シオン(後)
ユキオ達が搬送された病院から少し離れた、悠南市の郊外にある24時間営業のレンタルディスクショップでルミナはタクシーを降りた。店の裏側にあるコンテナハウスのロックに親指を当てて開錠し中に入ると、埃っぽい空気の中に常夜灯に照らされた真新しいトレーサーポッドが一つ、ぽつんと鎮座していた。
(まだ誰も使ってない……ちゃんと使えればいいけど)
壁にマグネットで引っ掛けてある手書きの古臭い使用記録簿にはまだ誰も名前を記載していない。設置されて以来二年間、このポッドを使うのはルミナが初めてという事らしい。一応二ヶ月に一度の定期メンテナンスは入っているようだったが……。
側面ドアハッチを開ける。中のシートはフィルムが剥がされたばかりといった真新しさで、独特の固さを保っていた。小さな体を馴染ませるように背中や尻をモジモジとさせながらスタンバイ状態に入ったコンソールに白いメモリーキーを挿入した。
「大丈夫……ユキオ君のやるように動かせば……」
『ファランクス5Fr』には二度乗った事がある。いずれも上手く扱えなかったが、今の自分にならそれなりに扱えるはずだ……とルミナは思っていた。自信の無いグレネードの扱い等、出来ない事はやらなければ良い。
ふと、コンディションモニタの表記に目が留まった。
(シータ?)
サポートAIの名前がシータになっている。シータは今『Rs』の方に入っているのではないのか。それともコピー品なのか。一瞬疑問が生じたが今はそれにこだわっている場合ではなかった。
「シータ?」
「ハイ、ナナセサン」
呼びかけるといつも聞いている『ファランクスGSt』のAI、イータよりも少し高い調子の合成音声が聞こえてきた。
「慣れてない機体なの、サポートよろしく」
「了解シマシタ。善処イタシマス」
几帳面にそういうAIに少し緊張をほぐされる。レーダーにはすでに病院の統合システムに接近するマイズアーミーの群れが表示されていた。
(ほんと、よろしくね……)
かすかに震えている細い指に力を込めてルミナは『5Fr』を戦場に駆りだした。
ユキオを狙撃した銃は粗悪な不良品だったらしい。一般的な軍隊の制式銃であの距離で撃たれていれば下手したら肘から先をもぎ取られてもおかしくないそうだ。
そしてその銃を扱った人間も、不正入国、国籍不明の外国人だったという事も。
隣に立つ飛羽からそんな話を聞いているうちにユキオの応急手当は終わった。肘の丁度下に抉りこんだ弾丸を摘出し血を止める。結構な量の血液を失ったが、栄養補給材をしこたま(飛羽に)飲まされた(医者はなぜか止めなかった)せいか意識はだんだんハッキリしてきた。
(そんな銃で撃たれたのなら、フレッドも助かるに違いない……)
そう思いながらゆっくりと上半身を起こしスリッパを探す。
「ユキオ」
止めようとする飛羽の太い腕を、ユキオは逆に掴んで立ち上がろうとした。
「お願いです、フレッドのところに……」
「……待ってろ、松葉杖を持ってきてやる」
もう退室した医者は安静を言い渡していたが飛羽はユキオの気持ちを汲んでくれたようだった。怪我をしたのは腕だけだが、失血で足元がおぼつかないユキオのために松葉杖を一本どこかから探し出してきてくれた。
治療室を出て深夜の暗い廊下を二人で進む。逸るユキオを抑えながら、飛羽は集中治療室のドアをノックした。
「どなた?」
「飛羽だ」
誰何したのはマヤの声だった。ドアを開けてもらいユキオ達が入室する。中にいるのは医者と看護婦二人、マヤ、そしてベッドの上で目を閉じているフレッドだった。
「フレッド!」
杖を捨ててベッドに駆け寄り膝を付く。しばし目を見開いて見つめると、弱々しく胸が上下しているのがわかってユキオは安堵した。
が、その向こうに立つ医者の表情はとても明るいものとは言えない。
「先生、フレッドは……」
初老のやせ細った気弱そうな医者は、目を伏せながらゆっくりと口を開いた。
「……傷口を塞ぎ、輸血をしているが……重態だ。回復できるかは本人次第だが……」
「そんな、フレッド!しっかりしろ!フレッド!」
大声で呼びかけ出したユキオの体を看護婦とマヤが慌てて抑える。そのユキオ達の前でフレッドが弱々しく薄目を開いた。
「フレッド!」
「聞こエ……て、る。落チ、つく……んダ……」
腕を上げて制止しようとしたのか、しかしフレッドの右腕は上がらない。よく焼けた顔なのにはっきりと青ざめているのが痛々しい。
「ユキ……オ…ハ、無事か、イ……?」
「ああ、平気だ、全然大丈夫だ!だからフレッドも……!」
