モモタマナ・ハウス(後)
「もう出発するの?」
朝四時。
玄関で靴を履いているユキオにカナが声を掛ける。傍らにはユキオの父が独身時代に旅行に使っていたと言う古いボストンバック。一週間分の着替えしか入っていないものだが、さすがに年季の入った、というよりタダの古臭いバッグを使うのはどうかと思えた。
(ルミナちゃんだっているんだからさぁ、もうちょっとキレイなの持って行けばいいのに……)
そんな従兄妹の気も知らず、眠たそうな顔でユキオが振り返る。
「ああ、六時前のフェリーに乗らないといけないからな。結構ギリギリだ」
「そう……いってらっしゃい」
よいしょと鞄を持って立ち上がったユキオが不思議そうな顔でカナを見る。
「どうした、元気ないな」
このすっとぼけた男が、銃を手に街を守っていると言うのはタチの悪い冗談のようにも思える。
ウォールドウォーでユキオが戦っている事を知って以来、カナはネットで短くない時間を調べ事に費やした。
WATSの操縦には特定の脳波レベルを持つ人間が必要な事。電脳世界での戦闘とは言え、脳への疲労は大きい事。ダメージ次第では神経を負傷し半身不随になるケースもあるという事……。
事実を知り、トレーサーを辞めるように何度も言おうと思った。しかし、両親にも事実を話していないユキオにはそれなりの覚悟があるのだろう。そうヒロムに言い聞かされて、カナも自分の思いも胸に秘め続けている。
「そんな事、ないよ」
「そっか」
ノブを取って玄関のドアを開ける。空はまだ暗闇が少し薄まった程度で、すれ違う人の顔もわからないほどだ。
「レッスンも大事だろうけど、勉強もちゃんとやれよ」
「わかってるよ……ユキ兄ぃ」
「ん?」
「気をつけて、ね」
「お、おう」
カナの想いにも気付かずにとぼけた顔を残して、ユキオはその太い体を暗い通りに溶け込ませて行った。
飛羽の運転するワゴンで、ユキオ達は竹芝桟橋に到着した。多少乱暴な運転ではあったが、どこかの誰かほどではない。四人は安心して朝焼けの中、転寝をしながらドライブを楽しむ事ができた。
「お前ら、今回の任務はわかってるな」
海鳥が屯する道路をフェリーターミナルに移動しながら、飛羽が眠そうな若者達に確認する。
「マイズアーミーの兵器工場を調査する部隊のホームサーバーの護衛……ですよね」
未だ頭がぼやっとしている男子三人に代わりルミナがおずおずと答えた。
「それだけじゃないが……主な任務はそうだ。一週間をかけて地下11層に及ぶ巨大工場跡を米陸軍と俺達イーグルチーム1班が調査をする。潜っている間、島に設置する仮設サーバーを防衛するのがパンサーチームの仕事だ。サーバーがやられたら下手したら潜ってる連中の意識が戻らないなんて事にもなりかねない。責任は重大だぞ」
「そんな大仕事を子供に押し付けるってどうなのよ……」
マサハルがぼやく横でルミナが歩を早めて飛羽に追いつきながら問いかける。
「マイズアーミーの襲撃はどのくらいになりそうなんですか?」
「事前にパッシブレーダーを設置して二週間ほど調査した所、日に1、2回小規模の編隊が島の周辺を通過するそうだ。はぐれ部隊なのか定期的な偵察部隊なのか判別はできんが、島そのものに接近するものは多くない。周辺海域にもウォールドウォー用のセンサーを捲いてある。敵機の接近には余裕を持って気付けるはずだ」
まぁ、運悪く夜中に来ちまったときは、お前らに起きてもらわなきゃいけないんだがな、とクックッとおかしそうに笑う飛羽にユキオ達は恨みがましい視線をぶつけた。
「そう心配するほどじゃないさ。しばらく南の島でキャンプが楽しめると思えばいい」
フェリーターミナルから見える埠頭にはユキオ達が乗る民間のフェリーと、物々しいシルエットの見慣れない巨大な船がある。大きく開口した先端部から、迷彩服を着た大勢の人間とカーキグリーンに塗装されたバスほどの大きさの車両が次々と乗り込んでいった。
「あれは米軍の揚陸艦だ。イングルウッド級。海兵隊500人、戦闘車両5台、ヘリ3機が詰め込める最新型……というか、ウォールドウォーのあおりを受けて小型化されてしまったエコ揚陸艦、だな」
