ブーゲンビレアの旅人(前)
「まぁ、どうしたモンかしらね」
奈々瀬マヤの嘆息と共に漏れた言葉は、その場にいた全員の正直な感想であった。
前触れも無く現れた大型マシン『ギガンティピード』、知らぬ間に建造されていたマイズアーミーの地下工場、そしてパンサーチームが遭遇した、有人機と思われる強化型『スタッグ』……。
それらが撃退されすでに二週間が経とうとしているが、<センチュリオン>悠南支部はおろか東京にある本部、世界各国の政府や対マイズアーミー戦闘部隊がこの事態に動揺し、確固とした対策を立てられないでいた。
『ギガンティピード』に関しては戦闘データからその脅威度と対策はある程度把握できている。曰く、「『ロングレッグ』より、多少厄介な相手である」(『ロングレッグ』自体が天災にも等しい厄介な敵である事からは、この発言者はあえて眼を背けているが)。
ついで地下基地。戦闘終了後、悠南支部のイーグルチームと本部の調査隊が現地の調査に入った。内部はユキオが放ったグレネードによる引火で再建しようのない程焼け焦げていたが、その規模は控えめに推測しても、一週間で『フライ』40機、『ビートル』15機、『スタッグ』3機は生産できるものだった。
明らかに急造の工場ではあるが、そもそも<地下>という概念の無かったウォールドウォーにおいて、このような施設が人知れず建設されているという事自体、人々にとっては恐るべき事態と言える。
各国政府は対策組織を設立し、重要な施設周辺からこのような工場が建設されていないか調査を始める事を決定したが、あまりに広大な(一説では、地球表面以上といわれる)電脳世界の地下の調査がいつ終わるのか、誰にも見当はつかなかった。
そして、何より。
「人が乗ってくるっつーのは、想像できない事では無かったが……なぁ」
アゴの無精ヒゲをポリポリと掻きながら、イーグルチームのリーダー、飛羽がのんびりと話す。もともとそういう性格という訳ではなく、ここ数日の調査活動で疲労が溜まっているのだ。
「ドクターマイズが、トレーサーの防御を万全にしていてくれるんなら、<今のところは>そう難しい話ではないんだけどね……」
飛羽の言葉にメンテナンスチームの副長、アリシアが続ける。若いバイトのスタッフが持ってきたコーヒーを受け取り、礼を言ってから口をつける。
ウォールドウォーにおいて彼ら<センチュリオン>のスタッフが使用する戦闘兵器WATS、ウォールド・アーミング・トルーパー・システムはパイロットであるトレーサーの三半規管に同期して姿勢制御を行っている。他にも頭部カメラの動きは眼球や首の動きに連動し、機体への振動や衝撃もシートに座るトレーサーの感覚で感じたように脳に信号を送っている。
いわば、WATSは単なるロボットではなくウォールドウォーという電脳世界で活動する為のもう一つの体と言ってよい。
トレーサーと神経を共有するそのシステムは、WATSの操作をより反射的かつ機敏に行えるものであったが、反面機体に受けたダメージや衝撃をトレーサーにフィードバックする現象を引き起こし、その防護策が未発達だった過去には南雲のように脊髄に甚大な被害を受け日常生活に支障が出るほどの負傷をするトレーサーが少なくなかった。ある程度防御設備が整った昨今であっても年に何回かは重大なダメージを負ってやむなくトレーサーを引退する者がいる。
今までは味方だけの問題であったが、それがマイズアーミー側もトレーサーを投入してくるとあれば、それらの人間を傷つける可能性があるというのは新たな問題となりえた。
ドクターマイズと人々との全面戦争という形を取っているとはいえ、<センチュリオン>を初めとする多数の対マイズアーミー戦闘組織は軍隊ではない。他人に障害を与える危険性があるという事実は法的な意味でも、また同じ人間を敵に回し銃を向けるという、メンタルストレス的な意味でも厄介な事態であった。
さらに、それが既存の機体よりも強力なマシンに乗ってくるという事は、ともすれば今まで保ってきた戦力のバランスが一気にひっくり返される可能性をも示唆していた。
「元々がドクターマイズの手の平でやっているような戦争ですからね」
