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ホワイト・ローズ(後)


 嫌味なほど澄んだ青い空を向いて、レイミは小さな鼻から一杯に空気を吸い込む。それから、正門からロータリーに続いている病院までの道を歩き始めた。


 週に一度は来ていた筈の病院だが、随分と久しぶりに来た様な気がする。目立つメイド服のせいですっかり受付のナース達とは顔見知りだ。会釈を交わして慣れ親しんだ病室までの廊下を進む。気がつけば南雲の表札だけが貼ってある病室の前に辿り着いていた。


 ドアに映る自分の影を見て溜息をつき、そしてもう一度深呼吸をする。それからゆっくりとドアを二回、ノックした。


 「どうぞ」


 「入ります」


 ベッドの上で半身を起こし新聞を読んでいた南雲がレイミの顔を見て少し驚いたような顔を一瞬だけ向けた。


 「?……どうか、されました?」


 「いや、スマン、君がノックをして入ってきたのは初めてだったような気がしてな」


 「そんなことないですよぉ」


 そうだったかのう?と言う南雲にぷぅと頬を膨らませてレイミは不機嫌そうにして見せた。すでに成人で一人前の大人という自覚もあるが、南雲のように頼りがいのある年配の男性の前では子供のように振舞いたい時もある。


 (女には、そういう役得があるわよね)


 持って来た花束を花瓶に入れ替えて、それから机や窓の掃除を始める。南雲の着替えを新しいものに取替えてから、老人の好きだというほうじ茶を淹れた。お茶菓子には駅前の人気店のカステラを買ってきてある。


 一口茶を啜った南雲は満足そうに眼を瞑って頷いた。


 「レイミさんも茶を淹れるのが上手くなったのう」


 「そうですかぁ?いや、照れますねぇ」


 思わぬ賞賛にエヘヘと屈託無く笑うレイミの肩が、次の南雲の一言で固まった。


 「もう、これが飲めなくなると思うと悲しいな」


 「へっ?」


 ポリポリとほおを掻いていた指を止め、レイミが目を丸くして南雲を見る。


 「どこか、遠くへ行きなさるのだろう?」


 「ど、どうして……」


 誰にも言っていない筈である。派遣会社にも、病院の人間にも、それこそユキオや<センチュリオン>の人間に感づかれる訳も……。


 混乱して頭がパニックになりそうになるレイミに南雲が手を振りながら謝った。


 「いや、スマン、歳を取るとな、わかるんだよ。そういうのが」


 謝ってばかりだな、と老人は朗らかに笑った。


 「そういう……ものですか?」


 まだ緊張が取れないレイミに南雲が黙ってまた頷く。レイミはバッと丸いパイプ椅子から立ち上がって慌てて深々と頭を下げた。


 「申し訳ありません、いっし、し?……なんだっけ、その、ツゴウで、ええと、タイ、タイショク……」


 慌てて謝罪をしたものだから、頭の中が真っ白になって言葉が出てこない。使いこなせていると思ってもやはり母国語で無い言葉はいざという時何も頼りにならない。


 「いや、いいんだ。座ってくれたまえ」


 穏やかな南雲の言葉にゆっくりと腰を下ろす。南雲はそれからレイミの持っていた湯飲みに茶を足してまた手渡した。


 「責めるつもりはない。むしろ君には随分と世話になった。こんな老いぼれの面倒をこんなにみてくれる人がいるなど考えもしなかったよ。本当に今までありがとう」


 「いや、でも……その……仕事でしたから……」


 「お金を貰えればみな同じ様に働くという訳でもない。君の仕事には優しさを感じられた。時々、凄いおっちょこちょいな所もあったが……それを含めて、私は豊かな時間を過ごさせてもらった」


 「……ありがとう、ございます」


 顔を伏せたままのレイミの表情は読み取る事はできない。南雲は穏やかな口調のまま言葉を継いだ。


 「これから、また別の道があるのだろうが……自分を大切にしなさい。若者が思うほど人生はアッサリとは終わらぬものだ。大変な事がいくつもあるだろう。しかし、君ならどこでも強く生きていけると信じているよ」


 レイミにはもう、南雲に返す言葉は残っていなかった。顔を伏せたまま立ち上がり一杯に腰を折って頭を下げ、それからゆっくりと病室を出ていった。


 







 フレッドが死んだ、という事実は受け入れるしかなかった。<組織>から届いた指示書にとってつけるような形で、酷く簡略に経緯が書かれていた。別の国が送り込んだ下手糞な狙撃屋のせいで死んだという下りには、呆れて涙も出なかった。


