シオン(中)
「!!」
マヤの手には見覚えのある拳銃が握られていた。フレッドがユキオに託した拳銃だ。
(迂闊だった……!)
いつでも自分を撃っていいと言われ、渡された拳銃。しかし当然そんなものを撃てるはずも無く、また家に置いておくわけにもいかず、やむなく置き場所として選んだのが悠南支部のロッカーだった。
そんな所に隠しておくのも迂闊であり、そこにルミナへ渡さなければいけないものを入れておいたのはさらに迂闊だった。弁当箱なんか素直にマヤに渡しておけば……。
そんな後悔も当然先には立たない。フレッドを狙うマヤの拳銃の先にユキオが立ちはだかる。
「待って、待ってくださいマヤさん!コイツは……」
「どきなさい!!」
猛獣にでも吠えられたのかと思うほどの威圧がユキオの体を震わせた。
獣の目でフレッドを睨みつけるマヤの手に握られた拳銃の先は驚くほどブレない。昔訓練でも受けたのだろうか。<センチュリオン>幹部であればそれほど不自然な事ではないのだろうか。
(そんな事を考えている場合じゃない)
ユキオも何故か不思議と冷静に、しかし駆け足でフレッドとマヤの間に立つ。
「ユキオ君!」
マヤのシャツを握りしめているルミナが、泣き叫びそうな顔で大声を出す。それでも、ユキオは一歩も動こうとはしなかった。
「……マヤさん」
舌がカラカラに乾き、上顎に引っ付いてしまっているのを剥がしながらユキオはできるだけゆっくりと喋ろうとした。10階以上あるマンションの屋上は、思っている以上に寒い。ゴウ、と唸りを上げた風がすさぶ度に四人の身体から熱が奪われてゆく。
「フレッドは、まだ誰も傷つけてません」
「……全部聞いてるのよ、ユキオ君。その子が何者なのか、何が目的なのか。この銃だってその子の物なんでしょう!」
「……フレッドはそれを俺に預けてくれました!俺達は、信頼しあってます!もうフレッドが戦う理由も……」
「そんな事、信じられると思って?」
熱い口調で話すユキオに冷や水を浴びせる様にマヤが言い放つ。
銃口は、その間も一切ブレずにフレッドを、そしてその前のユキオを狙っていた。
「どきなさい、貴方ごと撃ったって構わないのよ」
その言葉にルミナが眼を閉じてマヤの肩に爪を食い込ませる。
「話を、聞いてくれたって……」
「言ったわ。話は全て聞いたって」
「こんなの!暴力で解決しようとするマイズアーミーや『メネラオス』の連中と同じじゃないですか!俺は……!」
ユキオが激昂して、マヤの意見を払いのけるように右手を横に振ろうとしたその時。
ガァン……。
小さな、発報音が聞こえた。
直後。ユキオの右腕が血飛沫を撒き散らしながらあさっての方向へ曲がる。
「!??」
銃撃だ。しかし撃ったのはマヤではない。痛みよりも先にそれを確認しながら襲撃者を探すユキオの前をフレッドがよぎった。
「フレッド!?」
撃ったのはフレッドでもない。銃弾は横から来たはずだ。熱い血の流れる傷口を抑えながら倒れ込むユキオの後頭部を二発目の銃弾がかろうじて通過した。間違いない。狙撃者は右側、単独だ。
下手くそめ……。なぜかそんな呑気な事を考える。朦朧とし始めるユキオの前でフレッドがマヤから拳銃を奪い狙撃者に素早く三発、反撃をした。慣れた動きだ。彼がその気ならそれこそユキオの命など一瞬で奪われていただろう。
狙撃者からの三発目の銃声が止むと、何事も無かったかのように風の音だけが残った。敵がいたと思しき隣のビルの屋上を睨みながら、四人の動きが止まる。
「フレッド……?」
「手ごたエ、は……あッ……」
小さく、たどたどしくユキオに答えながらフレッドが崩れ落ちる。慌ててユキオが近寄り左腕で受け止めると、手の中に再びドロっとした感触があった。
「フレッド!!」
左胸に、真っ赤な染みが広がっている。ユキオの流す血と全く同じ色の。
「サス……がニ、三発も……外スほど、ボ……ンクラじゃ、なかッ……」
「喋るな!すぐ病院に……」
強張りながらそう呼びかけるユキオとフレッド、そしてマヤとルミナを真夏の日差しよりも眩しい光が照らした。気付くと、轟音を立てながら二機のヘリが近付いてきている。民間のヘリではない、ダークグリーンの機体底面には陸自の記載があった。
「遅い!」
そう叫ぶマヤの横にロープが降り、ゴツい体格の隊員服の男が降り立った。飛羽だ。
「すまん!さすがに古巣っても部外者だから……」
「言ってる場合じゃないわ!すぐに救急病院へ!負傷者二名!」
「わかってる……ユキオ、大丈夫か!?」
普段よりも真剣な目つきの飛羽に、ユキオは唇を噛みながら叫んだ。
「俺は大丈夫です、それよりフレッドを、早く!!」
真っ赤に染まったユキオの腕からフレッドを引き取った飛羽の顔が一瞬歪む。しかし、ユキオに強く頷くと続いて降りてきた隊員にフレッドを預け搬送の準備をさせた。それから、お前もだ、とユキオの左腕を取り抱きかかえながらワイヤーで先にヘリに上がる。
「飛羽さん、隣に、スナイパーが!」
「確認してる、恐らく死んでるが……あの少年が撃ったのなら相当な腕だな。二発命中しているらしい」
