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コンサバトリーより(前)



 戦闘が終わった後は、軽く食事をしてそのままマサハルがオルカチームの三人をポッドに引きずりこんだ。過去、パンサーチームが戦ってきた局面を再現して対処法を叩き込むと言っている。


 (大丈夫かね……)


 米軍支給のハンバーガーは思ったより味は悪くなく、満足できるモノだった。食器の後片付けをするユキオを残して、ルミナとカズマもその様子を見に行っている。ヴィレジーナは体が鈍ると言って一人ジョギングに出かけていった。


 食器は飛羽が持ってきた私物で、木で出来ている年季の入った厚手の皿だった。端に穴が開いていて、そこにS字の金具を通し木と木の間に渡したロープに吊れば、食器立てが無くても水が切れるという代物だ。飛羽の持ってくる物にはいろいろと感心させられる。


 「さて……」


 六枚の皿とフォークを吊るし、布巾も絞ってかけるととりあえずは手すきになる。昨日組んだスケジュールをカズマ達に見てもらうついでに、ユキオもポッドの方へ行きワタル達の様子を見る事にした。


 頑丈な折りたたみのステップを踏んでオリーブグリーンの大型トランスポーターに入り込むと、マサハル達が苦い顔をしながら腕を組んでモニターを見つめていた。


 「どうしたんだ?」


 事情を図りかねているユキオにカズマがクイと親指でモニターを示した。モニターの向こうではオルカチームの三機と『リザード』が相対している。『リザード』は表面にそれなりにキズを負っているもののどれも致命傷には至っていなかった。対するワタル達は、ジャケットアーマーをだいぶはがされて、内部の素体が露出し始めていた。この状態で『リザード』の火炎放射やミサイル斉射を受ければ、大破も免れないかもしれない。


 「いきなり『リザード』はキツイんじゃないか?」


 「先にユキオの戦闘記録見せたら、ワタルがやる、って言うからさ」


 半ば呆れ顔でそう答えるマサハル。


 「もう15分も戦闘してるけど、このままじゃ負けてしまいそうね」


 「でもこいつらの『サリューダ』は俺達の『ファランクス』より全スペックで上回ってるんだぜ。力技でもなんでもコイツくらいはヤッてもらわねぇと……」


 ルミナもカズマも歯がゆそうに見守っている。そこで、車体が軽く傾いた。ドアを開けて飛羽が入ってきたからだ。その後ろには隊長のリックも大きな顔を覗かせている。


 「よぉ、さっきはお疲れ」


 「……どうも」


 元気無く飛羽に答えると、予想通りでかい平手でばちーんと背中を叩かれた。


 「なんだなんだ元気出せ、リックもさっきの手並みを褒めていたぞ」


 その言葉にユキオがリックの方を向くと、ニコニコと頷きが返された。


 「若いのに大した錬度だ。安心してサーバーを任せられる。どうだ、ウチの部隊に来ないか?」


 「ええっ!?」


 急な言葉に一同が驚く中、飛羽だけは冗談だろう?と笑い飛ばした。


 「まだ高校生だぞ、向こう1、2年は無理だ」


 「卒業してからでもいいさ。優秀な若手は是非欲しい」


 「あごぎだねぇ……どうする、ユキオ?」


 「い、いやっ……」


 アメリカ人らしいとでも言うのか、ドライかつストレートなスカウトに戸惑って、ユキオは素直な感想を言うのが精一杯だった。


 「す、少し、考えて見ます」


 その言葉が意外だったのか、リックはヒュゥと口笛を吹いた。


 「じゃ、いい返事を期待しているよ」


 それだけ言うと、トランスポーターの出口から手を振りながら離れていく。入り口を塞いでいた大きな体がいなくなったせいで、爽やかな島風が暑くなり始めた車内に爽やかに流れた。


 「本気なのか?」


 飛羽が問いかける。少し心配そうな表情をしているルミナに手を振りながらユキオも慌てて否定した。


 「急に言われて、何も考えられませんよ。少なくとも今はそんなつもりは無いです」


 ルミナがそれを聞いてホッと息を吐く。それを見て、ユキオも内心安堵した。


 「ま、そうだよな。ウチだって急にいなくなるのは困る。代わりに優秀なのを育てて置いていってくれないと……で、話題の彼らはどうなんだ?」


 そこで、じっとリアルタイムモニタとにらめっこしていたマサハルがどんよりと肩を落として振り向いた。


 「ま、これからですかね」


 その親指の先には、三機仲良く倒れて、黒煙を上げているオルカチームの姿が映し出されていた。









 

