チョコレート・コスモス(後)
「パスコードは、これかなー?」
レイミはインフォメーションモニターに出た、暗号解析プログラムが割り出した予想パスコードをタッチした。
ヴゥゥゥゥゥゥン!という低い振動音と共に、『ヘラクレス』の握る赤い長刀に暗い荒野を照らす黄金の刃が出現する。
「ま、まさか……」
スピーカーからノイズ混じりに、ユキオが慄く声が聞こえた。レイミが見下すような笑みを見せて黄金の光に照らされている『ファランクス5Fr』を正面に捉える。
「何度も手の内を見せておいて、対策されて無いと思う方がおかしいのよ。ユキオ君」
過去の戦闘記録から見ても、この武器は稼働時間が短いはずだ。特に使う必要も無いが、せっかく奪ったものだしデータ取りのためにも振り回しておいて損はあるまい。
小さな足でペダルを踏み込み、コントロールスティックを操る。一気に間合いを詰めた『ヘラクレス』が光の軌跡を引いて『サンライト』を乱雑に振り抜くと、『ファランクス5Fr』の誇る重装甲シールドの上端がザックリと斬り飛ばされた。
「ワァオ!素敵じゃない~」
上機嫌になったレイミがうろたえる『5Fr』に返す刀で二撃目を与える。『ファランクス』の右腕が肩口から切り落とされ、夕闇に回転しながら弧を描いた。
ついでに他の二人も、脚でも叩き折っておくかなと考えたが、そこで『サンライト』の光刃は突如霧散して溶ける様に消えてしまった。エネルギーが切れたようだ。
「何よ、使えないんだから……。じゃあ、ちょっと名残惜しいけど時間も無いし、終わらしちゃおうか」
稼働時間の切れた『サンライト』を無造作投げ捨てる。ザッ、と地面に突き刺さった大刀に目もくれずそのまま左手を翳し『5Fr』に向けると、レイミはコンソールの脇に無造作に付け加えられたボックスのスイッチを押し込んだ。
(ど、どうしようって言うんだ……)
虎の子の『サンライト』をあろうことか奪われ、右腕まで失ったユキオはさすがに戦意を失いかけた。二人を撤退させないと、と思うのだが衝撃と恐怖で言葉が出せない。
近寄ってきた悪鬼のような『ヘラクレス』が左腕を掲げると、そのマニピュレータに光の線が血管のように細かく張り巡らされた。怪しく発光する掌がガッシリと『ファランクス』の頭部を掴んだ瞬間、ユキオの脳髄内を電流が踏みにじるように走り抜ける。
「ぐぁあああああああああああ!?」
『ヘラクレス』の腕から、雷の嵐を思わせるような激しいスパークが迸り『5Fr』を縛り上げるように巻き付いた。不快感という言葉だけでは言い表せない、頭の中にまるで砂嵐が起きたかのような苦痛がユキオを襲う。霞む視界の中で、全てのモニターは明滅を繰り返しコントロールスティックもペダルも操作を受け付けない。
「シ、シータ!」
苦痛と混乱の中でユキオは頼みの綱であるサポートAIを呼んだ。けれども、返ってくるのは自分以上にダメージを受けているかのような、AIの判別不能の音声だけだ。
「……ガ、データ……不可……以上ノ接……ア、……テクダ……」
(ダ、ダメか……!)
打つ手が無い。ユキオが諦めかけた、その時、聞き覚えのある轟音がユキオの横を駆け抜けた。
「!?」
続けて、金属の激突音が響き渡り、『ファランクス5Fr』があお向けに転倒した。脳内を荒らしていた電流も収まり、ユキオは頭を振りながら復帰を始めたモニターで周囲を確認する。
(あれは……!)
倒れたのは『ヘラクレス』が『5Fr』の頭を離した為だった。その左太腿、先程ルミナが傷つけた弾痕に太い金属の矢が深々と突き刺さっている。
「玖州君!大丈夫!?玖州君!!」
悲鳴に近いルミナの声に振り返る。『St』の右手には、先日ユキオがテストした試作兵器、クォレルランチャーが握られていた。マヤが転送したものだろうか。
『St』が左手に握った太矢を銃身に装填する。ルミナが続けざまに放ったクォレルは装甲の薄い頭部センサーを深々と抉った。『ヘラクレス』が身悶える隙にユキオはバーニアを全開にして緊急離脱する。
「ありがとう、奈々瀬さん!」
「平気?ケガは無い?」
泣きそうなルミナを安心させようと、ユキオは酷い吐き気と頭痛を堪えて空元気を出す。
「大丈夫、大した事無い!」
そこに、意味不明の音声を発していたシータの音声が割り込んできた。
「シ……ステム、リ、ブート。自己診断……チェック。復帰。データ、損傷21%」
「シータ、大丈夫か!?」
「戦トウ、継続ハ、可能デス。『グロウスパイル』ノ……起動ヲ、行イ、マス」
「何だって!?」
ユキオはシータの予期しない発言に一瞬固まった。
『グロウスパイル』は『ファランクス5E』のアップデートの際に『ヴァルナ』に内蔵される事になった追加武装だ。『5Fr』のメインコンデンサと『ヴァルナ』内のサブコンデンサの全エネルギーを投入する、攻撃力に不安のあるユキオ機の言わば切り札として開発されたものの出力や持続時間が全く安定せずテスト運用でもまともに使用できたためしが無い。実戦となれば言わずもがなである。
そのため、ウェポンセレクターにも登録されていない上に、アリシアによって厳重にプログラムを封印されていた。使用可能状態にするには彼女の持つ解凍プログラムを転送した上で、数十分、もしくは数時間のローディングが必要となる。
それをサポートAIであるシータが承知していないはずはなかった。
「出来るのか!?、いや、今はそんな時間は……」
問いただすユキオの前で、シータはインフォパネルに多数のコードウィンドウとローディングバーを表示した。
「シータ!」
「コードハッキング、プログラム解除開始」
(<ハッキング!?>)
シータの言葉の違和感を追求する間も無く、ローディングバーは一瞬にして進行し『グロウスパイル』が使用可能になった旨が表示された。
「なっ……」
「『グロウスパイル』スタンバイ。準備願イマス」
普段とは若干違う、有無を言わせぬ威圧感のあるシータの音声に気圧されるようにして、ユキオがグリップを握った。
バウッ!
