ブーゲンビレアの旅人(中)
「痩せましたかね」
フラワーハスノの店内で、切り花の枝や葉をまとめながらユキオがサクラに訊いているのがルミナの耳に届いた。鮮やかなピンク色のカトレアとシンビジウムを見栄え良くそろえているサクラがその問いに手を止めてユキオを見る。
「そうね……去年の夏に比べたらだいぶスリムになったみたいよ」
「あんま自覚無いんですけど……」
そうボソボソと話すユキオを置いといて、ねえ、とサクラはカウンターの向こうを振り返る。そこには花束などが出来上がる間、客が待っていられるように小さなテーブルとチェアが置かれており、サクラの妹のランと放課後に花を買うためユキオについて来たルミナが紅茶を飲みながら談笑していた。
「うーん、まぁ痩せたと思うよ。ユキオさんダイエットしたの?なんかいい方法あるなら教えてよ」
カップから口を離し、あっけらかんとランがユキオに訊く。しゃがみこんでいたユキオはうーんと腰を伸ばしながら二人の方を向いた。
「いやぁ?大して特別な事はしてないよ……クリスマスあたりがハードだったから、そのせいかなぁ」
「なーんだ、参考にならないなぁ」
ぶう、とふくれっ面をみせるランに三人が笑う。そこに店の奥、裏手から車のブレーキ音とバタン、というドアを勢い良く閉める音が届き、店主のダイキがユキオを呼ぶ声が続いた。
「ユキオ!土と鉢下ろすぞ、手ぇ貸せ!」
「っありましたー!」
気の短いダイキはのろのろと仕事をする人間にとにかく厳しい。愛娘には頼みにくい力仕事をさせられるユキオがバイトに来てからは、その労働力を遠慮なく酷使していた。
「あと配達の手が足らねえ!お前もう16だよな、バイクの免許取れ」
「本気ですか!?」
店主の唐突な話に問い返しながらドタドタと裏口に回るユキオの背中を見つつランが呟く。
「もう少し痩せても良いと思うけどね」
「そう?姉さんはいい感じだと思うけど。もう少し若かったらデートとか連れてってもらえたかしらね」
「姉さんは男の好みが何かズレてるわよ」
容赦ない妹のコメントにそうかしらねぇ……と言いながら花束に紙を巻くサクラを横目で見ながら、ルミナは苦々しい顔でカップを啜った。
(まずい……)
明朝、奈々瀬家。
家族の中ではルミナが一番早起きだ……という事になっている。正確には朝三時には起きて研究所に行く義父の方が早起きなのだろうが、朝陽が出ていないうちは朝では無いようにも思える。
母は治療が終わり、義父の勧めで年末からカナダで観光を兼ねて静養している。少し寂しいがあと二週間もすれば帰ってくるだろう。
キッチンには弁当箱が三つ。義姉のマヤのもの、自分のもの、そして……渡せるかどうかイマイチ自信の無い大きな弁当箱が並んでいる。箱の中に並んでいるサンドイッチには厚いカツが挟まり、隣にははみ出さんばかりのハンバーグ、ポテトサラダ、フランクフルト、豚の角煮と、大量の白米が満員電車も真っ青になるほど隙間無く詰め込まれ、さらに白米の上には鳥そぼろが乗せられていた。
それを睨みつけるように見定め、震える手でルミナは横においてあった徳用のマヨネーズを取った。それをその特大弁当の上に両手で掲げ、呼吸を止める。ゴクリと喉を鳴らし、額から汗が流れ始めると同時に思い切り両手に力を……。
「やめなさい」
正に弁当箱目掛けマヨネーズが浴びせかけられる寸前、姉であるマヤがルミナの手を取り制止した。
「ね、姉さん!?」
普段ならまだ起きてこないマヤが傍にいることに驚き、ルミナが硬直する。それは、単純に驚いただけの反応ではなかった。
「たまたま目が覚めて水でも飲もうかなと降りてきたら……何してるの、あなた」
マヤもルミナのただならぬ気配を感じたらしい。一体何をしているのかとキッチンの上を覗き込むと、うわ、とエグイ物を見たかのような声を出す。
「この肉まみれのお弁当……ユキオ君の?アンタこれにマヨネーズぶっかけようとしてたの?」
「あ、いや、これはその……」
普段は気丈でハッキリと物を言うルミナが、今は迷子の小犬のようにまごついている。その手から大きなマヨネーズのボトルを取り上げながら、ワケがわからずにマヤは問いただした。
