ユキヤナギ(前)
悠南市 南区 某マンション
年の瀬も近づきつつある冬の夕暮れ、人気の無い古い郊外のマンションの17階でコートを着た三人組がエレベーターを降りた。
陽はすでに落ちて、街の大通りを走る車のテールランプの群れを見下ろしながら、一番背の高いサングラスの男が、ポケットからキーの束を取り出して一室のドアのカギを開ける。
「あ~、寒い寒い!やんなっちゃうわね、もう!」
扉が開くと同時にピンク色のコートを着た少女……高校生くらいの愛らしい顔つきを寒さでしかめながら我先にと室内に入ってゆく。が、靴を脱いで冷たい床板に乗った途端、ひゃあ!と飛び上がった。
「って中も寒いし、なんなのよもう!」
「あたりまえだろ、もうサンタの季節だぞ何言ってんだ」
その次に長身で細身の少年、こちらも少女と同じくらいの年齢だろうか。高級そうな革靴を乱雑に脱ぎながら玄関を上がる。最後にグラサンのごついスーツの男が入り、コートを脱ぎながらエアコンのリモコンを手に取った。
「ニホンの家は冬でも暖かいんだって、アタシ聞いてたわよ。ねぇ『J』?」
「さすがに使っていない家を温めとくほど、日本人も能天気ではないさ」
『J』と呼ばれたグラサンがリモコンの温度調整をしながら呆れたように少女に言う。ふくれ面を見せる少女の横を通り過ぎ、窓に向かった少年が皮肉気に呟いた。
「寒いはずさ、見ろよ」
「わぁぁ……」
少女がその声に窓を見ると、わずかではあるが小さな粉雪が降り始めていた。きらめく街灯をその黒い瞳に反射させながら、少女は感極まったように隣の少年の袖を掴んでぶんぶんと振った。
「ユキ、だっけ。初めて見るよ!すごいなぁー!」
「別にこの国だけで降るようなもんでもなし……っていてえっての!」
腕にしがみつく少女を振り払って、少年は部屋の中を振り返った。照明も無いリビングルームにはまだ何の家具もなく、フローリングの床の上にどこかチグハグな三人が立っているだけだ。
「とりあえずココが俺たちの『アジト』って事になるのか?」
「そうなるな」
『J』は、ようやくここに至ってその重苦しいサングラスを外した。彫りの深い顔つきに冷たい印象を与える碧眼が二人を見つめる。
「しばらくはそれぞれ『居場所』についてもらいながら、情報を集めることになる……ウォールドウォーへの介入の準備にはまだ時間がかかるそうだ……」
「わかったよジェイミィ」
「『ジェイミィ?』」
窓から振り返り悪戯っぽくそう言う少女に、『J』が聞き返した。
「『J』じゃ名前にしちゃ味気ないでしょ、だからジェイミィ。カワイイでしょ」
「……メシを買ってくる」
屈託無く笑う少女に背を向けて、ジェイミィは靴を履いて外へ出て行った。抜け目なく部屋に入り込んでくる冬の風の冷たさに身震いしつつ、少女は少年に、どしたんだろ?という視線を送る。
「気に入らなかったんじゃないか、ファンシー過ぎて」
自分の答えにぷう、とふてくされる少女を放っておいて、少年はこれからの事を思案した。
(とりあえずベッドを三つ買うべきだな)
「!」
暗いポッドの中で、モニターの光に浮かぶ白く細い指がトリガーを引く。それに従い、電脳空間を駆ける巨大人型兵器・アーミング・トルーパーも長大なスナイパーライフルの引き金に指を掛けた。
バウゥゥッ!