まだ低い朝日に照らされて、艦のシルエットは光でなぞられたように見える。小型化されたという言葉が全く似合わないその巨体に四人は圧倒されていた。
「新しい兵器はドクターマイズのサイバー攻撃で作れないんじゃないですか?」
ルミナの問いに、飛羽がさすがだな、と振り向く。
「砲塔が無いだろう。名目上は災害救助艦という事になっている。さすがのマイズの野郎もそこまでは妨害しないらしい。それでもいざって時には艦砲がつけられる様、細工はしているようだがな」
「なんで小型化したんだ?」
その横でカズマが眠そうな声で訊ねる。ワゴンの中でも一番眠っていたはずだが、まだ足りないようだ。
「ウォールドウォーの効果が絶大だったからさ。大規模戦闘が無くなって各国軍隊は軍備の縮小をせざるを得なくなった。あのイングルウッド級だって国防長官が血を吐くような思いで予算を確保して建造させた貴重な艦なんだ。その前のアメリカ級なんかあの三倍以上輸送力があったんだからな」
「でも、戦争はもう起きないんだろ、いいじゃないか」
「ドクターマイズの野郎が、兵器を封印できている間はな。それが破られた瞬間、軍備の無い国なんかは一発でお陀仏になるかもしれないんだぞ。軍の責任者なんかみんな胃に穴が空きそうな思いをしているさ」
ふぅん、とその深刻さをわかっているんだかいないんだかという生返事をするカズマやマサハルに飛羽がやれやれを肩をすくめていると、背後から野太い英語が聞こえてきた。
一同が振り返ると禿頭で恰幅のいい40代ほどのアメリカ人がニコニコしながら近付いてきている。先程見た兵士達と同じ迷彩服を着ているところをみると、米軍人なのだろう。
「よぉ、リック」
飛羽も嬉しそうな顔をして歩み寄りガッシリと握手した。二言三言英語で会話をすると、ユキオたちの方を平手で示し、何か紹介をしている。
「……で、こちらはリック・D・ハリソン大尉。栄光あるアメリカ陸軍第25歩兵師団のベテラン隊長だ」
「ヨロシク、パンサーチームの諸君。リック・D・ハリソンだ。リックと呼んでくれ」
大尉というからには相当階級の高い人物なのだろうが、その人懐っこい笑顔からはあまり軍人らしさを感じられなかった。遠い所に住んでいる親戚のオジサンの様な気さくさで、ユキオ達と順に握手を交わす。
「諸君らの戦歴は見させてもらった。大変優秀な成績だ。ウチの隊の連中の半分は君達以下の腕前だろう。安心してサーバーを任せられる」
流暢な日本語で褒められて四人が返事に困っていると飛羽が苦笑いしながら口を開いた。
「あまりおだてないでくれ、まだまだヒヨっ子みたいなもんだ」
「事実さ、俺だって未だにあのコンピューター・ゲームのような感覚に慣れないで困ってるんだ。アサルトライフル抱えて突撃してる方が性に合ってる」
「そりゃあ、こっちだってそうさ」
ガタイのいい大人二人が、ターミナルの大きな待合ロビーを揺らすんじゃないかと思うほどの大声で笑った。搭乗時間を待っている他の乗客が何事かと一斉に振り向く。
「しかしリック、よく最新鋭艦をひっぱってこれたな」
「海軍の連中だって実績作りに必死さ。こっちから話してないのに向こうから使ってくれって言ってきた。ま、ウチの師団は海軍無しではやっていけないからお互い様だな」
「なるほどねぇ」
二人が窓越しに軍艦を眺めた。その背中は、頼もしい大人のそれでありながら一方で時代の移り変わりに困惑している中年の哀愁も漂わせているように見える。
(って言うのは、さすがに図に乗りすぎだろうけど)
ユキオが一人小さく呟いているとフェリーの搭乗案内のアナウンスがロビーに流れた。ユキオはボストンバッグを掛け直してルミナに、行こうと声を掛けた。
「見えてきたね」
時折海面から飛び出て飛行をするトビウオを眺めていたユキオがルミナの声に視線を上げる。
北緯33度52分27秒・東経139度36分07秒・御蔵島。
元々、それほど賑わいのある島ではない。ダイビングやドルフィンウォッチングが出来るという事で一定の観光客はいるが定住者は少ない。
(だからって、無人島でもない……日本人の中にドクターマイズの協力者がいるってことなのか?)
