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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第四章 かくてこの世の栄光は
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灰の遺産《レガシー・オブ・アッシュ》

「……寝てる?」


 静寂を破る、綺麗な声音。

 戸の向こうから、小さく声が響く。


「起きてるよ」


 わたしがドアを開錠すると、恵澄美は遠慮がちに部屋に入って来た。

 カメラこそ肩からぶら下げていないけれど、普段通りの動きやすそうな服装をしている。別れた時と変わりがなくて、わたしは安堵した。でも、恵澄美のお洒落着も見てみたい気がする。


「もうアメリカへ出国したんじゃなかったの?」

「あれは欺瞞情報。ほとぼりが冷めるまでは、情報軍(インフォメーションズ)国防総省(ペンタゴン)管理の隠れ家(セーフハウス)を転々とするつもり」


 椅子を手繰り寄せて座り、わたしと目を合わす。

 そして、控えめな笑顔。

 それは、会った時と変わらない、素朴で暖かみの溢れる笑みだ。つられて、わたしも微笑み返す。

 照明をつけようとすると、恵澄美の細くて白い手がそれを制する。

 わたしが恵澄美の意図を推し量って、手を引っ込めようとしたのに、何故か彼女はわたしの手を握ったままだった。すべすべした肌から彼女の熱が伝わってくる。


「可愛い」


 そう言って、わたしの髪に目をやる。

 恵澄美にそんなことを言われると、なんだかとっても気恥ずかしい。ようやくセミロングの長さになった。今までずっと短髪だったから、髪が重く感じる。でも、なんでだろう。不思議と嫌な気持ちじゃない。


「怪我は大丈夫?」

「うん、問題ないよ」


 恵澄美は言う。


「特殊作戦グループ《SOG》の標的殺害命令が中止されて、わたしたちの目標は達した。だから、あなたに真実を語ろうと思う。……いい?」

「……真実?」


 恵澄美は笑みを消して、真剣な表情でわたしを見つめる。

 そこにはなんとも言えない迫力が伴っていた。

 わたしは思わず身体を起こし、背筋を伸ばして彼女に向き直る。

 恵澄美はいつだって真剣そのものだったけれど、ここまでの表情をしたことはなかったと思う。

 恵澄美はわたしの瞳から何かを感じ取ると、はっきりとした口調で言う。


「そう。ギーツェンに作戦情報を教えたのは、わたし」


 わたしは一瞬、なんて言われたのかわからなかった。

 恵澄美の口から告げられる、真実にわたしはなんて応じればいいのか。

 頭が真っ白になって、なかなか二の句が継げないでいた。

 だけど、そんなわたしを恵澄美は黙って待っているようだった。一瞬だけ、沈黙がふたりの間を支配する。ようやく、思考が追い付いて、わたしは思いついたことを率直に口にした。


「なるほど。確かに、恵澄美の流暢な英語はネイティブにしか聞こえない。エーファは、恵澄美の話声から米国人(ヤンキー)だって言ったんだね」


 キャロライナの話では、エーファがどうやって米国人(ヤンキー)の姿を確認したのか。その詳細は明らかにされていなかったけれど。恵澄美の告白から察するに、わたしの理解で合っているはずだ。

 恵澄美は黙って頷く。


「いや、でも……恵澄美は作戦情報を知る立場にはなかったはず。仮にそれができたとしてもステルスヘリを提供するなんて芸当はできないはずだけど……」

「それは、ジョシュアと国防次官の手引き」


 わたしは、ジョシュアの笑みと国防次官の口上を呪った。

 状況説明(ブリーフィング)の時のジョシュアと国防次官の姿を思い出し、わたしはなんだか苦々しい思いだった。記憶のなかの彼らの言葉が途端に、白々しく聞こえた。

 おそらく、最初から全てシナリオ通りだったんだろう。


「九十九、あの日のあの時のこと、思い出してみて。あなたは普段なら現れないジョシュアの口から、作戦内容を指示された。直前まで開示されなかった秘匿情報をジョシュア以外の誰が伝えられると思う?」