 「どういう事なんですかねぇ」


 口調は穏やかだが、怒りで若干吊りあがっている目元は隠しようも無い。初めて見るその表情に慄きつつも、国府田は深々とマヤに頭を下げた。


 <センチュリオン>悠南支部・オペレータールームにある十数のモニターの一つ、トレーサー達の待機室が映し出されている。普段であればイーグルチームの面々がめいめいに雑誌を読んだりくつろいでいるその部屋には、今、見慣れぬ外国人達が大声で談笑しながら我が物顔で居座っている。部屋の隅に助勤のシャークチームのスタッフが、彼らの雰囲気に気圧されたかのように固まっているのが痛々しい。飛羽がいれば怒鳴り込みに行っているかも知れない。


 (いや、間違いなく行っているでしょうね)


 心中でそう言い直しながら、マヤは目の前で頭を下げている国府田の説明を待った。たっぷり五秒を数えてから、ようやくスーツに身を包んだ真面目そうな青年が顔を上げる。ポケットから高価そうなハンカチを出し、額の汗を拭く姿は傍からみれば可哀想でもあるが、当事者ともなればそんな事も言う心の余裕も無い。


 「恥ずかしい話……私にも何故こうなったのか……イーグルチームとパンサーチームの出張が決まってすぐ、私は輿水さんの所に派遣を依頼しました。急な話ではありましたが引き受けていただいて、四日前までは間違いなく先方からスタッフが来る手筈になっていたのですが……」


 若干早口になりながらそう説明する国府田とマヤがチラリとモニターを見る。そこにいるのはどう見ても、普段何かにつけ手を貸してもらっている輿水組のトレーサーでは無かった。


 土建屋か、人によってはその筋のモンかと思われかねない名前だが輿水組は民間の対マイズアーミー防衛を請け負う会社である。国家組織である<センチュリオン>だけでは実質、マイズアーミーの侵攻を完全に防ぐことは難しく、こういった民間企業がサーバーや研究機関の防衛をすることで報酬を受け取る事は珍しい事ではなかった。日本国内では<センチュリオン>と民間企業の対比は6:4だが、海外においては国家機関と民間企業の対比は逆転する事のほうが多い。


 輿水組は悠南市の隣町に本社があり、悠南支部の手が足りないときは臨時でトレーサーの出張を依頼する事が何度もあった。言わば頼れる外注であり、マヤも彼らがいたから飛羽やユキオ達の出張を認めたようなものだ。

 しかし、当日になって実際に来たのは、聞いた事も無いような名前の海外の防衛企業のスタッフだった。


 「先日上司に呼び出され話を聞くと、急に契約が変えられて、この……<メネラオス>のスタッフがサポートに入ることを知らされました。私はすでに輿水さんと契約がある事を再三申告しましたが、すでに決定事項と聞く耳持たず……一体何が何だか……」


 そう、汗を拭きながら説明する国府田の様子には怪しいところは見られない。根が素直な彼の事、証言にウソはないのだろう。


 「輿水さん、気を悪くしたでしょうね。これからヘルプ聞いてくれなくなったらウチの支部も困るんですけど」


 「すぐに事情の説明とお詫びに行きましたが、大変憤慨されていて……当たり前の話ですが……」


 「あそこの社長さん、頑固親父そのものですもんねぇ」


 輿水社長は頑固とかいう言葉ではすまされないほどの堅物で、筋の通らないような相手には特に容赦無い事で業界でも有名だった。不義理なクライアントに噛み付いた話も両手の指で足りるような数では無い。その光景を思い浮かべてさすがにマヤも国府田に同情して口調を緩めた。


 「後で私も銅鑼焼き持って行くわ……で、<メネラオス>?聞いた事無いんだけど。ギリシャの会社?」


 「いえ、米国の会社で。元々はプログラムメーカーらしいのですが昨年秋からウォールドウォー業界に参入してきたそうです」


 「腕前はあるみたいだけど、マナーに至っては最悪ね。よりにもよって、って奴よ」


 「本当に申し訳ない……」


 モニターの向こうでその<メネラオス>のスタッフの一人が持ち込んだビール瓶を開けてラッパ飲みを始めた。言うまでも無く館内は禁酒(今時、勤務中に飲酒が許されている企業があるのだろうか)である。


