メランコリック・メラコイデス
「お疲れ様。ガッコ、頑張ってね」
ポッドから出てきて満面の笑みで手を振っているナルハにユキオが苦い笑みを返す。
「草霧さんは今日はどうされるんですか?」
ルミナが軽くまとめていた髪を解きながら近付いてきた。学生とは聞いていないのでナルハのプライベートはほとんど知らない。
「今日は芝居の稽古。公演も近いから」
「そうなんですか」
「それからバイトかな。そろそろ稽古が追い込みだから、その前にちゃんと生活費稼いで置かないと」
「大変なんですね……」
「好きでやってることだからね。ほんじゃまたねー」
うーんと背を伸ばして立ち去ろうとするナルハを、ユキオが呼び止めた。
「あ、草霧さん」
「ん?」
「草霧さんの『エストック』、結構装甲にダメージ負ってますよね」
「ああ、うん。まだフレームにダメージが入る程じゃないから修理に出していないけど」
ナルハは少しバツが悪そうにそう言った。レンタル品の『エストック』シリーズはトレーサーの任意でメーカー修理に出す方式を取っている。扱う人間が「まだ使える」と判断する間は多少傷がついても経費と修理時間を嫌がって修理に出さないケースも多い。それ故無茶な節約がたたって戦闘中に稼動不能になり敗退するトレーサーも少なくなかった。
「俺が、直しましょうか。装甲板くらいなら交換できるので」
「ホント!?タダで!?」
思わぬ申し出にナルハが目を輝かせて飛び上がる。まるで子供のような喜び様にユキオはたじろいだ。
「いや、まぁ……経費はマヤさんと相談してもらわないとですけど……ウチはたまに変な新型が来るので、あまりダメージ蓄積していると不安かなって」
「いやー、ありがたいよー。お願いします!」
ダダダッと駆け寄ってユキオの手にネコのストラップの付いたメモリーキーを握らせると、んじゃよろしくとそのまま突風のようにターンしてエレベーターホールへ走って行った。とても年上の女性のようには思えないが、役者だからかなと深く考えるのはやめておいた。
「姉さん、結構お金にうるさいよ」
背後からのルミナの声は、お金の問題だけでなく彼女自身の不機嫌さも多分に含んでいた。
「最悪、タダ働きでなんとかしてもらうよ……あ、奈々瀬さん今日、放課後空いてる?」
「え?」
ユキオにスケジュールを訊かれる事は滅多にない。ルミナはキョトンとした表情で首をかしげた。
「ほら、前から弾丸の生産工程教えて欲しいって頼まれてたから、今日よかったら教えるけど……」
「あ、うん……じゃあお願いしようかな」
それより、ほら、学校行かなきゃと言うルミナの声は直前よりも僅かに軽やかだった。
「ふぅ……」
レイミは頭に被っていたヘルメット型の重いマウントディスプレイを脱いでソファに転がした。それから、目の前の戦術ディスプレイとリザルト画面にダルそうに目をやってため息を吐く。
大破10機、小中破6機 無傷で帰還したのはごく僅かのマシンだけで、レイミの予想より被害が深刻である。
「二人も抜けて、間に合わせの助っ人一人入れただけのパンサーチームにこのやられよう……か」
(思ったよりやるじゃないあのパンチ女)
軽く手並みを見てやろうと差し向けた刺客がボコボコにされて帰ってきて、特にマシンに愛着の無いレイミもいささか不機嫌になっていた。
修理申請や面倒な報告書を
相方に押し付ける事もできないのが余計に腹立たしい。
スーパーで安くまとめ売りされていた小さい紙パックのオレンジジュースを握りつぶすようにずごごと飲み干してパックを後ろにぽいっと投げる。それから改めて戦闘リプレイを流しながら被害状況を順番に確認し始めた。
「『5Fr』の武装はテスト中に見えるけど、そんなに戦闘力が下がっていないのはさすがユキオ君ってところね。あのお嬢様ぶった目つきの悪い女も腕を上げてるし、それにこの助っ人か……やれやれ、アレが来てもあんまり真正面からはやりたくないなぁ」