 確かに、そうだ。それは、作戦を立案した一部の人間にしかできない芸当だった。それなのに、能天気にジョシュアの言葉を鵜呑みにしすぎた自分自身を呪う。

 それだけじゃない、ジョシュアは疑惑の目をヒギンズに向けることで、わたしの行動すら操作していた。

 彼は意図していなかったと言ったけれど、結果的にわたしの行動は、SOGから恵澄美とヒギンズを守った。全てが何かの方程式から導かれたような物事の推移に、わたしは途方もない力を垣間見たんじゃないだろうか。


「じゃあ、CIAがギーツェンを抹殺しようとしたのを妨害してたのも、ジョッシュたちの仕業だったんだね」

「おそらく」

「いや、でもさ、まだわからないことはあるよ。ジョッシュが全てを仕組んでいたとして、なんで作戦の直前になって噂の米国人(ヤンキー)の存在をわたしたちに匂わしたの?」

「それは、おそらくCIAにプレッシャーを与えるためだと思う。彼らがかつてギーツェンを支援していたことを情報軍(インフォメーションズ)はすでに知っていることを伝えるために。彼らなりの牽制なんじゃないかと思う」


 恵澄美の説明を聞きながら、今自分は一体どんな顔をしているだろう、と思ってしまう。きっと、なんとも言えない渋い表情を浮かべていることだろう。


「……そもそも、どうしてなんの関係のない報道(プレス)の恵澄美がこの一件に関わってるの?」

「わたしはどうしても、ギーツェンに会う必要があった。彼の無実を証明し、また表舞台に立つことができるように。そのためには、彼から証拠を受け取り、証言を記録するだけでなく、彼の安否も確認しなくちゃいけなかったから。そして、彼らもまた、コムニオゲートみたいな合衆国(ステイツ)の暗部を告発できる報道(プレス)がどうしても必要だったから」

「舞台に……なるほど。だから、取材内容をリークしたんだね」


 彼女は頷く。


「ひとつ、誤解を解いておきたい。ギーツェンは確かに武装組織を率いていたけれど、彼自身は決して暗殺されるような、悪いことはしていない。ただ、CIAに真意を知られないために、彼らの証言を裏付けるようなことを言っていただけ」


 そう言えば、ジョシュアがSOGの存在を明らかにした時、ギーツェンのことをこう言っていた。

 ギーツェンはもともと自由の戦士で、スフェール半島における民主主義の体現者だった。スラブ系が多く住み、ロシアの影響を如実に受け、情報統制と秘密警察を動員していた旧政府を引っくり返すために、CIAは密かにギーツェンを支援していた、と。


「だけど、ギーツェンは犯罪組織同然の多くの武装集団を訓練し、兵器や資金を供与するCIAに対して疑念を抱くようになった。彼は清く、正しかった。なにより、加速する虐殺の渦に叩き込まれたこの半島の現状に、心を痛めていた。そのうち、綺麗事を唱えて彼らの仕事にケチをつけるようになったギーツェンを、CIAは鬱陶しく感じるようになっていった」


 一気に言い切ると、短く溜息をつく恵澄美。


「どうして、ギーツェンがエーファの所属する武装組織の下へ出向いたかわかる? 彼はね、直談判に行ったの。虐殺をやめて、子ども兵たちを解放するようにって。そのためなら、たとえ同じ民族だったとしても、ギーツェンは戦うことを宣言するために」


 恵澄美は苦々しく吐き捨てるようにして、言った。

 だから、グレゴール・ゲオルグ・ギーツェンはCIAの標的殺害ターゲテッド・キリングのリストに載った。

 合衆国(ステイツ)は、アメリカの背骨たる精神を信奉する男を、育てながらも切り捨て、汚名を被せた。

 なぜなら、国際社会がギーツェンの声に耳を傾ければ、カンパニー(CIA)がスフェール半島で行っていた数々のスキャンダル――この半島に乱立する武装集団や民兵、そして民族主義者にヒト・モノ・カネを提供し続けたことがバレてしまう。

