ホワイト・ローズ(中)
「我々、二人でですか?」
「そうだ」
久しぶりに話す母国語以上に、その命令の内容にヒロムは戸惑った。
「そこの言葉で何というのだったかな、ネンノタメとか言ったか」
「……」
何と返せば良いのかわからなくなり、ヒロムは電話を持っていない方の手でカーテンを少しめくるようにした。まだ空は暗い。何せ6時前だ。朝っぱらから(向こうは昼なのだろうが)電話を掛けて来たかと思えば急に無理を言い出す<組織>に嫌気が差す。
「出番は無いとは思うがね、一応『最新鋭機』を送っておいた。マニュアルは読んでおいてくれたまえ」
「了解しました」
ブツッ、と音を立てて切れた電話をベッドに投げ捨てる。それを拾いながらだらしなく着崩した寝巻き姿のレイミが髪をぐしゃぐしゃとかき上げた。
「朝っぱらから、何なのよもう……」
「さあな、しかしもうこの街は出た方が良いだろう」
「えー、新しく出来た駅前のラーメン屋、私好きなのに」
「……日本にはまだまだ美味いラーメンがたんとあるさ」
二度寝する時間は無いのだろう、着替えを箪笥から選び始めたヒロムの背中にレイミが声を掛ける。
「カナちゃんは、どうするのよ」
「仕方ないだろう……」
「つれてっちゃえば?」
ヒロムの動きが一瞬止まる。
「バカ言え、アイツはもう有名人なんだ。それにそんな事したって面倒が増えるだけだ。ジャジャ馬を相手するのは一人で充分さ」
「言ってくれちゃって」
レイミももう起きる事にした。そうなればメイドの仕事も辞めなければなるまい。シャワー、先に使うわねと言ってバスタオルを持って部屋を出る。
「荷物を、まとめなければならないな……」
出番は無いとは言われたが、それでは困る。この片目の礼が出来ていないからだ。
(カナの……兄貴か)
帰らないフレッドの事もありヒロムは珍しく平常心を失いかけていた。たった十数日しか一緒にいなかったが、あの気の良さそうな少年がいなくなるのは、嫌な事だと思う。
深い溜息をついた。
(のんびり迷ってる時間も無いが……どうする?)
ドクターマイズとの会見から10時間、ユキオとソウジロウはアリシア達メンテナンスチームとずっと作業を続けていた。国府田はマイズの申し出を受け、<シャントリエリ>と言われる組織との全面対決を決意、政府に<センチュリオン>各支部との緊急会議を開く為本部に帰っている。
ユキオ達は攻撃計画に必要なマシンの調整に全力を尽くす必要があった。学校には決戦日までの3日間、休みを申請しているが正直学校に素直に行っていれば良かったと思うほどのスケジュールになるだろう。
「よし、とりあえずここまででバグチェックをかける」
「わかった、時間は?」
「19分27秒……コーヒーでも飲むか」
パンサーチーム用のサポートマシンの調整をソウジロウ、そしてそのサポートをユキオがやっている。まだ未完成の状態で度々アリシアにチェックを入れてもらっているが正直彼女がいなければ完成まで持っていけなかっただろうとソウジロウは感謝していた。
部屋のコーヒーメーカーは朝からフル回転しても追いつかず、皆はそれぞれにティーバックやらインスタントコーヒーをがぶがぶ飲みまくっていた。ユキオ達は持ち合わせが無いので地上出入り口傍のコンビニに行ってホットを買った。
久しぶりに出てくると外はもう真っ暗で晩秋特有の澄んだ高い星空が広がっている。フェンス越しに校庭と、自分達の学校を眺めながら二人はコーヒーを啜った。
「<シャントリエリ>……どういう意味なんだ?」
ユキオはドクターマイズから教えられた組織の名前を聞いてみた。ソウジロウなら知っているかもしれないと思ったからだ。
「キミの方が知っていると思ったぞ」
少し驚いた顔をしながらソウジロウがケータイで検索してそのままユキオの方にそれを投げた。危なっかしい手付きで片手でそのケータイを受け取る。画面には、ヒゲのような何かをいくつもぶら下げた派手でない黒い花弁を持った花が映っていた。
「花?」
「タッカ・シャントリエリ……別名ブラックキャット、またはデビルフラワー、バッドフラワー……インド原産で、フランス人シャントリエリに因むそうだ」
「あまり買いたいと思う色じゃないな」
「悪の組織には相応しいといった所だな」
なるほどと納得してケータイを返す。熱いコーヒーを一口飲みながら。
「……ずいぶんデカブツを用意したんだな、あんなのこっそり作っていたのか?」
会話のネタも無く、今作業しているマシンの事をユキオは聞いた。なんとはなしに、というつもりだったがソウジロウは見たことも無い、寂しそうな笑みを浮かべている。
「兄貴のマシンでな、2年前の古い機体さ」
「2年……確かに設計は少し古く感じたけど……お兄さんは?」
「死んだよ……事故で」
「……」
思いもよらない事実にフレッドの顔がよぎる。胸の中にどうしようもない痛みを感じながらユキオは謝った。
「いいさ……もう、昔の事だ」
フェンスに背中を預けて空を見上げながら独り言のようにソウジロウはぽつぽつと語り出した。
