ラプンツェルの憂鬱(後)
奈々瀬家のキッチンでは、能面のように無表情の顔でルミナが小さな包丁を握っていた。
まな板に刻まれるその規則的な音に誘われるように、マヤが頭を抑えながらのろのろと食卓にやってくる。振り返る気配も無い妹の背中におずおずと声をかけた。
「ええと……おはよう、ルミナさん」
「……おはようございます、お義姉さん」
挨拶は返ってきたものの、むしろ聞いて後悔する位冷たい言葉だった。身震いしてマヤが自分の椅子を見ると、食卓の上にはポットとインスタントの味噌汁と冷めたご飯、それに辛うじておかずと言えなくも無いうずらの卵が2個並べられていた。
いつもならサラダにスクランブルエッグ、ウィンナーなど彩り豊かな朝食を作ってくれる妹だったが、さすがに昨夜の一件は彼女の怒りの限界を超えたようだ。
諦めて、すまなそうに妹にお礼を言う。
「朝ごはん、ありがとうございます」
「いいえ、お粗末なものですみません」
あの優しいルミナもこんな皮肉を言うのだなと感心する余裕もなく、二日酔いの頭を抱えながらマヤはふと妹の手元を覗き込んだ。
細く白い指で握った包丁で無心に刻んでいるのは、真っ赤な唐辛子だった。その横の調理皿には妙な形の人参、オクラ、ゴーヤ、ジューサーにはレバーとおおよそ何の組み合わせかわからないような食材が並んでいるが……マヤはその中に一見信じられないものを見つけた。
勇気を出して、昔話に出る幽霊のような顔をしている妹に訊いてみる。
「……あの、お忙しいところお訊ねして申し訳ないのですが……何をお作りになって……」
「……今日雪かきするってメールが来てたから。疲労回復と体が冷えないように血行が良くなるドリンクを作ろうと思って」
「……あ、それは、とてもいい事ですね……ただちょっと気になるのですが……そこのジューサーに入ってるの……アタシの記憶違いでなければ、確か…………タツノオトシゴ、とかいう奴じゃないですかね……」
独特の長い口と膨らんだお腹というシルエットの動物の干物を見て胃をキリキリと痛めながらそう言うマヤを、恐ろしく冷めた視線でルミナがギギギ、と仕掛け人形のように振り向いた。
「タツノオトシゴは昔から漢方で使用される食材なんです」
「そ、そうなんですか!いやー、さすが勉強家!下らない質問をして申し訳ありません……で、それは、ええと、カズマ君達に……?」
「……飲みたいと言われればお裾分けしますけど、とりあえずいつもお世話になっている人に飲んでもらおうかなと思って」
刻んでいた唐辛子と皿の上の食材をジューサーにぶち込んで、バン!と乱暴に蓋を閉じる。ジューサーはまるで誰かの心境を表すかのように、ギュオオオオオオオオ!!と激しくその中も食材を粉々に刻み続けた。3匹ほど入っていたタツノオトシゴも哀れ一瞬で原形を失い真っ赤な液体の中へ消え去ってゆく。
マヤはその妹の横顔を見ながら、哀れな一人の高校生のために祈る事しか出来なかった。
とりあえず大変苦心しながら謝罪のメールをルミナに送ったユキオだったが、返信は無かった。諦めて長靴を履き、物置からスコップを取り出す。
「オデコ、大丈夫なの?」
声に振り向けば、二階の窓からカナが身を乗り出しているのが目に入った。
「まぁ、何とかな」
「お出かけ?デート……じゃなさそうだけど」
脳天気な親戚の言葉に、出来れば家に引きこもっていてえよ!と喚きたくなる気持ちを何とか押し込んだ。代わりにスコップを振り回してみせる。
「カナこそ、デートじゃないのか?」
「うへへへ、ちょっとお出かけしてくるね」
だらしないニヤケ顔を隠そうともせず、カナは嬉しそうに身体をくねらせた。クリスマスだというのにモテない上に体重計を投げつけられた不幸な我が身との落差に、ユキオは心の内で神に思いつく限りの罵りの言葉をぶつけた。
「あんまり遅くなるんじゃないぞ」
年長者として言うべきことだけを言い残し、スコップを担いでユキオはざくざくと真っ白な雪に足跡を刻みながら歩き始めた。
朝起きた時は、ここ数日でも珍しいくらいの晴天だったのだが校門前にパンサーチームの四人が集合した時には、再び灰色の雲が流れてきて辺りを薄暗くしていた。吹きすさぶ北風が足元から容赦なく血液を冷やし体温を奪っていく。
「ユキオ、どうしたんだその頭」
カズマとマサハルがスコップを引きずってやってきた包帯姿のユキオを見て驚き声を掛ける。
「いや、ちょっと、うっかりぶつけちゃって……」
「うっかりってお前……大丈夫なのか?」
「ああ、捲いてくれた人が大げさにしてくれちゃったみたいで、全然、大丈夫だから」
不自然に明るくそう答えながら横目で一瞬ルミナの方を見るが、三人から少し距離を取って立っているルミナの表情にはおそよ感情というものが感じられず、まるで呪いの日本人形を思わせる。
(めっちゃ怒ってる……)
