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モモタマナ・ハウス(前)




 夢を見ている時に、夢だと気づかないのは幸せである。


 特に幸せな夢を見ている時は。




 白い、新品のシーツが敷かれた大きなベッドの上にいる。優しい声が耳たぶを震わせながら鼓膜に届き、脳を軽く快楽に浸してゆく。


 指先を鼻先に持ってくる。横向きに寝ている頭の下で枕になっているのは、太く柔らかい、しかし筋肉の詰まった太腿。その温かさが髪を通して側頭部に伝わってくる。


 同じ様に太く丸い指が、それに似合わない繊細な手付きで自分の髪を持ち上げ、丁寧に櫛で梳いている。夢現の心持ちで、髪を伸ばしていた事を幸運に思う。


 怠惰とも言えるような幸福の時間を甘受していたが、残念ながら自分の髪は満遍なく梳かれてしまったようだ。髪が無限にあればいいのに。そうしたら彼はどんな顔をするだろうか。いつもの少し困った笑顔できっと櫛を持ってきてくれるに違いない。


 まだ眠気に支配されている頭でボンヤリと上体を起こす。彼の、柔らかい指が薄手の絹のネグリジェをたくし上げて……。





 ドアをノックする音にルミナは一瞬で飛び起きた。時計を見れば食事を終えて学校へ向かわなければいけない時間だ。完全に寝坊だ。ルミナにしては大変珍しい事である。


 (あんな夢を見るから……あんな、あんな……)


 目覚める前の一瞬を思い出す。あのままネグリジェを脱がされていたら、自分のあられもない姿が……。


 顔からマグマが吹き出そうなほど頬を染めていると、ドアを開けて義姉が部屋に入ってきた。


 「おはよう……大丈夫?顔真っ赤よ、風邪でも引いた?」


 「だっ、大丈夫!ちょっと、夢が、夢で……」


 慌てて否定してベッドから転げ落ちるように出る。着ているのは二年も前に買った色気の無いパジャマだ。


 (何がネグリジェよ、もう!)


 もう暫く夢を見ていたかった気持ちと、寝坊してしまった事への焦りがごちゃごちゃになって整理がつかない。とりあえず着替えなければ……髪も自分で梳いて……。


 (私、あんな願望があったのかしら)


 高校二年生が見るにはいやらしすぎる、という程でもないが自分の中にそういう欲求があるのかと思い少し愕然とする。靴下や下着を引っ張り出しながらふとドアの方を見るとマヤが壁によりかかってにやにやとこちらを見ていた。


 「……どうかした?」


 「いやぁ、どんな夢見てたのかなって」


 「そっ、そんなの姉さんには関係無いでしょ」


 必要以上に突っぱねて言う妹にマヤがますます意地悪そうに目を細める。


 「冷たいなぁ……ま、いいけど。だいたいわかるし。まさか夢でそんな、ねぇ……」


 「わ、かる……の?」


 姉の言葉に驚愕して目を丸くするルミナにマヤは大笑いしながら踵を返した。


 「ウソよ」


 「○△×□◎〒▼◇……!!!」


 最早言語を成さない怒りの台詞と共に投げつけられたクマのぬいぐるみは、哀れ閉められたドアに叩きつけられぽてっとカーペットに転がった。








 昼休み。


 「はぁ……」


 クラスメートとランチを食べながら、ルミナは今朝見た夢の事を思い出してため息をつく。弁当はとても作る時間が無かったので購買で買ったサラダサンドを食べているが、味はイマイチだ。二度と買うまい。


 「どうしたんの、欲求不満の主婦みたいなため息ついて」


 「……私、そんなため息ついた?」


 思いも寄らぬコメントにびっくりしながら聞くと、その場の女子達は一様に首を縦に振った。頭を抱えて机に突っ伏する。


 総勢5名。いずれもカズマやマサハルのファンをやっている。そのせいで同じパンサーチームとして共にいられる時間の長いルミナに冷たくしていた時期もあったが、彼女の好みがこともあろうにあのぽっちゃり体型の冴えない男子と知れると、一転友人として迎え入れるようになった。


 ルミナも別にその事を恨みがましく思ってはいない。もしかしたら自分も逆の立場なら同じ様な態度を取りたくなってしまうかも知れないと思うからだ。


 特に、こうまで自分の心の中を大きく占領してしまう異性がいるような状態では。


 「玖州君の事でしょ、どうせ」


 ケラケラと隣に座るショートカットのシイナが笑う。肯定も否定も出来ずにほっぺたを膨らませるルミナに真向かいに座る、五人のリーダー的な存在のリョウコが不思議そうに聞く。


