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ポーチュラカ(前)



 「どうよそっちは」


 三日ぶりのヒロムからの電話に、レイミは不機嫌さを隠そうともせず答えた。


 「どうもこうも無いわよ。パンサーチームの助っ人は大した腕でザコじゃ相手になんないし。出撃管理しながらオモテの仕事もしなきゃいけないし。アンタ、帰ってきたらたんまり事務仕事残ってるからね」


 「マジかよ……」


 どこか疲労を感じさせるヒロムの声がまた一段沈んだ。


 「そっちこそどうなのよ、プロデビューできそう?」


 「楽しみにしとけよ……そういえば俺の女……いや、付き合ってるわけじゃないんだが、どうも5Frのトレーサーの身内と知り合った」


 「ユキオ君の?」


 思いもしない話にレイミは首をかしげる。


 「確かそんな名前だったな……なんだ、知り合いか?」


 「アンタ、アタシの決死の潜入捜査をなんだと思ってんの」


 「潜入ってほどでもねーだろ」


 電話の向こうからは他の話し声や、時折車のすれ違うような音が聞こえてくる。


 「何よ、外からかけてるの?」


 「俺だってそこまで迂闊じゃないさ。で、アレはどうなんだ?」


 「アレ?ああ、アレねぇ……」


 問われてレイミは食卓から少し離れたところで点きっぱなしになっている液晶モニターをちらっと見やった。


 「んあー……48、今49パーになったとこ」


 「俺が帰る前に使えそうだな」


 「アタシ使ってもいい?」


 前触れも無くプレゼントを与えられた子供のようなウキウキした声のレイミにヒロムは溜息混じりに頷いた。


 「ああ、どーせ稼動試験はしなきゃいけないからな」


 「色もアタシが決めていいの?」


 「何色にしようってんだよ」


 「ナイショ!」


 電話の向こうのヒロムが狭いデコに手を当てて俯く様子が手に取るようにわかった。


 「色なんか、何だって性能に関係ないだろうけどあんまりケバい色にするなよ」


 「ダイジョブダイジョブー、アタシこれでもデザイナーの素質があるって褒められた事あるんだから」


 「誰にだよ」


 「4歳の時に死んだばーちゃん」


 「ばーちゃんの冥福を祈るわ」


 「えー、いいよそんなの」


 罰当たりな女だな、とボヤくヒロムを無視してレイミは話を進めた。


 「とにかく、寄り道とかしないでさっさと帰ってきなさいよね!仕事は溜まるし毎日退屈だし、もうこのカバの顔も見飽きたわ」


 「カバ馬鹿にすんな!」


 んべー、と相手に見えもしないのに舌を出しながらヒロムの抗議を聞かずに通話を切る。それから買っておいたマフィンを温めなおす為にトースターに入れながら、レイミはさっき見た液晶モニターを振り向いた。


 (無策で突っ込むわけにもいかないけど……得意じゃないのよね、こういうの)


 トースターに入りきらず、一個あまった冷えたマフィンを小さな可愛らしい口に運び、齧る。


 「……美味しくない」


 