ズルズルとユキオの方へ伸ばされた手を握る。
「良かっタ……最後ニ、ユキオのや、くニ……立テ、て……」
目を伏せながらそう擦れ声で言うフレッドにユキオが覆いかぶさった。
「フレッド!?死ぬな、こんな所で……まだ、まだゲームの決着だってついてない!俺達は……まだ!」
保っていた冷静さが崩壊する。心臓を冷たい絶望に握りつぶされそうになるのを堪えて、ユキオは涙を流しながら手を強く握った。
「ごメ……んよユキオ、こレ、ハボク、の、受ける……べキ罰に、違、イない……でも、ボクは……幸せだった、コの国に、来レて……友達もデキ、て……」
「だめだ!まだ、まだ終わってない!!もっと、一緒に……!!」
握った手からどんどんと力と温度が失われてゆく。左手でその手を、肩を揺さぶるユキオに顔を向けてフレッドは微かに笑顔を見せた。
「ア、リ……ガ……」
それが、最後だった。
小さく、心拍数を図っていた情報モニタがピーという無神経な音を立てる。
「あ、あ、ああああ……」
ガクガクと震えながらユキオは向かい側に立つ医者を見上げた。手首から脈を取っていた医者が、小さく首を左右に振る。
目の前が、いや、周囲全てが真っ暗になった。
心臓を、身体中を押しつぶす残酷な絶望。現実を受け入れることが出来ず心がバラバラに引きちぎられるような苦しみに呼吸が止まる。
大量の涙と嗚咽、叫びと共にユキオは崩れ落ちながら床を叩きはじめた。
「こんな事が、こんな罰があるわけがない・・・許されるはずが・・・!」
何度も、何度も叩き続けた。それで何かが変わるわけでも無いのはわかっていても、ユキオには他に出来る事は何も無かった。
『フライ』、『ビートル』の混成部隊ですらやはりルミナの腕ではまともに立ち向かうのが精一杯であった。主力武器の重ガトリングと右腕の二連装ビームガンは扱いやすいものの、回避をしながらの反撃はまだ満足に行えない。各部に被弾を重ねながらやっとの事で第一波を撃破したところに、マイズアーミーの二波がレーダー範囲に侵入し始める。
「シャークチームは、まだなの……?」
息切れをしながらインフォパネルを確認する。残弾、推進剤共に50%を切っている。大型シールド『ヴァルナ』を除く全身の装甲もグリーンからイエローに変わり始めていた。『GSt』ならとっくに稼動不能になっているかもしれないダメージだ。
「シャークチーム到着マデ、アト198秒」
シータのアナウンスに頷く。あと三分強なら何とか耐えられるかもしれない。
しかし、その楽観も高速で侵入してくる新手の反応に崩れ去る。
「このスピードは!?」
「増援一機。『ヘラクレス』級ト思ワレマス」
接近してくる『フライ』達の小さなバーニア炎の中、大きな赤いバーニア炎を灯した敵影が望遠モニタに映る。『ヘラクレス』か『ネプチューン』か、どちらにせよ今のルミナには手に負えない強敵であるのには間違いない。
しかし。
(ここで引いたら、ユキオ君達のいる病院が!!)
ユキオの事もあるが、あの撃たれた少年は重症だった。マイズアーミーに怨みを募らせる義姉と違い、自分はあの少年に悪意を感じられない。
自分の愛する人間が体を張って守ろうとした人間を、自分も守りたい。
理性的ではない、そんな感情がルミナの弱気な心を奮い立たせた。
「!」
接近する敵影の両肩に、派手なピンク色のビーム光が輝き出す。
「バリアツェルト、作動」
オートで『5Fr』が防御姿勢を取り、シールドからバリアを発生させる。バチバチッと弾けるような耳障りな音が鳴り響いたが、『5Fr』本体へのダメージは完全に防がれた。
「あ、ありがとう、シータ」
「来マス」
「!!」
冷静なシータの声に前を向けば、チョコレートとピンクに彩られた重装甲のマシンが斧を振り上げながら目前に迫っていた。慌ててペダルを全力で踏みバックをかける。ぶ厚い斧の刃先はギリギリで『5Fr』を取り逃した。
「助かっ……キャアッ!?」
安堵する間もなく機体を衝撃が襲う。いつの間にか側面に回りこんでいた『ビートル』部隊からのロケット砲撃をモロに受けてしまったらしい。右肩の装甲とアポジモーターが失われ、コンディションパネルに警告が表示される。
「そんな!」
反対側にも展開し始めた『フライ』部隊を重ガトリングで蹴散らしながらルミナは必死に回避スペースを作ろうとした。このまま包囲されれば間違いなく『ヘラクレス』にやられる。
(せめてクォレルランチャー……いや、『ゼルヴィスバード』がいてくれれば……!!)
