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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第一章 厄が来ませんように《ノック・オン・ウッド》
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濡れ仕事《ウェットワーク》

 アドリア海に伸ばされた、細い腕。

 それが、スフェール半島の第一印象だ。


 ボク達はステルス輸送機で東ユーロへ向かっていた。

 空飛ぶエイ(フライング・マンタ)の二つ名に恥じない、ブーメランのような形状の輸送機の乗り心地は、口からお世辞というお世辞が絶えてしまうレベルで、率直に表現すると「最悪」だった。

 機上輸送管理担当(ロードマスター)もしつこい横揺れの度に、思わずこちらが眉を顰め、余計に気分を悪くしてしまいそうな汚い言葉を吐き出す。

 一応、これでも最先端を行く技術の結晶らしい。

 けれど、今を現在進行形で生きるボク達からすれば、先人達は一体どんな代物に乗っていたんだ、と半ば呆れ果ててしまう。

 B二ステルス爆撃機やF一一七ステルス戦闘爆撃機みたいな、戦略的兵器の整備はとっくのとうに民営化されていた。

 今では、その運用までもが認められるようになった。

 もっとも、それは機体表面に塗られたレーダー波を熱へと変換するステルスペンキ――レーダー波吸収素材(RAM)――の塗り直しといった維持管理、ランニングコストの諸々が、地味に高くつくからだ。