マズルフラッシュが漆黒に美しい火花を散らす。銃身から加速されて打ち出された徹甲弾が中型飛行マシン・『ビートル』のボディの真ん中を見事に打ち抜いていった。
さらに一射。隣で回避行動に入っていた『ビートル』もルミナの狙い澄ました一撃を受ける。空中で爆散し、炎の尾を引いてバラバラに散って行った。
続けて来る三機にも、ターゲットスティックを円を描くように回し素早く照準を当てながら次々と弾丸を貫かせる。
西部開拓時代のガンマンも尻尾を巻くだろう、鮮やかな早撃ちだ。
「よし……」
「左!4機編隊!」
思い通りの射撃に満足して、艶のある黒髪をかき上げたところに厳しい口調の無線が届く。ルミナが慌ててレーダーを覗くと、指摘通り4機の『フライ』が縦列編隊を組んで接近していた。
ライフルの最低射程内に踏み込まれた。急いでダブルガンパックを愛機『ファランクスSt』の左手に構えさせて『フライ』達の前面に弾幕を散らせる。編隊が崩れたところでルミナは防護壁伝いに距離を取り始めた。
「逃げてるだけじゃ戦いは終わらないよ」
「わかって……ます!」
普段とは違う突き放すような冷たいその物言いにルミナは自分でも不思議と苛立った。
(なんでそんなに冷たい言い方するんだろう。私の上達が遅くてイライラしてるのかな)
自分から頼んだ事ではあるが、予想外の厳しい態度に戸惑いを感じ今では半分恨みがましい気持ちになっている。
(誰かさんとのデートの予定を潰したわけでもないでしょうに……)
だんだん思考が逸れてしまっていくのを、ルミナは自覚しつつもすぐ修正することが出来なかった。
(デートとか、誰かとしてるのかな)
一瞬頭の中で冷静にその可能性を計算してみる。ユキオのバイト先である花屋の美人看板娘の人当たりの良い笑顔が脳裏をよぎった。
「……まさか……ね」
否定の言葉を思わず口に出してしまった。聞かれた!という焦りがルミナの脳内に染みわたるよりも早く、さっきよりも苛立ったユキオの声が再び鼓膜を震わせた。
「レーダー見てるの!?もう一機、回り込まれてる!」
「えっ!?」
指摘通りレーダーを見る暇は無かった。前触れもなく防護壁の角から巨大な一対の角が突き出て来る。それが『スタッグ』のものと判った時には右手に持つスナイパーライフルが無残に叩き折られ、そのまま華奢な『ファランクスSt』を転倒させた『スタッグ』が右腕を振りかざし……
「!」
ブツン、とメインモニターの表示が切れ、続けて<シミュレートモード終了>と味気ないフォントのメッセージが黒い画面に浮かんだ。
ルミナは荒くなった呼吸と心拍数を胸に手を当てて抑えながら、コクピットポッドから外に出る。眩しい部屋の照明が眼に痛い。
「射撃の精度とスピードは良くなってる。でも位置取りやレーダーへの注意がやっぱりまだ弱いね。この辺は実戦を繰り返さないと伸びないかも知れないけど、やっぱり訓練でも意識して……」
丸い体をさらに丸めながら、傍の端末のコンソールを叩いているのは、先程からルミナに注意を続けていた玖州ユキオだ。同い年の高校生。二枚目とは程遠い顔つきと体型で、さらに表情もぱっとしないというかいつも暗い。
はい、とユキオが前回の訓練の時との比較グラフをピクチャーシートに映して手渡してくる。指摘通り攻撃面は若干伸びているものの回避・防御の数値はほぼ変わっていない。
半透明のピクチャーシートごしに見るユキオの顔はいつも以上に暗い、というかふさぎ込んでいる様な感じだ。
「……ごめんなさい、時間を作ってもらって訓練をお願いしてるのに」
ルミナは、ユキオが自分の操縦の上達が遅い事に苛立っているのかと思い頭を下げた。
ユキオの態度はともかく、こうして特訓を頼んだのはルミナからだった。ロングレッグ撃退から二週間。何回かの実戦を経験したとは言え、ルミナの技量は他の三人より劣っており、(それでも、アーミング・トルーパーのトレーサーになったばかりだという事を考えれば目を見張る上達スピードなのだが)特に実戦での立ち回りに付いて教えてもらえないかと願い出た。
最近ではユキオとの距離が近づいてきたと思っていたルミナだが、特訓の依頼に対してのユキオの反応はあまり思わしくは無く、特訓中も厳しい言葉が時折投げかけられた。
それが、彼自身の生真面目さからくるのか、面倒事を頼まれた事への苛立ちからくるのかはわからないのだが。
「いや、俺の敵の配置がうまくないのかもしれない、次はもう少しよく考えて敵の設定をしてみるよ」
特訓プログラムはユキオが組み立てていた。とは言っても既にある仮想敵のデータをどの位置に置き、どの時間に出現させるか決めるだけの簡易的なものだが、そのいやらしいとも言えるリアルな配置にルミナは舌を巻いている。
「ありがとう、私も空いてる時間にイメトレとかしてみるね」
「うん、頑張って」
と励ましはするものの、あまり視線を交わさず少し足早に部屋の外へ向かうユキオの背を、ルミナがむくれながら追う。
(なによ……)
ユキオが自分に少なからず好意を持っているのではないかと感じるのは、自惚れではないと思う。しかしここ最近の彼の態度は少し前とは違っていた。自分の言葉使いや接し方はあまり変わってはいないはずだから、ユキオの中でなにかしらの変化があったのだろう。
(……花屋のお姉さんに優しくされて、片思いでもしちゃったの?)
今まで異性と付き合った経験はないものの、ルミナとて年頃である。気になる男の心変わりには特に過敏になってしまっても仕方ない。
(……だいたい、私は、別に恋愛とかしたいわけじゃないし、したくなっても、他に誰か見つけたっていいんだから……!)
