ラプンツェルの憂鬱(前)
「ありゃ、今日も居残りなのユキオ君」
メンテナンスルームに入ってくるなり、疲れたユキオの姿を見つけてマヤが声を掛けた。
時間は10時。高校生がバイトをするには遅すぎるというほどでもないが、そろそろ潮時だろう。
「ああ、はぁ……とりあえず24日には間に合わせたくて……もうすぐ出来そうなんで」
疲れ目でしょぼしょぼしているまぶたをこすりながらユキオはモニターを睨む。ぐいっとカフェオレを飲み干してまたキーボードに指を走らせ始めた。
「気持ちはわかるけど身体も大事にしなさいよー、ここんとこ毎日出撃してるし、少しは休まないと脳や神経だって参っちゃうんだから」
「そうよー、それに慌ててプログラム組んでると大体どっか欠けてるから……ホラ、そこの接続飛んじゃってる」
ユキオの後ろから白い腕を伸ばしてアリシアがコードのミスを指摘する。耳元で囁かれる声と、首筋に感じるアリシアの体温に心臓の鼓動が乱されながらも、ユキオは首をぶんぶんと振って修正を開始した。
「しっかしプレゼントにこんなに大変なものを用意するとは……嬉しいかどうかはともかく、すごいわねぇ……」
缶ビールを開けながらマヤが呆れ半分、驚き半分という顔を見せる。
「そうですか?……でもアリシアさんにも手伝っていただいて……すみません忙しいのに」
「フフフ、若い二人の為だからね、しょーがなくね」
ユキオの詫びの言葉にアリシアはからかうような声で応えた。ユキオが思わず椅子ごと振り返る。
「べっ!べべべ別に俺は、奈々瀬さんにもっと安全に戦って欲しいだけで……!」
「ハイハイ、わかってるわかってるわよー」
ビールを飲みながら近付いてきたマヤが振り向いたユキオの椅子を戻す。ついで頭をぽんぽんを叩くマヤの手をユキオは振り払った。
「そんなにルミナの事心配してるのに……なんで最近冷たくしてるの?」
心底わからんという風のマヤにユキオもまた振り向いた
「冷たく……してますかね?」
その言葉にマヤとアリシアの表情が凍りついた。
「アンタ……それ本気で言ってるの?」
「え、あ、いや訓練をカズマに代わってもらったことなら……俺が教えるのが下手だからで……」
二人の雰囲気を遅まきながらに感じ取り、両手を振りながら慌てて弁解めいた事を言うが、大人の女性たちの冷めた視線はより温度を低めていく。
「アリシア、ちょっとアタシ、久しぶりにカチーンときたんだけど」
「ちょっとね、教育が必要のようね、この子には」
「え、あ、あ?ちょっと、うああっ!?」
マヤがぐいとユキオの首根っこを持ち上げる。大人とは言え、女性に無駄に脂肪を溜め込んでいる自分の身体を持ち上げられるとは思わずユキオは若干驚愕した。
「な、なんですか……?」
「どうするアリシア、第三会議室行き?」
第三会議室とは<センチュリオン>悠南支部の中で使われる駅前の安い焼き鳥居酒屋の俗称である。
「『じぱんぐ』で呑んでから帰るの面倒じゃない?明日半休にしても結局仕事しに来なきゃいけないし」
「んー、じゃあウチでやるか」
「それならいいけど」
自分の意思の関係無い所で進む話の展開に慄きつつ、ユキオは尋ねてみた。
「ええと、そろそろ家に帰りたいのですが」
「駄目です。パンサーチームの未来のために、徹底的に指導をするまでは帰せません」
きっぱりと据わった目でユキオの嘆願をマヤは退けた。すでに酔い始めているのだろうか、顔も少し赤くなり何より息がビール臭い。気が付くとてきぱきとアリシアがユキオの使っていた端末の電源を落とし、マニュアルやらガイドブックやらを片付けていた。
「ア、アリシアさん!」
助けて……と続ける前に、アリシアは冷たい笑顔を無慈悲にも左右に振った。