 オランダはハーグの国際戦犯法廷なんかで証言されたら、目も当てられない。それ故、彼は命を狙われることになった。他のテロリストと同じように、犯罪者としてピンポイント爆撃の対象に挙げられた。


「……それ、本当?」

「ええ。彼が謀殺されようとしていたから、わたしが立ち上がった。ちょうど、その時ジョシュアと国防次官が接触してきた。CIAとそれに繋がる民間軍事請負会社(PMSCs)のスキャンダルを暴き、問題を盛り上げてくれれば、ギーツェンを手助けしてもいい、って」


 渋い顔をするわたしに、恵澄美は弱々しい笑みを浮かべて口を開いた。


「他のことが全て嘘だったとしても、これだけは本当」


 恵澄美の辛そうな表情を見ると、彼女が嘘をついているようにはとてもじゃないけれど見えなかった。

 ジョシュアと国防次官の掌で踊らされていたのは本意じゃない。

 けれど、意外と騙されていたことに関して言えば、そんなに気にならなかった。何より、そうでなければ、今頃恵澄美もヒギンズもSOGの魔の手から逃れられなかったことを思えば、結果オーライな気さえしてくるのだから不思議だ。


「なんかさ、恵澄美の話だと、ジョッシュと国防次官が黒幕、みたいな話じゃない?」

「黒幕みたい、というよりも、まさに黒幕。でも、正直に言うと、襲われた時は彼らに裏切られたと思った。あのFHは彼らの手先なんじゃないかって」


 恵澄美は失笑してみせる。

 それはちょっと意外な一言だ。あの時は、そんなに焦っているようには見えなかったけれど、さすがの恵澄美も肝を冷やしたようだった。


「でも、彼らは彼らの流儀に則って、事件が明るみに、そして大きくなるように、ずっと暗躍していたんだと思う。アメリカの恥部が衆目に晒され、皆が議論するように」


 ワシントンはマクファーソン・スクエアで国防次官は言った。

 そうだ。これからの世論形成、誘導と言ってもいい。その後方支援だ。

 そして、あの時ジョシュアはクレアに言った。

 世論が形成されその動きが大きくなれば、議会はより大きな予算を付けることができるし、PMSCsも資金調達が容易になる。大統領選の論題(アジェンダ)になれば、より積極的な手段だって可能になるかもしれない。


「そうか、迫る大統領選の論題(アジェンダ)にするために」


 わたしは思わず大きな声を出してしまうところだった。間一髪のところで、理性的な抑制が働いて小声で囁くことができた。

 恵澄美は頷く。


「でも、わたしは彼らの真意は別にあると思ってる」

「……真意?」

「そう。この事件はそもそも、CIAのスキャンダルだから、情報軍(インフォメーションズ)も国防総省も傷つかない。そして、今後は米国諜報機関群インテリジェンス・コミュニティのなかで主導権(イニシアティヴ)を握れるって……案外、本気で考えてるのかもしれない」

「ああ、なんだかそっちの方が本音っぽいよね」


 わたしと恵澄美はなんとも言えない笑みを浮かべ合った。


「ともかく、コムニオゲートはスフェール半島に起こった出来事に焦点を当てるのに十分なインパクトがあったと思う。これで、グレゴール・ゲオルグ・ギーツェンの潔白が証明される。今までのCIAの悪行が白日の下に晒されて、他の米国情報機関群インテリジェンス・コミュニティの極秘作戦の正当性が改めて検証される。今まで極秘予算(ブラックバジェット)で隠匿されていた多くのプログラムが衆目に晒されて人々の審判を受ける」

