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テラコッタ(中)



 言葉通り、二分も走ったところで古臭い一戸建ての家の軒先にたどり着く。カナがぶるぶると髪からしたたる雨を撒き散らしている横でユキオが膝に手を当ててゼェハァと荒い呼吸をなんとか整えようとしていた。


 「ユキ兄ぃ運動不足過ぎ!そんなんじゃ痩せてもモテないよ!」


 「う、うるせぇ!……ハァ……ハァ……」


 顔も上げないユキオの向こうから、ねぇ、と悪戯っぽい猫のような笑顔を見せるカナにルミナがなんとも言えない苦笑を返す。


 「ホラ、奈々瀬さんにもフラれちゃうよ?」


 「お前は……少し黙ってろ!」


 ようやく動けるようになったユキオが体を起こしてカナの頭を代わりに押さえつける。ジタバタと反抗しながら喚いている親戚をほおっておいてユキオはルミナの方を向いた。


 「ごめんねウルサくて……ええと、ここがウチなんだ。ちょっと待ってて、今タオルを持ってくるから……帰り、タクシー使う?」


 「あ、大丈夫、自分で呼ぶから……。タオルも、そんな濡れてないし」


 「遠慮しないで、それにタクシーも、ほら」


 ユキオが指差す先、背の低い植え込みの向こうの小さなガレージに白い車体のセダンがあった。気が付かなかったが、屋根の上に黄色いペンギンのような形のライトがありお腹に<個人>という文字が書いてある。


 「親父がタクシーの運転手でね……なんでこんな時間に帰ってるんだ?」


 「そりゃ、あたしの壮行会だもん」


 「全く……、とにかくちょっと待っててね。親父に車出させるから」


 「いや、そこまでしてもらわなくても……」


 自分のせいでせっかくの家族の団欒の時間を減らしてしまうのは、生真面目なルミナには耐えられなかった。慌てて手を振るルミナの前でユキオのでかい手からぴょんとカナが脱出を果たす。


 「そうだよ、せっかくだから奈々瀬さんも焼肉食べて行って!」


 「え!?」


 「はぁ!?」


 唐突な提案にユキオとルミナが間抜けな声を出して硬直する。二人が正常な思考を取り戻す一瞬のうちにカナは玄関を開けて大声でユキオの母を呼んだ。


 「はいはい……あら、こんなに濡れて。……ええとお友達?」


 「そ、ユキ兄ぃの、ね」


 出てきた人の良さそうな中年女性は恰幅良く、一目でユキオの母親と知れた。カナの意味ありげな言い方に意外そうな顔をするもすぐに笑顔を見せる。ルミナがとりあえずペコリと頭を下げると、前髪から拭いきれなかった雫がコンクリートの玄関にシミを作った。


 「あらあら、風邪ひいちゃうわね。とにかく上がんなさい」


 「あ、いえ。私は……」


 「ホラユキオ!タオル持ってきて!」


 お暇します、とルミナが応える間も無く威勢のいい声が響き、ユキオは俊敏な動きで家の中に消えていった。(こっちに気を使ってよ!)とルミナが苦々しく思うが、この場を退散しようにも雨はなお勢いを増し春の嵐のようになっていた。


 (まいっちゃったな……)


 ルミナが進退に惑う目の前でカナがユキオの母親に甘えた声を出す。


 「おばさん、こちら奈々瀬さん。急でなんなんだけどとりあえずお風呂に入ってもらって、せっかくだから一緒に晩御飯食べてもらってもいいかな?その頃には雨も落ち着いてるだろうし」


 「大丈夫大丈夫、もちろんそうしましょう。カナちゃんユキオに風呂の用意させてくれる?」


 「はーい。ユキ兄ぃ~!」


 完全に逃げ道は塞がれたようだった。ルミナは今朝の情報サイトで見た天気予報士を憎みながら申し訳なさそうに頭を下げた。








 「うん、だから今夜はちょっと帰りが遅くなっちゃう」


 電話の向こうから義姉の、大丈夫大丈夫と誰かさんのような受け答えが帰ってきた。溜息を漏らしながらルミナは借りたバスタオルで反対側の髪を拭くために電話を持ち替える。


 「じゃあ、義父うさんにもそう伝えておいて……」


 「あ、待ちなさいルミナ」


 通話を切ろうとしたルミナをマヤが呼び止める。


 「?」


 「いい、ユキオ君の家だからって張り切ってお料理に手を出したりしちゃダメよ。まずは落ち着いたところを見せておかないと……くれぐれもお得意の食材なんか披露しないように……」


 「そんな事しません!」


 姉の酷いアドバイスに半ギレしながら電話を切る。全く人の気も知らないで冗談ばかり……と機嫌を損ねたまま風呂上りの身体を拭き終えて、かろうじて濡れなかった下着を着けてから(おそらくはカナのものと思われる)部屋着を手に取った。


