ユキヤナギ(後)
翌日。
バイト先である花屋、フラワーハスノは、クリスマスシーズンで繁忙を極めていた。運転のできる店長とサクラは出払っていて、鮮やかな花々の並ぶ店内のカウンターではユキオと中学生のランが花束らしきものを作ろうと悪戦苦闘していた。
「こうじゃないの?」
「ええー、だってこのリボンが……ああ、もう玖州さんは黙ってて!」
小さい肩を一生懸命揺らしながらランがリボンで束をなんとか纏めようとしているが、どうみても人に差し出せるような代物ではない。二人はそれぞれがっくりと肩を落とした。
店主の末娘であるランは姉とは違い、店の手伝いもあまり進んでやらないせいか、こういった接客に関わる作業はまだ不慣れだった。それでも新人バイトであるユキオよりは経験があるつもりのようで、いろいろ修正しようとするユキオに少しイラついているようだ。
「ただいま……って、あらあらずいぶん酷いわねぇ」
そこに配達から帰ってきた長女のサクラがカウンターに顔を出した。二人の努力の結果であるくしゃくしゃになった包み紙と、不揃いの花を見て口に手を当てて驚いている。
「これ、お客様のものじゃないでしょうね」
さすがに真剣な顔つきになって問いただすサクラにユキオが弁明した。
「いや、自分がお見舞いに持っていくもので……もちろんお金は払うんですが」
「なら、やっぱりお客様のものじゃない」
貸して、とランの代わりにカウンターに立ったサクラは、手際よく花の並びを整え、新しい包み紙でまとめなおした。
プロの技におおー、と感服するユキオをランが一瞬睨む。
「ごめんなさい、私が配達から戻るのが遅くなったせいで……」
花束を渡しながら頭を下げるサクラにユキオも詫びる。
「いや、いいんです。店長にもそろそろ練習しとけと言われたのに俺がサボっていたせいで……」
「お正月を過ぎれば、少しはお店も暇になるからそしたら練習しましょう……ランもね」
姉の笑顔の奥に潜むわずかな感情を察したランが、後ろでまとめた派手な癖毛を揺らしながら肩をすくめる。
「で、時間は大丈夫?お見舞い」
リストウォッチを見てユキオは跳ね上がった。
「やば!ギリギリだ。じゃあ、ありがとうございました!」
姉妹に見送られて通りへ出たユキオはモノレールのステーションへ長いとはお世辞にも言えない脚をどたどたと走らせた。到着した車両に滑り込む……もとい、転がり込むように乗り込んで、深呼吸をしてから携帯を取り出す。
めったに着信件数の増えないメールBOXには、昨夜届いたルミナからのメッセージが届いていた。
「明日、私もお母さんの付き添いで病院に行くんだけど、私も南雲さんのお見舞いに一緒に行ってもいいかな?」
昨夜、ベッドでゴロゴロと親戚のカナとマンガを読んでいたところに来たメッセージに少し驚いたものの、ルミナもカズマあたりから事情を聴いて南雲先生の指南を受けたいと思ったのだろうと推測して、短く「いいよ」と返事を送った。
それから、もう少し気の利いた文面にすればよかったななどと後悔してみたものの、肝心の気の利いた文面が思いつかなかったものだから仕方なく諦めた。隣でニヤつきながら、「彼女?ねぇ彼女から?」と聞いてくるカナには枕を投げつけておいた。
「……彼女なものかよ」
あんな綺麗で性格がいい娘、俺には吊り合いやしない。
この数ヶ月、ルミナとはいろいろな事があった。その度に友人というラインの上を行ったり来たりしていたような気がするが、結局、自分にコンプレックスのあるユキオはそういう結論を出していた。今はバイトしたり、ウォールド・ウォー絡みの世界情勢を勉強したりと前よりは自分を成長させようと頑張ってはいるものの、冷静に考えればそう簡単に変わりやしない。
