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コンサバトリーより(中)

 

 三日目。


 調子の悪いと言うユキオに頼まれ、ハルタは代わりにトランスポーターで待つワタルの元へやってきた。


 「オッス、どうした」


 「いや、玖州さんが調子が悪くて、代わってくれって」


 「へぇ、腹でも壊したのかな」


 「いや、なんか顎に氷当ててた」


 「なんだそりゃ」


 まぁいいやと、レーダーモニターの前の椅子に腰を掛け持ってきたコーラのペットボトルを開ける。シュウという爽やかな炭酸の漏れる音が暗い車内に鳴った。節電の為に照明も空調も切られており、開け放したドアから生ぬるい風がかすかに入り込んでくる。


 レーダーに反応は無い。現実世界で言う、この北緯33度52分27秒、東経139度36分07秒。御蔵島の位置から半径100km、合計24個設置されている電脳世界のパッシブレーダーにマイズアーミーのマシンが出す独特の振動波がひっかかれば、すぐさまワタル達のリストウォッチに警報が届くシステムになっている。


 一昨日は180km先、昨日は210km先でマイズアーミーの部隊を感知して出撃しこれを撃破した。この調子で行けばサーバーの防衛はうまく行くのではないかとワタルにもハルタにも思えた。


 「防衛より、トレーニングの方がハードだよなぁ」


 「え?ああ、そうだね」


 早速レーダー監視に飽きてデスクの上に脚をかけるワタルのボヤキにハルタが応える。


 「ちょっとバカンスのつもりで来たのに、あんなシゴかれるなんて聞いてねぇよ。大して年上でもねーのによぉ」


 「まぁ……向こうはホント、戦歴が凄いから」


 「わぁかってるよ」


 よいしょと上半身を起こしコーラをがぶ飲みする。下品なゲップをはいてそれからポータブルオーディオを上着のポケットから取り出し始めた。


 「正直、トレーサーの仕事を舐めてたのはな。カズマさん達みたいにちやほやされると思って始めたけどよ、それだけじゃダメだってのはわかったさ。俺が文句言いてぇのはあの調子のいい東海林のオッサンだよ。そう言えば昨日来るとか言っといて結局来なかったじゃねぇか」


 「急な会議が入ったとかメールが来てたよ」


 「あのクソオヤジ!」


 憤慨するワタルをまぁまぁと宥めながらハルタはレーダーを眺め続けるが、画面には一向に何の変化も訪れない。


 「ハルタは何でトレーサーになったんだよ。アイドルになりたいとか思ってたわけじゃないだろう?」


 「まぁ……ね。東海林さんにスカウトされて、俺の力で街の人が守れるなら、それはいい事なんじゃないかと思って引き受けたけどこんなにハードだとは思わなかったよ……」


 あはは、と苦笑いするハルタにワタルが訊く。

 

 「結局、脳波がなんとかかんとかで適正があるってだけだからな。WATSの操縦に向いてるかどうかは別の話だろ。ハルタは続けるのか?」


 「そのつもりだけど……ワタル、やめるの?」


 「ふーむ」


 腕を組んで急に真面目に悩み始めるそぶりを見せたワタルにハルタが焦り始める。


 「こんなに大変ならやめちまおうか、って気持ちはあるけどよ。でもカズマさん達に根性無ぇ奴だなって思われるのは癪だから、とりあえず見返してやれるくらいのウデにはなっておきてぇよな。そもそもモテてねぇし」


 心配すんなよ、と笑うワタルに胸をなでおろす。


 「テレビのインタビューとか見てて、俺らの一個上だしテキトーにやってるんだろうなとか思ってたからこんなスパルタされてビックリしたってのもあるけど……むしろあんなに真面目にトレーサーやってるなんてな」


 「それだけ辛い戦いをしてきたってことなんじゃない?」


 ハルタからピクチャーシートを受け取る。それはパンサーチームの戦績の記録だった。


 「創設以来、総撃破数5981機……大型機二機撃破、未確認機二機を撃退……か。改めて見返すと、とんでもないチームだな」


 「静岡支部の総撃破数がまだ三万に達して無いからね。大型機の襲撃も無いし……」


 「こりゃ素直に言う事聞くしかねぇか」


 まいったまいったとシートを返しながらコーラを飲み干す。それから嫌そうに備品のタブレットのスイッチを入れた。マイズアーミーのマシンのデータや戦闘記録が表示され始める。


 「自分達なりに、地道に練習するしかないって事だね」


 「お前も真面目だねぇ……」




 






 ユキオが家を空けてから二日、元々物静かな男とは言えそれでも同居人が減るのは少し寂しいモノがある。


 それ以上に、マイズアーミーと戦っている歳の近い親戚の安否がわからないというのは意外にカナにストレスとなった。


 (何かあれば、すぐ連絡とか来るんだろうけどさ……)


 しかしそれは急な知らせが来た場合、全て悪い内容なのだろう。メールの一つもくれれば良いのにとカナは愚痴ったが、トレーサーをやっている事を知らないユキオの母は、弁当や洗濯の手間が減っていることを呑気に喜んでいた。