 (全く……せっかく日本に来てそんなあっさりと死んじまうなんて、ほんとについてないヤツだったな……)


 もっといろいろ美味いものを食わせてやればよかったと思うが、もう後の祭りだった。せめて弔ってやりたかったが、<センチュリオン>の関係者に引き取られてはもう手の出しようも無い。無下にされる事はないだろうという想像だけがせめてもの救いである。


 そんな思いをしながら、何とかしてヒロムは手紙を書き終えた。まだ書き慣れない日本語で思いを伝えるのは骨が折れたが、そうするしかなかった。薄いピンク色の封筒(レイミが買って来た)に入れて懐に忍ばせたまま、ヒロムはある民家の傍までやってきていた。


 気がつくといつの間にか後ろにひょっこりとレイミもくっついてきている。目がだいぶ赤く、珍しくメイクも崩れているがあえてヒロムはそこには触れなかった。


 そのまま電柱に隠れるようにして待っていると、その門から三人の若者……子供といってもいい年齢の男女が出てくる。


 「アレがアンタの彼女?ちっちゃいのねー……ロリコンだったの?」


 「だまってろ」


 レイミの口を塞ぎながら様子を伺う。彼女であるところのカナは元気に手を振って先に歩き出した。角の交差点に止まっているタクシーに乗って仕事に向かうようだ。


 それから、ユキオとその彼女も歩き出した。手には花束を持っている。その表情はデートに似つかわしくないほど暗かった。


 「どうしたんだろ、あの二人」


 「知ったこっちゃないさ」


 二人が家を離れ角を曲がりかけたあたりで、ヒロムは電柱の影から出て玖州家のポストに近付いた。ポケットから手紙を出してそっと中に入れる。


 「わかってくれるかしらね、彼女」


 (彼女っつっても、今日までなんだがな)


 手紙は別れを告げているものだ。ちゃんと会って別れ話をしたかったが、どの道正直に事情を話す事はできない。精一杯誠意を込めて書いたが、結局一方的に別れを告げる事に変わりは無い。たとえその中に、本当に好きだったと書いたとしても。


 入れてしまえば、もうそれまでだ。未練はあっても気持ちは変わらない。最悪、自分だってここからどうなるか……。


 そんな思いに捉われているヒロムの服をレイミが乱暴に引っ張った。


 「ユキオ君の方はどうする?今とっ捕まえるか、出撃できないようにしちゃえば……」


 「お前も白昼堂々おっかねえ事を言うなよ」


 「だって……」


 そんなやりとりをしている内にユキオ達はどんどんと市街地の方へ向かっている。とりあえず方向性も定まらないままヒロムとレイミは二人を追う事にした。


 (どうにかするにしても、二人一緒では面倒すぎる。この街中で手出しはできない……)


 逡巡しながら追い続ける。ユキオ達はモノレールに乗って移動するようだった。その間も二人の間にはほぼ会話は無く、それこそ別れ話でもするんじゃないかと言う雰囲気だ。


 「ケンカでもしたのかしら」


 「あんまりジロジロ見るんじゃねえ。気付かれるだろ」


 首をグイと明後日の方に向けたので、レイミが暴れてヒールの踵で爪先を強く踏みつけた。叫びたいのを堪えながら必死に気配を殺しているうちに二つ隣の駅でユキオ達が降りるのに気付く。


 「この先は……お寺ね。お墓がある……」


 「墓?」


 日本の墓地に入るのは初めてだった。枯れた茶色の乾き切った葉が風に流されてゆく中、桶に水を汲んで墓の並ぶ中を進んでゆく二人を別の道から屈みながら見つからないように追いかける。他人に見られたらいいわけの仕様もない程怪しい姿だったが平日の早い時間のせいか他には人影は見当たらない。


 ユキオ達は、墓の列から少し離れた所、墓地の隅にある変わった形の墓石の前で待つ住職の所で足を止めた、どうやら待ち合わせをしていたらしい。ヒロムとレイミは墓の影で息を潜めた。


 「……は、……りがとうございます。ワガママを……」


 「いや……のは、良いことだ。感心……では、ここに……」


 何度かお互いに頭を下げてから、住職はその場を離れた。ユキオが線香に火をつけている間、ルミナは花を供える準備をしている。


 (墓参りか……)


 家族の墓か?と思ったがそれにしては様子が変だと感じた。第一墓石には家の名前も彫っていない。この少し隅に追いやられた、人目に付かない場所も気になる。


 準備が終わったのか、二人は数珠を出して眼をつむり黙祷した。


 「フレッド……」


 (!!)


