エピローグ(後)
大学から依頼された資料の整理が終われば、あとは昼食の準備が待っていた。とは言っても母一人子一人の二人分では大した量でもない。4歳になった娘はようやくいろいろな物が食べられるようになり少しだけ腕の振るい甲斐が出てきたとも言える。
「ママー、おなかへったー」
幼いのに随分とハスキーな声でそういう娘にもう少し待っててね、と返事をしながらルミナは台所に向かった。こうして大学で植物の研究をしながら母親が出来るのもユキオの両親のお陰であった。
高校卒業して間もなく実母が他界してしまったルミナを引き取って面倒を見てくれたのは玖州家だった。仕事で忙しい義父とマヤはルミナの面倒を充分に見られなかったからだ。大学進学から出産まで何かと支えてくれたユキオの母には感謝しても仕切れない。それを言うと「もう家族なんだから」と変わらぬ嫌味のない大笑いで返してくれる。
そのユキオの母から貰った野菜を冷蔵庫から切っていると、娘が居間から電話を持って来た。
「パパからでんわだよー」
「あら、ありがとう。こんな時間になんかあったのかしらね」
今夜には出張から帰ってくる予定になっていた。夕食は久々に豪勢なものを作ろうと思っていたのだが、大体このパターンは悪いニュースだろう。
「もしもし」
娘から電話を受け取ったルミナの耳に入ってきたのは情け無い亭主の声と遠くで鳴り響く銃声だった。
「どうも、ユキオです……」
「どうしたの?なんか穏やかでない音がするけど」
「ええと……今日帰国する予定だったんですけど、諜報部がこんな日に犯罪組織の中継基地を見つけちゃって……」
「はぁ」
ユキオの申し訳なさそうな声の向こうから爆発音が聞こえた。手榴弾だろうか。続けて聞き馴染みのある強気な女の声も聞こえた。
「ユキオ!呑気に電話してる場合か!制圧チームが扉を破ったら私達も行くぞ!」
「ああ、ちょ、ちょっとだけ待ってくれレジーナ!……という訳で悪いんだけど今夜は帰れなさそうで……」
「……仕方ないわねぇ」
すっかり慣れた、という溜息を漏らしながらルミナは目を閉じた。
「せいぜいケガをしないように帰ってきてくださいね」
「万全に万全を重ねて作戦に当たります……」
「じゃ、行ってらっしゃい」
通話を切って足元を見ると、会話の中身を察したのか娘が寂しそうな顔をして見上げていた。その柔らかい髪を優しく撫でてやりながら電話を渡す。
「パパ、帰ってこれないって」
「またぁー?ホント、しょうがないんだからぁ~」
その口調も自分が無意識に漏らすものだと気付いて、ルミナは舌を出した。
「しょうがないわね~。今夜はハンバーグにしましょうか」
「やったー!はんばーぐー!!」
ウキウキと居間に跳ねながら帰っていく娘を見送りながら、ルミナはお守り代わりにエプロンのポケットに入れている『5Fr』のメモリーキーを強く握りこんだ。
「怒られたか」
通話を切って溜息を漏らしているユキオの傍に来て、ヴィレジーナが耳元で囁いた。その程よく成長した女の体のラインをそのままシルエットにしている突入用の隊員服からわざと目を逸らしながらユキオは電話をポケットにしまう。
「そりゃ怒られるさ。今夜帰るって言ってたんだから……一週間かけて見つけられなかったものが、なんで最終日に発見しちゃうんだよ」
「諜報部だって給料貰って仕事してるんだ。サボってないだけいいだろう」
宥めるようにそういうと、レジーナは突撃用のライフルの安全装置を外しながら、サブの拳銃をユキオに渡した。
「いい加減武器くらい持って現場に来い」
「現実のドンパチはいつまでたっても慣れなくてなぁ……」
相変わらず太い腹を持ち上げながらユキオが壁の縁に身を潜める。その先をマシンガンの銃弾が空を切りながら通過していった。
異国の地で、二人は多国籍軍の特殊部隊として任務についていた。カズマが目指そうとして入隊できなかった対マイズアーミー部隊。ユキオはその夢を継いでドクターマイズを追い詰める為に戦っている。
今いるのは、かつて戦った<シャントリエリ>と同じ様な民間組織の拠点だった。ここのデータを回収できればまた一歩ドクターマイズに近づけるかもしれない。
「突入部隊がサーバーエリアを制圧したらすぐに出るぞ。メモリーキーの用意はいいか?」
「ああ」
胸から下げたドッグタグのチェーンには、支給されている最新型のWATSデータが入っているメモリーキー、そしてもう一つ、もう煤けて汚れてしまった『GSt』の入っているメモリーキーが一緒にぶら下がっている。
通路の先で閃光弾の眩い光とピンク色の煙が立ち込め始めた。
「合図だ、行くぞ!」
「了解」
覚悟を決めて通路に身を躍らせる。薄い煙の中をドタドタと特殊部隊とは思えない足音を立てて走り、目的のサーバールームのトレーサー用ポッドに取り付いた。
急いで中に入り、ロックを強制解除しながらメモリーキーを挿してサーバーの防衛部隊との戦闘用意をする。ここからは電脳世界での戦闘。現実では足手まといに近いユキオが一転エースとなる戦場だ。
「レジーナ、こっちは準備が出来た」
「こちらもだ……行くぞ!」
「おう!」
かつての愛機と同じように強固なシールドを持ったマシンと神経を接続する。変わらない漆黒の戦場に降り立った二機の前にマイズアーミーのマシンが高速で迫ってきていた。目的を達成する為にはこの20機以上の敵を倒さなければならない。
ユキオは先頭の『リザード』タイプに照準を向けながら、ペダルを踏み込み突撃を開始した。