ノーヴェンバー・ブルーム(前)
マイズアーミーによる総攻撃の予告時間まで残り12時間を切った。
<センチュリオン>悠南支部ミーティングルームには悠南支部のトレーサーのほぼ全員と、それからオルカチームの三人、悠南市近辺に住む有志のフリートレーサー、そして米陸軍、リック少佐率いる陸戦隊9名は終結していた。
「助かるよリック」
「何、この前の借りを返しに来ただけさ、な、ユキオ」
飛羽と握手を交わしながら、リックのよく焼けた瞼がウィンクを飛ばしてきた。
「これが終わったら、ウチへの就職も考えてもらうぜ」
「無事に、帰れたらですけどね」
ユキオも続いてゴツいリックの手を握った。歴戦の戦士の手はそれだけで安心感がある。
「なに、こんだけいれば何とかなるだろう。あのキッズ達もちょっと見ないうちに逞しいツラになったじゃねえか」
リックの視線の先にはワタル達オルカチームが並んでいる、そして集まってくれたフリーのトレーサーたち。その中にはあの草霧ナルハの姿もあった。
「よろしくお願いします、ナルハさん」
「こっちこそ、自分達の生活の為だもん。一緒に頑張ろうね」
「ハイ!」
ルミナがナルハと挨拶を交わしてパンサーチームの新しいメンバー紹介をする。それぞれが面通しを終えた頃合で飛羽がパンパンと手を打った。
「すまんがあまり時間が無くてな。遠いところから集まってくれたみんなには悪いが、ミーティングを始めさせてもらう」
ガタガタと全員が安いパイプ椅子に着いた。資料を手にメインモニターに目を向ける。
「ドクターマイズの協力組織、<シャントリエリ>とかいう連中が日本に向けて総攻撃をかけてくるらしい。それをどういう訳か当のドクターマイズがタレ込んできて、その迎撃策を教えてきやがった」
日本地図の映るモニターには太平洋側からそれこそ津波のように押し寄せてくるマイズアーミーの部隊が赤い光点で示されている。あまりにも多すぎて、一回り小さな赤い本州が近付いてくるような様子にワタルやナルハ達はおろか、リックの部下の軍人さえジーザスと息を飲んだ。
「米、露、中各国から支援部隊を派遣してもらっているが、この物量を正面から受け止めて正直防衛網はとても耐えられない。計算では10時間経たずに我が方は全滅、日本全土のコンピューターやらサーバーやら通信網やらはずたずたにされて文字通り壊滅に近い状態になるという計算が出ている。もし国内に放火魔でも大量に送り込まれてたらとんでもない事になるだろうな」
ユキオ達もその言葉にゴクリと喉を鳴らした。問題はネットワークや電気だけではない、現代社会の基盤そのものが窮地に立たされているのだ。か弱くユキオの小指を握ったルミナの手を、ユキオは強く握り返した。
「そうなる前に我々はドクターマイズの用意した衛星回線を使い、<シャントリエリ>のメインサーバー付近に突入。特定ポイントへ侵入次第マイズが最終の防壁ゲートを破りその先にあるサーバーを破壊。それで敵勢力を一掃すると共に<シャントリエリ>本体へ致命的ダメージを与える、という手筈となる」
モニターが切り替わり、<シャントリエリ>本体の防衛網のマップが表示された。
「敵本体はバルラヴェント諸島付近……えー、アフリカに近いらしいがよく知らん。とにかくこの辺に陣取っているらしい。当然直接電脳世界で移動できる距離じゃないのでココから衛星回線でワープしてもらう。ワープ後、いきなり接敵して順次撃破されるのを避けるため、目標地点から東に2.5キロ離れたポイントからの出撃になる。敵戦力は推定2万。大型兵器も当然いるらしい。本土防衛以上に厳しい戦いになる事は覚悟してくれ」
やれやれと肩をすくめる飛羽の前にリックの太い腕が伸びた。