「こんな超カロリー爆弾みたいなの……せっかく最近痩せてきたのにあっという間に元通りよ。可哀想じゃないの」
「だっ、だって……!」
「?」
「こ、これ以上痩せたら……ほ、他の女の子にモ……モテ……ちゃう……から……」
「はぁぁぁぁぁ!?」
顔を伏せてモジモジとしている妹の口から出た仰天すべき証言に、マヤの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「アンタ!ユキオ君を他の女にやらない為に太らせようっての!?」
「だってぇ……わたし、他にいい方法が思いつかなくてぇ……」
ルミナはもはや号泣直前の顔だ。しかしとてもじゃないがこの可愛い妹に同情すべき余地は1ミリも見当たらなかった。
「いや、いやいやいやいや!落ち着きなさい!さすがにそれはダメよ!」
「お願い!見逃して姉さん!」
「見逃すか!てゆうかそんなん食べてもらえると思ってるの!?」
「食べてももらえないの!?」
正常な思考回路を失っているルミナは、その一言にトドメを受けたかのようにがっくりと崩れ落ちさめざめと泣いた。自分よりも冷静で常識的な(と思っていた)義妹がこうも平静を失っている事にくらくらして、マヤは天を仰ぎ額を抑えた。
(もう、さっさと付き合っちゃえばいいじゃないの……)
恋愛経験皆無の二人が恋心を拗らすとこうも面倒な事になるものか、と喉奥から滲み出る苦いものを噛みしめながらマヤは妹の横にしゃがみ込んだ。
「とにかく、冷静によく考えなさいルミナ。仮に付き合っていたとしてもちょっとコレは無いわよ。下手したら犯罪よ」
「そんなぁ……」
「ていうかそんな後ろ向きな事はしてないで正々堂々正面からがつんと行きなさい。お姉さん、応援してるから」
「ぞんな事言ったっでぇ……」
堪えきれずに抱きついて泣き始めたルミナをぽんぽんとなだめながらも、マヤはこっそり溜息を漏らさざるを得なかった。
(まったくもう……マイズアーミーに、例の件で手一杯だってのに、勘弁して欲しいわ、ホント)
「合宿?」
「ああ」
すっかり住み慣れたマンションの窓から入る日差しに顔をしかめながら、仙崎ヒロムは白い深皿にコーンフレークのシリアルを流し込み、その上からたっぷりと牛乳を注いだ。
「ヒロム、本気でミュージシャンになるの?」
向かいの席で丸い目を見開いているメイド服姿の少女、芦原レイミにかぶりを振りながらスプーンでシリアルをすくった。
「そんなワケないだろ。研修生は全員参加なんだよ。行きたくはねぇけど行かないですむ理由が思いつかない内に行く事になってたんだ」
「ふーん、で、その間アタシに仕事押し付けようってワケ」
ポニーテールを揺らしながらふて腐れる同居人に、一応すまなそうな顔をして見せる。
「悪いとは思ってるよ」
「そういう言い方、心から悪いと思っていない男の言い方よね」
「二週間だからよ、帰ったらしばらく俺がやるって」
「知ってるわよ、養成所の可愛いコといい仲なんでしょ。アタシの見てないところでいちゃいちゃしようっていうのね」
「レイミ!」
堪りかねて大声を出すヒロムに、してやったりと笑って見せてからレイミもいただきます、とシリアルに口をつけた。
「まー、いいんじゃないの?本部からは戦力もあまり余裕無いし、しばらく大人しくしとけって言われてるから。テキトーにやっとくわよ」
「悪ぃな。もうしばらくしたら新型機のデータが届くらしいからよ、受け取っておいてくれ」
「ジェイミィも生きてれば、乗せてあげたのにね」
いびつな形に切られたニンジンとレタスのサラダにツナ缶を乗せてフォークを突き立てる。
「勝手な事をしやがるからさ。危なく大事な『ブツ』が回収できなくなる所だったんだぜ」
「いいねぇ、その言い方。悪者っぽくて」
「茶化すな」
脳天気な笑顔を見せるレイミに、取り分けたサラダの残りを渡しながら文句を言った。健康的に焼けた端正な顔をしかめて、オレンジジュースを一気に飲み干す。