 ナルハの舞台は、二日後だった。


 ルミナとしては、ナルハから受け取ったチケットというのが少し気に入らなかったが、それで(初めてと言っていい)ユキオからのデートの誘いを断るような真似はしなかった。


 お気に入りのワンピースを着て、春物のコートを纏ってユキオを迎えにバイト先のフラワーハスノに向かう。


 「こんにちわ」


 「あ、ルミナちゃん。いらっしゃーい」


 カウンターで店番をしていたのは看板姉妹の妹の方、ランだった。退屈していたようで歳の近いルミナの来訪に嬉しそうに手を振った。


 「ランちゃん、お疲れ様」


 「おねーちゃんが配達に行っちゃったからねー……玖州さーん!彼女さんですよー!」


 振り向いて裏手に向かって大声を出すランの口を、顔を真っ赤にして慌てて押さえる。


 「ちょ、ちょっと、止めてよ!」


 「えええ~なんでぇ~?」


 中学生に似合わない、恋バナ好きな女の顔をしながら振り返るランの向こうから店長のダイキの野太い声が響いてきた。


 「ったく、仕方ねぇな!早く着替えに行って来い!」


 「スンマセン!奈々瀬さん、ちょっと待ってて!」


 ドタバタと騒がしい音と共に駆け出してゆくユキオの声に、ルミナも口に片手を添えて気持ち大声を出す。


 「大丈夫、時間もまだ余裕あるから!」


 返事も無くロッカーに駆けて行ったらしい気配を感じて、ふう、と小さな肩を落とす。ランはニヤニヤしながら、まだ顔の赤いルミナに小さなティーカップを渡した。


 「もう付き合ってるんでしょ?」


 「そんな……ちゃんと言われてない……」


 年下相手に俯いて、モジモジと小声で答えるルミナ。


 「言われてない、って告られてないって事?……まぁそういうの言わなそうだけど、でも別に告られなくても付き合って……イダァ!?」


 ゴスッと酷い音と共に父親の鉄拳がランの脳天に落ちた。


 「なにすんのよお父さん!」


 「人の事に口出しするのは、まともに弁当の一つでも作れるようになってからにするんだな」


 「関係ないでしょお!」


 バーカ!と目に涙を浮かべて家の方へ引っ込んでいったランを無言で見送ってから、ダイキが真面目な顔で頭を下げる。


 「すまん、男手で育てるとああも無神経になるもんか……」


 「い、いえ!いいんです!……バイトの時間、中途半端になっちゃったりしませんでした?」


 「今日はサービスだ」


 ニヤリ、と笑うその顔は、やはり親子で似ている。ルミナも紅茶を一口飲みながらクスリと笑った。


 「まったく……散らかしたまんまでアイツは……」


 ダイキはカウンターに置きざりにされたプリムラの鉢を棚に戻し始めた。表情は見えないが、その仕草に寂しさを感じてしまったルミナはいい話題も思いつけず、黙ってしまう。


 「アイツはうるさいから、早く嫁にやってしまいたいが相手を見つけるのに苦労しそうだな」


 「そうですか?」


 「いや、わからんよ……案外ああいう性格の方が……」


 普段のダイキとは違う、物静かな口調が狭い店先の空気に沁みるように消えてゆく。それを踏み荒らすように、いつもの騒がしい足音が聞こえてきた。


 「お、お待たせ!」


 少し汗を額に滲ませてやってきたユキオもまた、いつもよりは気を使ったような服装をしている。


 (まぁ……合格かな)


 偉そうな事を言えるほど、自分だっておしゃれに敏い訳じゃないけど……と内心で思いつつもルミナはお疲れ様、とユキオに声を掛ける。


 「店長、すいません今日は……」


 「いいから、行って来い。あと教習所にも通っておけよ」


 「えー、あ、はい……」


 歯切れの悪いユキオの背中を押して店から追い出す。その後を追ってルミナも外に出ると、ダイキはぴしゃりとガラスのドアを閉めた。


 「怒ってる……のかな」


 「いや、大丈夫だと思うよ。たぶん」


 呑気な顔でユキオが店に背を向けた。


 「じゃ、行こうか」


 「うん」




 劇場は、フラワーハスノからさほど遠くない、丁度駅との中間にあった。レンガつくりのそれは五十年も昔に作られた地下の小さなもので芝居関係の人間にはそれなりに知られているものの、生まれた時から悠南に住んでいるユキオの両親ですら知らないような建物である。


 低い天井の階段を潜り、狭い受付にチケットを渡してから客席に進む。


 「うわぁ……」


 いかにも、な古いつくりの空間にルミナが思わず声を漏らす。階段状になった客席は座席の分かれ目が無く、座布団が並べられているだけであった。その先には舞台があるが、非常に客席と距離が近く境界というものが全く無い。

 何人かすでに席を取っている大人達を避けて、二人は奥まった端の方に座る事にした。その後も次々と観客が来るものの、ユキオ達のような十代の学生は見られず大人ばかりが席を埋めていった。


 そうしている内に、音割れのする使い込まれたスピーカーからブザーが鳴り、照明が落とされた。挨拶も無く静かに芝居が始まる。


 ナルハを主役としたその芝居は、取り立てて珍しい話でもない女子高生と社会人の恋愛だった。


 黒縁の野暮ったいメガネを付け、黒く染めた髪を三つ編みにしてセーラー服を着たナルハは二人の全く知らない女性になっていた。


 その彼女が、些細なきっかけから若いサラリーマンと出会い、魅かれ、恋に落ちて、また些細な事からすれ違い、距離が離れてゆくという、本当にどこにでもあるような話。


 だが、それゆえにあまりにも真に迫った芝居をユキオ達はとても架空の話だとは思えず、息を飲んで行く末を見守った。


 その演技は自然で、とても台本どおり練習して台詞を言っているようには見えない。ナルハ達の努力と才能がそうさせているのだろう。


 一言一言が劇場の空気を震わせ、役者の熱が、感情の滾りが観客に伝わってくる。


 ユキオとルミナはまばたきもできずに食い入るように見つめていた。


 しかし、一度はお似合い、としか言いようのない程愛し合った二人も、結局は噛み合わなくなった歯車を元に戻せずに別れへの道を戻れなくなってゆく。


 ルミナは、一瞬の幕間の暗転の中、隣で話の行く末を見守っているユキオの横顔を盗み見た。


 (私も、いつかユキオ君と別れる未来があるんだろうか。離れ離れになって、もう二度と出会えなくなるような……)


 リアリスト寄りのルミナはそれを否定する事も出来なければ、想像して涙を流して悲しむような事も無かった。


 ただ、愛しい人が離れてゆく時、自分はどんな思いでその背中を見るのだろうという未知の不安だけが彼女の胸でそうしようもなく広がり、呼吸が出来なくなる程に圧迫するのだった。




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