見た事は無かったが、お互いに信頼していることを知りルミナは一時恐怖を忘れ、少し胸の奥が暖かくなった。
「…頑張って、玖州君…!」
もう喉に何も通らない。祈るように手を合わせ、ルミナは必死に仲間の勝利を願った。
「くらえ!」
先手必勝、ユキオは巨大な『リザード』の正面に飛び込み、その頭部にバズーカの砲口を突きつけた。
が、トリガーを引こうとした瞬間、『リザード』のワニのような巨大な口部が開き、そのバズーカの砲身に噛み付いた。
(な!?)
『リザード』の口内に仕掛けられた無数の『歯』から高圧電流のスパークが流れ出す。
噛み付かれてひしゃげたバズーカがその一撃で誘爆し粉々になった。一方、至近距離で六発の弾頭の爆発を浴びた『リザード』は、何のダメージも無かったかのように、ゆっくりと右腕を上げて、そのまま『ファランクス』を殴りつけた。
「うぐぁっ!?」
想像以上の衝撃がユキオの脳内を揺さぶる。『ファランクス5E』は一気に十メートルも後方に吹き飛ばされていた。シールドで直撃を防いだお陰で機体に深刻なダメージは無いが、あんな攻撃を二度三度も受ければシールドも機体もタダでは済まされないだろう。
(なんでこんなヤツがこんな所に!)
強烈な嘔吐感を堪え、頭を抑えてユキオが『ファランクス』の姿勢を立て直す。正面モニターを見るユキオの目に、ガパッと口部を開き、その中から大口径の砲身を伸ばす『リザード』の姿が映った。
(ヤバイ!)
『リザード』のスペックは前に一度<センチュリオン>のデータベースで見た事がある。そのモーションはもっとも警戒すべき攻撃の予備動作だった。
慌ててシールドを構える『ファランクス』に、『リザード』の口内からあふれ出した、マグマのように輝く灼熱の火炎が襲い掛かった。『ビートル』のそれとは比較にすらならないない、圧倒的な炎の奔流。
『ファランクス5E』自慢の防御力を誇るシールドが、その圧倒的な熱量に焼かれみるみるその耐久値を減らし始めた。
83%…76%…、恐ろしいスピードで装甲が削られてゆく。
(距離を…!)
額に汗を滲ませながら左手のコントロールグリップ、セレクターを回す。
「くらえ!」
ユキオはリアアーマーにセットされたインパクトグレネードをオーバースローで『リザード』に投げつけた。『スタッグ』をも吹き飛ばす衝撃波が発生するが、それすらも、『リザード』の巨体をよろめかせる程度の効果しか与えられない。
(くそっ!)
ともかく火炎放射は止められた。
再びアレが放たれる前に接近して、その砲口にマシンガンでもガトリングでも叩き込んでひん曲げるしかない。ユキオは『ファランクス』のバーニアを全開にして『リザード』に急接近をかけた。
『リザード』は既に体勢を整えている。再び火炎放射を行う動作は取っていない、が、一気に距離を詰めるユキオは、『リザード』の胸部装甲が開き始めるのを見て加速を若干緩めた。
(なんだ…知らないぞ、あんな……)
嫌な予感がする。完全に加速を止めシールドを正面に回そうとした寸前、『リザード』の胸部に仕込まれたマイクロミサイル群が一斉に発射された。
「うぉあああああああああ!」
総数30以上の小型ミサイルが『ファランクス』を襲った。全身に無数の火球を咲かせ、『5E』がよろめいて膝を付く。
悠然、『リザード』は余裕すら感じさせる動きでゆっくりと歩いて近付いてきた。何度も攻撃を受け、そのフィードバックで脳内を滅茶苦茶に揺さぶられたユキオは、その最悪なコンディションで有効な選択肢を探していた。
『リザード』の太い腕が高く振り上げられる。その先端に並ぶ巨大なシルエットの爪がギラリと鈍く残光を引いて『ファランクス』の頭上に振り落とされた。
(!)
タイミングを図っていたユキオはギリギリでその攻撃をかわし、『ファランクス』をジャンプで後退させた。大きなモーションの攻撃にはそれだけ硬直時間が発生する。
ゲーマーらしい計算でカウンターの時間を稼いだユキオは、マヤが転送したもう一つの武器、Bv型サブマシンガンを拾い上げ、フルオートで『リザード』に浴びせかける。装弾数は低めだが単発の火力は高い殲滅用火器が、ミサイルの礼だと言わんばかりに『リザード』の全身に火花を散らす。
しかし、マガジンを空にするまで撃ち終えてもその装甲表面に多数の軽い凹みを作っただけで、戦闘力は全く減少していないようだった。
(ふざけんな!)