「ツクバユニットリーダー、そろそろブリーフィングルームにお願いします」


 イヤフォン内蔵の機内通話装置(ICS)が、自分の名を呼ぶ。

 ボクは今着ているものを全部ロッカーに詰め込んで、米粒よりも小さなセンサーが生地自体に織り込まれたアンダーウェアを着込む。

 単に汗を吸い取ってくれるだけじゃなく、それを身体に再還元する。

 センサーが脈拍といった一連の生体兆候(バイタルサイン)をリアルタイムで把握し、出血した際には患部を適度に圧迫して血を失うのを防いでくれる。

 なにより、下着にホックみたいな金具が含まれていると、痛い目に遭う。

 衝撃によって金具が身体を痛めつける凶器に変わってしまうからだ。

 競泳水着みたいな薄手のパイロットスーツを着て、その上から耐G仕様の戦闘服(BDU)を着込む。

 金属プレートは入っていないのでライフル弾までは防げないけど、拳銃弾や戦場では何よりも危ない金属片から守ってくれる。


「ユニットリーダー。……ユニットリーダー?」

「ごめん。すぐ行くよ」


 更衣室を出る。

 すでに着替えを済ませていたキャロライナが、壁にもたれかかって待っていた。


「遅かったな。……シートでも入れ替えてたのかよ?」

「違うよ」


 大体、今日はアレの日じゃないし。

 喋りながら、首から下げていたコンバットグラスをかける。

 目を守るという意味もあるけれど、レンズ自体に情報を表示するためだ。

 ボクの視線を読み取って、ただそれを文字媒体で出力するだけじゃない。

 凝視することで、さらに詳細な情報を調べ上げて、要点をまとめて表示できる。


「時間に厳しいあんたが、今日は珍しいじゃんか」

「そんなことないよ。ボクはアメリカンだからね」

「そうか? 日本人は時間厳守ってよく言うだろ」


 ボクは口ごもった。

 確かに、お父さんもお母さんも、永住権を取得するまでは日本人だった。

 家ではずっと日本語を喋っていたし、幼年期の終わりチャイルドフッズ・エンドまでは東京で過ごしたことだってある。

 ボクはショートヘアの、黒髪黒眼で、小柄で背もそんなに高い方じゃない。

 だけど、ボクはそれでもアメリカ人なんだ。

 人種的には生粋の「日本人」であっても、それはあくまで「日系」アメリカ人ということでしかない。

 単なる戸籍上の、紙の上だけの事実というだけじゃない。ボクのアイデンティティにも密接にして不可分に関わる、そんな繊細な部分でボクはアメリカ人だった。


「でも、なんでブリーフィングルームなんだ? これからミッションだってのに……」

「さあ」


 狭い通路を少し歩くとすぐそこにはブリーフィングルームがあって、同じユニットAのエリンとクレアがBDU姿で佇んでいる。

 そして、意外なことにダークなスーツに身を包んだジョシュアが何食わぬ顔をして待っていた。


「おい。……なんでジョッシュがいるんだよ?」


 キャロライナが訝しむ様子をこれっぽっちも隠さずに、言う。

 正直なところ、ボクも驚いた。

 軍人とはいえ、ジョシュアは最前線へ出てくるタイプではない。

 ワシントンの薄暗くした一室でお偉方やご同業相手に、妙に湿気臭い話か、あるいは真逆の無味乾燥とした言葉を交わしている。

 だから、こうして輸送機のなかで会うだなんて思ってもみなかった。


「何、旅行には引率が必要だろうと思ってね。……それに、きみ達もぼくが一緒の方が嬉しいんじゃないかと思ってね」


 そう言って、口元に淡い笑みを浮かべて見せるジョシュア。

 一見好青年然としているけれど、将来の情報官僚(インフォクラート)であろうこの優男が一体、その心のうちでは何を考えているのだろう。

 そう思うと、得体の知れない薄ら寒さを感じなくもない。


「別にいたところで、なんの役にも立たねぇだろ」とキャロライナ。

「……自意識過剰っぽくてウザいわ」とエリン。


 クレアだけがジョシュアの言葉に相槌を打って、それからBDU姿をジョシュアに見られて恥ずかしそうに身を縮ませた。

 タクティカルベストやボディアーマーを羽織っていて、しかもその他諸々をゴテゴテ身に着けているから、一体どこに恥ずかしがる要素があるのか、ボクにはわからない。

 だけど、クレアのその仕草がそこはかとなく可憐さを漂わせていて、なんだか妙に恨めしい。

 あるいは、ジョシュアとはいえ、一応異性に恥じらいを見せる、乙女な姿に対して、ボクが持っていないものを意識させるからだろうか。


「大体、これからミッションなのに。わざわざみんなをブリーフィングルームに集めて、どうするつもりなの?」

「いやぁ、相変わらずだね、エリー。まったく、容赦というものがない」


 エリンの言葉と視線を、気の抜けた言葉と姿勢でかわそうとする。

 そう、ボク達は当初の報道(プレス)の警護の前に、国務次官が言うところの「専門計画執行業務」を遂行することになっていた。

 そうでなければ、今頃はステルス輸送機じゃなくて、もっとマシな乗り心地の飛行機を使って現地入りしていただろう。


 グレゴール・G・ギーツェン、という男の逮捕業務。


 スフェール半島で武装集団を率い、各地で「看過することができない甚大な人権侵害」を引き起こしてまわっているという、ちょっとばかし厄介なこの男を黙らせて、オランダ送りにすることだ。

 なのに。

 それなのに、なぜジョシュアがここにいて、さらにボクらを集めるのだろう。


「おいおい。なんだよ、勿体ぶってないで教えろよ」


 そう、すでにこの男の情報説明(ブリーフィング)は受けている。

 PMCブラスト社の調査部と何度も何度も綿密な打ち合わせ(ミーティング)を重ね、作戦を練り上げてきた。

 だから、いまさらジョシュアから何か話を聞くだなんて、普通ならありえない話だ。


「そうだね。あんまり冗談めかしてるのもアレだからね」


 ジョシュアはそこで一旦言葉を切り、しばしの間、メンバーの顔色を窺う。


「……逮捕対象は武装組織を率いる大将と、このギーツェンだということを忘れずにね。このギーツェンの近くに、現地人じゃない――例えばアメリカ人とかがいた場合は、そいつには絶対鉛弾を撃ち込んで黙らせておくこと。間違っても、ギーツェンと一緒に連れて帰って来ないこと」


 ジョシュアのその言葉は、全員を一瞬凍りつかせるには充分の威力を持っていた。

 PMSCsに外注される業務に、所謂濡れ仕事(ウェットワーク)は含まれない。

 少なくとも、表向きは「暗殺はしない」ことになっている。

 だから、現役軍人でもあるこの男がこんな表現をするなんて、驚きを禁じ得ない。


「……へぇ。そいつはまた、面白いじゃんか」


 しばしの間が空いて、キャロライナが嫌らしい笑みを浮かべた。

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