自分が満足できるくらい成長する頃にはルミナの傍にはきっといい男がいるに違いないだろう。
(何せ、この顔だからな……)
モノレールの窓に反射する両親のありがたい遺伝子の結晶を見て、深々とため息をつく。窓に映ったその顔も自分の吐いた息で白く染まった。
(俺に出来るのは、精々プレゼントを用意するくらいさ)
鬱々とした気持ちが晴れないうちに、モノレールは総合病院の最寄駅に着いた。自分の心の中のようなどんよりした曇り空を仰ぎながら、マフラーを巻いて病院に向かう。
受付の待合室には、見慣れた女子高生がいた。ルミナだ。
「ごめん、待った?」
急ぎ足で駆け寄りながら聞くユキオにルミナは笑顔で首を振った。
「ううん、お母さんの診察が終わって、今帰ってもらったところ」
「そうなんだ、具合は良いの?」
「おかげさまで。あの時、病院を守ってくれてありがとうってお母さんが伝えてほしいって言ってた」
その言葉にユキオも照れて頬を染める。
「い、いや、当たり前のことをしただけだよ。じ、じゃあ行こうか、先生のところ」
「うん、よろしくお願いします」
エレベーターを使い入院病棟へ向かう。母の見舞いで慣れているルミナとは違い、ユキオはどこか辛気臭いこの廊下の臭いと雰囲気にはなかなか慣れなかった。
やがて、一つのドアの前に着く。四つ名前のカードを挿すことの出来るプレートには、南雲という名札だけがあった。
ユキオがドアをノックして、開ける。
「失礼します……先生、見舞いです」
「ユキオか……ずいぶん久しいな」
四人用の病室の、奥の窓際のベッドに先生と呼ばれた老人が半身を起こしていた。元々はがっしりしたスポーツマンの体つきだが、寄る年波と入院生活でやや肉は落ち、枯れた印象がある。それでも瞳の輝きは、まだ壮年の力強さを保っていた。
「すいません、ロングレッグの一件からこっち、なかなか時間が作れなくて……」
「言い訳はいい、口うるさい老人に会いにきたい奴などいないからな……そちらのお嬢さんは?」
ニヤリ、と意地の悪い笑みを見せてから、南雲はユキオの後ろにいたルミナに視線を向けた。
「あっ、こちらはパンサーチームに新しく入った……」
「奈々瀬ルミナです、よろしくお願いします」
あたふたと紹介するユキオの言葉をついで、ルミナが一歩前に出て頭を下げた。
「奈々瀬……マヤの身内か?」
「そうなります」
「なるほど……そうか」
南雲は合点がいったように目をつむり深くうなづいた。その反応だけで、ルミナもこの老人が思慮深い人物だと判断することができた。
(神谷君達が尊敬するわけだ)
「先生、奈々瀬さんは『ファランクス』に乗ってまだ日が浅いんです。戦闘記録を見てアドバイスをもらえませんか」
ユキオの頼みに合わせて、ルミナもお願いしますと頭を下げた。
「構わんが……今日のところはお前たち三人の課題だな」
うっ、とユキオが身構える。南雲は手元にあったピクチャーシートとタブレットを見せながら逐一、ここ数週間のユキオやカズマ達の動きについてダメ出しを始めた。
指摘は細かいところまで次から次へと止むことなく、的確かつ辛辣な言葉にユキオは亀のように首をすくめながら、ハイ、ハイと返事をする人形のようになっていた。
(これは、大変な人のところへ来ちゃったかも)
ユキオ達三人とは比べるまでもなくストイックで向上心のあるルミナも、その鬼婆のような講義に内心頭を痛めた。
そうしているうちに、唐突にドアがノックされる音がした。はい、とルミナがパイプ椅子から立ち上がってドアに向かう前に、勢いよくドアが開かれ、ルミナとユキオが驚きで身体を硬直させる。