 「もうさ、付き合っちゃえばいいじゃん。そんなにスキなら」


 「そんな事言われたって……」


 「いや、わかるよ?男の方から言ってもらいたい気持ちは」


 それが全てでもないのだが、その悩みも無くは無い。ルミナは引き続き押し黙る。


 「でもさ、もし他にアイツの事好きな奴がいたら、これはもう戦争よ?早い者勝ちよ?ルミナは優等生なんだから、略奪愛なんてハードル高いことできっこないんだから」 


 再び一同の頷き。


 「でもそんな変わった人いるのかな」


 リョウコの隣で空気を読まず意見を言ったユミにリョウコがチョップを入れて黙らせる。


 「いたい!」


 「茶化すんじゃないの」


 ヤンキーっぽい印象なのに意外と洒落た言葉を知っているなとルミナは感心した。


 「実際どこを好きになったの?」


 「あー、でも結構優しいんでしょ?こないだウチのクラスの大島さんがゴミ箱ひっくり返した時別のクラスなのに片付け手伝ってくれてたみたいだよ」


 「へぇー!優しいー!」


 (また知らないところで妙なフラグを立てかねない事を……)


 自分の想い人が同性に褒められるのは嬉しい事のハズだが、反面ルミナはユキオにモテて欲しい訳では無い。むしろ恋敵は全員排除しなければいけないのだ。現実世界に『St』のスナイパーライフルがあれば24時間監視をして妙な接近を図る女性は片っ端から狙撃してしまいたいほどである。


 (いや、さすがにそれはやりすぎだけど……)


 変な自問自答をしてまたため息をつくルミナに、リョウコは普段とは少し違う真剣な口調で告げた。


 「とにかく恋愛は攻めたモン勝ちよ。押すにしても、引くにしてもね」


 















 青空は少しずつ明るさと鮮やかさを取り戻している。冬が終わった事を知らせているのだ。


 「もう、1年か」


 「……そうですね」


 何とはなしに呟いた南雲の言葉に、ユキオがすまなそうに相槌を打つ。南雲が入院してからの病院で過ごしてきた時間の事を言っているのだ。


 少しだけ開けている窓から、まだそれほど温かくは無い風が入り込みカーテンを揺らした。


 「別に責めている訳じゃない」


 南雲も、悪かったなという顔をして窓からユキオを振り向き、レイミの淹れた茶を啜った。メイドは空気を読んでいるのか、二人から少し離れた所で珍しく静かにしている。


 「ワシはプロとしてやるべきことをやった。それに今のお前たちはワシよりもよく働いている。不便だが、悔いは無いよ。人生と言うのはそれでいいんだ」


 「そういう……ものですか?」


 「男の人生はな」


 そう言って傍らの若いメイドに視線をやる。レイミはお淑やかに肩をすくめて微笑みだけを返した。


 「それが若い娘にはわかってもらえない。だから、お前たちはこんな風になったりはするなよ」


 「はぁ……」


 いまいちピンと来ていないユキオにやるせなさの混じった苦笑を見せて南雲は話を促した。


 「で、少し街を離れるとか言っていたな」


 「あ、ハイ。国内ですけど……なんか大規模な工場跡が見つかって、それの調査隊の護衛という事で。島らしいんですけど……」


 「島か」


 ふうむ、と顎に手をやってから、話を続けようとするユキオを制して南雲はメイドに振り向いた。


 「芦原さんや、スマンがちょっと席を外してもらえるかな。コイツにお菓子でも買って来てくれるとありがたい」


 「ン……かしこまりました」


 レイミはちょっと戸惑ったものの、ユキオにウィンクしながらじゃねー、といつもの軽い調子で部屋を出る。


 扉を閉めてから、一瞬、立ち止まったがすぐに階段の方へ歩いていった。


 (感付かれたかな?)


 一般人に聞かせられない話と言うのもあるだろうが、素性を危ぶまれるのはよろしくない。ユキオの話は重要そうだったが、今の立場と引き換えにする程でも無いだろう。しかし。


 (街を出る……か)


 悠南市を出られれば、パンサーチームへ仕掛けるのは少し難しくなる。現実世界とウォールドウォーは位置関係は無関係ではない。日本から出撃してブラジルの戦場へ向かうのであれば、ウォールドウォー世界でもそれだけの距離を移動しなければいけないのだ。それに、離れれば離れるほどラグも発生しやすくなる。だから、ウォールドウォーでの戦闘は、その現場に近い部隊が向かうのが基本であり常套であった。


 それは、レイミ達も同じである。


 (発見されやすい旧工場で、島と言えば小笠原か、伊豆諸島、アリューシャン……国内って言ってたからアリューシャンはないか。追ってもいいけど、アタシはメイドの仕事があるし)


 ヒロムは養成所に通っている。簡単には動けないな、とため息を吐く。


 (ま、いいか。工場跡が見つかって困るのはアタシ達じゃないし)


 当面の仕事は遅延するが、仕方ないだろう。なにかあれば上から言ってくるに違いない。それに、この間使い切った手持ちの兵隊の補充も終わっていなかった。焦っても仕方ない。


