ビート・メイカー
陽が落ちるのが遅くなり始めたとはいえ、6時にもなれば駅近くの市街でも暗く感じる。そんな駅前通りから一本奥の通りに面している古い作りの飲み屋が、平日だというのにいつになく賑わう声が響き渡っている。
<センチュリオン>悠南支部・第三会議室こと居酒屋<ジパング>には、実に三十一人の大所帯が詰めかけていた。週末はともかく、火曜水曜などはよほどデカい閑古鳥が居座っているのだろうと思わせるほどひっそりしているような店だが、今日に限ってはまるで祭りでも始まるような勢いだ。
「いやぁ、悪いねえオバちゃん。こんなに大所帯で」
マヤが顔なじみの女将に笑いながら頭を下げる。女将も料理や酒の配膳やら厨房の仕切りで汗水流しながらも、久々の大口の客に愛想よく言葉を返した。
「いいんだよぉ、平日なんかもうずーっとヒマでしかたなくってさ!ウチのおんぼろもここぞとばかりに働かせるからさ!」
それが聞こえたのか、厨房から女将の旦那のうるぇえや!という怒鳴り声が聞こえてきた。威勢のいい初老の頑固な料理人だが入り婿のせいでこの30年嫁に頭の上がらない毎日らしい。
「酒屋にもじゃんじゃん持って来いっていってあるからさ、ぱーっとやっちゃってよ」
「じゃあ今夜はもう遠慮なくー」
にこーっと少しだらしのない笑顔のまま振り返ると、外で待っていた部下たちに号令する。
「ほんじゃ行儀良く、そういんはいちにつけー!」
おー!という掛け声と共に一同が慣れ親しんだ奥の座敷へ上がり込む。いつもは離れている古い樫の卓がめずらしく並べられ、お通しに刺身、サラダ、ポテトフライ、ビールが用意されていた。
がやがやと騒ぎ立てつつもそれぞれが席に着き酒やウーロン茶をお互いに注ぎあう。それが行きわたったところで、奥に陣取ったマヤが立ち上がりグラスを掲げた。
「ごほん。えー、昨年からの虫どもの猛攻を耐え抜き、無事当支部も新年度を迎えられそうな見通しが立ってまいりました。これもひとえに皆様の日々の努力と根性の賜物でございます。本当にありがとうございます。そして!」
よいしょ、と傍らに座っていた国府田の肩を持ち上げて横に立たせる。
「なんと、我々の戦果が本部で評価され、来年度からは予算が28%アップいたしました!」
すでにテンションの高まっていた全員の口から、うおおおおおお!という感嘆が上がる。
「これもこちらの国府田氏が我々の活動を細かく報告して下さり、会議でプッシュしてくれたおかげです。一同拍手!」
派手な拍手喝采に口笛の洗礼を浴びて、こういう雰囲気になれていないのか国府田が恥ずかしそうに頭を掻いた。それを一通り見たマヤは満足げに片手を上げ場を落ち着かせる。
「というわけで、予算上がった前祝いとして今夜はパーッっと経費で景気よく行きたいと思います。皆さん存分にお楽
しみください!」
ワーッと店の柱を震わせるかのような歓声が上がり、飛羽の乾杯の音頭と共にグラスを鳴らす音と大食い組が一斉に焼き魚や唐揚げを注文する声が入り混じる。
普段の激務の反動から年甲斐も無くはしゃぎだす大人たちを横目に、祝いの席という名目で呑み屋に連れてこられたユキオとルミナは頭の痛い思いをしながら小さくオレンジジュースの入ったグラスを重ねた。
「予算増えた分を呑み代にしたら、意味無いんじゃないかな」
「そもそも、経費ってこういう事に使っていいものなのかね」
こんな時でもなければ大声で騒いだり出来ない抑圧された大人のストレスというものを、若い二人はまだ知らなかった。
ユキオは店員が持ってきた串焼きの盛り合わせを受け取り、大人達の卓へ手渡す前にちゃっかり四本も焼き鳥をくすね、半分をルミナに渡した。
「あ、砂肝とレバー取っちゃった。奈々瀬さん砂肝イケる?」
「大丈夫、割と好きなんだ」
文句を言っているが、大人達の騒ぎの輪に紛れて二人で隅に座りながら楽しむ夕食にルミナは満足していた。先日の玖州邸での焼肉も良かったが、やはり両親を目の前にリラックス出来る物ではない。
そんな気も知らず、ユキオは鳥皮を齧りながらいつの間に持ってきていたのかメニュー表を覗き込んで何を注文しようかと真剣な顔をしている。
「厚焼き玉子も美味しそうだけど……まだ早いかな。つくね……いや肉豆腐、これだ!」
「お豆腐私も食べたいな」
「湯豆腐だけってのもあるみたいだけど、どっちにする?」
そうやって、なんだかんだで仲良くやっているユキオ達に安心しつつマヤもようやく落ち着いてビールをあおる事が出来た。そこに、挨拶回りという乾杯から開放された国府田が帰ってくる。
「お疲れ様です」
「お陰さまで、久しぶりにみんなの息抜きが出来ます。ありがとうございます」
「悠南支部の皆さんは、もっといい目をみてもいいくらいですよ」
そう言いながら二人もグラスを合わせた。先日のバーも良かったが、マヤにはやはりこちらの方が落ち着く。
(根が田舎者なのよね)
「しかし、私が言うのもなんですがよく通りましたね、予算」