「小さな設計屋をやっていた親父は、ウォールドウォーはチャンスだと考えた。工場とかいらないからデータの精度だけで勝負できる。7つ上の兄貴も優秀な設計の腕を持っていてWATS黎明期にいろいろ作って重宝されたらしい。会社はどんどん大きくなって、親父は有頂天だった……俺はそれを喜んだが、親父の誇りだった兄貴が羨ましくて仕方なかった」
「……」
「今作っている『コシュア・バワー』はそんな時に兄貴が手がけていたマシンで、当時としてはかなりの戦闘力があった。完成すればかなりの商談になるはずだったが、そんな時にあっさりと車に撥ねられてな、即死だったよ」
ユキオは何も言えずに黙って話を聞いていた。手の中の熱いはずのコーヒーの温度も感じない。
「それから親父はすっかり老け込んじまって……やる気の無くなった社長を見限って、集まった設計屋は大半が離れてしまった。俺は親父に、兄貴の分も頑張るって言ったが鼻で笑われて相手にもされなくてな、それで随分ムキになって勉強をしたが……まだまだだ。あのマシンを見ると俺は全然兄貴に追いつけていない」
「……だからって、お前が兄貴に負けているわけでもないだろう」
「?」
ユキオの言葉に、ソウジロウがキョトンとする。ユキオはポケットから私用の端末を出してデータを呼び出した。
「お前の兄貴は戦場には出なかったんだろう?……2ヶ月弱で撃端数29、『スタッグ』や『リザード』も入っている。大破は0。立派な戦果だ」
「でも、俺は……」
「設計の腕はお前には大事な事なのかもしれない、でも世の中で何が出来たか、何を残すのかが人生において大事だ。……俺達の先生の口癖さ」
僅かに年上の分、そしてトレーサーの先輩としてユキオはそう言った。今なら南雲のその言葉の意味もわかる気がする。
勉強が出来る事、トレーサーの腕が立つことが大事なのではない。何を作れたか、何を守れたかこそが評価されるべきなのだろう。
「……ずいぶん偉そうな事を言うじゃないか」
「お前程じゃないさ」
いい加減、お互いの気心も知れてきた。カズマやマサハルと同じくらい、ソウジロウはチームにとって必要な人間だと思う。
(俺も、パンサーチームに必要な人材でいられればいいが……)
気を引き締めてコーヒーを飲み干す。
「行くぞ、もうチェックも終わっているだろう」
「わかったよ」
米国、某州。
「今回しくじれば、もうウチは倒産だな」
アレックスはそう言いながらタバコを灰皿に押し付けた。部隊編成表を見て、首を捻っては書き直している。その横で拳銃をくるくると弄びながら呑気なパトリックが欠伸をした。
「ま、なんとかなるんじゃないスか?」
「お前みたいななんも考えてない奴ばかりだから俺が苦労するんだろうが!」
カチンときたアレックスがぶん投げてきたガラスの灰皿を、パトリックが間一髪で避ける。
「危ないじゃないスか!」
「俺は当てるつもりだったんだ!もう一回よこせ」
「イヤですよ!」
吸殻と灰を撒き散らして転がっている灰皿を部屋の隅に蹴っ飛ばす。当たり所が悪かったのかつま先を抱えて呻くクソったれな若い部下にアレックスは舌打ちをした。
「しかし……大丈夫なンすかこのヤマ」
「……背に腹は変えらんねぇよ。それにお前はこういうの気にしないと思ってたが」
「俺だってそれなりに倫理観みたいのはあるンすよ。まぁあのクソガキどもに一泡吹かせられるンなら、喜んでやりますけど」
灰皿に拳銃を向ける。意外に大きい騒音を立ててガラスの灰皿がバラバラに砕け散った。
「じゃあいいじゃねぇか。成功すればしばらく遊んで暮らせる金が貰えるんだ。気合入れてやりやがれ、いいな」
「アイ、サー」
飄々とした態度のまま自室から出て行くパトリックのケツにガトリングをブチ込んでやりたい衝動を抑えながらアレックスは仕事に戻った。
(まぁ確かに面倒な仕事だが……)
面倒と言うよりは、はっきり言って危険な箇所に配置されている。同じ様に雇われた国内の同業者に比べてもダントツだ。それでも勝機が無いわけではないが。
「ユウナンの連中は、一筋縄ではいかんからな……」
ダーティな仕事とは裏腹にアレックスは現実的で堅実だ。それは自他共に認めている。そうでなければ自分のような者はやっていけないというのが信条だった。
そういうアレックスから見て、<センチュリオン>、特に悠南支部は二度と相手にしたくない部隊だった。プライド以上に、彼我の戦力差において酷く分が悪い。数の上では互角なのに錬度と統制、そして戦意が違いすぎる。
(そりゃ連中は公務員だから真面目なんだろうが)
ユキオのような子供ですら、パトリックよりも腕は上だ。いくら未成年の方がトレーサーに必要とされる条件を満たしているとは言え戦術的な判断では訓練された大人の方に分がある。それをひっくり返す兵隊があそこには何人もいるのだ。正直再戦には気が進まない。
それでも先方が提示した金額はそのリスク以上のものだった。例の作戦以来赤字続きの<メネラオス>は願っても無い話である。どの道選択肢は無かった。
「クソッタレ、どこかに腕の立つ奴でも転がっていねえか」
いい歳をしてそういう無いものねだりをしたくなるほど追い詰められている事に気付いて、アレックスはいよいよ嫌になった。