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さよなら栄光の賛歌  作者: 金椎響
第四章 かくてこの世の栄光は
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今までずっと欲しかったもの

 飛び交う英語が喧しい。

 でも、服を伝ってくる暖かさは何故だろう。ひどく胸に染みた。

 今までずっと欲しかったもの。

 それが今与えられて、この温もりにいつまでも包まれていたいと願ってしまう自分がいた。

 次第に、わたしの身体に感覚が戻ってくる。身体中がその節々も含めて、ひどく傷んだ。


「トゥクモ……」


 耳元で名前が呼ばれる。

 でも、その声音を聞く前から、わたしは誰がそこにいるのか、わかっていた。一度ならず二度までも、ヒギンズに抱きかかえられてしまっている。初めてじゃないのに、やっぱりどこか照れ臭い気持ちを隠すことができない。

 それでも、心のどこかでは嬉しく思っている自分が確実に存在していた。

 座席は機外に射出された後、パラシュートで穏やかに接地するはずだった。だけど、機体に攻撃が加えられたからか、装置に不備があったのか、座席は大地に叩きつけられても止まらなかった。

 車の残骸のなかを転がるようにして放出されたから、わたしの身体には無数の金属片が突き刺さっていた。

 せっかく、大きな怪我なくここまでやって来たというのに。最後の最後で、こんなにボロボロになってしまった。自分なりに、うまくやってきたつもりだったけど、最後にケチがつく形になってしまった。

 わたしは弱々しく息を吐き出す。

 胸には一際大きな欠片が屹立していた。

 それは、いつか学校で見た直角三角形に似ている。誰がどう見ても致命的で、わたしを見つめるヒギンズはひどく悲しそうだった。彼を悲しませているのが、他ならぬ自分であることが辛い。


「ねぇ、ヒューゴ」

「なんだ?」

「わたしが、スカートとか穿いたら、似合うと思う?」


 変なことを口走ってしまったと、言った後から後悔する。

 他に、言うことが沢山あるのに。言葉を選んでいる余裕なんてなかった。


「似合うさ。ああ、似合うとも」


 ヒギンズの笑顔を見て、わたしもまた笑う。

 もうそこに悲しみはなかった。

 いつもの朗らかな彼がそこにはいて、優しい笑みをわたしに向けてくれている。恥ずかしさよりも、嬉しさの方が勝っていた。わたしの心のなかを幸福感が満たしていき、力を与えてくれる。

 きっと、人はこういう気持ちを幸せと形容するのだろう。


「ヘリがすぐ来る。心配ない、スカートも穿けるさ」


 気休めだとは思ったけれど。

 ヒギンズにそう言われると悪い気はしない。

 わたしは、空を見上げた。


「初めて会った時みたいに、キスとか……どう?」


 そう言うと、ヒギンズは目頭を押さえた。


「……守るつもりが、守られてしまった」


 驚いた。

 ヒギンズが束の間に見せた一瞬に、わたしはどうしていいのか、わからない。それだけ、重い言葉だった。彼の言葉が胸の奥へ奥へと入り込んでいって、いつまでも心のなかで木霊していた。

 己の至らなさの果てに、救えなかった命に対して。あるいは、今まで自分が「仕方がなかった」だとか「これが現実だ」という言葉で片付けていたものを、今になって再清算しているんだ。

 かつてのヒギンズの言葉が脳裏に蘇る。

 何を表現するために戦っているの?

 そう訊ねたわたしに、彼は後悔だと答えたのを今でもはっきりと覚えている。


「いいんだよ。わたしもずっと、守りたかったから」


 わたしは言う。

 