「……それで、問題は解決するのかな?」

「いいえ。 部局間の暗闘、官僚的な機能麻痺、権限の重複、同じことの無限反復、各軍入り乱れての内戦、純粋軍事マターへの文民の介入、政治の口出し……そうした全ての悪癖はCIAだけでなく、国防総省(ペンタゴン)だって腐らせてる。そして、米国諜報機関群インテリジェンス・コミュニティの重複と確執は、CIAが生まれ落ちる前――誕生前夜からあった。ナイン・イレヴンの後、国土安全保障省や情報軍(インフォメーションズ)が生まれ、多くの組織の権限が大幅に強化され、多くの予算がつけられた。時代が移り変わって、敵が変わって、昔の反目が嘘みたいに連携だって進んでる」


 そこで、彼女は目を伏せた。


「それでも、組織間対立は絶対になくならないと思う。『軍事機密』というアカウンタビリティも情報公開(ディスクロージャー)も機能しない、プリミティブな領域はいつだって合衆国(ステイツ)灰の遺産レガシー・オブ・アッシュであり続ける」


 合衆国(ステイツ)がその胸に抱き続ける、呪われた灰の遺産レガシー・オブ・アッシュ


「アーサー・S・ミラーが書いたように、民主主義の政府とは結果責任を持つ、つまり、アカウンタビリティを持つ政府のこと。そして、CIAが準軍事作戦を行うことやPMSCsに軍事作戦を外注することの本質的な問題は、結果責任とアカウンタビリティがともにひどく小さくなること」


 恵澄美の言葉に、わたしは頷く。


「政府による情報機関や民間企業の活用は、重要な決定に対する影響力、時には支配力でさえも大衆や大衆が選出した代表達から一歩遠ざける。そのように立法府を取るに足らないものにすることは、憲法において憲法制定者達が意図した役割に反してる」


 わたし達が極めて特殊なだけで、政治家や多くの人々は、合衆国(ステイツ)から遠く離れたこの異国の地で何か起こっているのかを知らない。そこで誰が、何をやっているのかだなんて、言わずもがなだろう。

 ましてや、悪いことを企む連中が、制度の間隙(かんげき)を悪用して好き放題しているだなんて夢にも思わない。


「うん、その通りだと思うよ」

「結果として、情報機関の極秘作戦と特殊な民営化は、軍事を公的アカウンタビリティの領域から引き外す。それは米国行政府にとって、合理的かつ『第三者』の邪魔の入らない政策の実施を可能にしてしまう」

「でも」わたしはつい言葉を挟んでしまう。

「SOGやPMSCsの狼藉が大衆の支持を得られないなら、それはきっと指導者達や現場の一部の考えは独りよがりで、国民の意思にかなったものではないんじゃない?」


 今、米国でテレビをつけれみれば、放送されているテーマはわたし達にまつわるあれこれでいっぱいだ。それだけじゃない。ウェブのニュースサイトやソーシャルネットワークではみんながこの手の話題に触れ、自らの意見を発している。皆が振り向き、そして声を上げているのだ。


「そう。だからこそこの乖離したという事実は明らかにしなくちゃいけないし……それこそが、報道(プレス)の役目だと思うから」


 彼女は断言した。

 小さな声で発せられた言葉だったけれど、力強い口調で放たれたそれは容易にわたしの耳に届いた。


「そうでなければ、この国も、世界も、もっと悪くなる。取り返しのつかないことになる。何より、わたしは悪い方へ向うのを黙って見過ごす訳にはいかない。後悔はしたくないから」


 そう言うと、恵澄美は握ったわたしの手に力を込める。


「でも、結果的にはあなたを巻き込んでしまった。ごめんなさい」


 恵澄美の瞳が輝き、流れ星が彼女の形良く整った頬を駆け降りていく。

 深い闇があるからこそ、刹那の輝きはかき消されることなく、眩く映るのだろう。

 わたしはそう強く思う。


「別に、気にしてないよ。それに、わたしが巻き込まれなかったら、恵澄美も、ヒギンズも今頃……。だから、むしろ、巻き込まれて良かったって思ってるから。恵澄美も、気にしないでよ」


 断じて、気休めではなかった。

 それは、わたしが本心からそう思っていたのだから。

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