 「イーグルチームが帰り次第叩き出すけど、とにかく何でこんな事になったのか一分一秒でも早く納得できる説明をお願いできますかね」


 「かしこまりました……」


 がっくりと肩を落として国府田が踵を返した。若干気も引けるが、あの傍若無人な連中の手綱を握る事を考えると、そんな感情は塵のようだと言ってしまえるほど些細な事だった。


 (米軍からの派遣要請に、急な海外企業からの助っ人……何かあると言わんばかりではあるけど……なんなのよ、もう)


 すでに館内のセキュリティレベルは厳戒にしてある。この支部の重要機密にアクセスするような輩がいれば一発でひっかかるようにアリシアには手配してもらっているが、それで不安が解消されるものでもない。


 「ユキオ君達に、何も無ければいいけど……」


 マヤの指は、無意識にデスクの引き出しの中で滅多に手にしない胃薬の袋を手探っていた。










 朝に戦闘があった以外は、島に接近するマイズアーミーは現れなかった。それで、オルカチームはみっちりとマサハルの厳しい訓練を受ける事になり、夕方には疲労しきった顔で夕食に顔を出してきた。昨晩と同じバーベキューと言うのも、彼らの食欲を損ねたのか口数少なく食事を終えた後はノロノロとテントに帰っていった。


 夕方から天候は崩れ始め、火の始末をする頃には厚い雲が空を多い美しい星空を隠してしまっている。


 「降らなければいいけどな」


 カズマが残ったベーコンを齧りながら呟いた。今夜はこれからカズマ・マサハルが警戒担当で、三時間後にレジーナ・ホノカに交代する。ユキオの組んだローテーションは概ねそのまま受け入れられた。


 「そうだな、夜中に雨の中、トランスポーターまで走りたくないし」


 ユキオはクーラーボックスから冷やしておいたミネラルウォーターを出して飲みながら、燃え残った木炭に灰をかけて、頑丈なジャリ缶に入れて蓋をした。これで万が一雨が降っても濡れずに明日も使う事ができる。


 「連中が来ないのが一番だけどな……ま、来ても俺達で何とかするから、二人は寝てくれよ」


 「トランスポーターの中で、どうやって時間潰すんだ?」


 ユキオの問いに、クーラーボックスに手を伸ばしながらカズマが答える。ジンジャーエールを二本取り出して見せながら。


 「今夜はEフォーミュラの香港戦があるから、それを観てるわ」


 「へぇ……面白いのか?」


 「意外とな。最近ハマってるんだ。美人のドライバーとかいたりするんだぜ」


 「なるほどね」 


 なんとなく納得をして、二人に後の事を任せてテントに戻る。ルミナはヴィレジーナとシャワーを借りに行っている筈だ。さすがに一人で向こうのキャンプ地に行ってシャワーを浴びる度胸は無いらしい。


 テントのジッパーを開けようとした所で、雲間に青紫色の雷光が見えた。ややあって雷が鳴り響く。


 (デカい……)


 街で聞く雷音とは違う。ビルや建物が無く開けた空間に、海上の湿った空気を吸った雷雲は荒ぶる自然を体現するかのように容赦の無い轟音を鳴り響かせた。


 「雨が降らないだけいいけど……コレはおっかないな」


 雷を怖がるほど小心者ではないユキオだが、普段のそれとはスケールの違う大音量にさすがに立ちすくんだ。再び、前よりも近い空に光が走るのを見て慌ててテントに入り込む。


 ドォ……ォォォォ……ン……。


 マイズアーミーの戦闘メカを撃破した時のような音にも似た轟音と振動がテントを震わせる。まさかテントに落ちないだろうな……と肝を冷やすが、キャンプ場には高い木がいくつもある。まさか自分のテントに直撃することは無いだろうと言い聞かせて、気分を紛らわせようと折りたたみの小さなヘッドホンを出した。


 タブレットに繋いでインターネットラジオのサイトを見ると、時々聞いている番組がゲームミュージックの特番をやっているのが目に入った。丁度いいとアクセスすると、聞き慣れたDJの声に混じって、小学校の頃によくやったゲームのBGMが流れ始める。


 懐かしい気分に浸ると、落雷の音も気にならなくなった。むしろあの頃夢中になったRPGの事を思い出し興奮する。鳴り止まぬ雷の中、魔王の城に向かう長い道のりがユキオを苦しめた記憶がよぎった。


 「さてと、明日朝イチは俺とワタル君で警戒担当だから……」


 独り言を言いながらスケジュールを詰めようとしていると、ふとテントが一際大きく揺れた。耳を澄ましても外はすでに荒れ模様で風が木々を揺らし不穏な唸り声を立てているだけで何も他には聞こえない。強い風が通ったのかと思ったその時、再度不自然にテントが揺らされた。同時に、今度はかすかに自分を呼ぶ声がする。


 (?)


