ジョシュア・ジョーエル・ジョンストン
一通り処置が終わると、退院するはずだった。
だけど、いつの間にかわたしには個室が用意されていて、何日かそこで過ごさなくてはならなかった。きっと、今わたしが基地に戻られると、色々と厄介な出来事が起きるとジョシュアが考えているからだろう。
ということで、わたしはみんなとは別に、キャンプ・ポロロッカの病院の一室にいる。
慣れない患者服に袖を通し、ベッドの上でトレーニングをしようとして、まだ塞がってない傷の痛みにのたうち回る。じっとしているのが辛い。早く動き回りたい。
私服姿のキャロライナ、エリン、クレアの三人や、ヒギンズが代わる代わるお見舞いに来てくれるのが、当面の楽しみだった。
ある夜。
病室にお忍びでやってきたのは、ジョシュアだった。
「やあ、起きてる?」
「寝てたらどうするつもりだったの?」
わたしが言うと、ジョシュアは普段通りの笑みを浮かべた。
「お土産だけおいて帰る……って言ったら、信じてくれるかい?」
「まぁ、ジョッシュがわたしに変なことをするとは思っちゃいないけど。……夜這い?」
「九十九は可愛いし、とっても美人だよ。……ぼくの好みじゃないけど」
随分と、嫌らしいことを言ってくれる。
わたしだって、ジョシュアはタイプじゃない。
「でも、色々と大変だったね。さすがのぼくも、あの時ばかりはもうだめだと思ったよ」
その口調はいつもと変わらないから、あんまり絶望していないように聞こえた。
「大変じゃなかったように言ってくれるね」
「まさか。ぼくは驚いているくらいさ。新型ステルス可変FHの奇襲を撃退してしまうんだから。率直に言って、彼らを返り討ちにしたきみたちが恐ろしいくらいだ。間違っても、敵に回しちゃいけない存在だと、改めて思ったね」
ふと、ジョシュアはわたしの顔をまじまじと見つめる。
急に見つめられて、わたしは戸惑ってしまう。
食えない上司とはいえ、ジョシュアは美男子なので、真面目な顔付きで見つめられるとこっちが変な緊張をしてしまう。
「……何?」
「いや、髪伸ばしてるのかなって」
「ああ」
わたしはそっと自分の髪に触れる。
「なんて言うのかな、心境の変化?」
「九死に一生だったのに? それはまた……」
ジョシュアはそう言って軽口を叩く。
「ねえ、これって……ヤバいんじゃないの?」
「そりゃ、ヤバいだろうね。本来ならば、明らかになることのない事件だった。それも、ぼく達にとって都合のいい印象操作を行うために、従軍させていたメディアに暴露されちゃったんだからね。挙句の果てに、未知のFHに襲われる始末……まさに地獄絵図だよ」
ジョシュアが言う。
そこにはもう、かつて恵澄美の前で露わにした苦々しさはない。
いつものどこか飄々とした口調に戻っている。全ての感情を自身の管理下にでも置いているかのような雰囲気を醸し出していた。
想定の範囲を超えた出来事なんて、存在しないとでも言いたげな、態度だ。
「国防総省だってできることは苦言を呈するプレスリリースを出すくらいだろうしね」
アメリカ政府は、長々と連なる契約条項の違反を盾に、恵澄美を連邦裁判所に訴えることだって、できるだろう。
ただし、彼女はあまりにもボク達のことを、多く知り過ぎてしまっていた。
訴えが起こされること、法廷が開かれること。裁判が長くなるほど、彼女の口から米軍やボク達の抱え込んだ沢山の不都合な事実が吐き出され、彼女の雇った腕利きの弁護士が援護射撃するのは、火を見るよりも明らかなことだった。
そして、PMSCsが陸軍犯罪捜査局を襲ったことを恵澄美が暴露した「コムニオゲート」の全貌が明らかにされるということは当然、今回の特殊作戦グループ《SOG》と思われる特殊部隊の奇襲も問題視されるだろう。
合衆国が抱えた闇。
それは、あまりにも致命的なスキャンダルだ。
「他の組織だって、自らの正当性を証明するために忙しくなるだろうね。陸軍犯罪捜査局も遅かれ早かれ、求めに応じて情報を適宜開示せざるを得なくなるだろう。情報公開とアカウンタビリティだ。政府内部に独自の権限を持った委員会が設立され、特殊作戦グループ《SOG》とCIA、CID、契約したPMSCs、それにぼく達情報軍を含む米国情報機関群は市民を納得させるような説明が求められる……」