好き勝手ぼやいているようでも、レイミの分析は正確だった。可愛らしいラインを描く小さなアゴに手をやって、ピンク色の可愛いウサギの電卓を叩きながらピクチャーシートに電子ペンで次々とメモを書き込んでいく。午後からは病院の南雲の所に顔を出さなければならない。
「仕事ってのは何でも面倒なもんだって母さんも言ってたけど……母さん、元気でやってるかしらね」
そう言うレイミの瞳は、普段の若者らしい溌剌さの感じられない中年女のようなどんよりしたものを感じさせた。
長く退屈な授業が終わり、ようやく学校から開放されたユキオは待ち合わせしたルミナと共に悠南支部への短い道を歩いていた。少し後ろを歩くルミナがまたも不機嫌そうにしているのは、校門にいたユキオのところにカズマ達のファンが押しかけて彼らの近況を聞きだそうとしているのをユキオがモテていると早とちりした為だ。
(冷静に考えれば、そんな事あるわけないってわかるだろうになぁ)
彼女のジェラシーは嬉しくないわけではないが、鈍いフリをしてすっとぼけて少し先を歩いていく。
そうしているうちにメンテチームのルームに辿り着く。空いている席のコンピューターを立ち上げてルミナを座らせたユキオはその隣の機材も立ち上げて、ちょっと待っててと言い残しいつものカフェオレを取りに行った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
お礼を言いつつもちょっとまだむくれているルミナに肩をすくめて、ユキオは構わず説明を始める事にした。
「プログラムを立ち上げたらここをクリックして……これが弾丸を生産する画面。ここで弾を生産したいマシンを選択して、とりあえず『St』を呼び出すけど……そうしたら装備されている武器の一覧が出るから、ここからライフルの……たとえば徹甲弾を選んで、この『生産』ってトコをクリックすれば自動的に生産が始まるから。簡単でしょ?」
「ちょっとまって、メモするから」
植物園に一緒に行った時から感じてはいたが、ルミナは相当のメモ魔であるようだった。それもタブレットやピクチャーシートなど電子的なものを使わず、アナログな紙とペンを徹底している。曰く、「電気が無いときに確認できないメモに意味は無い」というポリシーらしい。初めて出会ってから一年足らずだが、ユキオはルミナの持っているメモ帳が変わるのを五回は見た記憶がある。
「この数字で、生産する量を決めるの?」
「そう、時間さえあればずっとオートで無制限にしていてもいいんだけど、途中途中で弾丸データのチェックを入れないと、バグが入ったままの無駄な弾を量産しているかもしれないから……だから50発くらいで区切ってデバッグかけたほうがいいね」
「デジタルデータなのに、不良品が出るの?」
ルミナの問いにユキオも腑に落ちないという顔を見せる。
「不思議だよね。でもプログラマーに言わせれば良くあることらしいんだけど。この弾丸生産プログラムも、実際ドクターマイズから送られたものを改良しながら使っているらしくて……」
「なんか私達、時々何してるんだろって気持ちになるよね」
「まぁ……そんな事言ったって、やめるわけにはいかないんだけどさ」
まだ若い二人が、現実の不条理さに不満を上げている所にいつもの格好のアリシアがやってきた。
「十代のうちからそんな不健康な溜息ついていたらすぐ老けちゃうわよ」
「あ、お疲れ様です」
背後から近付いてくるメンテチームの実質的なチーフに頭を下げる。アリシアは手に持っていたコンビニのビニール袋からチョコレートのスナック菓子を出してルミナに手渡した。
「はい、差し入れ。ルミナちゃんも手伝ってくれるって言うから」
「ありがとうございます。わ、コレ新商品出たんですね!」
年相応に甘いお菓子に敏感なルミナが喜びながらパッケージをくるくると回す。どうやら機嫌がすこしは直ったようでユキオは内心ほっとしてナルハから預かった『エストック』のメモリーキーをスロットに差し込んだ。
「トレーサーコードを打ち込んで、と……うあっ!」