思わず心中で理不尽な罵りを浴びせる。なんで俺が一人でこんなヤツと戦わなきゃいけないんだ。っつーかこんな化け物みたいなマシンをただの温泉施設に投入してくるんじゃねー!といろいろな文句が頭をよぎったが、有効な打開策は何も思いつかない。
最近ではすっかり考えなくなった、敗北という恐怖がじわじわと心臓に指を掛けるのを必死で振り払い、ユキオは現状を再確認する。
転送武器、これは二つとも使ってしまった。右腕の二連装ビームガンパックは残弾ゼロ。仮に残っていてもあの重装甲に通用するかどうか。
使い勝手のいい主武装の重ガトリング砲は残弾17。トリガーを引けば二秒で弾切れだ。これもまたまともに当てたところで撃墜できるとは思えない。
あとはフラッシュグレネードとスプレッドボムグレネード。目くらましのフラッシュは論外として、ダメージが見込めるとすればスプレッドボムだが、これは投擲後拡散して広範囲に爆発を起こす武器で、むしろ『フライ』のように耐久度の低い敵に有効な武器だ。
うまく『リザード』の全身を包むようにぶつけても先のマシンガン程度の効果しか見込めないだろう。
なんとかヤツの装甲の内側に強力な一撃を与えないと…。
(せめてカズマのレーザーブレードでもあれば……!)
諦めかかったユキオの脳裏に、小さな閃きが生まれた。危険すぎて普段ならとても試そうとも思わない手だが、ユキオは他にすがりつく物も無く、必死にその作戦を成功させる手順を組み立て始める。
「シータ、さっきのミサイルハッチ。発射してから閉まるまで何秒あった?」
ルミナの『ファランクスSt』と同じようにユキオ達の機体にもそれぞれ独立したAIが搭載されている。普段はほぼその性能に頼らないが、自分では判断できないような情報やデータ確認には非常に有用な存在だ。『St』のイータよりややトーンの高い女性の合成音声が、ユキオの問いに答える。
「約1.8秒デ完全ニ閉ジルノヲ確認シマシタ」
「よし」
ユキオはウェポンセレクターを回し、右腕にスプレッドボムを握らせてから、再びセレクターで使用武器を重ガトリングに戻した。
肺の中の二酸化炭素を全て吐き出すように深く深呼吸し、『リザード』を睨みつけ、その相対距離を調整する。
ライブビューで『ファランクス5E』の動きを見ていたマサハルが汗を拭いながら口を開く。
「あの距離じゃ、火炎放射が飛んでくるぞ…」
カズマもルミナも、ユキオがやすやすと敵の攻撃を受けるような技量では無い事は知っている。しかしほぼ武器も無くなってしまい、ユキオが自暴自棄になってしまったのではないかと目を見開きながらその動向をつぶさに追った。
ゆっくりと前進していた『リザード』がその歩みを止め、再び巨大な口蓋を開く。マサハルの指摘通り火炎放射が放たれようとしているのだ。
「玖州君!」
ルミナの甲高い悲鳴が上がる。が、ユキオはむしろその動きを誘っていたようだった。
すかさず背部バーニアを焚いて急接近しながら重ガトリングの残弾を発射する。火炎放射が発射されようとしていた砲口にオレンジに灼けた弾丸が突き刺さり、小さな爆発と共に火炎放射器を使用不能に陥れた。
「よっしゃ!」
マサハルがぐっ!とガッツポーズで賞賛する。しかしカズマはそれでもユキオの勝ちは見込めないと苦い顔で二者の動きを見据えた。
『ファランクス5E』はそのままシールドを構え猛スピードで直進を続けている。
(ユキオの奴…まさか!)