防御の要、大型シールド『ヴァルナ』の装甲が四方に弾け飛ぶ。四散した盾を握っていた左手に残されたのは、丁度拳部分を包み込むようなガントレットに近いパーツだけだ。
拳の先には大きな開口部のある浅い円筒形のパーツが備えられている。その開口部から少しずつ光の粒子が溢れ出し始めた。
「玖州君……」
ルミナのか細い声が届いた。ルミナも『グロウスパイル』がまだ不安定な事を知っている。しかしユキオの目には、今までに無く『グロウスパイル』が安定して稼動しているように見えた。
(行ける……いや、やるしかない!)
どの道他に手は無かった。このまま負けるくらいならこの未完成の武器に賭けた方がマシだ。
顔面に突き刺さった太矢を力任せに抜いた『ヘラクレス』が片刃斧を構え接近してきた。夕闇の荒野にに悪鬼のシルエットがおぞましく延びる。
ユキオは歯ぎしりして、満身創痍の二人に悪いと思いながらも指示を飛ばした。
「コイツは一回しか使えません、絶対に外せない。二人とも、協力してください!」
二人が頷く。
ナルハの『エストック』が前面に回りこみ特攻をかけた。斧を叩き落そうと果敢にも片腕で鋭い手刀を次々と繰り出す。
しかし、ユキオの求めるスキは得られない。『ヘラクレス』は『エストック』を引き離そうと暴れながら肩の拡散ビームと火炎放射を撒き散らしユキオやルミナにも回避行動をさせる。『St』の握るクォレルランチャーがビームに焼かれ爆発した。
「くっ!イータ!」
姿勢を崩した二機の『ファランクス』にナルハを跳ね除けた『ヘラクレス』が強襲する。ユキオはギリギリでその一撃をかわしたものの、接近戦に弱いルミナは豪腕をまともに受けて宙に浮いた。
「奈々瀬さん!……!?」
ユキオにはそのルミナの『St』が被弾しながらも虚空に向かい<何か>を投げた、ように見えたが、続けて正面モニター一杯に接近してきた『ヘラクレス』の姿に硬直する。
「しまった!」
必殺の間合いだ。振り上げられた斧を見てユキオの心臓が握り潰されるかと思うほど一気に縮まる。
その敗北を覚悟したユキオの前に、割り込む影があった。
「させるかっての!!」
ナルハの隻腕の『エストック』が立ちはだかり、振り下ろされる斧の刃に向けて残された傷だらけの左の拳を打ち付ける。
(!!)
無情にも巨大な斧は『エストック』の左腕を切り裂き、そのまま左胸まで抉り込んだ。
非常事態のアラートが鳴り真っ赤に明滅するポッドの中で、しかし、ナルハは会心の笑みを見せた。
「最後に、ワンチャンあったわね!」
『エストック』の右脚が力強く跳ね上がる。三日月の弧を描いて、ナルハの最後の一撃、サマーソルトキックが『ヘラクレス』の胸板にヒットした。
大きく体勢を崩した『ヘラクレス』に、さらに上空から急接近する機体があった。弾薬を撃ち尽くし待機飛行していた『ゼルヴィスバード』だ。
『ゼルヴィス』の脚部クローから落下したフラッシュグレネードが『ヘラクレス』の至近距離で激しい閃光を放った。ルミナが、自分を犠牲にしながら『ゼルヴィス』にパスした『5Fr』のグレネード。予想外の一撃に『ヘラクレス』が悶える。
「玖州君!」
ルミナの叫び。これを逃しては、最早勝機は一分一厘たりとも得られないだろう。ユキオは全神経を集中しながら『ヘラクレス』の胸元へ加速をかける。
「『グロウスパイル』!」
「ランス形成、最大出力」
ユキオの声に従い、シータが『グロウスパイル』を稼動させた。踏み込み、左拳を下から腹部へえぐり込ませる。
「くらええええええええっ!!」
『5Fr』のコンデンサのエネルギーを全て収束し、開口部から大量のレーザーが奔流となって『ヘラクレス』の上半身を貫いた。
闇の戦場が一瞬だけ真っ白に染めあげられた。