これは会議室の一角に陣取っている、本部から来ている国府田の発言だ。黒いスーツに身を包み、眼鏡を拭いてから掛けなおした。マヤはその素顔を見て意外と切れ長の眼をしているなと余計な感想を持った。
「お前さんは、度々マイズの野郎の肩を持つような事を言うな」
飛羽はそういうものの、大して苛立った様なニュアンスは込めなかった。それがわかっているから国府田も気にしないように気楽な口調で返事を返す。
「現実主義ですから」
「敵が明日にでも、『ロングレッグ』や『ギガンティピード』みたいなのを大量に寄越して世界中が壊滅状態になっても仕方ないってか」
「そうならないように、ドクターマイズやマイズアーミーの中心部人物の調査は進めています」
「そう言ってもらわなければ、俺達だって頑張り甲斐が無いが……」
ようやく飛羽のところにコーヒーが回ってきた。礼を言いながらバイトの持つトレーから紙コップを取って一気にそれを飲み干すと、さらにもう一つに手を伸ばし、女の子を驚かせた。
「……いるのかね、ほんとにそんなヤツらがさ」
シン……と会議室に静寂が訪れる。マイズアーミーと戦う人間全てが心の中でひそかに恐れている事。自分達は何と戦っているのか。この戦いに敗北以外の終わりはあるのか。その不安がスタッフ達の胃を重いプレッシャーで苦しめる。部屋の片隅では胃薬を苦いコーヒーで飲み込むスタッフの姿があった。
「……我々が今検討しなければいけないのはドクターマイズの実在や居場所ではないわ」
脱線は好きだが暗い話で士気を下げるのは避けたいマヤが話題を打ち切るように立ち上がりながらきっぱりとそう言う。
「この二週間、厳戒態勢と調査活動を行ってきました。以来マイズアーミーの襲撃は以前のペースに戻り、地下工場跡の情報もほぼ収集しました。ひとまずは各員の激務に感謝を述べさせていただきたいと思います」
ぺこり、と少し枝毛の増えたセミロングの頭を下げる。それからぐっと傍らのペットボトルに入ったミネラルウォーターを飲み干してから、少しだけ表情を柔らかくして続けた。
「何の保証もないところですが、マイズアーミーの攻勢は一旦落ち着いたと判断し、当支部は一旦厳戒態勢は解き通常シフトに戻そうと思います。また、各班順次に一週間ほどの休暇を順番に取れるよう手配します。ただこれはドクターマイズの腹持ち次第という事になりますが……所帯持ちのスタッフから順にリフレッシュして、心身ともに充実してきて下さい」
ようやくここで、会議室に明るい雰囲気が戻った。喜びで大声を出すような人間はいないものの、小さい拍手や歓声が巻き起こる。
「では、今日はここで解散です。細かい指示は各班のリーダーを通じて受け取って下さい。お疲れ様でした」
いかに友人の少ないユキオとは言え、それなりに休み時間に話す級友はいる。宮田ケンイチ。ユキオとは対照的にガリガリで、ついたあだ名がガリクソン。元ネタなど到底知りようもない同級生達だが、そのゴロの良さから日がな一日ガリクソンと愛情を持って呼ばれている。
休み時間、ユキオはそのケンイチと連れ立って自販機に向かっていた。
年を越して、暦では春に向かっているもののまだまだ寒い日は続いている。愛飲しているコーンポタージュを求めてユキオは早足で廊下を進んだ。
「もうすぐテストだなー」
「嫌な話題を振るなよ」
ケンイチの暗い話に文句を言いながら、財布から半透明のマネーカードを出す。
「ユキオはいいじゃんか、ウォールドウォーであれだけ活躍してれば、内申もらえて楽に大学行けるだろ」
「そんな話されたことねぇけど」
「大丈夫だよ、きっと」
ケンイチは根が楽観的で、ユキオと違いくよくよ悩まない性質だ。それが良い様に聞こえる時もあるが、大体は夢見がちとも思える事を言うのでそれをたしなめるのに苦労することも多い。
「そんなんで大学行けたって、勉強したい学部に行けるとは限らねぇし」
「ユキオ、なんか勉強したい事あんの」
実に意外、という顔でケンイチがユキオの顔を覗き込む。視線を逸らしながらユキオは自販機に近付いた。
「別にコレだってのは無いけど……勉強したくもない分野ってあるだろ、政治とか経済とか」
「数学とか物理とか英語とかな」
「そうそう……なんだコレ」
軽口を言いながらコーンポタージュのボタンを押そうとしたユキオは、その隣に入った新商品に気が付いて指を止めた。
