白樺並木
「嬉しそうですね」
国府田がそう言いながらマヤのグラスにワインを注ぐ。
都心にある高層ホテル、高級なバーの個室から見える無数の光は見慣れぬ者にはファンタジックとも言えた。もっとも、シアトル暮らしの長いマヤには東京の夜景は歪つで眩しすぎるという印象だったが。
「ちょっと、最近妹にイイ事があったみたいでね」
「それはいいですね」
国府田は柔和な笑みを見せてボルドーのボトルに栓をした。結構な値のするだろうラウンジに招待してもらったから、と言わなかった事にガッカリしてみせたりするかな?と予想したが、意外と大人の反応を見せる国府田にマヤは胸中で1点加点をつけた。
「もちろん、この美味しいワインとステキな夜景も嬉しくて」
「いいんですよ、気を使わなくても」
「いえいえ、田舎に引きこもっているとこういうお店は縁遠くて……ありがたいですわ」
先程の加点を取り消す。やはりガリ勉タイプはあまり肌に合わない。
「今日は、急な要請のお詫びと普段の激務へのお礼ですから」
「ありがとうございます」
ニコリと営業用の笑顔を見せてグラスに口をつける。ワインは上等なものだ。少なくとも酒の見立てには心得があるらしい。
(もちろんそれだけじゃ、落ちてはあげられないけどね)
本社勤めの国府田がマヤを誘うと言うのは全く予期せぬ事だった。今まで仕事以外のプライベートな会話などほとんどした記憶が無い。しかもランチや映画(果たして映画館に行くような事があるのかすら不明だが)ではなくいきなり高級ホテルのスカイルームラウンジというのはなかなか派手なパンチである。まさか今夜ツインのベッドルームを取ってありますとは言い出さないだろうが。
(でも、口説き落とそうって様子でもないわね)
元々刺激のある人生を好み、そしてしばらく彼氏もいないマヤが普段はガチガチの草食系事務員の顔をしている国府田のウラの顔に多少期待をしてみるのも仕方ない事だったが、世の中そう簡単に都合のいいハプニングは起きないという事だろう。
「それから、多少今後のお話なども」
「それってお仕事の?」
「申し訳ない」
形式上は相手は上司である。さすがに口に出してガッカリだわとは言わず、マヤは両肩を軽くすくめて見せた。
「パンサーチームについて?」
「先にお話を済ませましょうか」
ワインで酔わないうちに、と国府田は付け加えた。鞄から小さなピクチャーシートと情報端末を出しワインの横に広げる。
「ここ数週間は平穏ではありますが、やはり彼らが新型機や大型機に遭遇する率は偶然ではすまされない頻度であると断言できます」
「そうでしょうねぇ……」
急に普段の真面目な顔になる国府田に少しだけ辟易しながら、マヤも脳を仕事モードに切り替えた。
「海外のデータまで合わせれば、唯一無二の現象ではありませんが……他の例は研究所や農業プラントといった重要拠点です。悠南市も試験都市として建設された背景はありますがそれでもこの数値は」
「予想される原因は?」
「パンサーチームの宣伝活動がこちらが思う以上に効果的だから、というのが最も筋が通った理由だと思いますが……」
言葉の割には国府田の口調はどこか自信が無い。
確かに悠南支部のみならず、その中でもパンサーチームのみの特徴と言えば一般市民への対マイズアーミー活動の広報担当というのが一番大きい。その存在は国内のみならず年が明けた最近では海外からも取材申し込みが舞い込むようになり、ジャパニーズ・イナズマ・ボーイズなどと呼ばれているらしい。対マイズアーミーの組織、あるいは部隊としても世界的にかなり有名なチームになったと言える。
「しかし、果たしてドクターマイズが彼らを脅威に思うものでしょうか?」
「国府田さんはドクターマイズについては、特に慎重な意見をお持ちですね」
「学生時代、心理学をかじっていたせいか……」
小洒落た形にカットされたチーズをつまみあげ、それを眺めながら国府田は独り言を言うかのように続ける。
「彼らを脅威に思うのであれば、『ロングレッグ』や正体不明の新型『スタッグ』など投入しなくても、100機の『リザード』でもあれば間違いなくカタがつきます」
「あまり考えたくない光景ですけど……そんな物量戦を仕掛けられて潰された部隊がありましたね」