 「まいっちゃったなぁ」


 少し子供っぽい、赤い水玉模様のついた袖を見て何度目かの溜息が出る。着ていた制服はユキオの母によって丁寧に乾燥されているようだった。とにかくここは諦めて丁寧に速やかに事を進めるしかない。


 (どうせ玖州君の家にお邪魔するなら、ちゃんとして来たかったな……)


 いるのかいないのか知りもしない神様を半分呪いつつ、それでも玖州邸に来れた事には感謝をしてルミナは着替えをすませた。


 「やっぱり、小さいみたいですね。ごめんなさい」


 廊下で出くわしたカナに謝られる。


 「ううん、全然!こちらこそごめんなさい、お洋服借りてしまって……」


 「そんな事!気にしないで下さい。じゃあちゃちゃっとお風呂行って来ますから、すいませんけどご飯までのんびりくつろいでくださいね!」


 入れ替わりに風呂場に入り込むカナを見送って、とりあえずユキオの母親に礼を言って夕食の手伝いをさせてもらおうと台所へ向かう。


 「あの……お風呂ありがとうございました。何かお手伝いできる事はありませんか?」


 狭い台所で大きな身体を忙しそうに動かしていたユキオの母親がニコニコと振り返る。


 「いいえぇ、お構いなく。ココはアタシ一人で大丈夫だから。ご飯すぐ用意するからちょーっとだけ待っててね。ユキオ!コーヒー!」


 「やってる!」


 母親の声に別の部屋の方からユキオの声が返ってくる。


 「ごめんなさいねガサツな息子で。とりあえずテレビでも観てゆっくりしててくれる?」


 「こ、こちらこそすみません。お世話になってしまって」


 いいのよぉ、ととにかく愛想のいい母親に見送られてルミナはリビング兼ダイニングにやってきた。使い込まれた食卓にはいくつかの食器が用意されている。そこにコーヒーポットとティーカップをトレイにのせてユキオがやってきた。


 「ごめん、ほんとウチの連中は強引で……」


 愛想や謙遜ではなく本気でそう言っているのは、同じく強引な義姉を持つルミナにはよくわかった。気を落とさせないようにルミナも明るい声を出す。


 「ううん、私こそゴメン。せっかくのご馳走なのにお邪魔して……あ、お父さんにも謝らないと」


 「いいよいいよ、今ちょっと出かけてるみたいだし」


 実際には、ソファでのんびりしていたところにユキオの母に財布を投げつけられ、急遽いつもよりいい肉を買わされに出されたのだがさすがにそれを話すほどユキオは朴念仁ではなかった。


 「奈々瀬さんのお家の方は、大丈夫?」


 「うん、お父さんは遅くなるみたいだしお母さんは旅行中。さっき姉さんに電話したから……あ、ありがとう」


 ユキオからコーヒーを受け取って両手で暖を取る。


 「親父が趣味で焙煎したものだから、不味かったらゴメンね」


 「そうなの?」


 「ああ、仕事以外の時間は趣味の事してるんだけど、どれもこれも浅くしかやらないから……」


 眉をハの字にするユキオに微笑んで、いただきますとコーヒーカップに口をつける。軽めだが、丁寧に煎られたとわかるムラの無い味わいが口の中に広がった。


 「美味しい」


 「そう、よかった。親父も喜ぶよ」


 「うん、姉さんの挽いたコーヒーより上手」


 「マヤさんもコーヒー淹れるの?」


 意外そうな声を出しつつユキオもカップを口にした。


 「最近始めたの。わざわざ焙煎機まで買ってきて。でも一気に豆を入れるから生のままで出てきちゃうのもあって、面倒臭がってそのまま粉にしちゃうからもう滅茶苦茶」


 「そりゃ……飲まされるほうもたまらないね」


 悪いと思いながらもユキオが笑う。それを見てルミナもやっとホッと緊張をほぐした。








 その後は、カナが止め処なく話しまくっている事以外はあまり記憶にない。カナが声優を目指して半年前に玖州家に住むようになった事、今回強化合宿で都内に一週間泊り込む事(偶然?にもカズマ達と共に)など、せっかくユキオの家に行ったにも関わらずカナの事ばかり聞いていてせっかくの焼肉の味もよく思い出せないほどだ。夜も更けてユキオの父親の運転する今では珍しくなったハイブリッドタイプのタクシーに乗せて貰い、ユキオとカナと共に自宅まで送ってもらった。


 カナの騒がしい声と共に去ってゆくタクシーが曲がり角に消えてから、鍵を出して静かな自宅に入る。


 (疲れた……)


 疲れはしたが、寂しくもあった。思いを寄せている男子の家へ行ったという高揚感より騒がしくも温かい家庭の団欒を目の当たりにして、ルミナは久しぶりに家族というものの温かさに触れた気がした。


 今の家庭には不満はないが、やはり義理の家族という思いはいつもつきまとう。最近ではほとんど思い出さなくなっていた実父の写真を手に取りながら、ルミナは間もなく帰ってくるだろうマヤの為に夜食を作ろうと思い玄関の冷たいドアノブを握った。


 


 


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