 「何もなければ、本当にいいんだけれど……」


 自分はそんなに心配性な女だっただろうかと自問しながらも、カナは養成所の自動ドアを通り館内に入った。


 季節替わり特有の、空調の効いていない微妙な温い空気が鼻孔や服の隅々からまとわりついた。ますます不機嫌になった所に、通りかかった同じクラスの女の子から声をかけられる。


 「あ、那珂乃さん、先生が呼んでたわよ。教員室に来てって」


 「えー、なんだろ?」


 じゃあねー、とクラスメートに手を振って別れてから、荷物を持ったまま教員室へ向かう。今日のダンスレッスンのフロアより教員室の方が近いからだ。


 「失礼しまーす」


 心もちおしとやかに扉を開け、中に入る。普段入ることのないせいで受け持ちの教員の席がわからずにキョロキョロしていると、奥の方で細い腕が手招きをした。


 「こっちよ、那珂乃さん」


 「あ、ハイ。おはようございます!」


 40代ほどの細身の女性が資料を取り出しながら、おはよう、と返した。先生、と言うのはあくまで便宜上で立場的にはカナ達の声優コースを担当するコーチである。10年前までは現役だったらしいが、結婚、出産を機に引退。所属事務所のツテで後進の指導に当たっているとの事だった。


 「元気が良いっていうのは、得よね」


 「?……何の事でしょう?」


 礼儀に厳しく、少しヒス気味の教官の機嫌を損ねないようにカナ達は言葉尻に気を付ける習慣を身に付けていた。もともと苦手な分野であるが、慣れて置いて損をすることはないという級友のアドバイスは納得できる。


 「この間、サンプルボイスを入れてもらったでしょう?」


 「はい」


 「ピン役の、小さな女の子の役なんだけどね、あれを聞いた音監の方から使ってみたいオファーがあって」


 一瞬、言われた内容が飲み込めずに頭の中で燻っていたユキオの事を脳の外へ放り出す。


 「あ……」


 「ン」


 女教官は、カナのリアクションを先読みして笑顔で頷いた。


 「ありがとうございます!ガンバリます!」


 「ま、何処を気に入られたのかは聞いてないからわからないけど。何は無くともチャンスだから精一杯やってきなさい……ギャラは少ないし、そもそもそんなにセリフ数も無いと思うけどね」


 「ハイ!」


 じゃあ、このスタジオにこの時間でねと台本とメモを渡される。夢に一歩、大きく近づいた気がしてカナは飛び上がってはしゃぎたい気持ちを必死に堪えた。









 レッスンの合間も、クラスメート達にもてはやされて実際教わった事は半分も耳に入っていなかったような気がする。名無しの単独キャラとはいえクラスの中では初の、しかも異例と言っていいほど早いデビューに羨望の眼差しを浴びて有頂天だ。


 養成所を出て、暗くなった路上でもカナは自然とスキップしてしまった。


 「そうだ」


 帰り道の途中、ユキオのバイトしているフラワーハスノが目に入った。店内のオレンジ色の照明に照らされながら、看板姉妹が外にある鉢植えを少しずつ運んでいるのが目に入る。


 「こんばんわ」


 「あら、カナちゃん。いらっしゃい」


 姉のサクラがいつもの優しい笑顔を見せる。今日の珍しいほど穏やかな教官の笑顔も悪くなかったが、この美人の微笑みの前では霞むどころか吹き飛んでしまうだろう。自分も、ここまでとは言わないからせめて綺麗な笑顔を身に付けたいものだと密かに思った。


 「どうも、ちょっとイイ事があったんで、お花でも買おうかなって」


 「イイ事って?」


 妹のランが駆け寄ってくる。同い年でお互い賑やかな性格のせいか、二人はすぐに気の合う友達になっていた。


 「へっへっへー、お仕事貰えたんだ」


 「スゴイ!やったね!」


 パチン、とハイタッチを交わす。サクラもよかったわねと拍手をしてくれた。


 「それじゃあ、私がお花プレゼントしちゃう」


 「ううん、タダでさえユキ兄が一週間も休んでるんだもの。お詫びもかねて……とは言っても、あまり高いお花買えないけど」


 「そう?でも安くしちゃうわ!どれがいいかな、お姉?」


 そうねぇ……と顎に手を当てて考えるサクラの向こう、カウンターのパソコンとにらめっこしていたダイキが突然大声を上げた。


 「ちくしょう、まただ!」


 「どうしたのいきなり」


 「ん……ああ、すまねぇな」


 咎めるようなサクラの声に顔を上げ、そこでようやく客……カナが来ている事に気づき、苛立ちつつも申し訳なさそうに頭を下げる。


 「最近ネットの調子が良くなくてよ……売上データとか、組合のサーバーに送らなきゃいけないのに全然繋がらないんだ。しばらくすれば戻るんだろうが……ユキオの奴、サボってるんじゃないだろうな」


 只でさえ力仕事担当がいなくてイライラしている所に、その休みの理由であるトレーサーの仕事まで怠けているんじゃないかとダイキが憤慨するのを見て流石にカナも慌てて弁解した。