 ジッパーをあけると、暗闇の中、寒そうに腕を抱くようにして肩をすくめているTシャツ姿のルミナが立っていた。シャワー上がりのせいか髪は湿っていつもよりボリュームが無いのが新鮮だが、それよりも酷く不安そうで、今にも泣きそうな顔をしているのが珍しい。


 「玖州君……」


 「ど、どうしたの?」


 急な来訪の理由がわからず問いかけたところで、再び暗雲を紫電が裂いた。びっくりして飛び上がるルミナの頭上に威圧感のある雷音が容赦無く降り注ぐ。


 ヘッドホン越しでも鼓膜が破れるのではないかというその音に顔をしかめていると、ルミナが言葉も無くテントに飛び込んできた。ユキオを押しのけて中に入ると、普段は見ないような俊敏な動きでジッパーを閉める。


 「な、奈々瀬さん!?」


 「お願い、今夜はここにいさせて!」


 「え、いや、そんな……」


 「雷……」


 続けて鳴り響く雷にルミナは震えながらユキオのTシャツの袖を掴んだ。ガタガタと震えながらも、その細い手には肩口から破られるのではと思うほど力が入っている。


 「雷、苦手なの……」


 「そ、そうなんだ……意外……」


 素直な感想がぽろっと口から出た事を後悔する。ルミナが涙混じりの目で睨みつけてきたからだ。


 「で、でもここじゃなくても……白藤さん達のテントとかの方が」


 男女で狭いテントで寝るというシチュエーションに興奮しない訳ではないが、初心過ぎるユキオは倫理的にマズいと思いやんわりと断ろうとした。何よりバレればカズマ達に冷やかされるのは必至だ。それはできれば避けたいところである。


 「二人は今夜遅くに起きなきゃいけないし……それにもう外出たくない!無理!お願い、一緒に寝かせて!」


 聞きようによれば酷く大胆な事を言っているがルミナの目は必至にユキオを頼っている。さすがに断れず、また自分を頼ってくれた事を密かに嬉しく思いながら、ユキオは仕方ないなという演技をする事に全力を傾けた。


 「わ、わかった。今夜だけ……じゃあ冷えてきたし、奈々瀬さんはシュラフ使って、俺はタオル羽織って寝るから……」


 「え、そんな、悪いよ!」


 「大丈夫大丈夫」


 シュラフはアメリカ製で、大人用という事もあり無理すれば二人入る事も出来そうだが、自分の汗ばむ体に一晩中ルミナを密着させるわけにはいかない。それで無くとも一緒に寝るのはセケンテイという奴が許さないのでは無いかと思えた。更に言えば、自分の中に眠る性欲が仮に爆発したら、経験の全く無いユキオには制御しようが無いのは明白であった。


 覚悟を決めて、泣きそうになっているルミナをシュラフの中に押し込める。迷子の子猫のように怯えきっているルミナの手を握ってやると、やっと少しだけ安心したような笑顔を見せた。


 「電気、点けておくから。明日もいつ出撃があるかわからないし、早く寝よう」


 「うん……玖州君」


 「ん?」


 「ありがとう」


 恥ずかしそうにそう言ってルミナはシュラフの中に潜り込んだ。手だけはしっかりとユキオの指を握り締めている。本当に怖がっているのだろう。


 ユキオも、逆にルミナがいる事で心が落ち着いていた。ラジオを切ってヘッドホンを外し、空いている手でぽんぽんとシュラフの上からルミナの体に手を置くともぞもぞとルミナは体を少し動かす。雷が再び鳴り響き、風もテントを揺らしたが先程のように怯えてはいないようだった。その様子に安心して、ユキオも眼をつむり意識をまどろみの中に任せていった。










 (あたたかい……)


 うつろな感覚の中で、ルミナは自分の体が柔らかく、暖かいものに包まれているのを感じでいた。随分と悲しい夢を見たような気がするが今は何も怯えるような心配は無い。子供の頃母に抱かれていた時のような、ただひたすらに安らぎを甘受していた贅沢な時間……。