確かに、バスタオル一枚の姿を見られて機嫌を損ねない女子高生はいないだろう。ユキオは諦めてうな垂れる。なにせ事故とは言えユキオは初犯ではないのだ。その姿と、周囲に満ちる冬の冷気よりも近寄りがたい雰囲気をまとっているルミナを交互に見てカズマとマサハルも戸惑いながらじゃ、行こうかと促してコンビニの裏手に向かい始めた。
道すがら、ユキオはこっそりルミナに近付いて頭を下げる。
「あの……昨日は、本当にゴメン……なさい……」
「別に、わざとじゃなかったんだから、いいですよ」
とは言うものの、にべもない。
仲直りしようと思った矢先のこの展開に、ユキオは早くも挫けそうになった。
積雪は10センチほどだろうか。雪質は重くなく、雪かき自体は若い四人にはそれほど重労働ではなかった。<センチュリオン>悠南支部に入るためのエレベーター周りを中心に、遅れてやってきたマヤも含め、黙々とスコップをふるうのだが、1時間もたたないころに再び粉雪が舞い始め、全員が憂鬱そうに空を見上げた。
「ホワイトクリスマスとは言うけどよ……実際降るとクソ迷惑だな」
「さっさと手ェ動かせ、もう少ししたらデートの予約入ってんだ」
ボヤくマサハルをカズマがせっついた。わぁかってるけどよー、と応えながらマサハルが腰を伸ばす為に反り返る。ルミナの刺すような視線から逃れるように人一倍スコップを振り回していたユキオもいい加減体力が尽きかけ、マサハルに倣ってうーんと背伸びをする。
そこに、水筒を持ったルミナがスススと近寄った。
「玖州君、大丈夫?」
先程とは違い、思ったより柔らかい物腰の口調に、意表を尽かれてユキオは驚いた。
「え、あ、うん……ちょっと、疲れちゃったけど」
「大変だよね……丁度疲労回復にいいドリンク作ってきたんだけど、どうかな?」
背中に掛けていたカバンからルミナがピンク色の可愛らしい水筒を出した。ユキオが返事をするのも待たず、カップにその中の液体を注ぐ。ピンク色のカップのせいか、その湯気を立てるドリンクは随分と赤く見えた。
「あ、あり……」
昨日の事もあり、完全に気後れしていたユキオが受け取る前に、ルミナの差し出したカップをマサハルがひょいと横から手を出して受け取った。
「あー、ありがたい!のど渇いちゃってさ、ユキオ、悪いけど先に頂くな」
「あ、いや、コレは……」
思わぬ強奪に驚いたのか、ルミナが急に慌てる。が、制止の声を出す間もなくマサハルはそのカップを一気に煽った。
「ぶごああああああああっっっっ!?」
四人の前で、マサハルが聞いたことも無い未開地の原住民の如き意味不明の言葉を赤い液体と共に吐き出しながら倒れた。白い雪の中にマサハルと、カップからこぼれた赤い液体が沈む。
「…………」
たっぷり3秒ほど、静寂が流れた。マサハルは全く動かず泡を吹いている。マンガならギャグで済まされるだろうが、どうみても穏やかな状況ではない。硬直から立ち直ったマヤがケータイを取り出し電話を掛け始めた。救急車だろうか。
「……ルミナ、何を飲ませたんだ?」
カズマが滅多に見せない怯えた声で問いただす。
「いや、漢方の本に出てた、体力回復と血行促進のお茶をアレンジして……おかしいな、こんなに強烈だなんて……」
「どう見てもオカシイ事になってんだろ!おい、ユキオ、二人でベッドに……」
本気で頭を捻るルミナを怒鳴りつけて、マサハルを起こそうと近付いたカズマだったが、その動きを邪魔するかのようにここ数日嫌と言うほど聞いた電子音が鳴り響いた。
マヤは119番に電話をしながら器用に端末を開き情報を呼び出す。小型端末のモニターには、マイズアーミーの一群が新たに悠南市の中央電力管理施設に強襲を掛けているという情報が流れた。完全に破壊されれば交通の主要、モノレールを中心に信号から自動販売機に至るまで市街地の電力は使用不能に陥ってしまう。
「マサハル君は私に任せて、三人はすぐ出撃して!」
「頼んだぜ!」
素早く指示を出すマヤを信じ、カズマがいち早くエレベーターへ駆け出す。倒れたマサハルや謎のドリンクの事も気になるものの、ユキオも立ち上がった。積もった雪にズルッと足を取られ転びそうになりながらも、ルミナと共にカズマの後を追う。
エレベーターが地上に到着し、扉が開いた所で三人が駆け込む。カゴ内のモニターを開き襲撃してくるマシンの詳細に目を通しながらカズマが恨みがましくルミナに文句を言った。
「栄養ドリンクってのは、過激なモノ入れればいいってワケじゃないんじゃないか?」
「……ごめんなさい」
(一体何が入っていたんだ……)
自分でも予想外の『威力』にビックリしてすっかり落ち込んでしまっているルミナを横目に見ながら、ユキオは冷や汗をぬぐって迂闊なマサハルに感謝した。
「とにかく、『2B』の火力が無いのが痛え……『スタッグ』二機はユキオ、『ラム・ビートル』三機は俺が面倒見る。『ビートル』と『フライ』は責任持って落とせよ」
頷きながらルミナもモニターを見る。先行している『ラム・ビートル』はすでに管理施設の一部を破壊してしまっているようだった。