それは、否定は出来ないが嫌な感覚である。
何故この島の位置に巨大工場が設営されたのか、そして何故廃棄されたのか。それを調べる為の調査だ。ユキオ達は直接<潜る>わけではないが、責任は重大である。
「木が多いんだね」
「そうだね、まるで山が浮いているみたい」
ルミナが無邪気そうにそう言いながら空を仰ぐ。滑らかな黒髪が陽光を弾きながら風になびくのにユキオは見とれた。
「どうかした?」
「い、いや。このバイトを始めてから学校結構休んでる気がして」
笑顔で近付いてくるルミナに、慌てて当たり障りの無い話題を返す。素直に「キレイだね」と言えれば、ユキオの女性関係ももっとスムーズになるのだろうが、それは望むべくも無い。
「そうだね、私達もだけど神谷君達はレコーディングとかインタビューでいない日多いもんね」
「あの二人はそれで問題無いって顔してるけどね」
「出席日数は多めに見てもらえるけど、授業自体はどんどん進んじゃうからねぇ……」
新田さん達にお勉強教えてもらうようにお願いしてみようかしら、と顎に手を当ててルミナが独り言のように呟く。
「誰?」
「うん?あ、ウチのクラスの神谷君達のファンの人。成績良いんだ……そう言えば話変わるけど、シータの方は大丈夫?」
ルミナは先日の『ヘラクレス』との戦闘での事を言っていた。
「ああ、うん。あれ以来は大人しいよ。ホント、なんで勝手に『グロウスパイル』を起動したんだか……」
「でもシータがプログラムを解除してくれなければ、私達負けていたよ」
「そうだね、感謝してる……でもAIが自分の判断で行動するのは、ちょっと、怖いよ」
「早く原因が解ると良いね……私のイータもあんな風に動いたりするのかな」
どうだろう……と呟くように答えてユキオはまた海の方を見た。
(ウォールドウォーには解らない事が多すぎる……)
相手にしているモノが複雑で巨大で、いっそ全てを放り出して何も関わり合いの無い生活に戻りたいと思う事が最近良くある。
しかし、人手不足の悠南支部を見るまでも無く、自分が抜ければ誰かが代わりをしなければならないのはよくわかっている。ユキオは今の仕事を人に押し付けてまで辞めようと思うほど思い切りのある男では無かった。
(結局、後ろ指差されるのが嫌だから、辞めないのかね、俺)
それだけでは無いと思いたいが……と小さく呟きながら視線をフェリーの先へ移す。船はいつの間にか島の港に入ろうとしていた。
キャンプ地は辛うじて平坦ではあるが雑草が長めに延びていて歩きにくい。先行して入った米軍兵が電動の草刈機で芝を刈るように雑草を短くしている風景は少し奇妙であった。
もともと、大分昔、バブル期とかいう名前で呼ばれていた時期に観光客を見込んで山の麓に切り開いたキャンプ場だったらしい。しかしその後の長期不景気時代を待つまでも無く採算性の悪さに早々と閉鎖し、以来数年に何度かの簡単な役所の手入れ以外は放置されてきた土地である。
キャンプ地は大小の二つの区画に分かれている。大きく、バンガローにシャワーやトイレなどが揃っているエリアを米陸軍とイーグルチームが使うようだ。そこから杉並木と小川を挟んでいる小さな区画をユキオ達学生チームが使う事になっている。
小さいとは言え、大き目の児童公園くらいは広さはあるがそこにはウォールドウォーに参戦する為のポッドが四つ入っている巨大な米軍のトランスポーターが二台駐車されていて、テントが張れるスペースは半分くらいになっていた。
すでに二つ、真新しいテントが張られていて、何人かの人影があった。ユキオ達が区画に入るのに気付くと一番年かさの痩せた中年男性が近寄ってくる。
「どうも、静岡支部の東海林です。今回はどうも、お世話になります。いやパンサーチームの皆さんに面倒を見ていただけるとは、ホントありがたいことで。おおい、みんな」