急にコンピューターの前で悲鳴を上げたユキオの声に驚いて、ストロベリーチョコの新作を楽しんでいた二人が振り返る。
「どうしたの?」
「これ……フランス語じゃないですか!?」
頭を抱えるユキオの上からアリシアがディスプレイを覗いた。確かに『エストック』の生まれ故郷、フランスのプログラムでステータスが表示されている。
「あら、ホント。丁度いいからフランス語、勉強してみる?」
「そんな余裕無いですよ……」
「ダメよ学生はどんどん勉強しなきゃ」
無慈悲な事を言うアリシアをユキオは泣きそうな顔で見上げた。
「そんな殺生な事言わんといてください」
「なんで関西弁なの……仕方ないわね。よいしょと」
アリシアの細く綺麗な白い指先がキーボードへ伸びる。僅かに一秒。軽やかにいくつかのキーを叩いただけで、意味不明のステータス表示が見慣れた日本語表記へ書き換えられた。
「さっすがー!ありがとうございます!」
「そのうちユキオ君には英語版の画面でオペレーションしてもらうからね。ウチのメンバーはみんなそうしてるから」
「えええええええー!?」
恐ろしい宣告にユキオが絶望の声を上げる。数学の次に苦手なのが英語の授業だからだ。
「ルミナちゃん、デバッグモードの使い方説明する?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
がっくりと落ち込むユキオをほっといて、アリシアはルミナの席の横についた。諦めてキーボードを引き寄せてエストックの装甲の補修を始める。
新品の装甲版は、マヤに頼んで午前中にユノー社から一式購入してもらっていた。ルミナは脅すような事を言っていたがマヤは意外にも(パンサーチームの現状を考えれば当たり前の返事であると言えるが)ユキオの依頼を快諾し手配をしてくれたようだ。その代わり代金はしっかりナルハの取り分から引かれたようだがユキオは黙っている事にした。マヤが手数料を水増ししない事だけを祈りながら。
(装甲のセッティングは複雑だけど、そのお陰でカスタマイズは自由になっている……設計した人は優秀なんだな)
初めて触る『ファランクス』以外のマシン……それも海外の機体に感心しながら、ユキオはダメージの酷い装甲板の交換を始めた。国内でも高いカスタマイズ性を誇る『ファランクス』シリーズだが実際評価が高いのは武装の交換がスムーズに行えると言う点で、装甲に関しては実質機体ごとの専用パーツをフレームに被せているに過ぎない。
しかし『エストック』シリーズは武装こそシンプルなものの(それでも重火器だけでも46種類というラインナップが揃っているが)、装甲板の配置はパズルのように細分化され胸部装甲だけでも4箇所にアタッチメントがある。これで細かく装甲厚や重量をコントロールし、トレーサーが操作しやすいセッティングを組み立てられるというわけだ。
パイロットは機体に慣れるもの、という考えが少なからずあったユキオはこのシステムに感動したものの、『ファランクス』から乗り換えたいと思うほどの魅力は感じなかった。
「正直、ダメージを受けた時の補修が面倒ですよね」
「そうね、草霧さんのマシンは長期戦を見越した複合重装甲を乗せているけど、それだって二、三戦もすればこうして結構なダメージを負っているわけだし……メンテナンスにかかる時間を考えるとあまりウチで使いたいとは思えないわね」
隣からユキオの作業に目を配っていたアリシアがコメントを返す。
「重いナックルを振り回している分、肩や肘のサーボにも負担がかかっているみたい。ユキオ君、終わったら私がチェックするから後でメモリーキー貸してくれる?」
「いいんですか?」
「ウチは、商売で戦ってるわけじゃないからね」
戦力の安定化は大事な仕事よ、と言い残してチョコを一つつまんだアリシアは研究室のほうへ戻っていった。
「さてと、やるか!」
気合を入れてキーボードに向かったユキオだったが、丁度その時ポケットの携帯が振動した。何だよ、と気をそがれながらポケットに手を突っ込んで取り出す。
(?)