 もう高校生だと言うのに、こんなに甘えてしまって恥ずかしいのではないかとミリ単位で目覚め始めている理性が釘を刺すが本能はそのような囁きだけでは覆せなかった。大人だってたまには甘えたいのだ。祖父の家の老犬、ジョニーも私が顔を見せる度に甘えてくるではないか。愛玩動物と人間は違う?ええい、うるさいなぁ。邪魔をするなぁ……。


 (それにしても……)


 この暖かさはやけに実感がある。というか必要以上に熱い。その上母とは違い少し重苦しく、汗ばんでいて母のような甘い匂いも無くむしろちょっと嗅ぎなれない汗臭さが……。


 そこで、ようやくルミナの意識はまどろみから醒めはじめていった。








 (ン……)


 ふと目を覚ます。テント越しに光は見えず、まだ朝が来ていない事がそれで知れた。時間を見ようと左腕を上げようとするが、妙に体が不自由でそれは叶わない。


 (なんだ……?)


 眠くて開くのを拒否している瞼をなだめ付けるようにゆっくり、何回も開け閉めを繰り返す。ようやく焦点を掴んだ瞳が見たものは、胸元の真っ黒な毛むくじゃらの物体だった。シャンプーの甘い匂いと少しだけ、汗ばんだ匂いがする……。


 「……!!!!!?」


 唇を噛みしめて驚きの声を必死に殺す。それは、頭だ。ルミナの寝癖まみれの。


 落ち着いて状況を確かめる。ユキオの手を握っていたはずの両手は、何故かユキオの胸元を思いっきり握り締めていた。Tシャツの首元が延びまくり、息が苦しい。このせいで目が覚めてしまったのか。


 シュラフからルミナの全身が出てしまっている。額をユキオの顎に押し付けて、胸元で丸まっている。滑らかな肌の露出した脚がユキオの両脚に絡みつき、それを把握した瞬間全身の血がボッ、と熱を帯びた。よからぬところがよからぬ生理現象を見せ、顔を真っ赤にしながら腰を引こうとするがルミナの脚が関節技の如く両脚を捉えている。


 (だ、脱出を……)


 この現場を誰にも、ルミナ本人にも見られるわけにはいかない。しかし、どこをどう動かそうにもルミナを起こさずに離れる手順が見出せなかった。まるで、もうどこを抜いても倒れるような状態にされたジェンガのように。


 (落ち着け、慌てたらおしまいだ。落ち着くんだ、落ち着いておちついてオチツイテ……何か、何か手は……!)


 寝汗でじっとりしている全身の上に更に冷や汗が吹き出て二重のコーティングがかかる。かつてマイズアーミーとの戦いで何度も絶望的な局面に立たされたが、今はそれらの記憶も吹き飛んでしまうほど追い詰められている。


 (何で、こんなしっかり手も脚もホールドしてるんだ……!?)


 ピクリ、とルミナの頭が動いた。息を殺す。頼む、まだ起きないでくれ。ユキオは祈った。神に、仏に、駄菓子屋のヨネに。しまった、ヨネばぁはまだ死んでない。


 ヨネの呪いだろうか。無情にもルミナは薄目を開けた。子猫のようにモゾモゾと動きながら小さくあくびをする。可愛い。しかしそれは見てはいけない愛らしさだった。


 「……?」


 夢うつつの表情でルミナがユキオを見る。心臓がこれ以上なく早く鼓動し、荒らぶりそうになる呼吸を殺しながらユキオはとにかく、あくまで平静を保って常識的な態度を取ろうとした。


 「お……」


 「……」


 「おはよう……」


 たっぷり三秒ほど、二人の空気が止まった。


 ルミナの瞳がやがて光を帯びて、目の前にいる人物とその距離感(ゼロ距離だが)を把握したようだった。ハーフパンツから伸びる自分の片脚がユキオの両脚の間に潜り込んでいるのまでをしっかり確認してから、再びユキオの顔を見る。


 ユキオの口は、う、の形から動かないまま呼吸も止まっていた。しかしルミナはそれを申し訳ないとか可哀想だなとか思う余裕は無かった。


 朝靄の広がる中、小さなテントから昨夜の雷音以上の悲鳴と、顎を砕きかねない威力のアッパーがヒットする打撲音があたりに漏れわたっていった。






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