「ダメ! ミサイルが!」
ルミナの警告も空しく、その言葉通り『リザード』の胸部装甲が開き始めた。再び全弾がヒットしてしまえば、『ファランクス5E』であっても機能不全を起こす可能性は高い。しかしユキオは加速を止めるどころか、バーニアを限界まで稼動させ、オリーブグリーンの槍となって『リザード』の胸元、ミサイル発射口の至近距離に機体をねじ込んだ。
装甲が開ききり、マイクロミサイルが一斉射される直前、その発射口の一つに加速したままの勢いで『5E』が右腕を深々と突き差した。
「!!」
カズマ達が驚きで言葉を失う、その最中。
ドォォォォォォォオオオ………ン……
『リザード』の胸部内のあらゆるスリットや接合部から火柱が噴き出し、爆発を起こした。まるで巨大な焼夷弾が爆発したかのような爆炎が『リザード』と『ファランクス』を包み込み、その輝きにかき消される。
灼かれるかのような光がライブモニター一杯に満ち、三人は思わず眼を背けた。
(玖州君…!)
やがてその閃光と地鳴りのような爆音が静まり、恐る恐る目を開けたルミナが見たのは、下半身のみとなった『リザード』と、右腕を失いその全身を真っ黒に焦がしたユキオの『ファランクス5E』だった。
呆然とするルミナ達の前でライブモニターが唐突に『戦闘状況終了』の表示と共にユキオの勝利を告げると、三人は金縛りから解放されたかのように飛び上がって戦友の勝利を騒ぎ讃えた。
「ふうーっ、ふうーっ」
息を吹きかけて温度の冷めた安い作りのちぢれ麺をすする。
三時間近い激闘の末に辛くも勝利を収めたユキオに与えられたのは、マヤが用意したどこにでも売っているようなカップ麺一つだった。
焼肉屋はラストオーダーの時間で、旅館の厨房にもろくな食材が残っていなかった為である。一つの温泉宿の窮地を救った偉大な英雄に対する、あまりといえばあんまりな待遇にユキオは涙を飲んだ。
ポーターのキャビンに上がるステップに腰掛け、やさぐれながらラーメンを食べていると、トランスポーターのチェックを終えて電源を落としたマヤがうーん、と背筋を伸ばしながら出てきたのでユキオは立ち上がって道を譲った。
「あー、まいったまいった! ホント、ごめんねユキオ君。せっかくの旅行だったのに…」
「いや…仕方ないですよ…気にしないでください」
がっかりしているのはユキオも一緒だったが、同じ目にあったマヤに文句は言えない。今食べているカップ麺も、マヤはポッドから降りてきたユキオがすぐ食べられるように用意していてくれたのだ。
モノはアレだがそういう彼女の優しい心遣いは、普段他人に冷たく扱われているユキオには沁みるものだった。
「今度、ちゃんとお礼するわ……今夜はもうクタクタ。あ、これ抜き忘れてたから、機体データを直すまで使えないけど、一応持って置いてね」
マヤがそう言ってユキオの『ファランクス5E』のメモリーキーを、手の塞がっているユキオの胸ポケットに入れた。
「あ、すいません…うっかり忘れてました」
『5E』は『リザード』の爆発を至近距離で受けて稼動不能の状態になってしまった。
右腕を『リザード』の体内にねじ込み、その中で無理やりスプレッドボムを点火させマイクロミサイルを誘爆する事で『リザード』の堅牢なボディを粉々に粉砕したが、至近距離にいた『5E』もその代償に右腕を失い、装甲や間接部、バーニア、メインカメラに至るまで深刻なダメージを受けてしまった。
ピクリとも動けない鉄屑も同然である。原型は留めているが、もしかしたら基幹フレームからプログラムを立ち上げなおさないといけないかもしれない。
メンテチームの労力を考えると肩ががっくりと落ちるような重い気持ちになる。
「アリシア達もユキオ君を怒りはしないわよ、なんせあの『リザード』を単機撃破ですもの。日本で始めてかもよ?祝勝会しなくちゃね。とにかく今夜はゆっくり休んで。本当にありがとう」
普段からパワフルなマヤの顔にもずいぶんと疲れが見えた。ユキオの戦闘中にも武器の転送やデータ収集など一人でやるには多すぎる作業を一人でこなしたからだろう。
「マヤさんも、お疲れ様でした。ラーメンごちそうさまです」
マヤはニッコリ笑って、くるりと背中を向けて歩き出した。
ユキオは部屋に帰り、ちょうど同じ時間に帰ってきた(焼肉臭い)カズマ達に手荒い歓迎を受けた。さすがにクタクタだったユキオの様子を見て、さっさと寝てしまおうぜというカズマの一言でそれぞれ布団を敷いて横になったのだが、早々と寝息を立てたカズマとマサハルの横であまりに疲れたせいかユキオはなかなか眠れずに寝返りを打っていた。
(せめて風呂には入りたかったな)
来た時に若旦那に説明された浴場には露天風呂があり、紅葉が見えて今の時期評判がいいと聞いて楽しみにしていた。
仕方が無いから朝イチで入ろうと思っていたが、正直眠る前に汗だくで疲れ切った体をほぐしてさっぱりさせたかった。
そうやって布団の中でモヤモヤしていると、小さく二回、ユキオ達の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「?」
だるい体を起こしてのろのろとドアに向かい開けると、そこには浴衣姿のルミナがいた。
髪をまとめているために白いうなじが見えて、暗い廊下の天井灯の明かりでそれが余計セクシーに見える。
(!)