「聞いてるわよ、しばらくご両親はお出かけなんでしょう?問題は無いわね」
確かに両親は里帰りをしている。家には<センチュリオン>の仕事で一緒に行けなかったユキオと、レッスンがあるカナが残されている。カナにはメールで連絡すれば大丈夫だろうが……。
(仕方ない……なんか良くわからないけど適当にやり過ごすか……)
未だ何故二人が機嫌を損ねているのかわからないユキオは事態の深刻さを把握していなかった。何より致命的なのは、マヤの家に行く、という事がどういうことなのか今の疲れたユキオの脳には理解できていなかった事だった。
悠南市郊外の高級住宅地。通称ニュータウンの中央近くに奈々瀬家はあった。軽く坪二百といったところか、立派な庭を備えた白壁の綺麗な邸宅の応接間にユキオは通された。
(ウチのオンボロとは大違いだな……)
豪勢とは言わないまでも、上品かつ豊富な調度品を眺めながらユキオはこっそり溜息をついた。いや、溜息をついた理由は玖州家と奈々瀬家の格差にではない。
「さて、こってり事情を話してもらいましょうかねぇエースぅ……?」
座っている柔らかいソファ、隣に腰掛けているマヤは完全に出来上がっている。アリシアの運転する帰路の車内で缶ビール3本も空けたのだから当然といえば当然か。
向かいに座っているアリシアも、チーズをつまみながらまたワインのグラスを空けた。すかさずユキオはそのグラスに赤ワインを注ぐ。
「事情も何も……俺は別に奈々瀬さんとは普通にやっているつもりで……」
「ああぁん?」
駄目だ、全く話が通用しそうには無い。不幸にも酔っ払った上司の対処を学ぶ機会は、学生のユキオには与えられていなかった。
「ユキオ君ももう17でしょう。カズマ君たちみたいに……とはいかないまでも女の子への気づかいをおろそかにしていい歳じゃないのよ」
アリシアも酔ってはいるものの、まだ話は通じそうだ、がその言葉の意味するところを正確に掴みかねている。
「そんな……俺、奈々瀬さんに迷惑かけてるんですか?」
「どんだけトボケた事を言ってるのよこのトンチキチェリー!」
横から酔っ払いの腕が伸びてきて首を絞められる。慌てて自分の腕で首をガードする事で窒息は避けられたが、予想以上の力に若干ユキオは驚いた。そうしている間にテーブルの向こうからずい、とアリシアが身を乗り出す。
「迷惑も何も……貴方ルミナちゃんとここのところまともに話してないじゃない。何で訓練もカズマ君に任せたの」
「いや、だから俺の教え方が下手で……上手くいかないと思ったから……」
「ルミナちゃんがそう言ったの?この訓練じゃ上達しないって」
マヤの腕を振りほどくのに手一杯なフリをして、詰め寄るようなアリシアの視線から顔を背ける。
「言っては……いませんけど」
「彼女はユキオ君に頼んだんでしょ、それを相手に相談も無く勝手に他の人に振るって、どうなの」
「すみません……」
「私に謝られても困るんだけど」
アリシアはユキオの謝罪を突っぱねてワインをぐっと煽った。
(なんで俺、こんなガチで怒られなきゃいけないんだよ……)
アリシアの指摘は、それは確かにもっともだと思った。しかし連日のマイズアーミーの迎撃に加え、毎日遅くまでルミナのために<作業>をしている事を知っているこの二人にここまで絞られなきゃいけないほど、自分は何もしてないクズではないはずだ。
『クズ』
中学時代、本名をもじって散々バカにされたあだ名を思い出してユキオは一人眉根を険しくさせた。
(あの頃とは違う……俺はマイズアーミーの侵略から街を守る立派な戦士だ。戦闘中だって奈々瀬さんの周囲に目を配っている。俺は、ちゃんとやっているはずだ……
それでいいじゃないか!)