「デリーの<エイグレス>社ですね。インドでも少なくなった原発の専門防衛部隊で、上層部は壊滅寸前に原子炉を緊急停止。指折りの実戦部隊であったものの2000機からのマイズアーミーとの総力戦で機体もトレーサーもズタボロにされていまだ復旧の目処が立たないとか」
国府田がピクチャーシートに当時のニュースを写し出す。八ヶ月前の出来事で、ターゲットとなった<エイグレス>社のみならずインド国内の32%ものWATSが援護に参戦して辛うじて撃退を果たすウォールドウォー史上最大の総力戦となり各国の危機感を煽った。
「これに比べれば、パンサーチームへの攻撃はまだ手心があると言えるでしょう」
「もう少し彼らに敬意を示してもよろしいのでは?」
さすがに表現がストレートすぎると反省したのか、すみませんと国府田は頭を下げた。
「妹さん達の健闘ぶりには大変感謝しています……が、それでも、マイズアーミーの攻撃は腑に落ちない。一見派手でありながら、どこかギリギリの勝負を持ち込んでいるようにも……」
「彼らの必死の頑張りが、実は遊ばれてるとでも?」
いい加減機嫌を悪くしたマヤが苛立たしそうにワインを一気に飲み干す。国府田もそれは十分承知の上で、それでも話を続けなければならないと努めて冷静に言葉を選んだ。
「気を悪くされるのはわかります。しかし彼らの活動をより派手で人目を引くように、逆にドクターマイズにコントロールされているのではないかという意見も本社の中にはあるのです」
「……貴方の中には、別の意見があるようですけど?」
酔いも手伝って、睨めつける視線を取り繕うともしないマヤに国府田もとうとう眉を曇らせ苦々しい顔をした。
「自信が無いのです」
「?」
アルコールを吹き飛ばそうとでもするかのように、気の抜けた炭酸水に氷を次々とぶち込んで国府田は一気にそれを呷った。意外な仕草にマヤは少しあっけに取られた。
「漠然と、モヤモヤとした不安があるだけでで、上司や同僚にも話したことはありません。でもなぜか奈々瀬さんになら聞いてもらえる思い今日はお誘いしてしまいました」
「話してください」
「先進国の市民を戦争状態に巻き込み、また敵を演じる事で実質人類同士の戦争行為を防止するウォールドウォー……ドクターマイズの真意はそこにあるのでしょうか?」
前にも、国府田が飛羽との会話でそのような事を話していたような記憶がある。
「天才と呼ばれた人間は、慈善事業はしません。世界征服も然りです」
「貴方の持論ですか?」
「過去の天才たちがそれを証明しています。彼らは世俗的な目標の為に努力はしないのです」
「私は凡人ですから、そういう人の気持ちがわかりません」
「自分だってそうです」
テーブルの上で沈黙が流れる。窓の外を薄雲が取り巻き、その向こうに透けて見えるネオンやビルの証明がボンヤリと溶けて混じり合う様に見えた。
国府田は、もはやマヤから視線を外しテーブルの上で組んだ自分の手の中を見ている。いや、その向こうに何かを見抜こうとしているようでもあった。
「当然、人類抹殺が目標でも無いでしょう。彼のやっていることはその対極にあります。しかしその先にあるものがわからないのです。それは、何かしら恐怖をもたらす、危険な行為であるように感じるのですが……」
「それを相談するのは、もっと頭のいい学者さん相手の方がいいんじゃないですか?」
「奈々瀬さん……」
国府田は苦しそうに顔を上げた、が向かいにいるマヤの優しげな顔を見て毒気を抜かれる。
「気分転換だったら、私が付き合いますけど」
現役のプロから直々に指導を受ける今回の合宿は、思ったよりハードでさすがのカナも疲れが溜まり始めたが先はまだ長い。締めていかないとな、と思いつつあてがわれた宿舎の中で彼氏(カナの中ではもうそうなっているらしい)のヒロムを探していた。
ヒロムの健康的に焼けた肌と長身は研修生の中でも良く目立つ。程無く他の男子と談笑しているヒロムを見つけ、カナは駆け寄って行った。
「お疲れーヒロム君」
「あ、ああ、カナもお疲れ」
優しい笑顔で答えるヒロムに満足し、にひひと笑う。通りの良い声と愛嬌のある笑顔のおかげで下品さが見られないのはカナの恵まれている所だろう。
「夕食、焼肉だって。急がなきゃ」
「そんなんだ、楽しみだな」
じゃあ、と話していた男子達と別れてカナとヒロムは階段を降り始めた。少し先を歩いていくヒロムの腕を捕まえてくっつきながらカナが話しかける。