よくわからない意地の張り方をしながら、ルミナはユキオに追いついて二人は一緒に部屋を出る。
「お、訓練終わったのか?」
通路にいたのは同じパンサーチームのカズマとマサハルだった。ユキオと同じく、この<センチュリオン>悠南支部でもトップクラスの腕を誇るトレーサーだ。が、皮肉な事にその容姿に関しては大きな隔たりがあった。
ユキオがそれを内心苦に思っている事も、ルミナには何となくわかって来たところだ。
「ああ」
「上手くいってる?」
マサハルはいつもの軽い口調でルミナに尋ねた。
「ううん……頑張ってるけど、あまり順調とは……」
素直にルミナは現状を話した。自分より技術のある人間の前で見栄を張っても恥をかくだけだ。
が、ユキオはルミナとマサハルの間に立つように割り込みながら言った。
「いや、反応速度は結構上がって来てるんだ、4人でのコンビネーションもうまく行くと思う」
「そりゃありがたいな」
カズマとマサハルはそのユキオの早口ぶりにこっそりと苦笑を交わしながら応えた。
「俺らもミーティング終わったところでさ、これから帰るとこ。服でも見て帰ろうかって」
「おつかれさま……またデート?」
ルミナの問いにまぁね、と少しバツの悪い顔をしながらマサハル。
「でも俺は一人さ、カズマなんて時間差で三人も予約が入っているんだぜ」
「さんにん!?」
さすがに呆れてルミナは声を上げてしまった。カズマも悪戯が見つかった子供の様に顔をしかめる。
「言うなよ……お前だって先週とは違う娘じゃねーか」
「いやいや、俺は一日の間はその娘の事しか考えてないさ」
おどけるマサハルをカズマが小突く。その前でユキオはいつものようにため息をついた。
「明日は先生の所へ行ってくるよ。この前のロングレッグ戦の動画も見て貰っているし」
その言葉を聞いてカズマとマサハルは表情を改めた。
「そうか、結構ご無沙汰だもんな」
「お大事に、って言っておいてくれ」
「ああ、わかった」
それじゃ、と三人に手を挙げてユキオがその場を離れてゆく。ルミナはどこか疲れたようなユキオの後ろ姿を横目で見送りながらカズマに尋ねた。
「先生、って?」
「ああ、ルミナにはまだ話してなかったか。俺たち三人がチームとして集められた時に、アーミング・トルーパーの戦闘訓練をしてくれた人でな、南雲って人なんだが」
カズマの言葉を継ぎ、マサハルはやれやれといった表情を見せた。
「もう六十だってのに厳しい爺さんでさ、操縦もハンパなくうまくて最初のうちは三人がかりでも負けてたんだ」
「あの時は連携も何もあったもんじゃなかったからな」
カズマもマサハルの回想に苦笑するが、そのまま笑った表情が抜け苦々しい顔になる。
「おかげで俺たちはそれなりの腕に叩き上げられた。けど最初の頃の実戦ではまだうまく動けなくてな……先生が俺たちの前で踏ん張って敵から守ってくれたおかげで無事に勝つことが出来たんだが」
「……一発、酷いのを貰った時にフィードバックで脳にダメージを受けちゃってさ、それ以来下半身が不自由になって今は病院で治療中なんだ」
「えっ……」
ルミナは驚きで一瞬言葉を失った。
「ウォールドウォーが始まった頃は、防護システムも不完全でそういう事が良くあったらしい。先生も、俺たちと会う前からだいぶ被弾していたし、俺たちのせいじゃないとは言ってくれてるけどな……」
「……今はそんなわけで半分引退しているような生活なんだけど、俺たちの戦闘記録には目を通してくれていて、よく注意されてるんだ。『お前達はいつまでたってもケツから殻が取れやしねえ』ってさ」
似ているんだかそうでないんだか分からないモノマネをしてマサハルとカズマが笑った。
「お見舞いに行って怒られるんだから世話無いよな」
二人の会話を聞いてルミナが口を開く。
「私も……お願いしたら何かアドバイスとか貰えるかな」
「ん?ああ、厳しいけど気さくなジイサンだからな、行ってみたらいいんじゃないか。ここんとこの戦闘データもみてると思うし」
マサハルがウインクしながら携帯を取り出した。
「なんだったら、ユキオに連絡しとこうか?」
「あっ、いや、いいよ。自分でするから」
慌てて手を振りながら断ったが、あまりにリアクションが大きすぎた。ニヤニヤしている二人を見て染まった頬がさらに赤くなる。
「じゃ、そういうことで」
「仲良く行ってらっしゃい」
笑いながら歩き出す二人を見てルミナは、もう!とむくれたように一言口に出した。