思わぬ来客と見慣れない艶っぽい様子に驚き、ユキオは目を見開いて固まった。
「ごめんね、こんな遅くに…起きてた?」
小声で話すその姿も可愛らしく、心臓が急速に酸素と二酸化炭素を交換し始める中、ユキオはぶんぶんと首を振る。
「大丈夫、疲れてて…どうかした?」
「今日、玖州君温泉に入れなかったでしょ? おじさんにお願いして今お湯を入れてもらったから、遅くなったけど入って欲しいなと思って」
「わざわざ!?」
今日はシステム復旧の為浴場は使えないと館内アナウンスがあったため、完全に温泉を諦めていたユキオは喜んで飛び上がりそうになった。
「うん、おじさんにお願いして…1時間だけだけど、どうかな?」
「ありがとう、早速入ってくるよ!」
思わぬ申し出に歓喜したユキオに微笑んでルミナは静かに帰って行った。ユキオはその心遣いに感謝してカズマ達を起こさないよう、静かに用意をして部屋を出た。
大浴場に来たユキオだったが、入り口で戸惑い立ち止まってしまった。
どこの温泉でも大抵そうだが、入り口が二つある。男湯と女湯でわかれているのだろう。
問題はのれんが外されていてどちらが男湯か判らなくなっているのだ。ただ、片方からは水の流れる音や、かすかに湯気の暖かさを感じる。
わざわざお湯を入れてくれたということはこちらが男湯なのだろうとぼんやりした頭でユキオは更衣室に入った。
手早く服を脱ぎ捨て大浴場に入る。シャンプーとボディソープで全身の汗を洗い流し、心身ともにさっぱりしてからぐるりと風呂を見回した。
炭酸泉やらゆずがうかべられた浴槽、仰向けに寝て浸かる浅い風呂など様々だが全部楽しんでいる時間が無い。
ユキオは迷わずに奥の露天風呂に繋がるドアを開けた。
「おお…」
高校生で、あまり温泉宿に泊まったことが無いユキオにもその素晴らしさが一目でわかる露天風呂が視界に入ってきた。
温泉で満たされた浴槽は天然の巨大な石を組み合わせて築かれている。真ん中には露天風呂のお決まりとでも言うように立派なシルエットを持つ岩がどんと置かれていた。
風呂だけではない。夜空には星が瞬き、ささやかにライトアップされた紅葉が赤と黒のコントラストを刻んでいる。
温泉の湯気があたりにたなびき、まるで極楽秘境の様な雰囲気がかもし出されていた。
(これでこそ苦労した甲斐があるってもんだよ)
満面の笑みを浮かべ、ユキオはさっそく温泉に身を委ねた。
家の風呂とは全く違う、かすかに香りと刺激のあるお湯がユキオの全身をほぐし始め、自然に老人がよくやるような、うあああ~という謎の感嘆が口から漏れた。
「ああ~、生きてるって素晴らしいなぁ」
歳に似つかわしくない感想だが、彼とて決死の戦闘を潜り抜けた戦士である。思い返しても『リザード』を沈めた最後の一撃はバクチすぎた。
投擲せずにグレネードが点火するかも自信が無かったし、さらにミサイルが誘爆してくれなければ恐らく倒せなかっただろう。
さらに予想外の爆発を至近距離で浴びたせいで、ユキオも一瞬脳震盪を起こしかけた。
二度とやるまい、と心に誓い、リラックスして夜空と美しい紅葉を仰ぐ。
そこに、ぽちゃん、と背後で水音が聞こえた。
こんな深夜にサルでも入ってきたのかな、と立ち上がって真ん中にある岩越しに背後を見やる。
(!?)