「全く面倒な仕事だぜ。こういうのはプロのスパイみたいなのがやるもんじゃないのか?」
「人手不足だからね。そのお陰でアタシ達もこうしてイイ暮らしが出来てるんだからさ。頑張ろうよ」
「気楽なもんだな……」
食卓の上においてあるカバのプラモデルを撫でながらそう言う相棒を呆れ顔で見ながら、ヒロムはそう呟いて食事を終えて立ち上がった。
昨年のクリスマス、凶悪な大型マシン『ギガンティピード』と、新型と思われる黒い『スタッグ』を退けて以来、悠南市へのマイズアーミーの襲撃は驚くほど(というのは大げさかもしれないが)少なくなった。
スタッフ全員、あのままのペースでもう一ヶ月襲撃が続けば、何人かは過労で病院送りになったのは間違いないだろう。一月一杯は警戒を続けたものの襲撃頻度は以前の平均値まで下がり、現れるマシンも『ビートル』や通常型の『スタッグ』クラスばかりという布陣が続き、ついには警戒態勢を解いてローテーションで各員一週間ずつの休暇を取る余裕すら出来た。
そんな中での前触れもない招集のメールだった。四人とも緊急事態ではないと思ってはいたが、用件を具体的に書いていないマヤのメール程ロクな用事ではないと全員が骨身に沁みて心得ていた。
その事を痛感している四人は、ミーティングルームで顔を合わせるなり地獄の住民も同情するような重い溜息をついた。
「今度は一体どんな無茶振りだろうな」
だらしなくパイプ椅子に身体を預け、天井の蛍光灯をボンヤリと眺めながらカズマが解脱者の顔で呟いた。最早答えなど要求していない、とにかくできるだけ被害の少ないように祈る事しかできない、無力な我が身を受け入れた者の顔である。
ルミナもだいたい被害者の一人なのだが、それをもたらす張本人の身内のせいで酷く肩身が狭い。二重に不幸を負う存在である。
「もう俺は、常に最悪の事態を想像する事にしているよ……」
「最悪って何だよ」
「街中でカーチャンが若い知らない男とデートしてる現場に出くわすレベル?」
「見たのか?」
「まさか」
はーあ、とカズマとマサハルがそろって何度目かの溜息を漏らす。その下らない話に余計気が滅入りながら、ユキオがプランターの花に水をやり終えた所でその張本人が扉を開けた。
「やーやー、お持たせ……何よ、いい若者がダルそうな顔つき合わして不健康な雰囲気出しちゃって」
「授業終りに用もわからず呼び出されて、おまけに30分も待たされりゃこんな顔にもなるっつーの」
「あらやだ、用件書いてなかったっけ」
「書いてねーよ!おおむね!いつも!」
古いパイプ椅子を蹴飛ばすのではないかと言う勢いで立ち上がったカズマをまぁまぁと緊張感のない笑顔で宥めながら、マヤは四人の前にパンフレットを出してきた。
「なにこれ」
「発表します」
えへん、と咳払いをして目をつむり仰々しく一礼をするマヤ。
「悠南支部へのマイズアーミーの付きまとい、もとい執拗な襲撃も収まりました。これもひとえに皆様パンサーチームのご活躍があってこそです。我々<センチュリオン>悠南支部スタッフ一同は皆様に深く感謝の意を表します」
これを聞いて学生四人の目が急にキラキラし始める。この流れはご褒美がもらえるに違いないと椅子から腰を浮かし色めきたった。
「つきましては……時間も出来た事ですし、えー、一般市民への<センチュリオン>広報活動の強化をしたく思いまして……パンサーチームのカズマ、マサハル君にはこの度新曲をひっさげてメジャーデビューしていただこうかと」
たっぷり10秒、その場の空気が止まった。
「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!??????」
一斉に椅子から立ち上がる四人に、ニコニコと満面の笑みを見せるマヤは手元の資料を手繰った。
「ちょうど来週から連休でしょ。それに、ちょっと学校を休んでもらう事になるけど、二週間。都内の有名なスタジオで集中レッスンを受ける芸能関係の事務所があってね……」
ユキオが顔をしかめる。確かカナもそんな事を言っていた。
「いや、いやいやちょっと待ってくれよ。なんで俺達が歌わなきゃなんねーンだ」
