余りに高くこう翔せし故に
貨物庫には艶消しの黒で塗られた巨人達が並んでいる。
FH。
人型規格と呼ばれる人型機動兵器だ。
ボクはそれを見上げた。
W二二グロリア。
この機体のどの辺りに、「栄光の賛歌」の要素が潜んでいるのか、ボクにはちっともわからない。
だけど、武骨な兵器に女の子の名前をつけたそのセンスだけは評価してあげてもいい。
中世の思想家トマス・ア・ケンピスは言った。かくてこの世の栄光は過ぎゆく《シック・トランシット・グロリア・ムンデイ》、と。
この機体は、ボクの知らない古の栄光を、その名にすることで賛美しているのだろうか。
レーダー反射断面積を低減させる独特なボディは、ステルス化のために機体外板や装甲の継ぎ目が極限まで減らされている。
スパコンの処理能力が飛躍的に向上したことによって、機体のフォルムは比例するように複雑化していった。
なんでも、複合装甲の素材自体の価格よりも、それをこの形に成型する方が高いらしい。
そのせいか、このグロリアは兵器というよりも、工業製品のような機能美を感じさせる。
無駄という無駄を削ぎ落とした上で立っているよう。
追加装甲やミサイルユニット、予備のマガジンなどでゴテゴテさせてしまうのが、なんだか申し訳ないくらいだ。
グロリアはレーダー探知を可能な限り避けるため、レーダー波を内部反射と減衰を繰り返して吸収するレーダー波吸収構造を採用している。
艶消しの黒なのは、赤外線特性を抑えるための特殊コーティングだ。
「で、さっきの話。ツクモはどう思うよ?」
キャロライナの言葉に、エリンもクレアも露骨に反応する。
女の子という奴は、こういう類の噂話に敏感だ。
「アレじゃない? 合衆国のスキャンダラスな一面って奴」
「だよなぁ」
頷き合っているボクとキャロライナに向かって、クレアは小さく、だけど確実に聞こえる声で言った。
「……本当にそうかな?」
ボク達の視線は自然とクレアの方へ向く。
「それは……。どういうことだよ、クレア?」
キャロライナの問いに、しかしクレアはなかなか答えようとしない。
クレアのそんな姿に、隣に立ったエリンが意味深な笑みを、彫像にも似た計算に計算を重ねたような美しい顔に刻む。
「もしも、これがアメリカが抱える爆弾なのだとしたら。それを排除するために、わたし達が動くなんてあり得ないと思うの。特殊作戦司令部隷下の非公開部隊がやればいい話なのに……。だとしたら、なんでわたし達にこんな作戦オーダーが追加されたのかな、って」
「それは……」
クレアが言うのも、もっともな指摘だ。
合衆国は前世紀にフォードが署名した大統領行政命令一一九〇五号によって暗殺を禁じられていた。けれど、この大統領令には暗殺の具体的な定義が抜けていたため、後にビンラディンの例を顧みるまでもなく、公然と事実上の暗殺行為が実行に移されるようになっていった。
だけど、こういう話は戦闘適応群や陸軍特殊部隊群、特殊作戦航空連隊、今ではもっぱら情報支援活動部隊のお仕事になる。
つまり、本来ならば特殊作戦部隊や特殊任務部隊が担うべき作戦のはずだった。
彼らでなくても、たとえばテロリストに対する攻撃ならば、標的殺害を行っている中央情報局みたいな部局でもいいはずなのに。
そのなかで、あえてPMSCsのボク達が動くことに、一体どんな意味を持つのだろう。
「昔ながらの傭兵のお仕事、だろ? 尻拭いは後腐れのない連中に押し付けといて、臭い物に蓋をしておきたいってのは、なにも今に始まったことじゃねえだろ」
それはなかなか興味深い話だけれど、ここでだらだら話し込む訳にはいかない。
「みんな、きな臭い話はそこまでにしよう。兵士はなぜと問うてはならない。これは、軍隊の不文律だよ」
「わたし達は軍人じゃない。非公式請負社員よ。殺人許可書を保持しながらも、女王陛下にも、星条旗にも忠誠を誓ったりなんかしない、コンサル傭兵。それが、わたし達よ」
エリンはそう言って、腰まで伸びた黒い長髪を緩く結う。
「そういうことだ、ユニットリーダー。言わば、現代の傭兵隊長ってわけだな」
「……わかったよ。ともかく、これから先はミッションに専念しよう。諸君、くれぐれもナチュラルにね」
金属製の足場が胸部を跳ね上げたコックピットまで伸びている。