「なんで悠南支部が突入部隊になったんだ?確かにここの連中の腕が確かなのはわかってるが……」
「まぁ、当事者というのもあるが……」
チラリとユキオの方を見ながら、飛羽がモニタの表示を切り替える。次に映ったのは悠南市の地図である。黒い画面に白線で引かれた道路、そして電気、ガス、水道、ネットワーク回線が赤や黄色、水色といったラインで表示されている。
「悠南市が都合いい都市だったからというのが大きいな。この街は独立ライフライン実験都市で、他の街から一時的……最大でニ週間くらいだった食料や水道、電気を断絶されても平常通り稼動できるようになっている。これを逆手にとってこの街のシステムを独立させて、マイズアーミーの襲撃から身を守りつつ我々突入部隊が本土攻撃隊の目標から外れるという作戦だ。仮に日本全土が壊滅的被害を負ったとしても悠南市は暫くは無事だという事だが……それはあまり安全材料にはならんな」
「なるほど」
「戦闘以外は何から何までドクターマイズ頼みというのがどうも信用ならんが……俺達にはこの手しか残っていない。これがアイツの張った罠なら俺達は電脳世界にリンクしたが最後現実世界に戻れずに脳死状態にされてしまうという可能性さえある。それで無くとも戦力的には酷く分が悪い。最悪全滅も覚悟しなければいけないくらいにはな……降りたいというヤツは責めはしないから手を上げてくれ」
飛羽はそう言ってしばらく目を閉じた。喋りすぎて疲れたのだろう。それからゆうに二十秒は経った頃に飛羽はまたゆっくり目を開けた。
ルーム内に手を上げている人間は一人もいなかった。飛羽は一言、ありがとうと礼を言って頭を下げた。
ゴウン……ゴウン……。
「ドクターマイズが我々を売ったのは間違いないな」
重い音が響く真っ暗な室内。<シャントリエリ>の幹部が揃う円卓に着いている一人が鷹揚にそう言った。
「しかし、何故そんな事を?」
隣に座る高齢らしき女性が理解できないという声音で問いかける。
「大方、我々の拝金主義が気に入らないとでも言うのだろう。自分ひとりではここまでの勢力も築けなかったくせに、面倒な老人だ」
「どちらにせよ防衛を強化しても無駄だ。時間はかかるがニホン防衛隊の突破、そして一般生活圏の壊滅という結果は揺るがないだけの戦力を用意している」
自信ありげに言う男に、神経質そうな老人が釘を刺す。
「ドクターの事だ、我々の喉元を刺すような手もヤツラに渡してるかも知れんぞ」
「おかげでバルラヴェント防衛に2万も回さなければならなくなった。それが仮に破られてもヤツにも我々のメインサーバーの場所は隠してある。最悪の事態は免れるだろう」
主導者らしき男がそういうと、手元のワインを口にした。
「無事我々が生き残れば、他の連中と組んでマイズアーミーの実動支配権を正式にあのジジイから取り上げればいい。その準備も進めている。ここにいる各員にはマシンの正常動作をしっかり監視してもらいたい。なんせ70万機を一斉に動かすわけだからな……我々としても正念場だ。慢心せず事に当たっていただきたい。以上だ」
日付が変わり、そして四時間が過ぎた。まだ陽も出ていない暗い空を見上げながらカナはホテルからラジオ局に入ってゆく。
今回の仕事は今まで受けたものとは比較にならないくらいの大物だった。比較するのもおかしいと言ってもいい。何せ国営放送で、マイズアーミーとの戦況を生放送するという番組なのだから。
もちろん、専門の解説者やキャスターもいる。しかしその中に混じって実況を担当するレポーターの一人として、<センチュリオン>広報番組に出た経験を買われカナにも声がかかった。振って沸いた大きすぎる仕事だったが断る事は出来ないと思ったし断る理由も無かった。
「おはようございます!!」