メガネを掛けた気の弱そうな男だが、腰が低いだけで人の良さそうな人物だ。東海林と名乗ったその中年の声にテントの周りにいた学生達が集まってくる。
「いや、こちらこそ。静岡の次期エースと仕事ができて嬉しいですよ」
なぁ?と調子良く挨拶する飛羽に苦笑いをするしか無い。そうしている内に東海林の後ろに4人の学生が集まった。始めにやってきた、こちらも丸眼鏡をかけている女子が一歩進んで挨拶をした。
「初めまして、<センチュリオン>静岡支部、オルカチームの白藤ホノカです。よろしくお願いします」
ルミナに負けず劣らず丁寧な仕草が印象的だ。一方でスレンダーなルミナに比べて少し肉付きが良い……一言で言ってしまえばややぽっちゃりした印象があるが、その胸は高校生らしからぬ豊かさで一瞬男性陣の視線を釘付けにした。ユキオだけは隣から発せられる不穏な気配に、不自然に視線を彷徨わせる。
続けて背の高い、長髪を金髪に染めた軟派そうな男と、ユキオよりも背が低く、気弱そうな細身の男が挨拶をしてきた。
「矢井川ワタル。チームのフロントをしてる……よろしく」
「秋山ハルタです、いろいろ勉強させてもらいます。よろしくお願いします」
矢井川と名乗った方は外見通り真面目そうには見えなかった。(コイツはカズマ達に任せよう)と思いながらユキオは視線を横に流して秋山の方を見る。なりは小さいがハキハキしていてやる気はありそうだ。
この三人が静岡支部で養成している学生チーム、オルカチームらしい。パンサーチームの成功を知った各支部では、ウォールドウォーの長期化を見込んで若手の育成計画を開始していた。
未成年を戦場に出す事への批判はあるものの、一方でパンサーチームの認知度、そして人気ぶりはそれを上回っている。その任務上秘匿性が高く、ネットでは税金泥棒との呼び声も高い<センチュリオン>がそのイメージアップの為にそういった動きに出るのは止むを得ない事であった。
ユキオ達も順次挨拶を返す。半ばアイドル活動をしているカズマやマサハルに対してユキオとルミナについては彼らも何も知らなかったらしく興味深そうにじろじろと見つめられた。
「あー、オルカチームはこの三人なんですが、今回は特別な参加者、というか協力者がいまして……」
東海林がそう言いながら振り返った先には、ルミナより小柄な少女がいた。まず何よりも目を引くのは、ほとんど銀色に近い金髪。そして鋭さを秘めた透き通るような青い瞳。美しく延びた鼻梁が異国の生まれである事を示している。
色気の無い軍用ベストを着込み、ショートカットに近いボブカットであるもののその整った目鼻立ちは女性らしい雰囲気を充分に醸し出している。少し離れた所にいたその少女が進み出て姿勢を正し、略式の敬礼をした。
「ロシア国軍、対マイズアーミー特別大隊所属、ヴィレジーナ=ウォーレエヴナ=ベローファだ。よろしく」
軍属らしい厳しさを含んだその自己紹介にユキオ達が戸惑いながらよろしく、と返事した。そんなユキオ達に笑いながら飛羽はいつもの軽い調子で紹介を続ける。
「歳はお前らと一緒だが、彼女はロシア軍でも重要なポストにいる人物の家の人でな、もう三年もWATSで戦っている先輩だ。今回は技術交換という事で助っ人も兼ねて来て頂いた。少尉、よろしく頼みます」
年齢は大きく離れているものの、軍属に対する敬意を示しながら飛羽が握手を交わす。
「こちらこそ、日本の若手エース部隊のお手並みが見られると聞いて楽しみにしています」
リック大尉よりも流暢な日本語でそう話す彼女を見て、ユキオ達は完全に毒気を抜かれてしまった。オルカチームの指導という話は聞いていたが、不意に出会う事になったこの異国の美少女に、そんな事は頭の中から抜け落ちてしまいそうだった。
「人にはレジーナと呼ばれている、気軽にそう呼んで欲しい」
とても気さくとは言えない口調で、ヴィレジーナはそう言った。
これが、オルカチーム、そしてロシアのベテラン美少女パイロットとの出会いであった。