胸に収まると、自動的にハッチが閉じられた。
ディスプレイとかけていたグラスに、ステータスが随時表示されていく。
詳しく知りたい項目を凝視していると、さらに詳しい情報がぞろぞろ浮かび上がる。
「降下三分前。後部ハッチ開放、ガイドレール展開せよ」
機上輸送管理担当が調子良く音楽をかける。
外では黒い外装が幾重にも重なり合って、グロリアの身体を覆っていく。
この外装の表面にも赤外線特性を抑える特殊塗装が施されていて、さながら黒曜石で作られた矢じりと言った趣だ。
グロリアに搭載された操縦手を補佐する補助知能が、事前に定められた点検項目を確認してくれる。
お蔭で、ボク達は限られた、それでいて今でも機械任せにできず、人間が見なければならないような点だけを、重点的に見ることができた。
「降下一分前。各機、ガイドレールへ移動開始」
リニアカタパルトに固定され、視界の端で数字のカウントが始まる。
要領はパチンコと同じだ。
ただ、それがゴムの収縮力ではなく、リニアモーターを用いる電磁式カタパルトなだけだ。
強力な加速度がいっきに加わってしまう蒸気式に比べて、負担が少なく機体寿命の延長に繋がり、配管がそもそもないから構造が簡易で軽い。
「アイリーンワンに発艦タイミングを譲渡する。ユー・ハヴ・コントロール」
「アイリーンワン、了解。アイ・ハヴ・コントロール」
「各機の射出開始を確認。射出開始を確認……」
ディスプレイの片隅では、他のユニットの機体が文字通り打ち出されている姿が表示されている。
一ユニット四機、合計で四ユニットがこの作戦に携わる。
その他にも、無人機やヘリ、そしてこの空飛ぶエイなどの航空戦力が参加する。
「アイリーンワン、厄が来ませんように」
「ありがとう、マザーマンタ。……アイリーンワン、射出」
次の瞬間には、機体が宙を滑る。
自分自身が空を飛ぶ矢になったような、そんな錯覚を覚えた。
とはいえ、シートに押し付けられるような感触には、もう慣れてしまった。
戦いに身を置いて「非日常」を自分の「日常」のうちに取り込んでしまうと、なかなか新鮮味を感じさせてくれない。
他のメンバーの機体も次々に射出されたことが、文字情報となって視界を駆け抜けていく。
不意に、ボクの頭に浮かんだのは、ブレイダッドのことだった。
ブレイダッドは、ブリテンの第一〇代目の伝説の王だ。羽のついた翼で空を飛び、アポロンの宮殿に落下して墜死を遂げたので、息子リアがその王位を継ぐ。
彼の墜死のなかには、我が身知らずの野心に対する教訓が込められている。
「さながらに塔ゆ彼は万碧に昇らんことを求めて、その首を折りたり、余りに高くこう翔せし故に」
ボクは呟く。
我が身知らずの野心。
とはいえ、首を折ることを怖がって空を飛べないというのも臆病で、なんだか格好が悪い話だと思う。
ボクは、ブレイダッドのように空高く舞うことができるのだろうか。
それとも、首の骨を折りたくないから空を見上げるだけなのだろうか。
はたして、どっちなのだろう。
なんだか、モンテーニュみたいだ。わたしは何を知っているのか《ク・セ・ジュ》。
何を知っているのか、ボクは己を顧みて、鑑みる必要がある。
高高度にいたはずなのに、いつの間にか真下には凹凸の激しい大地が広がっている。
調査部の事前調査によると噂のギーツェンは、ちょうど異民族の街々を焼き払い終えて今まさに帰り道の某武装組織と合流し、そこの大将と極秘会合を開くことになっている。
ボク達の方が使用する兵器でも、有している人員でも、その要員らの練度でも、そこで用いられる戦術でも……全てにおいて勝っているつもりだけれど、それでも勝利のための努力を怠らない。
その勝利への飽くなき努力が、結果的にスフェール半島のなんの罪のない異民族の人々を、見殺しにする行為に繋がっているという面もある。
それは、とても残念なことだし、悲しいことだ。
でも、ボク達は一方で、シビアに考える必要がある。
このギーツェンを捕える機会を失うことは、この血も涙もない民族主義者の振る舞いの果てに生み出される犠牲者をさらに増やす羽目になる。
いわば、ボク達は五一人を助けるために、四九人の死を自覚的であれ、無自覚的であれ、甘受している。
「アイリーンワン、着地」