元気な声で挨拶しながら控え室に入ると、前に何回か顔を合わせた<センチュリオン>広報の人間や専門家の教授が楽屋入りしていた。カナは慌てて頭を下げる。
「お疲れ様です、本日はよろしくお願いします!」
「まぁまぁ那珂乃ちゃん、初顔合わせって訳でもないし気楽に行こう。緊張して早口とかになったら台無しだしね」
いつも面倒を見てくれている広報の中年男性が穏やかに言ってくれた。
「大事な仕事だ、日本の放送の歴史史上最大の事件かもしれない。でも肩に力が入りすぎちゃダメだ。誰にでも聞き取れるように、わかりやすくを心がけて」
「わかりました、頑張ります」
流石に簡単には緊張が抜けないが、注意点が提示されれば仕事はやりやすくなる。カナはぱんぱんと軽くほっぺたを叩いて気合を入れなおした。
「よし、戦闘開始までは打ち合わせだ。軽くメイク済ませたら会議室に来て」
「了解です!」
ビシッと敬礼したカナに笑顔を見せて広報と教授、それからスタッフ達がわらわらと部屋を出てゆく。普段は街のグルメ番組でも作っているような気楽さのある現場だが、今日ばかりはそうは行かない。
昨日、別れ際に見たユキオとルミナの笑顔を思い出す。二人とも穏やかに自分を送り出してくれたが、実際戦地に向かうのはあの二人なのだ。ウォールドウォー始まって以来、最も過酷と言われる戦いに……。
カズマの車椅子姿を思い出して身震いする。もしかしたらアレ以上に悲惨な結果が二人を待っているかもしれない。
「でも……」
信じるしかない。自分には二人を、悠南支部の人たちを信じて、自分の仕事を全うする事しか。
(信じてるから……無事で帰ってきてね、二人とも)
悠南市の中でも小山と呼んで差し支えないくらい高さのある丘にある公園で、カズマは車椅子に乗ったまま静かに街並みを見下ろしていた。太陽がゆっくりと昇り家々の屋根を光が染め始める。
「こんなに早起きするなんて、小学二年生の遠足以来じゃねーかな」
立って、もう少し高い位置から街を見たかったが相変わらず両の足は自分の言う事を聞かない。杖さえあれば立てるがどちらにせよ思うように走ったり跳んだり出来ないというのは若いカズマには辛い事だった。
リハビリ次第では、と医者に言われて毎日トレーニングはしている。が、未だ杖無しで歩く事もままならない。100%保証が無いことをやっているのだから医者に文句を言うわけにもいかないが、やはり不確定な事に挑戦するのは不安があるものだ。
(それでも、俺の脚に比べれば今日のユキオ達の方がとんでもなく分が悪い……か)
物思いに耽っている間にも太陽はどんどんと昇り続ける。それに従い短くなる自分と車椅子の影の先に小さなブルーのスニーカーが現れた。
「来てくれたか」
「意外と早起きじゃないか」
クールで、独特なイントネーションの声と共に現れたのはロシアのWATSパイロット、ヴィレジーナだった。ジャケットに薄手のパンツルックという意外とカジュアルな姿にカズマが口笛を返す。
「似合ってる、可愛いじゃないか」
「お世辞はいい。どうして呼んだんだ?私達の小隊は今回の戦いの派遣部隊に組み込まれなかった。残念だが私の『フランベルジュ』を出す事は出来ない……」
すまなそうに目を伏せて拳を握る。心底、レジーナは悔しいのだろう。こんな大規模戦闘、そして戦友の母国の危機に軍人として何もできない事が。
「いや、ちょうどいいんだ」
?と意味を図りかねているレジーナの前にカズマは車椅子を進めた。異国の少女の細く白い手を、口調とは裏腹に強く握り締める。
「ヴィレ、力を貸してくれ」
「私の?」
「そう、お前にしか頼めない。お前じゃなきゃだめなんだ」
カズマの射るような深い瞳に貫かれ、ヴィレジーナはただ頷く事しかできなかった。