 「しばらく、ゆっくり出来ると思っておくか」









 ナルハが<センチュリオン>悠南支部を去り、カズマ達が復帰して二週間。マイズアーミーの襲撃は驚くほど減っていた。その間、CDデビューしたカズマとマサハルは取材攻めだったのでそれは都合が良かったが、肝心のイーグルチームは仕事が減り頭を悩ませていた。平和なのは何よりだが、実績が無ければせっかく獲得した予算も減らされる恐れがある。


 そんな中、飛羽が陸自時代に交流のあった米陸軍少佐のリック・D・ハリソンからとある仕事を請け負ってきた。


 「米国からの依頼なら無碍には断りにくいけど、せめて本部を通してくれないと……」


 マヤの頭をまた悩ませるその話は、米陸軍との共同調査だった。悠南支部への『ギガンティピード』襲撃時にマイズアーミーの地下工場が発見されて以来、各国は精力的に電脳世界の地下調査を進めてきた(繰り返しになるが、それまでウォールドウォーに<地下>の概念は無かった)。


 その結果、海外でもいくつかの小規模の工場跡が見つかったが、いずれも稼動停止してから暫くの時間が経過しており、ドクターマイズやマイズアーミーの本拠地に繋がるような手がかりはつかめなかった。


 そんな中見つかったのが、電脳世界で言う伊豆諸島・御蔵島の近海に位置する地点。推測地下11層にも及ぶ巨大工場跡であった。


 他の工場と同じ様にすでに稼動は終了しているものの、それだけ巨大であればドクターマイズの何かしらの手がかりがつかめる可能性は充分にある。日本政府はその調査を米国と共同で行う決定を下した。


 「だいたい、なんでその仕事の情報が米軍からこっちに来るのよ」


 悠南支部のミーティングルームであからさまに猜疑心丸出しの顔をして飛羽に食ってかかっているマヤをアリシアがどうどうとなだめていた。


 「今はアメリカ本土よりアジア方面の襲撃が活発化しているわ。<センチュリオン>のメンバーで調査チームが組めないなら、米軍に協力を要請したって不自然では無いでしょ」


 「それにしたって調査内容くらい事前に回してくれたっていいじゃない。弱小支部だからってバカにしてんじゃないの!?」


 「どの支部にも届いてないのよ、その情報が」


 飛羽もコーヒーを飲みながら何度も首をかしげていた。


 「確かに。太平洋のど真ん中、ハワイとかアリューシャンならともかく小笠原だからな。それを米軍だけで調査と言うのはどうにも腑に落ちない。リックもそれを不思議がって俺に話を回してくれたんだが」


 どうせなら日本人スタッフもいた方がいいって言うからさ、と紙コップをクズカゴに投げ入れる。


 「不審な点はいくつかあるが、まぁ乗らないわけにもいくまい。政府の許可は出たし、俺達がいない間のヘルプは国府田が手配してくれるんだろう?二人には悪いがヨメさんがいないところで羽をのばしてくるわ」


 役得役得と言いながら伸びをする大男をマヤが恨みがましそうに睨む。


 「納得いかないけどもう決まっちゃったことはしょうがないわ……でもパンサーチームまで連れて行くことないじゃない?」


 「ああ、静岡からの頼まれ事も一緒に片付けようかと思ってな」


 「研修の件?大丈夫なの?」


 普段大抵の事では動じないアリシアも少し心配そうな声を漏らした。


 パンサーチームの活躍はすでに日本全国に知れ渡っており、その好成績は若者特有の反射神経に拠る部分が大きいと言う説はウォールドウォー関係者の常識となりつつあった。未成年を電脳世界とは言え戦場に送り出す事には問題が大きいもののいくつかの支部では試験的に、トレーサー早期養成という名目で未成年の若者を中心とした小隊を運用する計画を立て始めていた。


 静岡支部はその中でも先駆けて、実践的な戦闘小隊、オルカチームを結成したのだがパンサーチームほどの習熟が見込めず、<センチュリオン>内でも激戦を潜り抜けている評価の高いイーグルチーム、パンサーチームに研修をしてほしいという依頼が来ていた。


 「合宿みたいなもんさ。こっちに連中を呼んだってユキオ達が学校に行っていたら教えられる時間は半分になっちまう。どうせなら一気に片つけたほうが効率がいい」


 飛羽のリストウォッチが三時を示した。事務仕事に戻らなければいけない。やれやれと腰を上げながら話を続ける。


 「それにウチの隊がサーバー防衛だけやっていたら結局工場内を検分するのは米軍兵士だけになっちまう。それは、まずいだろ。イーグルチームの代わりにユキオ達と静岡のガキどもにやらせるさ。いない間のことはくれぐれも頼んだぜ」


 「その分、書類仕事は肩代わりしてもらうからね」


 半睨みになって言うマヤに面倒そうに手を振りながら飛羽は部屋を出て行った。


 



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