イヤホンに手を当てながらの冷静な飛羽の返事にユキオが身を固くしながら視線を降ろした。隣のビルの屋上にももう一機のヘリがライトを当てている。その端に、スナイパーライフルと思しき長い黒い物と、大の字に倒れている黒ずくめの人間がいた。ヘリから、その人間を囲むように隊員たちが立っているが狙撃者はまったく動こうとしない。
「し、死んで……」
「そうだ。お前があの少年に釣られたのかどうかは、わからないけどな」
「フレッドは、そんな奴じゃ!」
「黙ってろ、傷に響く」
オレンジに光る機内灯の下で反論するユキオの肩を飛羽がきつく掴む。それは、怒りからでは無い様にユキオには感じられた。
「ユキオ君!」
別の隊員にされるがままに止血を施されているところにルミナとマヤが上がってきた。涙をあふれさせながら抱きつくルミナの髪を撫でて安心させてやりたかったが、無事な左手にはべっとりと血糊が付いてしまっている。
自分と、フレッドの血が。
「大丈夫だよ」
といい聞かせながらマヤをチラリと見るが彼女はこちらを見ずにフレッドの引き上げに協力してくれているようだった。
ざわめき始める街の上空で撤収準備を終えた二台のヘリは速やかに郊外の病院へと向かった。救急用のヘリポートも完備している大きな規模のもので、ユキオ達の乗ってヘリだけがそこに着陸し二人の治療を請け負ってくれるらしい。もう一台のヘリ、あの狙撃者を乗せた方がどこへ向かうのかはユキオには知るべくもなかった。
そこに、空気を読まず聞き慣れたコール音が鳴り出す。マヤは鞄から愛用のタブレットを出し情報を集め始めた。
「まずいわ……小部隊だけどこの病院にも来てる。なんてタイミングで……」
運悪くイーグルチームの主だったメンバーは少し前に出現したマイズアーミーの対応に出撃している。残ったメンバーも飛羽に従って支部を離れてしまっていた。シャークチームに出撃を要請しているが、シフト前の時間だったために防衛に間に合うかどうか……。
横で画面を見ていたルミナが義姉の腕を取る。
「姉さん、近くのポッドへ連れて行って!」
「ルミナさん!でも『ファランクス』は……」
ユキオは担架に寝かされながら止めようとした。ルミナの『GSt』は前回の戦闘でダメージを負って、得物のスナイパーライフルもまだ修復できていないはずだ。
「『5Fr』があるでしょ。あれを借ります」
「でも……!」
確かにユキオがかつて乗っていた『ファランクス5Fr』は予備機としていつでも出撃できるようになっている。しかし『GSt』と『5Fr』では同じシリーズ機とは言えその運用は全く違うものだ。機種転換訓練もしていないルミナが同じように扱えるマシンではない。
「私に、守らせてほしいの」
強い意志の瞳に、マヤも頷かざるを得なかった。どちらにせよここを守らなければユキオの治療にも支障が出る。マヤは病院のエントランス前に止まっているタクシーに向かって手を挙げた。それから懐から白いメモリーキーを出してルミナに手渡す。
「ごめんね。シャークチームもすぐに向かわせるから、慣れてない機体なんだから絶対に無理をしてはダメよ」
「分かってる」
「ルミナさん!」
「大丈夫、行って来ます!!」
夜の帳の中、タクシーのヘッドライトを背負ったルミナが力強くユキオに頷いた。バタン、と乾いた音と共にドアが閉まりタクシーが走り出す。
「マヤさん……」
「信じましょう……あの子だって無茶をする子ではないわ。それより、キミの治療の方が先よ」
そうは言うものの、マヤの顔はタクシーのテールランプをずっと追っている。ユキオは小さくハイ、と返事をして担架で治療室に運ばれていった。
「どういう事なんだ!」
住み慣れたマンションの一室で端末を前にヒロムは髪をかきむしった。僅か4分前、『組織』から緊急の出撃要請が入った。速やかに悠南市の各病院を襲撃しろという内容だ。普段はあらかじめスケジュールを送ってくる組織がこの様な変則的な指示を出すことはごく稀、というかヒロム達が日本に来てからは初めての事だ。
「フレドリックは?」
ストックしてある部隊を順次出撃させながら後ろでケータイを握っているレイミを振り返る。珍しく真剣な顔の相方が困惑した顔で首を振った。
「繋がらないわ……何故だか知らないけど発信機も反応なし。何かあったのかも……」
「クソッ、こんな時に!」
<センチュリオン>の反応は早い。限られた機体で効率良く防衛を行っている。こちらにストックしてあった機体が小型機ばかりだというのも不利な要因の一つだった。
「この襲撃命令、フレドリックと何か関係あるのかしら」
「なんだって?」
「だって、あまりにも変じゃない。こんな急な命令、今まで……」
その予想は正しいのかも知れなかったが、だからと言って二人に出来る事は他には無かった。ヒロムも、近い血を引くあの純朴な青年に仲間意識が無かったわけではない。窮地にあるのであれば助けてやりたいとは思うが。
「なんにせよ捕まらないものは仕方ない。レイミ、お前も出てくれ。出撃ポイントは任せる」
「えー、もうシャワーも浴びたのにー」
「グダグダ言うな、行け!」
ブツクサと文句を言いながらヘルメットを持ってレイミはポッドに向かった。残されたヒロムもいつの間に浮いていた額の汗を手で拭いながら部隊の操作を続けた。
(こんなに涼しくなってきたっていうのに……)
珍しく嫌な予感がしていた。下腹が絞られるように痛む。
「無事でいろよ、フレッド……」