酔っ払いの大人二人に注意されようと、それは酒の席の愚痴のようなものだと、ユキオはまだ考えていた。
「そういう事を言ってるんじゃないのよ……ぉ……」
「うわっ!?」
スリーパーホールドがなかなか決まらず、シビレを切らしてマヤがユキオの上に覆いかぶさるようにのしかかってきた。柔らかい大人の女の体躯と、ビールと香水の混じり合った臭いにユキオは困惑してされるがままに押しつぶされる。
「そうね、ユキオ君の問題点はそこじゃないのよ」
「どういう……」
むぎゅう、と潰されながら訊く。
「アタシのぉ……大事な妹にぃ……冷たくするなぁーって言ってるのぉー」
「そんなつもりは無いですけど……」
ユキオの丸い身体をバランスボールとでも勘違いしているのか、ぐりんぐりんと遠慮なくのしかかってくるマヤをいい加減押しのけようとするがうまくいかない。
「その……俺は……奈々瀬さんと一緒にいると、何かつり合いが……」
先日の廊下での会話を思い出す。ルミナに頼みごとをしていた女生徒の自分に向けていた視線。短い人生でもうイヤというほど何度と無く浴びせられた、「お前は来なくていいよ」という無言のメッセージ。
もう馴れている。他人に嫌われるのは。
自分と不必要に仲良くして、ルミナが周りから浮いてしまう方が自分には悲しい。
だったら、今のうちなのだ。薄暗い自分の近くではない、カズマやマサハル達みたいな、普通の明るい人間関係。そちら側に行ってもらうのは。
「……俺と仲良くしたって、別に面白い事も無いし……」
ぬっ、と白く細い腕が伸び、華奢な手がユキオのほっぺたを挟み込んだ。
(?)
と、思った瞬間、その手がガクガクとユキオの頭を揺さぶり、脳味噌がシェイクされるかのような仕打ちを受ける。
「なんなのよアンタ!一生トンチキチェリーで生きてくの?アマゾン奥地でツリーハウスにでも住むの!?」
「ちょ、マヤさ、ぎぼち悪い……」
「何よ!アンタ、ネガティブ引きこもりみたいな事言ったくせに美人の顔に気持ち悪いとか難癖付けようっての?ぶっとばすわよ!」
「ちが、違います!いや、これ以上は無理無理ムリムリ……」
マヤの容赦ないシェイクはとどまる所を知らず、ユキオは首が胴体から千切れるのを覚悟した。あまりにスプラッタな末路であるが、カナは泣いてくれるだろうか。カズマ達も線香くらいは上げてくれるかもしれない。
「ちょっと、その辺にしときなさい」
見かねたアリシアがマヤの首根っこを捕まえ引っ張り上げる。ユキオはすんでのところで現世に別れを告げなくて済んだ。
「うぉええええええ……」
あまりの気持ち悪さにリビングのカーペットに転がり落ちる。毛足の長い高級なカーペットは優しくユキオの身体を受け止めてくれた。
「今このコに死なれたら、ウチの支部はヤバイわよ」
「だってぇー!コイツがアタシの可愛い妹をー!」
酔って泣き喚くマヤから手を離し、アリシアは寝っころがっているユキオに手を貸して起き上がらせた。
「自分が傷つきたくないからって、今傍にあるものを勝手に捨てるなんてのは失礼な事よ」
「……?」
天井の大きな照明を背負い、自分を見下ろす金髪のアリシアは、女神のように見えなくもなかった。ユキオはその真意を計りかね、アリシアにまるで救いを求める信者のような目を向ける。
「出会いは偶然かもしれないけど、そこから先の関係はお互いが少しずつ、砂を積むようにゆっくりと築いてゆくものなの。一人だけの思い込みでそれを勝手に崩すのは、それは罪よ」
「でも……俺は……」
「もう一つ、あなたが思っているほど、出会いは無数にあるものではないのよ。今あるものを大切に育てないと、後悔するわよ、絶対」
アリシアの言葉の意味を実感する事はできなかったが、『絶対』というその重みはずしりと胸を押さえつけた。
息苦しさと喉の渇きを覚えたユキオはテーブルの上のグラスを手にとって、一気に飲み干す。不味い。ビールだった。
思わず飲んでしまったアルコールに、ユキオの体温が上がり朦朧としていた思考回路がさらに霞がかかったように不明瞭になる。それでも、ユキオは何か答えを探そう
としていた。
「俺は……」
「うん?」
「……仲良くしていていいんですか……?」
ビールのせいで気持ち悪い。意識が朦朧とする。ユキオはうなだれながら、懺悔するようにボソリと呟いた。