「最悪だね」
「それでも、ぼくは良かったと思ってるよ。結果的には、恵澄美も、中佐も、そして何よりもきみも無事だった。これからの火消しが大変だけれど、身から出た錆でもあるし……これが良くも悪くも、合衆国さ」
わたしは、ジョシュアをまじまじと見つめた。
「本心はまったく別のところにあるでしょ?」
わたしは言う。
はたして、ジョシュアはにこやかに笑うのだった。
「ぼくは親切心でこうして話しているんだけどな。本来ならば非公式請負社員であるきみはこういう話はしないよ。ただ、命じるだけ。それだけさ。ぼくときみとの関係なんて。でも、それだときみたちは納得しないだろうし、ぼくだって納得できない。だから、これはぼくなりの誠意なんだけどな」
ジョシュアは臆面もなく、誠意だ信頼だと言うけれど。有能だが、身内すら手玉に取って騙してしまうこの食えない上司の言葉はお笑いそのもので、わたしは思わず失笑してしまう。
「……合衆国は変わるかな?」
「変わらないだろうね。それでも、歩みを止められやしない」
そう言って、ジョシュアは笑った。
「エリーとクレアが、きみの荷物をまとめてくれたそうだよ」
「そっか、スフェールともお別れだね」
「そうだね。全軍撤退はないだろうけど、規模は確実に減るはずだ。需要も供給も大幅に縮小されるだろうからね」
それは、戦争犯罪者の捜査が往々にして進まない件を見れば明らかだろう。PMSCsも、あらかた上手い汁を啜り上げて、そろそろ潮時だと思っていたに違いない。
「……もしかして、全部仕組まれていたの?」わたしの言葉に、目を見張るジョシュア。
「まさか、冗談じゃないよ」
ジョシュアが言う。
「なるほど、九十九の言いたいことはわかった。つまり、スフェール進出から出口戦略まで、全てが米国情報機関群の有象無象によって策定されていた、って言いたいんだろう? そんなことはあり得ないよ」
彼はそう言うと、おかしそうに笑う。
「これは、恵澄美や、どこかの特殊部隊の独断だよ。断言したっていい。これはぼく達の想像を超えた事案さ」
そこで、ジョシュアは目を細める。
「確かに、恵澄美のリークは好都合だ。スフェールの泥沼にはまり込むのは誰だって嫌さ。戦争犯罪者の逮捕業務が失敗すればするほど、業績と株価、それに人事考課に響く。将来を狭める行為に繋がるかもしれない。だから、彼らがきっかけを求めていたことは確かに、事実だ」
そこでジョシュアは言葉を切る。
すぐに静寂に包まれる。
それは、彼なりの間の取り方なのだろう。すぐに、自ら作り出した沈黙を破る。
「だけど、これにぼく達はなんも関わっちゃいないよ」
わたしはジョシュアを見つめる。
残念なことに、そこから真実は到底窺い知ることはできなかっただろう。この人から真贋を感じ取ることができれば、わたしたちはここまで苦労することも大変な目に遭うことだってなかったはずだ。
つまり、どう足掻いたってジョシュアの態度から真実を見抜く術はない。
「……お別れだね、九十九」
ジョシュアは感慨深そうな表情を浮かべている。
「うん、今までありがとう」
わたしは薄闇のなか、ジョシュアと見つめ合った。
ちょっと自信過剰で、食えない上司だったけれど。別れとなると少しだけ、寂しくなる。
彼の背中が離れていく。
それを、わたしは黙って見送る。その背になんて言葉をかければいいのだろう。
「あっ、そうだ」
これこそが重要だ、と言わんばかりにジョシュアは振り向くと、子どものような笑顔を見せる。
普段の胡散臭い雰囲気はそこにはなく、いいお兄さんのような、温かみすら覚える笑みだった。
「髪は染めずに、ロングにするといい」
わたしは思わず、眉を顰める。
「それは、ジョッシュの好み?」
だったら、セミロングくらいでやめておこうと思った。
「いいや、中佐のさ」
ジョシュアは悪戯っぽくウインクをすると、わたしの言葉を待たずに病室を出て行ってしまった。