ドアの向こうから飛び込むようにやってきたのは、マンガで見るようなフリフリのエプロンドレスに紺のロングスカートを身に着けた、まさにメイドと言わんばかりの装いの少女だった。
「芦原さんや、ドアは静かに開けなさいといつも言っているだろう」
「申し訳ございませんご主人様、育ちが悪いもので」
テヘッ、と悪びれた様子もなく答えるメイド。年の頃はユキオ達と同じくらいだろうか。ルミナよりは茶色がかっているが、同じくらい艶のある髪と、同じくらい白い肌をしている。愛嬌のあり過ぎる丸い栗色の瞳が印象的だ。唖然と見ているユキオとルミナに向かってメイドはニコリと微笑んで一礼した。
「失礼いたしました、わたくし、芦原と申します。南雲様の所でお仕事をさせていただいております」
「は、はぁ」
なんと返答をしたらいいのかわからず、ユキオ達もとりあえず頭を下げた。
「丁度いい、芦原さんや、その花を花瓶に活けてきてくれないかね。花瓶はナースステーションで貸してもらえるだろう」
「かしこまりました!お花の方、失礼いたしますね」
元気にそう言ってユキオの手から花を受け取り、かわいらしくウィンクをしたと思うとメイドのイメージにそぐわぬ速さで芦原と名乗った少女は廊下へ戻っていった。ユキオはまだ硬直の抜けない首をぐりぐりと回すように南雲を振り向き、訊いた。
「先生?」
「入院中が思ったより長引いてな、身の回りの世話をしてくれるお手伝いさんを雇ってくれと頼んだらアレが来た」
南雲も、あまり納得は行ってないような顔でユキオに答えるが。
「まぁ、騒がしいがよくやってくれる子でな、こんな老人のパンツも嫌な顔せず洗って持ってきてくれる。大目に見てくれ」
「は、はぁ……」
雇い主がそう言うなら、とユキオとルミナはおずおずと席に着いた。世の中には思いもよらぬ事がままあるものらしい。
ユキオは、芦原と名乗ったメイド少女が駆けていったドアをしばしぼおっと見やった。
「じゃあ、また来ます……」
たっぷり一時間、説教まがいの指導を受けたユキオがげっそりして立ち上がる。自分の動きだけでなくカズマやマサハルの分まで絞られたのだからその心労は結構なものだった。
すでに芦原と名乗ったメイド少女は、南雲の新しい衣服と、看護婦に隠れて中庭で吸うためのタバコを残し帰っていた。まるで漫画のキャラクターの様に騒がしいが、仕事も気配りも出来る人物の様だ。
外を見れば空はますますその暗さを増し、また雪がちらつくのではないかと思わせる。
「うむ、あの二人にもたまには顔を出せと言っておけ」
「わかりました」
げっそりした顔を隠そうともせずユキオが一礼して部屋を出る。続けてルミナも会釈とともに退室しようとしたところで、南雲はちょいちょいと手招きをした。
「なんでしょうか」
近寄ってきたルミナに南雲は少しすまなそうな顔をする。
「悪かったな嬢ちゃん。次、来てくれるまでには嬢ちゃんの動きもチェックしてアドバイスできるようにしておくから、懲りずにまた来てくれるか」
「いえ、こちらこそ急にお邪魔してしまって。またお邪魔させていただきます。ご指導よろしくお願いします」
丁寧にそう告げるルミナに満足そうに頷いて、南雲は更に耳を貸すようにと指を振った。
「……ユキオの奴な、ああいう奴だからお嬢ちゃんにも気を使わせたりするかもしれんが」
「?は、はい」
小声で答えながら、ユキオの待つ廊下を見ながらルミナは答えた。
「根は真面目な奴だ。面倒をかけるとは思うが、お嬢ちゃん、うまく付き合ってやってくれ。お前さんなら頼めそうだ」
「え?」