「ルミナちゃんの事、嫌い?」
ぶんぶんと頭を左右に振る。
ユキオは、自分のクセ毛気味の頭を柔らかい手がクシャクシャと撫で回すのを感じた。
(そっか……)
心のどこかでつかえていた何かが無くなった様な気がした。
変われるかどうかの自信はまだない。けど、変わらなければいけないのだろう。
それはとても苦難な事であるような気がしたが、それでもユキオは気持ちが楽になったような気がした。
(ここんとこ、教わってばかりだな、俺は)
少し前に見た、ルミナの涙を思い出して、ユキオは胸を痛めた。 と、唐突に背中に酔っ払いが落ちてきた。意識がおぼつかないユキオはあえなく落ちてきたマヤと共に、再び床に伏してしまう。
「あー、もー、眠いよアリシアぁ~」
「寝る前にシャワー浴びてきなさい。明日後悔するわよ、絶対」
アリシアは冷たく言ってソファに戻りまたワインを口にした。再び下敷きになったユキオをまた助ける気にはならなかったらしい。
(不幸だ……)
散々な目に合った一日を悔やむユキオの背中をマヤがばんばんと叩く。
「ちょっとユキオ君、起こして、お風呂場まで連れてって」
「はぁ!?」
「いいじゃない、若者の悩みに応えた大人にそのくらいお礼をしてくれたってさぁー」
「いや、どっちかって言うと応えてくれたのはアリシアさんで、その前にマヤさんが上にいたら……」
「うるさい早くぅー!!」
背中の上で酔っ払いの大人が暴れ始めた。ユキオは諦めて酒臭い溜息を吐いてマヤを抱えながら立ち上がった。
「静かになった……かな?」
部屋で授業の予習をしていたルミナは、リビングから聞こえる騒音に集中力を削がれたためにあきらめてバスルームに降りてきていた。
マヤが時々アリシアや<センチュリオン>のスタッフを連れて自宅で飲み会をしているのは、仕事のストレスから仕方ない事だと諦めている。せめて頻度は少なくして欲しいが、ここの所のハードワークからして、酒でも呑まなければやってられないのだろう。下手に呑み屋で酔いつぶれて帰ってこられなくなるよりはマシかもしれない。
今夜は母は検査入院で、義父はそれに付き添いに行っている。ルミナの他にはマヤが連れて来た<センチュリオン>のスタッフのみが家にいるはずだ。降りて行って顔を出しても良かったが、酔った姉に絡まれると長くなる。ユキオの件でクサクサした気持ちを抱えていたルミナはそれを面倒に思って、今夜は知らぬフリを決め込んでいた。
(全く、みんなもっとちゃんとしてくれれば、こっちだって気が楽なのに……)
誰にという訳でもなくまたルミナは溜息をついた。最近ずっとこんな気持ちだ。
だが、戦闘経験も、人生経験も少ないルミナは周囲に不満を感じていても、それを一気に改善できる手段は持ち合わせていなかった。
せめてユキオとの距離感さえもっと落ち着かせる事さえできれば……。
(嫌われてるなら、それでもいいけど……)
と思っては見ても自分の本心は騙せない。
最初は助けられた恩とか、優れた戦闘技能に対する尊敬だと思っていた。
が、違うのだ。自分は明らかに異性としてユキオを気にしている。恋愛経験があれば素直に好きになっていると認めていたかもしれない。
しかしここ最近のユキオの態度を見るに、向こうは少なくとも必要以上に仲良くなりたいとは思っていなさそうだった。
ユキオの真意はどうあれ、それはそれで諦めようもなくはない……と思っていても、心の奥底ではそれを飲み込めない自分に、ルミナは一番いらだっている。
(くやしいなぁ……)
ままならぬ関係、ままならぬ思い。そういったモヤモヤを拭い去りたくてルミナはシャワーを浴びた。
高校生にしては控えめに成長している体を、無数の水滴が伝わって落ちてゆく。
やがて身体を隅々まで洗い終わり、バスタオルを取ろうと浴室のドアを開けたところでルミナは誰かが近付いてくる足音と、酔っ払ってろれつの怪しくなった姉の声に気が付いた。
「……そう、そこみぎぃ……で奥のドアをぉ……」
(?)
まさか誰かにシャワーを使わせるつもりなのか。ルミナはあわててバスタオルを身体に巻きつけた。
ガラッ。
(!!?)
予想よりも早く、遠慮なく開けられたドアの向こうから現れたのは、泥酔した姉を抱えたユキオの姿だった。