そこには星よりも、紅葉よりも、否、ユキオが人生で見てきた全てのモノより美しい、真っ白な裸身があった。
「あ…」
「…………き」
と聞こえた後は、言葉にするのも困難な甲高い悲鳴が露天風呂に響き渡った。ユキオはまるで禁断の宝を見てしまったかのように振り返り温泉の中に逃げ込んだ。
(な、なんで奈々瀬さんが!????)
一瞬、湯煙越しに見えたのは、間違いなく先程ユキオを呼びに来た奈々瀬ルミナだった。
ガボゴボと湯の中で泡を吹きながら脳内の思考回路を急速稼動するが、答えが出る前に酸素が足りなくなり、止むを得ずユキオは水面へ浮上した。
「ぶはぁっ!」
呼吸をして酸素を吸い込み、びしょぬれの頭をゆっくりと振り向かせると、岩の上からこちらを見る氷のように冷たい視線と、桜色に染まった愛らしい頬が目に入り、ざばあっ!と派手な水柱を立ててユキオはまた背を向ける。
「…玖州君…」
彼女の声は、今まで聞いたことも無い重いトーンだった。
「は、はひ…」
「…見た?」
見た?と訊かれてここで見ましたとか言える男がいるのだろうか。
暖かい温泉の中で全身の血が凍りついてゆくのを感じながらユキオは緊張で硬くなる口をなんとか開けた。
「む! み! 見て、見てまずぇん!」
「…本当に?」
「はい! 全く!」
正直あたりは暗く温泉の湯気ごしの為に肝心な所は何も見えなかった。もったいないことをしたと思ったが、仮に見ていたら自分は抹殺されるのではないだろうか、とも思い、一日で二度も命を拾った幸運にユキオは感謝した。
「なんで玖州君が女湯に…あ、暖簾が無かったから?」
どうやらこちらは女湯だったらしい。ユキオは自分に非が無いことを説明すべく早口で釈明を始めた。
「そ、そう! 暖簾が無くて、でもお湯が入ってそうなのがこっちだけだったから…」
「どうしておじさん…あ、私が入りたいって言っちゃったから、女湯だけ入れてくれたのか…」
失敗した…と凹んでいるルミナはゆっくりと湯に浸かったようだった。恐る恐る背後を見るが、岩の上に先程見た怒りの女神はいなかった。
「ごめん…全然分からなくて」
「じゃ、しょうがないよね…」
どうやら無罪判決になりそうなので、ユキオはすくめていた肩をゆっくりと下ろす。ようやく温泉の温かさをまた感じられるようになって、長い安堵の溜息をついた。
しばし無言。二人の間に静寂が流れた。掛け流しの湯が二人の間を取り持つように小さく音を立てて流れてゆく。
ユキオがどうしようかとぼんやり月を眺めながら考えていると、ルミナが話しかけてきた。
「玖州君…」
「な、なに…?」
視線だけ岩の方に向けてユキオは答えた。あの美しいほど白い身体がその向こうにあるというだけで興奮してしまいそうで、奥手なユキオはまた心拍数が上がりそうな心臓を押さえるように胸に手を当てた。
「きょ、今日は、ありがとう…一人で、しかもあんな凄い敵を止めてくれて」
「ああ、うん…さすがに今日はヤバかったよ…」
ユキオが心底疲れた、という声を出したのでルミナはクスリと笑ってしまった。
「せっかくの息抜きの旅行だったのに…お肉も食べられなくて、本当、ゴメンナサイ」
「仕方ないよ…<センチュリオン>の仕事だから…焼肉、美味しかった?」
ユキオの胸元に、落ちてきたカエデの赤い葉が流れてきた。
「うん…美味しかった…」
「そっかぁ…食べたかったなぁ…」
うーん、と背伸びをしてそういうユキオにルミナも背後を振り返り、岩越しに話しかけた。
「ごめんね、またお礼しなきゃね」
「いいよいいよ、温泉も入れたし。…本当に綺麗だねこの露天風呂」
「うん、ゆっくりしていって…あまり時間も無いんだけど。じゃあ、先に上がるから…」
「ありがとう、もう少し入ってから戻るよ」
じゃあ…というルミナの声と共に、お湯から上がる音が聞こえた。
ユキオは振り返りたい衝動を懸命に堪えつつ広い風呂に身を任せ続けた。
二人を、銀色の月光が静かに照らしていた。