「今日もハードだったよ。喉ガラガラ。ヒロム君たちはどんなだったの?」
「こっちは演技力の稽古だった。アーティストコースでもあんなカリキュラムあるんだな。びっくりした」
「へえー、大変なんだねぇ」
言いながら踊り場に差し掛かったところで、メガネをかけた見慣れない男子二人とすれ違う。ヒロムが道を譲ろうと立ち止まったのでカナもならってその横に止まった。
いや、見覚えはある。そのどこか似合っていないメガネの奥にある顔はTVとかで見る結構な有名人のはずだ。カナはすぐにその二人の事を思い出した。
「あ!」
思わず上げた声に二人が立ち止まる。
「ん?」
「あ、いや!スイマセン。ええと、もしかして、ですけど……パンサーチームの……?」
カナの言葉に横でびっくりしたようにヒロムが目を見開く。男子二人も少し驚いたように顔を見合わせた。
「ああ、よくわかったね」
正体を言い当てられたマサハルが伊達メガネを外しながらにこやかに笑う。カズマもいつも女子達に向ける爽やかなスマイルを見せた。
「そりゃあ……有名人ですから!あ、サインもらえますか!?」
「ああ、いいよ。あんまサインとかしたこと無いけど」
手渡されたカラフルなスケジュール帳にマサハルとカズマがボールペンを走らせる。それをキラキラした視線でカナは見ていたが、ふとヒロムの方を見るとアゴに手を当てて難しい顔をしていた。
(お、ジェラシーかな?)
などと都合のいい事を考えながら、カズマからスケジュール帳を受け取ってお礼を言う。有名人に会えて、しかも彼氏が珍しく他の男を煙たがって見せてくれるというシチュエーションにカナは幸福感を感じていた。
「お二人は、なぜここに来ているんですか?」
カナ達が寝泊りする宿舎は、養成所が間借りしている23区外にある小さなホテルだった。部屋は研修生でほぼ埋められ、貸し切り状態だと聞いている。
「いやあ、秘密なんだけど俺達なんか曲を出す事になって。でキミらの養成所と一緒に特別レッスンを受ける事になってさ」
秘密をあっけなく笑いながらバラすマサハルにカナが感激したような声を上げる。
「そうなんですか!すっごい偶然!」
「内緒にしといてくれよ」
「大丈夫です!私口が堅い方ですから!」
ホントかよ……とヒロムは内心突っ込んだが、今はそれより気になることがある。
「そういえば……お二人は悠南市の<センチュリオン>で働いてらっしゃるんですよね」
「ん、ああそうだけど?」
「ご存じないかもですけどウチのお兄ちゃんもそこで働いているんですけど、ご迷惑とかかけてないですか?玖州っていうちょっとぽっちゃりしたというか……」
「ユキオの妹!?」
カズマが驚いた顔を見せる。マサハルも意外な話に苦笑いした。
「失礼だけど、あんまり似てないね」
「アハハ、親戚なんです」
「ユキオにはこっちの方が世話になっているくらいだよ」
「そうなんですか?」
意外、という顔をするカナ。
「知らないの?ユキオが何をしているのか」
「えーと、お手伝い、という事しか」
「アイツもトレーサーだよ。しかも一流の」
「ええっ!?」
意外な話に驚くカナにマサハルは端末を取り出して『ロングレッグ』戦の動画を見せた。そこには、オリーブグリーンのペイントを施された『ファランクス5E』が猛攻の中ガトリング砲を放ちながら突進している姿があった。カナに倣い、ヒロムもその端末を真剣な顔で覗き込む。
「見たことある?これがユキオのマシン。俺達パンサーチームの要さ」
ひゅうと口笛を吹くマサハルに肘鉄を入れながらカズマが続ける。
「あまり広報の動画には映らないけど、結構凄いんだぜ」
「そうなんですか……知りませんでした、ユキ兄ぃが……、あ、教えてくれてありがとうございます」
少しショックを受けたようなカナが姿勢を正して頭を下げる。
「いろいろご迷惑をおかけしてるかもしれませんが、よろしくお願いします」
「いやいや、こっちこそ。今も俺達の抜けた分アイツが頑張ってくれてるしさ。帰ったらよろしく言っておいてくれないかな」
「わ、わかりました!」
そう言ってぺこぺこと頭を下げるカナと笑顔で立ち去ってゆくカズマ達を見ながらヒロムは予想外の展開に思考を巡らせていた。
(世間は狭いって言うけど、これでしばらくこの女に付き合わなきゃなったな……)
因縁と言う言葉は知らなかったが、ヒロムはそのようなものを考えずにはいられなかった。