「甘酸っぱい青春の味!……ホットジャーニー・ウメネード?」
「……つまるところレモネード的な奴かな」
横から覗き込んだケンイチが、えいとそのボタンを押した。
「あっ!何すんだ!」
「どうせ飲むだろ?」
友人にまんまと出し抜かれ文句を言っては見るが、刺激の少ない学生生活を送る二人にはこういうものは見逃せない。長年の経験から、この手の物に美味いものは無いとわかってはいるけど……と内心思いながら、出てきたペットボトルのフタを捻り、飲む。
「……う?」
「……どうだ?」
「うめぇ!」
甘みの中にほのかな酸味が混じり合い、梅の爽やかさがその後に鼻に抜けるように漂ってくる。想像を超えたクオリティとバランスの味わいに、ユキオはこの商品の開発者に賛辞を送った。
「マジか!」
「マジだ!いや、これは凄い!凄いが……ネーミングが酷い!もっとシャレオツな名前ならバカ売れするに違いないのに……!」
謎の悔やみを見せるユキオの手のペットボトルにケンイチが手を伸ばす。
「ちょっと一口くれよ」
「いや、これはお前も買って飲むべきだ!そしてこれの素晴らしさを広めよう!」
「ええええー!?」
あからさまに不審そうな顔をしながらマネーカードを出すケンイチを見ながら、ユキオは新しい味との出会いに感動していた。まるで聖杯でも掲げるかのように大事に味わっている。
そんな二人に一人の女生徒が近付いた。
「廊下でそんなに大声出したらダメだよ」
「あ、奈々瀬さん。いやコレ凄いんだよ!新しい奴!」
おっとりと話しかけてきた戦友に、ユキオは珍しく急接近しながら熱弁する。ルミナは驚きと恥ずかしさから少し頬を染めつつ後ずさった。
「そ、そうなの?……ええと、ウメネード?」
「そう!これは冬のホット飲料界に革命を起こすね!奈々瀬さんも一口……いや!一本奢るよ!」
「えっ、あ、いや……」
一方的にテンションを上げて、ユキオは振り返り自販機の前で首を捻っている級友を押しのけた。いつになく俊敏な動きで新しいのを買うと、ばっと振り返り満面の笑顔で温かいペットボトルをルミナに差し出す。断る暇も無く、ルミナは少し引きつった顔でそれを受け取った。
(一口飲ませてくれればいいのに……)
そんな思いもこの目の前の戦友には届かない。まぁ、どんな思いもこの鈍感な同級生には届きはしないんでしょうけどと付け加えてルミナは溜息をついた。
「あれ、梅嫌いだった?」
すっとぼけた事を言う鈍感な男に目を伏せたままルミナは首を振る。
「ううん、ありがとう。いただきます……あ、神谷君達だ」
「へ?」
ルミナの声に振り返ると、ちょうどカズマとマサハルがいつもの如く女子の集団に囲まれながらやってくるのが視界に入った。
「おっす」
「ああ、お疲れ」
短く挨拶を交わす。ユキオ的にはカズマ達はいけ好かないが(正確には、その人となりは嫌いではないが女子を引き連れるイケメンを絵に描いたような毎日を送っているのがなんとも精神的によろしくない)信頼する戦友でもあるから邪険にはしない。しかし取り巻きの女子達の冷たい目線が身に沁みる為校内で会ってもとにかく早くすれ違おうとしていた。
「……ユキオ、なんか痩せたか?」
「へ?」
珍しく話を振って来るカズマの一言に意表を付かれて、ユキオは間抜けな声を漏らした。
「なあ?痩せたよな」
そう言ってカズマが隣にいた、茶髪のぐるんぐるんに巻いたミニスカートの女子を向く。女子達もめいめいにユキオを見定めるように上から下まで視線を寄越し、慣れない感覚にユキオの肌に汗が滲んだ。
「そうねー、ま、前より良くなったんじゃない?」
「うん、まぁまぁねー」
「じゃあアンタ付き合っちゃいなさいよ」
「ちょっとー、アタシはカズマ一筋だってばー」
ぐるぐるの一言に次いで急にわいわいと狭い廊下に嬌声が満ちる。勝手に盛り上がる女子達にやれやれと肩をすくめてマサハルが、もうすぐ授業だし行こうか、と声を掛ける。
「じゃあ、奈々瀬さん、ユキオ、またな」
「あ、ああ」
ぞろぞろと移動してゆく一団を、ユキオがぽかーんと見送った。
「……なんだってんだ」
「モテ期到来じゃねえの?」
「んなワケねーだろ」
茶々を入れてくるケンイチに答えながら、ユキオはウメネードを飲み干す。その背後を半眼で見ているルミナの視線にには、幸運にも(?)ユキオは気付かなかった。