 「あの、ごめんなさい。お兄ちゃん達、今出張で悠南市にいなくて」


 「なにぃ?じゃあ誰がユキオ達の代わりをやってるんだ?」


 「それは……聞いてないです。そっか、代わり、要りますよね」


 「そりゃあ、ウチみたいな呑気な商売じゃないからなぁ」


 あーあ、次やったら文句言いに行ってやる、とボヤきながら店の奥に引っ込んでゆくダイキの背中を見ながら、カナはデビューの事でいっぱいになっていた頭の中にユキオの事を思い出させていた。


 (そうか、確かにあれだけ働いていたユキ兄ぃやルミナさんが抜ければ、その代わりをする人が必要になる……でも、そんなの、誰がやっているんだろう)


 大通りの向こう、すっかり宵闇に包まれた駅にモノレールが到着する音がかすかに聞こえた。この街の、およそ全てと言ってもいい、コンピュータ制御されている物はすべからくマイスアーミーの襲撃を受ける対象である。それを守ってくれていたユキオ達の不在は、予想以上に自分達の生活が危うい立場にさらされている事なのでは無いかという不安がカナの心に芽生え始めた。











 テーブルの上のカバが埃を被ってきている。それなりに愛着が出てきて、ほったらかしにするのも躊躇われたがわざわざ拭いてやるのも面倒臭く、少し迷った末に思いっきり空気を吸い込み、ふうっ!と吐息で吹き飛ばす。


 埃は、多少吹き飛んだように見えた。


 「よし」


 「よし、じゃねえよ」


 レイミが満足して顔を離そうとしたところに軽く拳が落ちてくる。涙目で振り返るとそこには養成所から帰ってきたヒロムがいた。


 「なによぉ、せっかく埃落としてあげたのに」


 「そんな掃除の仕方があるか。バチがあたるぞ」


 「そんな置物からバチが当たるってんなら見てみたいもんだわ」


 べぇ、と舌を出してテーブルから離れるレイミをほっといて、ヒロムはティッシュで大事そうにカバの埃を落とす。それから窓際に行ってカーテンを閉めようと手をかけた。すでに空は暗く街は無数の照明で溢れかえっている。


 (毎日思うけど、大した国だよな、ココは)


 平和が大事だと言いながら経済的には他国を問答無用で食い物にしている。それはこの国に限ったことではないが、この国は特に建前の裏に潜む贅沢や無駄が巨大だ。


 「贅沢は敵だ、ってこの国の言葉じゃなかったか?」


 「ナニソレ」


 「なんでもねぇよ」


 シャッ、と無地の飾り気のないカーテンを引く。端に安全ピンで取り付けられた、小さなウサギのぬいぐるみがぶらんぶらんと揺れた。ヒロムがカナとゲーセンに遊びに行った時にクレーンゲームで取ってきたものだ。


 振り返れば、最初は殺風景だったこの部屋にも思い出の物が増えてきている。ヒロムが持ち込んだものはどれもカナがらみの物が多かった。でかいぬいぐるみや、名前も知らないアイドルのポスター、猫の写真のカレンダーに冷蔵庫に貼ってあるスイーツのマグネット。そしてテーブルのカバのプラモデル……。


 (ヤレヤレだな)


 気が付けば、という奴だ。気が付けば、自分もこの贅沢な毎日に染まっている。きっとそのうち、あの辛い故郷の生活には戻れなくなるかもしれない。


 堕落を避けるために、毎日故郷の神であるこのカバに祈りを捧げているが。


 (人間って奴は、どうしようもないって事なのかね)


 最終的に自分さえ嫌悪しそうになったヒロムに堕落しきった同居人が話しかける。


 「そういえば、上から指示が来てたよ。明後日から何日か養成所休んでね」


 「はぁ?どういう事だよ」


 苛立った声を出しながら振り返るヒロムにレイミが一通の茶封筒を突きつける。切手も、宅配会社のバーコードも貼られていない、『何者か』がわざわざこのマンションのポストまで直に持ってきた物だ。


 中に入っている文書に目を通し、ため息をつきながら肩を落とす。


 「こんなのまで、俺達の仕事なのかよ……」


 「まぁいいじゃない。アメリカ人の相手にも飽きてきたし」


 「そのアメリカの会社も、なんだって急にこの支部に紛れ込んできたんだ?」


 「さぁねー、アタシ達と一緒じゃないの?」


 「まさか!」


 慌てた拍子に体がテーブルにぶつかる。衝撃で落っこちかけたカバを危うくレイミが抑えた。


 「もう、危ないでしょ!」


 「い、いや……でもそんな、他に情報が漏れてるのか?」


 「それ以外にこんな不自然な動きに理由付けられる?逆にしっくり来過ぎて怖い位じゃない」


 そうだが……と棒立ちになるヒロムにレイミがウィンクしながらカバを手渡した。


 「大丈夫よ、どうせ彼が帰ってくるまでは、奴等にはどうしようも無いわ」



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