 ユキオの呟いたその名にヒロムとレイミの体が硬直する。


 「こんな所で、すまないな。故郷に返してやれればよかったんだけど……」


 また、風が吹いた。枯葉と共に線香の煙が流れ、目を見開いているヒロムの鼻腔にもその香りが届く。


 「俺は、戦うよ。お前の敵とも……お前の仲間とも……」


 見ていてくれ、と短く言い残しユキオは振り向いた。その両目には光るものがある。ルミナはハンカチを取り出しながら、それを渡す事も出来ずにそのままユキオを追っていった。


 二人がすっかり墓地から出て行ったあたりで、ようやくヒロムとレイミは立ち上がった。よろよろと墓石に近寄って呆然とそれを見下ろす。


 「ここに……アイツが?」


 ユキオ達の方を振り返るが、すでにその姿は見えない。


 「やっぱり、イイ子ね。ユキオ君」


 気付かない内に見えない左瞼を摩っているヒロムの横で、そう言ってレイミは膝を付いて手を合わせた。


 「そうだな……」


 ヒロムもそれに倣う。風に吹かれながら、暫く胸中でフレッドを偲んでいるうちにヒロムの中の迷いも晴れていった。


 「帰るか」


 「……そうね」


 隣で微笑むレイミの顔も、朝見たときと別人と思うほどさっぱりとしていた。 


 










 その日の夕方、ドクターマイズにより全世界に向けて日本に対し大規模なサイバー攻撃を行うとの宣言がなされた。政府はこの事態に対し予想被害図を発表し、翌日午前3時より公共性のある限られたネットワーク以外の全ての回線、及び公共移動機関の全線運休、不必要な外出を控え、学校の休校、企業に関しても業務の停止を指示した。

 さらに生命の危機に関しない私用での外出及び業務において損失や負傷といった被害があったとしてもそれについては一切国からの保証や補填は無いと発表した。戒厳令といっても差し支えない内容である。


 国民は当然困惑し各機関には一斉に非難の電話やメールが矢のように飛びこんで来たが、関係者にはそれに付き合っている時間はなかった。


 「どうしてドクターマイズはこんな通告をしたんです?」


 箱一杯の書類を抱えながらマヤは悠南支部指揮所の隅に作られた<センチュリオン>緊急対策本部(安いデスクを三つつなげただけのものだが)で6つのタブレットを前に格闘している国府田に問いかけた。


 「日本政府や周辺各国のケツを叩いてくれたんだろう。我々が言ったところで国のトップまでは動かせない」


 マイズの宣戦布告を受け、アメリカ、ロシア、中国、オーストラリアなどの周辺各国から可能な限りのWATS部隊の派遣を受けることが出来た。その中には前に飛羽やユキオ達と共に戦ったリック大尉の部隊も含まれている。


 「逆に言えば、例の悪い組織からは恨まれてるでしょうね」


 「しかし、それで急にその連中が攻撃をキャンセルするということは無いだろう」


 国府田が缶コーヒーをまた一本一気飲みしてからドクターマイズから流された<シャントリエリ>という組織の戦力をメインモニターに映す。


 総数50万以上、『ロングレッグ』等の大型機も100機以上の大大規模の軍勢が一気に押し寄せてくるというマイズのタレ込みは信用するしかなかった。仮に本当の事であれば全国のデータサーバーはもちろんネットワークそのものや送電、蓄電関係も全滅しかねない。そうなれば日本の産業は全滅だ。


 だが、現状用意できる全戦力を投入してもこれを防げるという想定はとても出来なかった。国府田とマヤのシミュレーションでは通常警戒時から日本壊滅までにかかる時間が73分として、総戦力での防衛を図ったとしても最大511分程までしか引き伸ばせない計算が出ている。


 「50万機対4万2850機じゃあねぇ……」


 「この防衛部隊が全滅する前にマイズの提案したルートを我々が攻略する必要がある……んだけど、……できますか?」

 

 急に以前の少し頼りない表情を見せる国府田の尻を、マヤは机の上にあったファイルで思い切り引っ叩いた。


 「アイタァ!!!」


 「そんな表情、作戦中は絶対しないで下さいよ」


 オペレーター達の盗み見の視線を感じながらマヤはひくひく口角を震わせながらも余裕の笑みを見せている。


 「やるしかないでしょう、可能性はゼロじゃありません」


 「しかし、この作戦では君の妹さんが……」


 「やめてください」


 国府田の唇に人指し指を当てる。


 「賽は投げられました。作戦が終わって私がどんな後悔をする事になっても、歯車はもう止められないんです」





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