「イザという時は、尻を蹴っ飛ばしてでも気合を入れてやってくれ。すぐ凹みがちな所があるからな」
「そんな……私には……」
「冗談だよ、嬢ちゃん。半分はな」
南雲はこの日何回目かの、意地悪気な笑みをルミナに見せた。
「うー、さむさむ!なんなのこの町、関東の癖にこんなに寒いなんてぇー!」
雪は降らないまでも、空は暗雲一歩手前という様子だった。その空に理不尽な文句を垂れながら、カナがレッスンの為養成所へ向かう。最近はやっと初歩クラスを抜けて実際のフィルムに声を当てるアテレコの授業になってきたためやる気が出てきた。発声練習とか地味な事はどうも性に合わない。
「おはよーう!」
集合場所である指定の教室に入りながら挨拶をする。カナも少し意外ではあったが結構な同年代の学生がこの養成所に通っている。基本明るく人当たりのいいカナは早いうちに何人かの友人を作っていた。
「おはよう、カナ。ずいぶん着込んでるねぇ」
椅子に座ったカナに一つ年上のエイコが話しかけてきた。年中ショートカットで、理由を聞いたら水泳をやっているからとの事だった。スイマーで声優?とカナは頭をかしげたが、すぐにその事は気にしなくなっていた。その後ろからもう一人、仲の良い友人、ケーコもやってくる。黒髪ロングのメガネで、図書館で本でも読んでる秀才、というイメージを受けるがガチガチのオタクで月にマンガ3冊、ゲーム1本、好きな男性声優のCDも少なくとも1枚以上買っているという。
「そんなダルマさんみたいになってて、重くないの?」
クスクスと笑うケーコに頬を膨らませながら、カナはマフラーやコートを次々とはぎ取るように脱ぎだした。
「おかしいよこの町寒すぎ!!」
「まー、山だしね、基本。カナはどこから来たんだっけ?」
「松江!」
「松江も寒いじゃない!」
ケーコが少し間をおいて目をつむって口を開いた。
「小泉八雲の町ね」
「へ、なにそれ」
急に聞いたことの無い名前を出されて、カナは?というマークを浮かべているかのような顔をした。
「小泉八雲、ラフカディオ・ハーン。ギリシャ生まれの日本作家。有名よ?松江じゃ知らない人なんていないと思ってた」
「しらなーい、昔の人とかどーでもいーしぃー」
興味なさそうにカナが机に突っ伏す、が机も冷たかったらしくすぐにはね起きた。それから、教室の隅で集まってる生徒たちを見て指を指す。
「ところで、アレ、なに?」
人数はざっと7、8人か。女子が一つの机を取り囲んでいる。確かにこのクラスは女子が多いが男子が一人もいないというのは、なんとなく異様ではあった。
「今日からクラスに入ってきた男子がいてね」
「へえー、イケメン?」
「それなりに」
エイコのやる気の無い返事を聞いて、カナがよし!と目をキラキラさせた。エイコはスポーツをやっているせいか、細いメガネイケメンなどよりマッチョな筋肉系が好みなのだ。逆に美少年系の好きなカナの好みに合うかもしれない。
(ユキ兄ぃには悪いけど、たまにはイケメン成分補給しないとね)
女の子の群れの中にうまく紛れ込み、話題の男子を見る。
「わぉ」
なるほど確かに美少年がいた。肌は少し日に焼けているのか黒いものの、顎は形良く尖っており体もスマートだ。耳元まである黒髪もどこか獣のようなしなやかさ、野性味を感じさせる。何より切れ長の瞳は同年代の男子には無いエキゾチックな光を湛えており、カナのような、いわゆる『アブない男』に本能的とも言えるレベルで弱い年頃の女子は一目でKOされてしまうだろう。
その男子が、ひょこっと顔を出したカナに爽やかに微笑を見せた。
(これは、ヤバイわ……)
カナは一瞬でその男子に心を奪われそうになっている事をどこか他人事のように自覚した。