無いものねだりをしても現状は好転したりはしない。馴れない手付きでスプレッドボムを投げるが、『ビートル』部隊を撃退するほどの効果は得られなかった。タイミングが速すぎたのだ。
そこに、死角に回りこんだ『ヘラクレス』の強烈な飛び蹴りがヒットした。なす術も無く『5Fr』は地表に叩きつけられてゴロゴロと転がる。
(こ、このままじゃ……!)
脳に激しいショックが伝わり眩暈がする。ふらふらと定まらない視点の先に、ビームを放とうとしている『ヘラクレス』と『フライ』の群れがボンヤリ見えた。
立ち上がらねば、と思うのだがレバーを握る手に力が入らない。ここまでなのか……大事な機体を借りておいて、好きな人も守れずに……。
悔しさに歯を食いしばるルミナのその鼓膜を、シータの声が振るわせた。
「アーモウ、見テランナイ!!」
(!?)
何を言い出すのか?と思う間もなく『5Fr』がとんでもない機動をして宙へ跳ね上がった。正確には背中のバーニアを無理やりに吹かして直上へ逃げたのか、敵の一斉射撃を間一髪で避けて『ヘラクレス』の裏側へ回り込む。
「何?シータ?」
問いかけるルミナの前で、AI情報パネルが激しく光り出した。一瞬、眼をつむって閃光を耐える。恐る恐る再び目を開けたルミナは、パネルの上に浮かぶ全裸の少女のホログラムを見た。
「な、あなた……一体……?」
「回避はワタシがやる!ルミナはガトリングの照準に集中して!……来るわよ!!」
「えっ……あああ!?」
嵐のようなビームとレーザー、それにロケット弾頭の群れが『5Fr』を蜂の巣にしようと襲い掛かってくる。ルミナの反応速度では避けきれなかっただろうその弾幕を、『5Fr』はユキオ以上の反応速度で回避した。あまりの擬似Gにルミナの肺がぐっと詰まる。
「シ、シータなの!?」
「他に誰がいると思ってるの!?ホラ、反撃して!!」
「は、ハイ!」
サポートAIに命令されるという奇妙な関係に疑問を持つ余裕もなく、ルミナはターゲットスティックで次々と『フライ』を叩き落とし始めた。数を減らさなければ『ヘラクレス』から逃げるのも限界がある。
(この、女の子がサポートAI……!?)
脳のどこかで引っかかる謎を抱えながらも反撃をするルミナとシータに再三、『ヘラクレス』が猛然と接近戦を仕掛ける。振り下ろされる斧を、逆にシールドで側面からひっぱたくようにして攻撃を逸らした。間髪おかず抜いておいたバニティスライサーを投げつけ、『ヘラクレス』の左肩口にえぐりこませた。
「す、凄い!」
完調の時のユキオか、それ以上の動きだ。サポートAIだからと言ってここまで鋭敏に、そして柔軟に操縦が行えるのか……。
「ルミナ!」
「はっ、ハイ!!」
驚きで手の止まったルミナをシータが叱咤する。我を取り戻したルミナは慌てて重ガトリングを撒き散らす。シータも、要所要所で弾道がぶれないように動きを止めて機体を安定させてくれた。間違いなく自分の攻撃のクセを把握してくれている挙動だった。
(この子、私の動きを知ってくれている……)
順調に敵の数は減っていった。『ヘラクレス』の強力なビームも『ヴァルナ』が防いでくれている。十発も二十発も凌げるものでは無いだろうが、防御面は自分の操縦とは比べるまでも無く向上した。
野太い『ヘラクレス』の腕から放たれた電撃をかわしながらその頭部のセンサーアイにガトリングの僅かな残弾が突き刺さり、敵がよろめいた。
そこに更に大量のミサイルが襲い掛かる。『ヘラクレス』の装甲の上にオレンジの火球が次々と咲き乱れた。
「!?」
「シャークチームが来てくれたわ」
シータの声にレーダーをみれば、味方を示すグリーンの光点が10以上、接近していた。『チャリオット』と有人型『バリスタ』の混成部隊が救援に来たのだ。
不利を悟ったか、『ヘラクレス』は左腕を庇うようにして飛びあがり撤退を始めた。残された小型機も付き従うようにして飛び去ってゆく。
「『5Fr』!!すまない、大丈夫か!?」
「は、ハイ!大丈夫です!!」
シャークチームの隊長に疲れた声で返事をしながら、AIモニターの上を見る。しかし、そこには勝気な少女のホログラム映像は映っていなかった。
「シータ……?」
ルミナの呼びかけに答える者は無く、やがてポッドのモニターは次々と落ちていった。