カズマのもっともな質問。
「いやぁ、パンサーチーム……というか二人の人気も思った以上に出ちゃってね、ここは一つ攻めに転じてみようかと」
「本末転倒だろ!」
「んー、でもこれは本部の企画部からの提案でもあってー、なかなかアタシの立場では断りにくいのよねぇ」
冗談じゃねぇよ……とどっしりと重い体をパイプ椅子に沈める二人にマヤが近付く。
「まぁまぁ……また可愛いファンが増えるわよぉ~、それにアイドルとかともお近づきになれるかも!」
そう言われるとなんだかいいハナシに聞こえてしまうのが10代の子供達である。
「ま、マヤ姐さんが困るって言うなら、仕方ないかな」
「それは良いですけど」
冷たいな、オマエと口を挟んできたユキオにマサハルが呟く。
「いくらマイズアーミーが落ち着いてきたからって言っても、二週間も二人が抜けるのは困ります。イーグルやシャークチームも順次休みを取っているんでしょう?」
「そこも、バッチリよ。ちゃあんと助っ人を用意してあるから!」
「助っ人?」
四人が顔を見合わせる前で、マヤが入り口のドアを指し示す。と、タイミングを図ったかのごとくドアが開け放たれ、廊下から一人の女が入ってきた。
「どうもどうもー!とんじゃーもーや!草霧ナルハでーす!」
謎の挨拶とイントネーションにリアクションできずユキオ達が固まる。と、女は不満そうに近付いてマヤの隣に立った。顔の造作は似てないが、背の高さと勝手なノリがマヤに瓜二つでルミナは頭を抱えたくなった。
「奈々瀬さん、ノリ悪くないですかこの子ら」
「最近の冷めた世代って言うんですかねー、アタシも寂しい限りです」
しみじみ言うんじゃねーとユキオ達は内心で突っ込んだが、面倒になりそうだったので黙った。
女は……若いが正確なところは判らない。一見ユキオ達と同じくらいにも見えるし、20を過ぎているようでもある。外に跳ねた髪型が余計に若く見せているのかも知れない。団栗のように丸い大きな瞳は人懐っこく魅力がある。少し低めの鼻も形良く可愛らしい。
背はマヤと同じくらいだからユキオ達より少し下。これまた大人びていない(まだ春にもなりきっていないと言うのに)Tシャツにジーンズという姿で、胸は……まぁ並か。
というところまで見定めたところで、隣のルミナから発せられる少しキツい視線に気付きわざとらしく顔を逸らす。
(なんだかなぁ……)
急にお昼に(肉まみれの)お弁当を持ってきてくれたり(しかも暗い顔で食べ終わるまでずっと見られていた)、なんだか今日のルミナは様子がおかしい。原因に心当たりの無いユキオは腫れ物に触るように、いつもより少し距離を置くような態度しか取れなかった。
「え~、改めまして。こちらが二人の不在の間サポートに入ってくれる草霧ナルハさんです。フリーのトレーサーをやっている方で、シャークチームのヘルプに入ってもらおうと声を掛けたんだけどちょうどこの話が出てきてね。パンサーチームに手を貸して頂く事になったの」
マヤの紹介にこんにちわ~と愛想よく手を振るナルハと呼ばれた女性を、カズマ達は珍しく上から下まで厳しく見定めようとした。
チームメイトのルミナの例もあるが、やはり初見ではWATSの操作に長けているようには見えない。外見で判断できるスキルではないだろうが、それ故にいきなり信用しろと言うのも無理がある。
「初めて会うのに気を悪くしないで欲しいんだけど……俺達にも、この仕事にそれなりのプライドがある。いきなり腕を信用するってのも……難しいな」
カズマの多少言葉を選んだその物言いに、ナルハは人懐っこい表情を不敵な笑みに変えた。失礼よ、と言いそうになるマヤを軽く手で制する。
「若いのに、いいわね、その感じ。仕事のやりがいがありそうだわ」
そう言いながらナルハがジーンズの尻ポケットからピンク色のメモリーキーを取り出し、ストラップに指をかけてくるくると回してみせる。その瞳は挑戦的に輝いている。
「なんなら、確かめてみる?」
カズマが女性に対しては珍しくあからさまに眉根を歪ませて見せながら、コクピットルームに踵を向けた。