「今の関東方面担当は理解のある方で。それに海外でもキナ臭い戦局の変化が見られます。ウォールドウォー終結後の退職金の確保にやっきになっている連中の好きには、させませんよ」
ビールのせいで少し気が大きくなっているのか、普段見せないような青年らしい熱のある言葉が国府田の口をついて出た。
「頼もしいですわ」
「まかせといてください!」
鼻息も荒くジョッキを掲げる国府田の背後から、さらに酔っ払った巨漢が近寄ってきた。
「おおう、いい仕事するじゃねえか!」
「え!?あ、飛羽さん?」
宴も始まったばかりだと言うのにすでに酒が回って顔を赤くしている飛羽がそのごつい身体で国府田に絡みつく。
「いやー、最初は頼りないひょろひょろの事務野郎だと思っていたが!いやーよくやった!これで俺達ももっといい仕事ができるってもんよ!」
「は、はは……ありがとうございます」
できあがって一方的に褒め称える飛羽にちょっと引きつった笑いを返す国府田の肩を捕まえて、飛羽の巨体が立ち上がる。
「よし、今夜は呑むぞ!こっち来い!」
有無を言わせず引きずっていく男と、引きずられて行くそれより一回り小さい男を見送ってマヤはまあいいかと空いたグラスに自分でビールを注いだ。正直少し疲れていたし、いちいち空いたからってすぐ注ぐような人間が傍にいるのもかったるい。
そこに、シャークチームのチーフが全員の注文を書き上げた紙を持ってきた。いちいち追加で注文していたらここの夫婦ではおっつかない為、この店では15分毎にまとめて出す事になっている。
「これで全部?」
「今のところは」
全部?とは言ってみたが、目を通すと結構な量がある。
(ココの冷蔵庫をすっからかんにするつもりか)
後でブレーキ効かせないといけないかしら、と思いながらオッケーとチーフを席に帰しつつ周りに目をやる。自分の座っている所は奥まっているので誰かに女将の所まで注文書を持って行かせなければならない。まだグダグダになっていな
い、酔っ払っていない奴……。
「ユキオ君!」
トイレにでも行こうとしていたのか、立ち上がったところが目に止まる。のそのそとやってきたユキオにマヤは注文書
を突きつけた。
「駆け足で!」
「はいはい……こんなに食うんですか!?」
結構な量を食う方のユキオですらその注文量には驚いた。
「お金、大丈夫なんですか?」
「子供が金の事なんか心配するんじゃないの。だいたいちゃっかり焼き鳥くすねてたじゃない」
「うっ!」
上手くやったと思っていたが目敏いマヤにはしっかりバレていた。肩をすくめてユキオは靴を履いて厨房に向かう。
注文書を受け取った女将は、ここ何年かぶりというくらいに目を見開いた。
「父ちゃん!アンタの人生最後の大仕事になるかもしれないよ!」
「なぁに言ってやがんだ……って、アンタら加減ってモンを知らねェのか!!」
呑気に注文書を覗きにきた旦那も、その店のキャパシティを無視した量に慄く。
「こんなに働いたら死ンじまうよ!」
「なぁに言ってんのよ父ちゃん!こんだけ稼げれば夢だったハワイにも行けるじゃない。さぁキリキリ働きな!」
「この鬼ババア!」
旦那が泣きながら厨房に引っ込んでいく。そこに、裏の倉庫から野菜の詰まった段ボールを運んできた人影があった。
「まあまあ、アタシも手伝いますから……ってユキオ君じゃない」
「え、ああ!?草薙さん!?」
段ボール箱の横からひょっこり顔を出したのは他ならぬナルハである。この飲み会にも誘ったのだが、所用があるとかいう事で断られていたのだが。
「ここでもバイトしているんですか?」
「今日は臨時でね」
多少は驚いたもののアグレッシブなナルハの事、何かのツテでここの手伝いに来たのだろう。ウィンクをして段ボールを厨房へ運び込む。女将も包丁を握り忙しくなり始めた厨房からユキオを追い出すように背中を押した。
「どう、楽しんでる?」
「俺らは別に呑める訳でもなし……タダ飯食ってるだけですよ」
「お、ルミナちゃんも来てるんだ」
「ええ、はい……」
座敷の方を覗き込んだナルハは意味深な視線でユキオに微笑みかけると、いきなり胸元に手を突っ込んで小さな紙切れを取り出した。
「ちょうどいいや、はいこれ」
「なんです?」
ピンク色の紙は折りたたまれていて、広げるとそれはチケットのようだった。
「アタシの今度やる舞台の前売り。ルミナちゃんと観に来てよ」
「いいんですか?」
思わぬ話にびっくりしながらユキオは二枚のチケットを受け取る。が、ナルハはニヤリと笑いながら続けた。
「しょうがないなー、お安くしとくわ」
「……あとで払わせていただきます」
断るのも失礼だと思ったユキオは渋々とポケットにチケットをしまう。安いとは思えなかったが、<センチュリオン>でのバイト代で払えない額ではないだろう。助っ人として世話になっているし、断るのも忍びない。
「ありがと、じゃあお料理手伝わなきゃだから。楽しんで行ってね!」
(ホント、慌しい人だな……)
その背中を見ながら、ユキオは感心した。騒がしい人は得意ではないが、目標の為に努力を続けるナルハのパワーはユキオには新鮮だった。