「守るために、戦う。気付けてよかったよ」


 そして、わたしは目を瞑った。


「トゥクモっ!」


 背中に回ったヒギンズの腕に、力が込められる。

 身体が密着して、彼の温もりを強く感じた。


「死ぬなっ、死なないでくれっ!!」


 ヒギンズの叫び声で、閉まりかけていた瞼が持ち上がる。

 そして、わたしは胸元に刺さった大きな金属片を――抜き取った。


「……は?」ヒギンズの口から声が零れる。


 わたしはそっと、首元のチェーンを引っ張る。

 胸元からは、初めて会った時にもらった指輪が露わになった。


「ヒギンズの指輪が、守ってくれたみたいだね」


 そう言って、わたしは指輪の輪に金属片を通す。

 破片はすぐに輪の両端にぶつかり合って、破片の尖った先端部分はほとんど入り込まない。


「じゃあ、傷は?」


 ヒギンズは慌てて、わたしの服の首元を引っ張る。

 下に着ていたキャミソールや下着に裂け目が入り、赤い線のような切り傷があるだけ。

 誰がどう見ても、軽傷だった。

 青ざめていたヒギンズの顔が途端に渋くなる。


「……死んじゃうって思った?」

「びっくりするくらい、穏やかな顔だ。これから死ぬ面だとしか思えない」


 ヒギンズの固い言葉を受けて、背後からくすくすと忍び笑いが聞こえてくる。


「……キャリー、おまえ気づいてたな」ヒギンズは後ろを振り返って言う。

「いや。だって、明らかに出血してねえんだもん。絶対軽傷だと思ったのに、ヘイデンの奴、顔面蒼白なんだもんな」

「久しぶりに、いいものが見れたわね」


 戦闘服(BDU)姿のキャロライナとエリンがヒギンズの後ろで笑っている。


「でも、不本意な暫定ユニット・リーダーだったわ。もう二度とこういった形で指揮したくないって感じ」


 そう言って、エリンは溜息をついた。

 普段のエリンらしからぬ、年相応の笑顔でわたしを見下ろす。

 彼女なりに心配してくれていたのは一目瞭然だったので、わたしは彼女に申し訳ないと思った。


「ああ。肝が冷えたぜ」


 キャロライナが片膝をついて、わたしと目を合わす。


「目の前で死なれても困るけどな、あたしの知らねえところで死なれるのはもっと困る。だから、なんつうのかな……無事で良かった」


 キャロライナの灰色の瞳が潤んでいるのがわかる。

 わたしは頷いた。

 たぶん、言葉はいらなかっただろう。見つめ合うだけで、互いの心は通じたんだと、今は信じたい。

 わたしもキャロライナも、最後は表情を緩めた。

 そんなふたりの間から、クレアが割って出て来た。


「ツクモ、大丈夫だった?」


 不安げに眉根を寄せ潤んだ瞳で見つめられると、場違いにもわたしはどきりとしてしまった。


「問題ないよ。心配かけちゃってごめんね」


 クレアは答えない代わりに、わたしをじっと見据えた。

 胸が痛い。

 わたしがクレアを見る時、純粋な視線で彼女を見ているとは言い難く、どこか嫉妬めいていた。それなのに、彼女はわたしを仲間だと認めていて、信頼し続けてくれていた。

 それに思い至ると、ただただ辛い。

 クレアに、何か言葉を。

 そう思って、唇を湿らせた時、彼女がそっとわたしに寄り添った。


「……ツクモ。良かった」


 その声はくぐもっていて、明瞭には聞き取れなかったけれど。

 わたしの耳は彼女の言葉をしっかりと聞き取っていた。

 その言葉は、わたしにとって意外なものだった。

 けれど、耳慣れない感じは一切なく、違和感もなくわたしは自然に受け取ることができた。

 心の奥でつっかえていたものが綺麗さっぱりなくなり、わたしとクレアとの繋がりをこの時、はっきりと感じた。

 それは随分と遅い気付きだった。

 けれど、心の底からそう思うことができて本当に良かった。

 わたしも、クレアの小さな背に手を回して、力を込めた。

 今わたしが感じている気持ちを、ほんの少しでも彼女に伝えるために。







「出遅れちゃった」


 ポロロッカの病院に担ぎ込まれる道中の、救護ヘリ。

 その通信回線で、恵澄美は言う。その場にいなかったからか、画面に表示されている恵澄美は普段通りで、やはり彼女の図太さは本物だったんだと思ってしまう。


「わたしも、心配してたのに」

「大丈夫だよ。ありがと」


 ステルス可変FHの奇襲の余波で、恵澄美だけは厳重な警備のなか別行動を強いられていた。

 いつか北部の空軍基地で見かけた、なんの事情も知らずに駆けつけてくれたドイツとオーストリア軍のユーロウォーカー・ウェスタリーズと情報軍(インフォメーションズ)のFHに護衛されながら、彼女は一足先に帰路についた。

 そして、わたしはこれから、精密検査を受けなくちゃいけない。

 きっと、当分は会えなくなるだろう。それを思うと辛かった。


「恵澄美。わたしも、抗っていくよ」


 わたしは言う。

 どの口が言うか、と恵澄美は心の底で思っただろうか。

 それでも、わたしは恥じらうことなく言った。

 戦いのなかで、ようやく掴み取ったのだから。わたしは手放すつもりはなかった。今のわたしに、かつて胸に立ち込めていたような靄のような虚無感は欠片もない。


「……うん」


 言葉を重ねなくても、彼女ならわかってくれただろう。

 それはあまりにも根拠が薄弱だったけれど、今はそう思うことにする。すぐには会えないとは思うけれど、いつかきっと、恵澄美に会う。

 また、その時に語り合おうと心に誓った。


「お見舞い、行くから」

「うん、待ってる」

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